新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

偉大なバンドの消長について その2 ジョン・レノン(バンドじゃないけど)

 先週金曜の朝、ラジオでザ・バンドの曲が立て続けに流れた。直感した。「誰か死んだんだ」。
 ラジオの人が「リヴォン・ヘルムを偲んで…」と言った。やはりそうだった。享年71とか(僕の世代だと“レボン・ヘルム”という表記がなじみ深い)。
 きっと遠くないいつか、ラジオでザ・フーツェッペリンを立て続けに聴く朝が来るのだ。僕はツェッペリンにはあまり馴染みがないけど、フーは大好きだし、残ったメンバーは二人しかいないし、きっとその時はなにがしか泣いてしまうだろう。

 会社を辞めてからこっち、音楽を聴くたびに、その音楽家の栄光のその後、バンドの行く末などをつい考えてしまうことが増えた。死んだミュージシャンを算え、活動を停止したバンドがどうしてしまったか調べたりした。ちょうど老眼が昂進する初老期と重なってしまったため、どうも発想が暗い方へ暗い方へ暗い方へ行くのには我ながら困った。
 このネガティブな探索は案外と奥が深く、かつ面白く、ハマッてしまった。とくに、音楽家の死はどれも劇的で、魅了されるのだ。

 会社を辞めて身の置き所がない不確かさにやっと慣れた頃、考え方がちょっと変わってきた。というか、動かしがたい大きな事実に気づいてしまった。
 人は、栄光の時をずっと生きることはできない。誰もが、充実した生を生きたい、と願うが、充実を感じるのはほんの一瞬で、そのあと長い長い退屈な時間を生きなければならない。むしろ、充実した一瞬を得て、その記憶が輝かしければ輝かしいほど、残りの生は一層退屈に感じることだろう。
 この「退屈」なるものは、現代人の最大の悩みであり、全力で対処せねばならない喫緊の課題なのだ、ということがだんだんわかってきた。
 賢い人はどこにもいるもので、文芸評論家の小谷野敦は2002年の段階で『退屈論』というしっかりした一冊を著している。退屈の文学史・精神史・思想史へとまたがる壮大な試みなので、心ある人は読むべきと思う。
退屈論 (シリーズ生きる思想)
 最近では、経済学者(?)の池田信夫が、アゴラの書評「暇つぶしという重要な問題…『暇と退屈の倫理学』」で重要な示唆をしている。そのずっと前にも「退屈」と題したエントリを書いているが、これは非常に短くかつ鋭い文だ。
 両者とも、退屈の本質は、「生に意味はあるか」という根源的で過激な問いかけなのだ、という問題意識を持っている。退屈して発する言葉は、「何かいいことないか子猫チャン」だったり「私の人生は何だったんだろうか」だったりといろいろだが、これはどっちも同じくらい重たい言葉だと思ったほうがいい。きちんとした仕事を持ち、忙しく働いている人には理解できないかもしれないが、あなたもいずれ退屈に苦しめられる運命にあるので、他人事ではないと思ってください。
 ところで小谷野さんはニーチェ的な退屈への対決姿勢に釘を刺し、「退屈のあまり人を煽動などしてはいけない」ときちんと書いている。一方で池田先生は、無理筋の論争など引き起こすことが多いのはどうしたものか。聡明な人なのに、退屈の毒に当てられてるのではないか。

 さておき。音楽家は、曲を書き、歌い、あるいは舞台で演奏することで燃えるような生を生きる(一方で長く続くツアーに退屈したり、レコード会社との契約で曲を書くことに苦しんだりもするわけだが、ひとまず措く)。僕が注目するのは、曲を書いたり歌ったりすることを止めた音楽家は何をしているのか、ということだ。
 ザ・フーのピート・タウンゼンドが、ネットの小児ポルノ保持で逮捕された(2003年)。彼は「楽しむつもりではなく児童ポルノを防止する観点からのリサーチだった」と主張しているが、僕には言い訳に聞こえる。ひとつ僕が疑ったのは、「彼は退屈していたのではないか?」ということだ。
 多くの成功した音楽家が、薬物やアルコールに苦しめられてきた。ローリング・ストーンズも、元ビートルズのポールも、薬物所持歴あるいは所持現行犯で日本に入国できなかった(多くは70〜80年代。その後彼らはクスリを止め、入管も態度を軟化させ、90年代に続々来日が実現した)。日本の入管は薬物歴のある音楽家のリストを持っているはずだ。FBIはもちろん持っており、それは偉大なロック音楽家リストときれいに一致するらしい。アメリカの保守的な人がロック音楽を忌み嫌うことがあるのは、あながち無根拠なことではない。ある人たちにとって、ロックは薄汚いものなのだ。
 今でも突然死する音楽家は多い。マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンは、いずれも薬物の影響が強く疑われている(前者は睡眠薬向精神薬、後者はコカインのようだ)。どちらも、身体の不具合を治すための薬物使用ではなく、刺激が欲しいから、退屈でしょうがないから薬を欲したというところだ。マイケルは抗不安薬を使用していたが、鬱病の大きな原因の一つは退屈による抑鬱だ。
 彼らは芸術的にも商業的にも大成功して、名誉と富と両方を持っていたはずだ。名誉と富とは、権力と言ってもいい。
 権力の定義はいろいろあるだろうが、僕が気に入っているのは軍学者・兵頭二十八のそれで、「飢餓と不慮死からの遠さ、を以て権力とする」というものである。不意に死んでしまうようなことがない、飢えることがないようにする力を、権力とする。とすれば、マイケルもホイットニも、あんなに成功した芸術家なのに、不慮の死を遂げてしまったとは、つまり権力を持っていなかった、ということになろう。

