新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「バトルシップ」ほか、先日見た映画感想

 飛行機に乗ったので映画を見た。
 エミレーツ航空はタキシングしてる段階からエンタテインメント・システムが動き始める。シンガポール航空とかは「水平飛行になってからでないと使っちゃダメ」というのだが、エミレーツはそんなケチなこと言わない。離陸前から、また降下・着陸時も、席に着く間ずーっと映画を見られる。大雑把なのか、太っ腹なのか。なお、ヘッドセットは着陸前に回収されるので自前のイヤホンを持参されると良い。
 見た映画は以下。注記なきものは日本語吹き替え。「プロメテウス(2012)(英語)」「ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド(2012)(英語)」「ロック・オブ・エイジズ(2012)」「アメイジングスパイダーマン(2012)」「崖っぷちの男(2011)(英語)」「To Rome With Love(2012)」「バトルシップ(2012)」。
 エミレーツ航空はアラブの航空会社なのでアラビア語映画と、インド圏映画(ヒンディ語ボリウッド映画、タミル語ウルドゥ語など)も充実している。さっぱりわからないだろうがこういうのを見ておけば良かったのだろうか。いや無理だな僕には。
 そういうわけで、しょうもないリストになりましたが、見た映画の感想をメモしておきます。

◆「プロメテウス(2012)(英語)」
 英語音声と英語クローズドキャプションで見ていたのだが、話が込み入ってきた辺りから寝た。なので評価はできない。クライマックスで目が覚めたので映像は見たけど、まあCGなので驚きは薄い。三十年前のCGなし「エイリアン」の方が緊張感あったと思うよ。っていうのは年寄りの繰り言か。

◆「ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド(2012)(英語)」
 すごく面白かった! ボブ・マーリーが成功して以降のことは伝記を読んだのとあまり違いはなかったけど、生誕地のセント・アン(山中の僻村)や、キングストンのトレンチ・タウン(スラム、ゲットー)の風景はものすごくビビッドだった。ジャマイカはカリブ海にあるけれど、風景も住んでる人たちもアフリカなんだね。ボブの父は英国人大尉なのだが、種違いの兄弟や従兄弟のインタビューを見ると、たしかにボブには白人の血が色濃く流れているのがわかる。
 癌になって、ジャマイカの病院から見放された後、ドイツに転地してホリスティック療法を受けたんだね。知らなかった。寒いドイツで死んだのは可哀相なことだった。また、よりによって選んだのがホリスティックだとは。せめて痛みは緩和されたと思いたい。
 ジンバブエ独立式典のシーンとかあまりなかったんだけど、アフリカにおけるボブの存在は凄い。もう一つ、機内でスポーツ・ドキュメンタリ「モハメド・アリ」というのをやっていて、ジョージ・フォアマンとのタイトルマッチ(於キンシャサ、ザイール、1974)前後の様子をつぶさに見られたのだけど、これもすごい盛り上がりだった。70年代はアフリカに希望が溢れていたんだね。

◆「ロック・オブ・エイジズ(2012)」
 トム・クルーズがぶっ飛んだロックスターを演じている、歌も自分で歌っている、というのをインターFM「6時のヤツラ」で聞いていたけど、だからナニ?という感想。トムは禿げヅラをつけてくねくねダンスをしたり(トロピック・サンダー(2008))、ブリーフ姿でセックス説教をしたり(マグノリア(1999))といった突飛な演技をする人だ。今更そういう惹句に魅力はない。けど面白かった。「マンマ・ミーア!(2008)」に似た、懐メロミュージカルだったので。しかしミュージカルというのは、さっきまで普通に喋ってた人がいきなり歌い出すので、全編歌いっぱなしのオペラよりよほど変だ。何度見ても僕は慣れない。

