新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

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【書評】ネルケ無方『ただ坐る』(光文社新書)と、僕が見聞きした日本仏教の残念なところ

ただ坐る 生きる自信が湧く 一日15分坐禅 (光文社新書)
 好きな著者がいる。曹洞宗の僧侶でネルケ無方という、兵庫県の山奥にある安泰寺で住職をしている人だ。
 先月、この人の新刊が出ているのを知った。一読、うれしくなる内容だったので、ついAmazonにレビューを書いてしまった。こんな感じだ。

☆☆☆☆☆ 現在のところ、最良の坐禅ガイド, 2012/7/4
昨年から参禅を始めた者です。複数の坐禅教室に通うだけでなく、いろいろと文献も読みました。その結果、著者が住職を務める「安泰寺」のwebサイトにたどりつきました。

昨年出た新潮新書「迷える者の禅修行」は、元になった原稿がすべて安泰寺webサイトで読めました。他のレビュワーも言及しておられますが、著者の自伝的な内容です。

本書は、坐禅の実践にフォーカスしたものです。安泰寺サイトに収納されたエッセイと共通するものもありますが、ほとんどはこの新書という形のために書き下ろされたものだと思います。

安泰寺サイトの「火中の蓮・足の組み方」などを見たらわかると思うのですが、この著者は既存の坐禅ガイドよりも一歩も二歩も踏み込みます。脚の組み方(右が上になってはいけないのか?)など、初心者も経験者も一度は疑問に思うことでしょう。そこを踏み込んでこだわって考える坐禅指導者はあまりいません。ドイツ人らしく、自分が納得できるまで突き詰めて考える著者のパーソナリティが反映されています。もちろん本書にもそれはしっかり反映されています。

日本には、参禅できる寺院が殆どありません。禅宗寺院は浄土宗系に次いで多いはずですが、ためしにお近くの曹洞宗寺院を訪ねて訊いてみて下さい、アマチュアの参禅が可能な寺院なんてついぞありませんから。多くは他宗派と同じく、檀家の法要のための寺、維持することが目的となった寺にすぎません。
本書巻末には私たちアマチュアが参禅できる道場リストがありますが、全国の寺院数からするとじつにわずかな数です。
永平寺総持寺、あるいは臨済宗の修行道場などもありますが、ここは我われアマチュアとはまた関係ない、寺院の子弟(寺族=プロ)が寺院の経営・維持継承のために修行する「教習所」みたいなものです。
レナード・コーエンなど、禅に惹かれる外国人は多いのですが、彼も来日して参禅したとき、「日本の禅は死んでいる」と喝破したといいます。そう言われても仕方のない状況です。

そんな中で、原理主義的に坐禅を追求する著者は、我われアマチュアにとって本当に貴重な指導者です。
道元の始めた曹洞宗は、武士階級に支持された臨済宗と違って、土民に支持されたといいます。ネルケ師も我われのような現代の土民とも徹底的に付き合って、一緒に坐ってくれる人だと思います。
本書は、そのような態度に貫かれて書かれています。
これから始める人も、すでにきちんと坐れる人も、一読されると良いと思います。必ず得るものがあります。「坐禅をしても何にもならない」というのは事実ですが、その向こうには「何か」があります。

 今読み直すと、ネルケ師を持ち上げるために既存の宗教者をケナすような書き方になっている。これではタメにする議論であり、ネルケ師にも批判対象である方々にも失礼だな、と思った。申し訳ない。
 でも、こうとしか書きようのない、既存宗教に対する残念な思い、苛立ち、見限り、諦めがあるのは厳然たる事実だ。とくに僕は、宗教に入ろうなんてこれまで思ったことがなかったので、初めてそう考えたときぶち当たった壁は大きく、また醜く感じたのだった。

 昨年の夏、僕はふと、出家得度を真剣に考えるようになった。まあ、今はその熱も冷めて冷静になっているわけだから、一過性の熱情だったとも言えるが(キャー!恥ずかしい告白だ)。でも今もその余熱はあって、時折坐禅教室や自宅で坐っている。

