1月20日発売の新刊『その後のリストラなう』の目次です。あと諸々の思うことなど。
前回からだいぶ間が開いてしまいました。年末に旅行行って風邪引いて臥せってるうちに年が明け、なんてことしてたら早くも松の内が終了間際です。
発売まであまり日がないので、せっせと宣伝を再開します。
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今日は目次を見ていただきましょう。
その後のリストラなう◆目次
まえがきにかえて
一 起義の章 カネが減っていくのは恐怖です
退職直後──“会社社会”から滑り落ちると、ビジネスマンには見えない昼間の風景と向き合うことになる
失業給付金──タダでお金を貰える生活は、魂が抜けていきそうになった
退職鬱──無聊が心身を蝕んでゆき、餌をやった野良猫に慰められる
退職金運用──退職金を殖やしに、外資系富裕層向け銀行へ。「投資の時代」の真実とは
金融商品①──退職金は殖えるのか?不思議な“毎月分配型”投資信託
資産管理──クワトロポルテを駆るアカウント・マネジャー。華麗なるイケメン担当者の仕事と私生活
金融商品②──あなたも“富裕層”になりたかったら、私の云うとおりになさい
売買差益──ゲーム《ギヤンブル》が始まった。キャピタル・ゲインの使い途は、事実上再投資しかない
企業評価──“富裕層向け”外資銀行はチャラいだけではなかった。副島隆彦が珍しく褒めていた
リスク選好──終わらないギャンブル。新たなる作戦会議で出てきた金融商品とは
相場観──その場で「買い!」決断。すぐさま押し寄せてくる、高い買い物の後悔
取得価額──運用額に比例する手数料!愕然、マイナスからの出発
基準価額──日々、是不穏化。日常の隅々にまでグローバル金融市場が忍び寄る
期待値──毎日が鉄火場。失われた安息
二 承順の章 これは再生の途上なのだと思いましょう
続落──誰にも言えない処で静かに苦しむ。与沢翼にはなれなかったよ
元本割れ──安心はどこで買える? とりあえず何かに縋りたい、救いを求める毎日
損失額──ただ坐ればどうにかなるのか?こんなこと、自分探しじゃないのか?
逃禅──“その時”が来た!…!?これが「宗教的な体験」なのか!
毀損──悩み事は外ではなく、私の中にある。もう一度、富裕層向け銀行へ——対決!(前編)
確定──苦渋の投資信託解約——対決!(後編)
金融商品?──リベンジマッチ。博奕は続くよ何処までも
羞恥──人はなぜ“利殖に失敗した”と告白できないのか
価値──生き甲斐との出会い。辺縁から問い直される部落史・解放運動
判断──外資系富裕層向け銀行、日本撤退!さよなら、僕のイケメン担当者よ
決定──カネは捨てられない、ならば…マイ埋蔵金だ!
後知恵──それでも金融商品を買うなら最低限こういうものにした方が良い
三 展転の章 人の死を見て己が生を知りましょう
体調──金より断然健康不安。ある医師が教えてくれた、本音の医療とは
夭折──死と健康の間に。ある医師が語ってくれた、医者の常識、ヤバい治療
情報──癌を告知されて平気な人は、やっぱり少ない。病気とインターネットと、QOLの関係
隠居──亡くなったM専務の思い出。そして日本のプロスポーツにおけるドーピングの例
怒濤──医師という“異人”について付け加えたい二、三の事柄
余生──偉大な天才も、凡人と同じ陥穽にはまる。ザ・ビートルズに見る“隠居の難儀さ”
経済心理学──隠居《 》者《もの》は金銭的不安から自由になれるのか?華々しく消費できる老人ばかりじゃない
不寛容──やはり人権思想では老人ヘイトを止められない。嫌老社会、到来か
顕示──沖縄“離島の離島”伊良部島でキンキラキンの富裕層豪邸を拝見
遁世──原節子・水木しげるの訃報に、鳥居甲斐守の強靭さと、それを支えた教養を思う
永訣──知った人の、とくに若い人の訃報は残念だ。追悼、光文社OB・櫻井孝昌くん
四 結風の章 やがて人生の目的が見えてきます
惑溺──清原、君だけじゃない。薬物と“魔の退屈”の罠
酩酊──私はたまたま薬物耽溺から逃げることができたけど、“魔の退屈”からは逃げられない
葬送──この所レクイエムだらけだがキース・エマーソンの死はとくに堪えた
反攻──“魔の退屈”に抗い続ける、『気晴らしの発見』の発見
楽悦──この男たちの色気はいったい?ある“種族”の発見
自縛──サンハウス「レモンティー」に悩む。音楽との再会、憾み、そして和解
解放──藝術はなぜ私を自由にしてくれるのか?もしかすると人生の目的は変性意識か
確信──男は時代の左傾化に抗って生きるべきか?“その一瞬”のために命を捨てられるか
エピローグにかえて ボロ猫・クロが教えてくれたこと
以上です。なお、編集段階で多少変更が入りましたが、それは反映してません。ご容赦。なお《 》はルビです。
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1章・2章が、例のリストラで会社を辞め、ゲットした退職金をどうしたか、という話です。
3章・4章は、お金のことを放念してから興味が移ったものを毎月テキトーに書いていました。健康とか有名人の訃報の話が多いですね。
実際、五十にもなると周りの同世代にも死んじゃう人が出て来るので、どうしても死に興味が行ってしまいます。会社時代、とても近い場所に居られた櫻井孝昌さんの死は、僕にも堪えました。先月は櫻井さんの一周忌でしたが、Facebookに相変わらず彼のアカウントがあり、そこに世界中のオタク弟子たちがいまだにリプライを寄せているのを見ると、ちょっと目頭が熱くなります。僕は実際は櫻井さんのことをあんまり好きじゃなかったにもかかわらず。彼の偉大さを、彼の弟子たちから知らされ、かなり落ち込みました。そういう話も書いています。
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実際のところ、本書を世に問うのは僕の本意ではありませんでした。編集発行人・今井さんの強い押しがなければ、僕はバッ呉れていたでしょう。
今も、少し鬱状態です。何しろ、あまり読まれたくないのにもうすぐ本が出てしまうから。
次回は、なぜ憂鬱になるのかを、書いてみようかと思います。
史上もっとも消極的なプロモーションになるなあ、と思いますが、こればっかりは噓はつけない。