◆「アメイジングスパイダーマン(2012)」
 シリーズ作品を新たにスタートさせるのを「リブート」というらしい。サム・ライミの「スパイダーマン(2002)」から十年経ったのか、早っ。ライミ版ですら緻密過ぎに感じたが、新作はさらにいろいろ緻密・伏線張りまくりな印象。もっとざっくりした、適当なヒーロー譚は作れないのだろうか。
 新しいピーター・パーカーは「ソーシャル・ネットワーク(2010)」でザッカーバーグの協同創業者だった人だよね? 悩んでる描写がリリカルだった。しかしトカゲ男の造形はあんまり好きじゃない。アメコミ調は嫌いなのだ。クライマックス、「スパイダーマンは俺の子を助けてくれたんだ」と負傷したピーターのために街中のクレーン技師たちが協力してくれるくだりは泣けた。浪花節に弱いのだ。あとマーチン・シーンの遺言も良かった。こういうキャラ死なすなと思う。良かったけど、まあ、飛行機でなかったら見ない映画だな。

◆「崖っぷちの男(2011)(英語)」
 ホテルの21階の窓を乗り越えて飛び降りようとする男と、警察との〈ネゴシエーション〉譚。実は男の行動は陽動で、その影で協力者が男の無実を晴らすべくダイヤ泥棒をしようとしている。……いろいろ練り込まれた物語だけど、あんまり共感できなかった。なぜだろ。終始、壁際に立つ男のシーンは視覚的緊張感に溢れ、〈クリフハンガー〉効果満点のはずなのだが。
 結局、お話のための行動であって、はなから男には死ぬ気がないのだから、緊張感なんて生まれないのだ。

◆「To Rome With Love(2012)」
 ウディ・アレンの新作。まだ邦題が決まってないらしい。
 ローマを訪れた人たち、ローマに住んでる人たちの群像コメディ。非常に面白かった! そういえば本作には「ソーシャル・ネットワーク」のザッカーバーグが出ていた。この人、「ゾンビランド(2009)」が好きです。エレン・ペイジも良かったね。
 アレン自身も登場する。マニアックで失敗の多かったレコードプロデューサで、定年して退屈に苛立っている、という設定。アレン映画の主題は、「いつも他人が羨ましく見える」ことの苦悩、なのかな? アレン作品ずいぶん久々に見たけど、この辺のニオイは変わってないと思った。ただし、舞台がニューヨークじゃなくてローマになるだけで、かなりお気楽になれるのが不思議だ。Fabio Armiliatoという人が出てきて、すごいテノールを披露するのだけど、この人はカリスマ的なテノール歌手なのだそうです。道理で上手いわけだ。そんな人を、舞台で裸にさせ、●●●●を●●させて歌わせるなんて、けっこう凄いことやってるこの映画、と思う。ここは腹抱えて笑いました。わかってても笑える画です。
 アレン作品の人物たちは皆紋切り型に見えるのだが、その人物たちが組み合わされると、全然紋切り型に見えない、底の深い話に見えてくるのが不思議だ。そういう意味でも面白かった。

◆「バトルシップ(2012)」
 この映画について語りたい、と思わせたのが今回はコレだった、というあたり、ちょっと残念な映画鑑賞ツアーだった気がする。でもこの映画、バカ映画とか言われてますが、語るべき〈コード〉は多いです。
 まず、この映画はアメリカ海軍の協力下で撮影されたということ。軍が映画に協力するにあたって、広報効果がないといけない、という条件が付く。過去最高に効果のあった広報映画は「トップガン(1986)」だろう。ブログの感想とかを読むと、「バトルシップ」はアメリカマンセー国威発揚映画、との評価が一般的なようだ。そうかな? 事態はもうちょっとねじれてて、それを読み解くのは非常に面白いことだと思うのだ。やってみよう。もちろん以下では【ネタバレ】しますので、ご注意を。