 本当に富と名誉を持った人は、身の持ち方を正し、危険を避けようとする。お金持ちが退屈な車メルセデスに乗るのは、事故時に他の車種より生き残る可能性が多少は大きいからだ。そうでなければみんなフェラーリやポルシェに乗るはずだ。スポーツカーはリスクがあり、それは不慮死の可能性に繋がる。豪邸に住むのもそうだ。ほんとうは、目立つ屋敷に住むと他のリスクを呼び込むので、あんまり派手な住まいはお金持ちにはふさわしくない。だが、相応のセキュリティを備えた住まいとなると、ゲーテッドコミュニティとかトーチカみたいに窓の少ない邸宅、有人セキュリティの高層コンドミニアムとかになるのだろう。彼らはしかたなくそういう閉ざされた家に住む。本当に贅沢な人は、田園地帯に農家のような屋敷を構え、犬や馬、羊を飼って農家の真似事をするらしいが、セキュリティにべらぼうな金がかかるのでそんなことができる人は一握りだ。
 リスクに敏感なお金持ちは、ロックコンサートにも行かないはずだ。コントロールされたクラシック演奏会や高いチケットのオペラがふさわしい。日本でいえば新宿や渋谷の盛り場も避けるだろう。行くとしても自動車でデパートに乗り付けるのがせいぜいか。若い富裕層二子玉川や自由が丘に惹き付けられるのは、少なからずリスクの問題がある。彼らははなから池袋や上野には行かないはずだ。そうしたライフスタイルは、趣味の問題だけではなく、リスクを避けようとすると必然的に取らざるを得ない行動様式なのだ。

 ロックは、もともとお金のない若者たちが愛好した音楽だから、音楽家がロック音楽産業で成功したとして、正しいお金持ちの態度を取る(=リスクを避けて注意深く生きる)と、ファンから「俺たちを棄てて金持ちの側についた」と罵られる。だからどうしても音楽家たちは、リスクから離れて安楽に生きることができない。また、若いうちにビッグマネーを手にすることでさらに音楽家の周りにリスク要因が集まってくる。なかなか難儀なことだ。
 マイケルはネバーランドと名付けられた奇矯な屋敷のことで世間を賑わしたし、ホイットニも着の身着のままで徘徊し奇行をしていたとの報道があった。死者に失礼なことを言うのは申し訳ないが、彼らは自分が得た富と名声にふさわしい生活態度を取ることができず、リスクをうまくコントロールできなかったのだと思う。
 ドラッグは本来、若くて命が安いチンピラの玩物だ。偉大な芸術家がドラッグのような安っぽいものに染まるのはおかしなことだ。
 ロッカーは比較的若いうちに大成功するため、正しい身の処し方を学ぶ機会がないのかもしれない。また、ロックは社会への異議申し立てという側面が大きいので、反社会的なものを拒絶できないという宿命がある。
 大衆音楽は、大衆から遊離できない、大衆であるというリスクから離れられない運命なのかもしれない。人生のリスクについて歌うこともロックだからだ。

 これまでいろんな音楽家が亡くなってきたが、最大の悲劇は、1980年のジョン・レノンの死だと思う。生きていれば71歳。先週亡くなったリヴォン・ヘルムと同い年だ。
 当時40歳のジョンは、夜更けにスタジオから帰ってきて、自宅マンション(アパート・ダコタというがあんな豪勢な建物だから日本語ではマンションでよかろう)の前で不審な人物から銃撃されてしまった。あまりにも唐突な死だ。狙撃者の異常な振るまい(逃走せず、『ライ麦畑』を読みながら現場に留まった)から、彼は怪しい組織から行動を制御されてレノンを射殺した、という説まで出てきた。僕は1982年くらいの月刊PLAYBOYで読んだ。1981年のレーガン大統領銃撃事件とからめて、CIAなど闇の政府機関が薬物や催眠術で暗殺者を操っている、という説だった。ほんまかいな。だがこんな陰謀説がリアルに聞こえるくらい、レノンは政治的に危険な人物だったのも確からしい。また、FBIはロック音楽にものすごく不寛容なのも伝統らしい。統計的にみると、ロックはいつも犯罪すぐ隣にいる音楽だから、彼らは犯罪を憎むと同様、ロックを警戒するという。

