新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

日本の「軍」文化は滅びてしまった。1945以前のドラマはすべて時代劇になった

以前、とある意見広告系の展示会で、説明パネルに「終戦工作に動いた海軍少尉・高木惣吉」という文言を目にした。
もちろん少尉が終戦工作になど関与できるわけないので「少将」の間違いである。
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日本には軍隊がないことになっているので、一般人は軍人の階級に超無関心である。映画の字幕もよく間違っている。
陸軍の将官を「提督」と呼んだりするし、Sergeant Major(先任曹長)とMajor(少佐)の区別もついてないことがある。
(警戒してみていたのだが、戸田奈津子は意外と間違ってない)
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軍隊の階級は、山下清の「兵隊の位で言ったら何?」もそうだけど、戦前の社会では広く認知された縦の軸線だった。そりゃそうだ、徴兵制がある社会では、男子ならほぼ全員が軍隊を経験し、その末端に序列づけられた経験を持つからだ。もちろん例外は多いのだけど。家長は兵役義務免除だった、とか僕は意外だった。
日本の戦前の小説や、今でも海外の小説は軍人や元軍人が、階級的な価値観をもって描かれる。映画にも時々出て来るし、Sergeantを軍曹と訳すか警部と訳すか、非常に難しい。ビートルズのサージェント・ペパーは、ペッパー警部なのかペパー軍曹なのか?
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日本人は宗教的なモチーフを理解できない、といわれるが、階級的なモチーフも苦手にしている。
犯罪映画とか、そういう伏線が出てくることが多くて、けっこう見過ごしてることが多いのだ。
たとえば「ゴッドファーザー」のマイケルは、大学中退で1941に海兵隊に入り、1945に大尉で除隊して帰ってくる。これが、国家を徹底的に信用しないドンの逆鱗に触れてるわけだが、どれくらいエリートでどれくらい英雄だったか、僕らにはまったくピンと来ない。
(ジョンFケネディも1941に海軍に入り、戦傷で名誉除隊したが、魚雷艇の艇長だった時中尉である。マイケルの造形にはケネディがちょっと入ってるような気がする)
もう一つ日本人が苦手にしているモチーフは、民族差別である。アメリカ映画はどんなエンタメ作であっても、人種・民族的なモチーフが入っている。犯罪映画ではそれが主題のものも多い(アイリッシュチェチェン・マフィアの抗争とか)。民族という前提は説明されずに呈示されることが多いので、日本人は見逃してしまうことが多い。
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この世界の片隅に」で僕が感動したのは、幼馴染みが水兵になってヒロインの前に現れた挿話だ。
軍人、兵士に対して、世間がどう見ていたか、尊敬・畏怖・敬愛・忌避の感情が、このシーンに繊細に描写されていた。
でも僕は、残念なことの海軍の階級章がわからないので、彼の階級が理解できなかった。
「片隅」は時代劇として模範的な考証をしている。NHK職員だった考証家の人が書いた本──文春文庫だったかな──には、江戸時代以前とともに明治・昭和の戦争関係の考証も採録してあった。テレビの当事者も危機意識を持っている。というか持たざるを得ないくらい、私たちの文化は断絶してしまった。
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もっとも、少将と少尉を取り違えて平気でいられるのは、平和な証拠、けっこうなことである。もうじき、日本でも自衛隊が国軍になり、もっと軍隊について敏感にならなければならなくなるかもしれない。

これ、名著です。けど意外にボリュームは少ない。