バトルシップ”は、現代では絶滅した種
 表題の「Battleship」とは、戦艦のことだ。作中では冒頭、ハワイ・オアフ島真珠湾で記念艦となっている戦艦ミズーリが出てくる。リムパック2012の開会式典会場としてミズーリの甲板が使われている、という設定だ。
 リムパック(Rimpac=環太平洋合同演習)は偶数年の隔年開催だからこの映画の通り、今年の7月に開催された。映画では14カ国となっていたが実際は22カ国(14カ国参加は2010)。日本はカナダ、オーストラリア海軍に次ぐ古株で(1980年より参加)、他にイギリスやロシア海軍などの大国も参加してるけど、総合的な海軍力からするとリムパック参加国のうち二番手、と言って良いのではないか。合同演習には練度の低い国や本気度の薄い国もいるが(当然だ)、日本は練度・本気度ともに充実している。作中登場するイージス護衛艦みょうこう」は本物のリムパック2012にも参加している。
 リムパックに参加している艦(ふね)は、空母(作中ではUSSロナルド・レーガン)を除くと、ほとんどが駆逐艦(デストロイヤー)。戦艦はおろか、巡洋艦(クルーザー)もアメリカ海軍以外見当たらない。
 僕はこの映画を見るまで知らなかったのだが、現代の海軍というのは、駆逐艦が主戦力なのだった(ごめん、「沈黙の艦隊」も「ジパング」も完読してない)。
 現代海軍の戦力で、単艦で最大のものはもちろん空母だろう。だが事実上、正規空母を運用できるのはアメリカ海軍だけだ(他にフランスが一隻だけ稼働させているが)。だから諸国の海軍力というと、駆逐艦の戦力と、潜水艦、VTOL機を使う軽空母やヘリ空母駆逐艦より小さなフリゲートコルベット、また給油艦やら掃海艇その他を統合的に運用する総合力、ということになる。ロシアが実質航空母艦のような大型巡洋艦を持っているらしいが、ほんとに正規空母と同じような運用ができるかはわからない。また、中国がそういうののスクラップを買って空母にしたらしいが、ちゃんと動くのかどうか。また、巡洋艦という艦種も、駆逐艦が大型化したせいでよくわからなくなってきたらしい。少なくとも巡洋艦が新造されることはもうなさそうだ。そういうわけで、海軍力とは、現代では駆逐艦のことなのだった。

 作中、なかなか良い台詞が出てくる。記念艦ミズーリを見学に来た少年が質問する。「戦艦と駆逐艦ってどう違うの?」。主人公が答える。「戦艦はすごいぞ。恐竜みたいなもんだ。動くバンチングバッグだ。でも駆逐艦はもっとすごい。最高だ」(うろ覚えで正確ではありません。ごめん)。
 しかしこれ、重要な台詞なのだ。この作品の本質を序盤でサクッと説明している。
 つまり、「戦艦は恐竜(=時代遅れ)」「バンチングバッグ(=殴られ役)」「駆逐艦はすごい(打撃力は最高。現代的な戦闘力では戦艦を凌ぐ)」ということなのだ。

 僕は戦艦大和を頂点とする帝国海軍史観で育ったので、駆逐艦は数が多くて“その他大勢”、海軍の華は戦艦と空母、と思い込んでいた。また、巡洋艦駆逐艦より偉い、とも。だがそんな価値観はここ数十年ですっかり逆転していた。いや第二次大戦の時にすでに、戦艦はなりが大きいばかりで役立たず、ということが露呈していたかもしれない。日本が誇った大和・武蔵・長門陸奥などは実際のところ、総力を挙げて戦ったことがない。戦艦が力一杯戦えたのは、日露戦争日本海海戦が最後だったのだ。
 USSミズーリは世界で最後まで働いていた戦艦だ。退役は1992年。完成したのも世界で最後で、1944年。太平洋戦争、朝鮮戦争、そして91年の湾岸戦争に参戦している。だが、戦績と言えるのはせいぜい艦砲射撃くらいで、艦隊の防御とか言っても空母艦載機ほどには働けないし、大和や武蔵同様、無用の長物だった。40センチ主砲で敵と渡り合った経験はないのだ。
 ちなみにミズーリなどアイオワ級戦艦は、日本の大和型戦艦に対抗するために作られたが、大和型よりちょっと小さい。大和の幅は38.9m、アイオワ級は33m。これはつまり、パナマ運河を通行できるサイズ(パナマックス)なのだ。そのせいで大和の主砲が46センチなのにアイオワ級の主砲は40センチとずいぶん劣る(40センチは旧世代の長門陸奥より1センチ小さい)。だが、劣ってる点ばかりではなく、最大31ノットの高速を出せる。大和は27ノットだから、空母と同じペースで航行できないが、アイオワ級は空母とほぼ同じ速度で移動できたのだ。
 といったネタはいくらでもあるけど、どんなに書いても戦艦が無用の長物で何の役にも立たなかった事実は変わらない。残念だ。