 僕は1980年当時、レノンの楽曲を聴いたことがなかった。ビートルズの赤盤は、13歳の誕生日に歳の離れた姉がテープをくれたので擦り切れるまで聴いたが、青盤はおろか他のアルバムも聴く機会がなかったのだから、レノンのソロなど手が届くわけがない。しかも、レノンは直近5年間は育児をしていて作品を発表していなかったのである。FMラジオだけが頼りで、音楽を聴き始めて間もない田舎の中学生が、偉大だけど最近は活動していないミュージシャンの過去の作品など買って聴くわけがない。図書館? うちの町の図書館にレコードあったかなあ。自転車で14キロ走って、市の図書館でワグナーとかは聴いたけどなあ。
 そんなわけで、80年に衝撃的な死を遂げたレノンに、僕はさほど思い入れがない。むしろ1983年春のカレン・カーペンターの死のほうがショックだった。あんなに素晴らしい歌い手が、拒食症で痩せ衰えて死んだとは。当時付き合っていた背の高い女の子と地元の商店街を歩きながら、ラジオで訃報を聴いたのだった。そういえば、カーペンターズがカバーした「ヘルプ」「涙の乗車券」はどちらもレノンの楽曲らしいね。
「イマジン」をはじめとする彼のソロ楽曲のほとんどを、彼の死後はじめて聴いた僕にとって、レノンとは、彼の不在を以て巨大な存在感を示す動かしがたい存在、という奇妙な音楽家だった。

 レノンの楽曲が否応なく僕の視野(耳の場合は何て言うのか…)に飛びこんで来たのは、1985年に見た映画「キリング・フィールド」だ。ポルポト派が席巻する1975年のカンボジア、追い出される白人ジャーナリスト、残されるカンボジア人インテリ助手。すべてを失い強制収容所に入れられた助手、大量の死体が横たわる荒野を逃げる……というお話。85年時点だと当事者が生きていたり日本人ジャーナリストもほぼ同じ体験(助手を置き去りにして国外退去させられた)をしていたせいで、ひりひりするリアリティを感じる映画だった。そして映画のクライマックス、白人記者とカンボジア人助手が再会を果たすとき、レノンの「イマジン」が流れるのである。
「イマジン」の美しいメロディと、レノンの柔らかい歌声が、それまでの過酷な画面を許すかのように優しく押し包む。観客はよかったよかった、めでたしめでたし、と胸を撫で下ろして映画館を出た。あんまり見事なハッピーエンドだったせいで、「この映画は事実をねじ曲げている」と激しい論争が起きたほどだ(正確にはイマジンが論争を起こしたわけじゃないが、あまりにもぴたりとハマった曲だったために、あの映画に違和感を持つ人たちの反感を燃え上がらせた、のは確かだろう)。
 僕も、あんまりできすぎじゃないか、と思って、その不満を素直に口にした。そもそもレノンはこんな状況に「イマジン」が使われることを意図していたのか。たしかに楽曲は美しい、だけどここでそれを流すのは、政治利用じゃないのか、と。
 ライブハウスのマスターは言った。「レノンは、こういう状況をも念頭に置いて『イマジン』を歌ったと思うよ。そもそも、あのアルバム写真の雲は、ヨーロッパやアメリカでは見られない雲、インドシナ半島のような低緯度地域の雲だというよ。なぜ彼がその雲をジャケットにしたか、想像してごらん」。
 ほんとだろうか? あのアルバムジャケットの雲は、ヨーコの詩の「雲が滴るのを思え…」以上の意味があるのか。いくら検索しても出てこないんだが……。

 レノンの歌は、80年代90年代のニュース映像にしばしば登場した。ベルリンの壁崩壊、東欧の民主化革命、引き倒されるレーニン像スターリン像にかぶせて。あるいはボスニアでの死者を悼むローソク集会、「ギブ・ピース・ア・チャンス」がエンドレスで歌われた。年末のそうした映像には「ハッピー・クリスマス」。さすがに食傷するよね。
 政治的な映像と併せてくり返し流される楽曲を聴いて、僕は、レノンの歌はそういうものだ、政治的なものなんだと思い込んでしまった。
 これは、典型的なレッテル貼り行為、偏見だ。一部を以て全体と思ってはならない。大事なものを見落としてしまう。