戦艦と同じく役立たずな主人公アレック
 この構図は、本作の主人公アレックス・ホッパー大尉(テイラー・キッチュ)のプロフィールと似ている。アレックスは才能や天分は周囲も認めてるが、直情径行で失敗が多いため、成功体験がない。いや、26歳を過ぎて海軍に入隊し33歳で大尉なら十分な成功じゃないか、とも言えるが、この設定は無視しよう。アレックスは「眠れる獅子」「恐竜」のような男なのだ。このままだと、活躍する場もなく引退させられたUSSミズーリなど戦艦と同じ運命だ。

 アレックスのライバルが海上自衛隊のイージス護衛艦みょうこうの艦長、ナガタ一佐(浅野忠信)だ。一佐と大尉とでは階級がだいぶ違うが、海自では主力艦の艦長には一佐しかなれないので仕方ない。海自の一佐がこんな風に若々しくて精悍かどうか知らないが、浅野忠信はアメリカ人好みの日本人をうまく演じていたと思う。
 アレックスの兄ストーンは中佐でイージス駆逐艦USSサンプソンの艦長だ。アレックスは同型のUSSジョンポールジョーンズ(以下JPJ)の武器担当士官。JPJ、みょうこう、サンプソンは建造・就役年が90年代〜2000年代とそれぞれ違うが、ほぼ同世代のイージス艦だ。つまり、現役最強のレーダーと、巡航・対潜・対艦・対空ミサイルの打撃力、バルカンファランクスCIWSの防空火力を持っている(ごめん護衛艦専守防衛なので巡航ミサイル持ってない)。相手が見えない位置から相手を見つけ出し、誘導ミサイルで撃ち、襲い来る敵のミサイルは賢い機関砲が撃ち落とす。相手から撃たれるとは想定していないので、装甲はない。装甲なんて重くて非効率だ。

広報映画とは「教育映画」のこと
 話は少しそれて、主人公アレックスの恋人サマンサの仕事について。彼女は海軍大将(リムパックの演習指揮官でもある)の娘で軍の病院で理学療法士をやっている。ちなみに細かいことだが実際のリムパック2012では米軍ではなく豪州海軍の将軍が海軍演習指揮を、カナダ空軍が空軍演習指揮を執ったのでちょっと事実と違う。事実の方が創作より先を行っている。
 サムの職場のシーンで出てくる傷病兵たち、足や手が欠損した人たちは、おそらく本物の傷痍軍人である。アフガンやイラクで戦傷を負った人たちだ。最新テクノロジーの義肢を装着している姿が次々と映し出されるが、やはりその姿は、申し訳ないけど異様に映る。
 サムの担当患者であるミックは、ごつい体、険しい顔つきの黒人兵士ミックだ。両足が膝のあたりで欠損しているので、棒状の義足をつけている。杖を一本突くだけですたすた歩けるほど、義足は高性能だし、彼も義足を使いこなしている。しかし、足を失い、人生の可能性をいろいろ失ったことへの怒りをまだ受け容れられずにいる、という設定だ。サマンサはリハビリのため彼を山岳トレッキングに誘う。
 このミックを演じているグレゴリー・D・ガドソンという人は、本当に両脚を欠損した傷痍軍人だ。1966年生まれ(僕と同世代だ)、砲兵士官で、現役の大佐だという(映画では最後に退役中佐と明かされた。兵士じゃない! それまで彼の階級がわからなかったので僕は驚いた)。2007年にバグダッドで負傷し、新型義肢をつけるようになってからは負傷兵のためのモティヴェイショナル・スピーカーをし、さらに上級学校を卒業している。有名人らしい。ビーター・バーグ監督は、ニューズで彼を知ってから彼の役を作り、キャスティングしたという。
 劇中、サムたちは登山の途中でエイリアンたちと遭遇して戦うはめになる。ミックは眠っていた闘志を目覚めさせ、エイリアンに立ち向かうのである。なんという予定通りの展開! しかし、両脚義足の男が恐ろしいハイテク鎧を着たエイリアンにタックルする画は、ちょっと外では見られない迫力だ。そして思想・主張もたっぷり、はっきり伝わる。
 これが、広報というものだ。戦争で兵士は傷つく、だが兵士たちよ心まで折れるな、お前はもう一度人生に立ち向かえるはずだ、彼のように、とのメッセージが誰にでも読み取れるだろう。
 戦争で傷ついた本物の兵士たち、本物の義肢の映像、そして義肢を使って再び戦う男の映像は、傷ついた兵士たちへのメッセージであり、傷病兵の家族や、兵士たちを取り巻く社会・コミュニティの成員たち全員へ宛てたメッセージだ。「異様」だなんて思ってごめん。君らは同胞で、英雄なのにね。広報とは、国民に対する教育にほかならないのだ。

 エンタメが教育目的を孕んでいることは昔むかしからある。そもそも、米海軍がハリウッド映画に協力的なのは、真珠湾攻撃の直後に映画の題材となって広報活動をして成果があった、という伝統に拠るらしい。また、映画を撮る側にも事情があって、陸軍を題材とした映画なら映画会社の予算内でセットを組んで再現できる。だから陸軍に協力は仰がない。だが海軍の軍艦などは少々の予算では再現できないため、どうしても海軍に頼んで本物を撮らせてもらう必要があるためらしい。海軍と映画会社の思惑が一致しているのだ。ちなみに空軍が映画に協力するケースは少ないらしい。空軍は熱烈な志願者に事欠かないため、あえて広報する必要がないそうだ(「トップガン」は海軍の映画だって気づかない人、きっと多いよね)。

 軍隊広報の歴史は古く、日本では国策アニメ映画「桃太郎の海鷲」(1943)や「桃太郎海の神兵」(1944)が有名だ。だけどもっと言えば、たとえば軍歌「日本陸軍」である。「♪てーんに代わりて不義を討つ…」で始まるこの歌は、出征・偵察・工兵・砲兵・歩兵・騎兵・衛生兵・凱旋・勝利という構成で、陸軍兵科の種別・作戦の進め方・戦闘の様子を、歌詞に乗せて教えてくれる構造になっている。
 も一つ、軍歌「歩兵の本領」。「♪万朶の桜か襟の色、はーなは吉野に嵐吹く」も、陸軍歩兵部隊というものがどういうものか、諄々と語って聞かせてくれる。陸軍連隊は総兵力二十万、八十あまり(あれ?編制古い?)、海外派兵に当たっては海軍の輸送船に乗ること、近代歩兵の歴史は(ナポレオンの)アルプス越えに始まること、日露戦争奉天会戦は日本歩兵史最大の勲(いさおし)であること、司令部を遠く何日も離れても(古来の傭兵と違って)秩序を以て行動できること、などなどが、歌ってるうちに体にしみ込むのである。
 さらにさらに言えば、「♪ここはお国を何百里…」で始まる淋しい戦時唱歌「戦友」である。日露戦争満洲で被弾した戦友(バディ)の死を切々と歌ったこの歌は、実はものすごく長い叙事詩の第三パートなのだという。全部挙げると、出征・露営・戦友・負傷・看護・凱旋・夕飯・墓前・慰問・勲章・実業・村長、となってるらしい。復員して、仕事に戻り、最後は村長になるのである。それが理想の兵士の一生、ロールモデルだったのである。(この項、『ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門』(浅羽通明、ちくま新書、2004)に拠った)
 軍隊は国民によって構成されているが、必ずしも国民は軍隊のことを知悉してはいない。ことによると身体を取られたり、命を取られたり、恐ろしい目に遭ったりする、理不尽な仕事である。だから軍隊はつねに国民を教育、国民に広報せねばならない。
バトルシップ」はたしかにバカ映画の趣があるが、軍隊広報映画として正しく作られている。ただし、問題があって、全編でCGが大活躍しているため、ガドソン大佐の義足までが本物なのかCGなのか、観客である僕たちにはよくわからない点である。