 レノンの歌は政治的というより、内省的・厭世的・個人的なものが多い、と気づいたのはつい最近だ。アルバム「イマジン」を全曲通して聴いたのは、恥ずかしながら先月のことだ。これは優れて個人的な作品だということが、聴いているとすぐにわかった。他人のために、世界のために大声で歌ったアルバムではなく、自分のことだけを囁くように静かに歌ったアルバムだった。
「ジェラス・ガイ」では自分は嫉妬深い男だ、と告白し、「アイ・ドン・ウォナ・ビー・ア・ソルジャー」や「ギミ・サム・トゥルース」で世界への嫌悪、自分の弱さ、力のなさを赤裸々に歌うレノン。「オー・マイ・ラブ」で流産した子を悼み、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でかつての友人ポールを口汚く罵るレノン。彼はこのアルバムで様々な姿を見せるが、どれ一つとして「公的なレノン」ではなく、「私人レノン」が歌ったものをたまたま僕らが耳にした、というくらい狭い世界ばかりだ。(やや脱線するが戸川純の「いじめ」という曲は「オー・マイ・ラブ」そっくりだ。剽窃とか言ってるのではないよ、抑鬱的なメロデイ、曲のあり様がそっくりなのだ。戸川は鬱も強迫も患っているが、レノンにもその気があるのではないか、と僕は疑う)
 最高なのが、最後の曲「オー・ヨーコ」。「ヤフコ」と聞こえるのがご愛嬌だが、これは恐るべき個人的で恥ずかしい、かつ可愛らしいバラードだ。真夜中に、真夜中に、君の名を呼ぶ。風呂の中で、トイレ(?)で、君の名を呼ぶ……。なんて恥ずかしげもなく、こんなことを歌えるか。
 たぶん僕は、若い頃にこの曲を聴いたら、まったく意味がわからなかっただろう。
 今なら、十分わかる。中年すぎの、心を許したパートナーと一緒に暮らしている人間なら(とくに男性なら)、ここでレノンが何を歌っているか、よっくわかるはずだ。
 なんのかんの言って、男性が妻などのパートナーを愛する気持ちは、歌にするとこんな感じだ。女性が相手をどう思っているかは僕にはよくわからないが、男性の気持ちは、他愛ない、ばからしい、だけど深いものだ。依存心が丸出しで。これはたぶん、世界中どんな男性もそうなのだ。そういう、とても大きな大きな事実を、衒いもなく、隠しもせず、飾らず、堂々と歌ったレノンはやはり偉い音楽家だと思う。

 芸術は、なんでも若い頃になるべくたくさん、浴びるように体験したほうが良いらしい。音楽に限らず、絵画・演劇・書・工芸・建築などなど。若いうちに、自分がどんな芸術に惹かれるか、自分で認識できていれば、その後の長い人生を楽しく送る助けになる。
 だが、鑑賞するのにどうしてもある程度の人生経験が必要なものがある。「オー・ヨーコ」が、聴く度に涙が出るくらい美しい歌だとわかる歳になって聴くことができて、僕はラッキーだったと思う。

 レノンは自分のバンドを残すことがなかった。プラスチック・オノ・バンドはテンポラリーなもので“グループ”ですらない。だから彼の軌跡はその死でぷっつりと途絶えるはずだった。が、世界は彼を放っておくことができなかった。
 彼の歌は誤解され続けているかもしれないが、その時その時のコンテクストに沿ってつねに読み替えられ、聞き継がれるはずだ。とくに、レノンは特定のシチュエーションを名指しで歌うことをせず、自分の内面に映る世界を歌い続けたものだから、聴く側が自由に解釈できるのだ。彼がいま生きてたら反原発ソングを歌ったかね? 不安や怒りを歌うことはあっても、名指しはどうかな。
 あと僕が好きな彼の曲(および、曲が流れる状況)は、SF映画「トゥモロー・ワールド」(2006)だ。この映画はクリムゾンやパープルの歌、またフロイドの豚などがまぶされた素敵な作品だが、とくに「ブリング・オン・ザ・ルーシー(フリーダ・ピーポウ)」が流れるとこが良い。この映画に登場するマイケル・ケイン、元写真家の老ヒッピー役だ。彼の姿が、レノンが生きていたらこんな感じに老けたのでは?と思わせてとても素敵なのだ。彼の姿を見るためだけに、ときどきこの映画を見ることがある。死んだ人間が、こういう形で生き続けているのだ。これは強い。
 本人はずっと不在だけど、彼のアイコンは生き生きと生き続けるのだ。

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