大活躍する“日本”
 本作では浅野忠信が準主役で出ずっぱりの活躍をしている。彼が指揮する護衛艦みょうこうは早い段階でエイリアンに撃沈されるので、海自派遣部隊が活躍するわけではなく、彼個人がミサイル駆逐艦JPJに救助され、主人公の横で活躍するわけだが、見ている僕らには「おお、日本代表が大活躍だ!」と映る。
 ここまで映画のすじを説明せずに来た。すまん。簡単に言うと、リムパック最中のハワイ沖に異星人の宇宙船が飛来したので、それを分遣隊(USSサンプソン、同ジョンポールジョーンズ、護衛艦みょうこう)が臨検しに行ったら、宇宙船が巨大なバリアを発動させ、本隊と分遣隊が分断されてしまう。孤立した分遣隊とエイリアンの戦い、ということだ。
 しかもエイリアンは早々にサンプソンとみょうこうを撃沈するので、JPJ一隻だけが巨大な宇宙船四隻と対峙する。スケールが大きいんだか小さいんだか、よくわからない戦いである。
 バリア内はレーダーや無線がジャミングされ無効化されている、らしい。イージスシステムが効かないピンチ。エイリアンたちもJPJの位置がわからない、互いに盲目状態である。しかし浅野演じるナガタ一佐が「津波観測ブイの信号をハックして敵艦の位置を推測できる」として、手探りの索敵と攻撃が始まる。ところで津波観測ブイからの信号も無線なので、本当はジャミングされてしまうはずだが、それは言わない約束らしい。
 この、「見えない相手を狙い撃つ」というシーケンスが、本作の原作であるハズブロボードゲームバトルシップ」と同じなんだそうだ。へー。ナガタ一佐の見事な戦術で2隻を撃沈し、ナガタとアレックス大尉は国籍や階級、これまでの遺恨を乗り越え、戦友となって友誼を結ぶ。アレックスは「以後、JPJ艦長の席はあなたに譲る」とまで言う。いくら優れているのを認めたといっても、他国の将校に指揮権を委ねるなんてこと、あるんだろうかね?(リムパック2012では他国に指揮させたんだったな)
 さらにナガタとアレックスは、.50口径対物ライフルで、迫り来る敵艦の艦橋を狙う。ナガタは射撃が得意だ、とアレックスに言い、「夏キャンプ……サマーキャンプで一等になった」と自慢する。「サマーキャンプ?」「十二歳のときだ」というやりとりは、笑うところなのだろう。だが、日本の小学生が夏休みキャンプで射撃をやるなんてケースはおそらく日本中探してもないだろう。
 そんなこんなで、なんだかわからないけどこの映画ではナガタ一佐が大活躍する。この優遇ぶりはなんだろう。浅野忠信で日本市場を取る営業戦略なのか。あるいは、政治的な意図があって“日本推し”をしているのか。はたまた、豪州やカナダの軍人と共闘するより画になりそうだからか(案外これじゃないかと思う)。
 真珠湾には、1941年の真珠湾攻撃で着底した戦艦アリゾナがそのままメモリアルとして遺されている。また、同じく記念艦である戦艦ミズーリは、1945年に東京湾沖で重光葵梅津美治郎が降伏文書に調印した、舞台そのものである(その場所に記念のプレートが埋まっている)。日本との因縁は深い。作劇上、必然性があるよな、と思う。

“戦艦の本領”もう一花、咲かせたい
 エイリアンの3隻めを撃破したのはいいが、JPJも返り討ちに遭って轟沈してしまった。「もう艦はない…」と消沈するナガタ。だがアレックスは「もう1隻ある!」と断言する。彼の視線の先には、記念艦として係留されている戦艦ミズーリ。ここにきて、やっと本題の“バトルシップ”が登場する。
「本気か? ありゃ博物館だぞ」「昨日までは、な(今日は違う)」。こういう遣り取り、恰好良いですよね。
 ミズーリに乗り移った生き残りクルーたち。「装置は全部アナログ、機関は重油ボイラーの蒸気機関、こんなのマニュアル読んで覚えるだけで一週間かかりますよ! 動かせない!」と下士官はキレ気味。そこに、第二次大戦や朝鮮戦争でこの艦を動かしていた老兵たちが登場する(リムパック開会式典に招待されていたのが、再登場するのである! 開会式から一日どころか数日経っているはずだが…)。
「若いの、オレたちに学んでみないか?」親指を立てて従う若い兵士(リアーナ)。「ほら、ボイラーに火が入ったぞ」、「燃料はやっと六百トン、砲弾はあるだけ掻き集めた」……こんなことが可能かどうか、かなり「?」が点くけど、ここはむちゃくちゃ盛り上がるシーケンスだ。AC/DCの"Thunderstruck"がリフを刻むなか、眠っていたミズーリが徐々に蘇る。Thunderstruckが鳴る4分間で出撃できちゃうあたり、これは映画(ウソ)だ。でも良い。こんなの序の口だ。これから戦艦に“真価を発揮してもらう”という壮大なウソが待っているのだから!

 戦艦の真価とは何か。一つは、艦載砲による攻撃である。
 最新のミサイル駆逐艦の火力は「ミサイル」である。爆発物をロケットエンジンで投射し、誘導装置で的に当てる。それに対して大砲は、火薬を爆発させて砲弾を飛ばす。同じ1トンの弾頭を飛ばすのに、ミサイルは賢い誘導装置と初速の緩いロケットエンジンなので、設備は小さく簡便に作ることができる。対する大砲は、火薬の爆発力・砲弾を飛ばす物理エネルギーなどを受けとめる必要がある。艦載砲は大砲のなかでは最大サイズのもので、戦艦のそれだと砲塔一基で小さな軍艦一隻分くらいの容積・重量だったりする。ミサイルが実用化されたらすぐに艦載砲(≒戦艦)が時代遅れになってしまった理由、わかりますよね。金と手間がかかりすぎるんです。
 だが、1トンの徹甲弾(爆発しない物理弾頭)を飛ばすなんてこと、大砲以外にはできません(ミサイルでこんなことするのはバカげてるから)。

 もう一つ、戦艦の真価とは、冒頭でアレックスが子どもに言っていた、「動くパンチングバッグだ」というやつ。つまり、戦艦はすべての軍艦の中でもっとも打たれ強い!のだ。現代の軍艦は、最新鋭ミサイル駆逐艦も、原子力空母も、第二次大戦時のような装甲は施されていない。打たれることを想定していないのだ。それよりも、薄い装甲を複数張り巡らし、ダメージ区画を細かく分けて損傷を制御するらしい。古い戦艦はそのような小賢しいことはしない。自分の砲と同じ威力の砲撃に耐えられるだけの厚く重たい装甲を持ち、同格の戦艦と撃ち合う(撃たれあう)、我慢比べのような戦いを想定している。
 現代の艦船はスマートなアウトボクシングだ。対して戦艦は、足を止めて打ち合う、泥臭い、ロッキー・バルボアのような戦い方なのだ。
 そうだ、そういう戦いが見たいのだ、僕たちは。

 老兵たちと現代将兵が力を合わせて動かしたミズーリは、最後のエイリアン艦と対峙する。こいつはバリアを張って海域を閉鎖しつつ、オアフ島山上の電波送信アンテナを占拠して母星に連絡しようとする敵の本隊だ。山上ではサマンサやミックが身体を張ってエイリアンの工作を食い止めているが、やつらが送信するのは時間の問題だ。ピンチ!
 ここで一つ重要なことを解説し忘れたのだが、本作のエイリアンは、ちょっと不思議なやつらだ。ビーム兵器を持っていないのである。
 宇宙人といえば超越テクノロジーというか、ビーム兵器とか持ってて当然だと思うのだが、今回は持ってない。持ってくるのを忘れたのかしらんが、ヘッジホッグのような投射爆弾と、「ガンダムF91(1991)」に出てきた「バグ」みたいな自走型殲滅兵器が主武器だ。物理攻撃しかして来ないエイリアン……変わってる。
 アレックスは、意表を突く操艦を見せる。急激な取り舵いっぱいで左急旋回、外側(右)へ傾く艦体を、左舷のアンカー急速投射で左に強引に傾ける(そんなことほんとにできるのか? できても応力集中とかで壊れないか?)。ミズーリは、敵に右舷の横っ腹を見せて、主砲はぴたりと巨大な敵に向けられる。

 この「戦艦のドリフト」シーンがどういう意味なのか、わかってる人、いるのだろうか。この映画はwebにたくさんの感想が上げられているが、「ドリフトシーンがすごい」という感想はあっても、なぜドリフトする必要があるのかについて述べた感想はあまり見かけない。
東郷平八郎と同じ丁字戦法」という説を見かけたが、それだけかな?

 僕には、「敵の攻撃を横っ腹の装甲で受けて、耐える」作戦に見えた。戦艦の装甲でもっとも厚いのは、喫水線あたりの側面装甲なのである。
 ミズーリの横腹にエイリアンの投射榴弾がぐさぐさぐさ、と刺さり、次々爆発する。激しく揺れる艦内。だが老兵の一人は、「この程度でこの艦(ふね)が沈むものか」と確かな信念を口にする。さよう、これこそが戦艦の本領なのである!

 第二次大戦では、ほとんど戦艦同士の砲戦は行われなかった。ミズーリももちろん砲戦は未経験。いわば彼女はバージンなのである。
 唯一にして最大のピンチは、沖縄で受けた零式戦闘機の特攻だった。1機が副砲塔に激突し火災を起こしたという。ミズーリが受けた攻撃は後にも先にもこの1回きり、みたい。彼女の砲は、敵艦相手に口火を切ることはなかった。対空砲火と地上目標への艦砲射撃だけである。自慢の装甲の力を披露することもなく、彼女は第二次大戦、朝鮮戦争湾岸戦争を終えたのだ。

 監督ピーター・バーグは海軍マニア、艦船マニアなのだそうだ。彼が、美しいミズーリがバージンを失う映画を撮りたい、と思ったのも当然だろう。と僕は想像してしまうのである。

 エイリアンの攻撃を耐えたミズーリは、ありえない速度で主砲を撃ち続け、敵ラスボスを撃破する。主砲斉射のシーンはCGとわかっていても溜息が出る美しさだ。
 この後映画では、もうちょっといろいろあるが、ともかくめでたい大団円を迎える。エンドクレジットの後にちょっとおまけフッテージがあるそうだが僕は見逃した。急いで巻き戻して、ミズーリ再始動のシーンから英語CCで見直したからである。

 というふうに、僕は「バトルシップ」を見ました。ウザくてすみません。

 ところで、今回は30時間も乗っていたのだが、あまり本数は見なかった。好みの作品が少なかったのと、映画よりむしろ音楽を聴いてた時間が長かった。エミレーツは、ビートルズデビッド・ボウイボブ・ディラン、クイーン、レッドツェッペリンなどのスタジオ盤が全部聴ける。ストーンズ、フロイド、U2も主要作が聴ける。他にプレイリストには100以上のアーティストが。エミレーツすごい(A380の話。A340はへぼかった。映画もオンデマンド視聴ではなくチャンネル選択式)。
 機内食もなかなか美味かったし、エミレーツ、意外とオススメです(ドバイは遠いですけどね)。