 厭世観に囚われていた当時、思い詰めた僕は、おずおずと、出家得度について調べてみたのだった。ちなみに曹洞宗の場合ね。
 まず、若手の僧侶たちとの交流イベントに顔を出してみた。永平寺などで修行した若い和尚さんたちの集まりで、坐禅の普及・認知を一所懸命やっておられる。永平寺での修行とか、坐禅を組み入れた日常生活とか、坐禅愛好家と若手僧侶たちとの当たり障りのない話題の最中、ふと「出家するには……お坊様になるには、まずどうするのですか?」と訊いてみた。
「そうですね、まず師匠を見つけることです。師匠について得度し、師寮寺を決めます。そして上山します」
 なるほど。あなたはどうやってご自分のお師匠さまを見つけられたんですか?
「私の師匠は……父です」
 なんとなく見当が付いていたことではあったが、やはり彼らはお寺に生まれた「寺族」なのだった。

 日本の仏教寺院の主流は家族経営だ。日本の僧侶はほとんどが妻帯するし、実際お寺の経営に奥さんの働きは欠かせない。後継者も、住職の子どもが多い。僕が話を聞いた若手僧侶たちも、ほとんどがお寺の跡取りとして禅宗系大学を出、本山で修行した人たちだ。お寺の「跡取り」として育つのだから、自分で師匠を探す必要などないわけだ(修行の過程で「これは」という老師と出会うことはあろうが、それは「師匠」とはちょっと違うみたい)。

 またあるとき、僕はウォーキングしてて、「曹洞宗」をかかげたお寺を見つけ、訪ねてみたことがあった。「こちらでは坐禅をさせていただくことはできますか?」と。
 檀家でもないのにこのようにお寺を訪ねてお願いをするのは、普通はあり得ないことみたいだ。僕が訪ねたお寺ではどこも「えっ…?」と困惑した表情で迎えられた(よほど変な来訪者だった、のかもしれないが)。挙げ句、「当寺ではそういったことはやっておりません」と云われる。親切なとこだと「東京ですと西麻布に永平寺別院があるのでそちらに行かれたら」と教えてくれた。また、「お話を伺うことはできますか?」と訊いてみたが、「いま忙しいので」「体調が悪くてお断りしております」などと云われるのだった。

 寺族ではない、一般人が(酔狂にも)発心して出家得度しようとしても、現代ではなかなかそのチャンネルは開かれないのである。
 いや、本気で出家しようとしたら、それこそ通年「安居者募集」をしている永平寺別院長谷寺を訪れればよい。ここぞと見込んだお坊様がいれば、本気でアタックすれば途も開かれよう。
 だがそれらは、日本の仏教界では、どっちかというと変わり者、変人、異端なのだ。
 それでも最近、一般人から出家得度する人が増えているらしい。不景気ということもあるのかな、あるいはストレスフルな現代社会を離れようという動きか。なので、大きな流れとしては「変人」の転職組僧侶も増えてきた、と云えるらしい。だが、仏教界の主流・本流はあくまでも「寺族」から「プロ」になることである。

 ネルケ師の前著『迷える者の禅修行』(新潮新書)には、臨済宗の道場に修行に出た話がある。そこはまさに寺院の後継者を育成する道場で、修行者も寺族ばかり。継ぐべき寺を持たないネルケ師は同安居から「お前みたいなアマチュア」などと異端視される。発心を起こして道場の門を叩いた人より、寺に生まれたから跡継ぎ・二世・ぼんぼんとして修行するほうが偉いのか?と読んでてムカつく。
 だが面白いもので、寺族・ぼんぼんの彼らも寺の後を継ぐと決意しているため、それなりのプライドや精進があったりする。ネルケ師はここで、食べても食べてもなくならない量のうどんを強要され困り果てる。まるで意味のないことではないか、と。だが寺族の人びとには重要な修行なのだ。「お前、今は満腹だからといって、檀家の人から勧められたものを断れるか?」と。だからうどんの無茶食いも大切な修行のうちなんだ、と。臨済宗寺院での修行を勧めてくれた元同僚が、「これも持ってけ」と胃薬を持たせてくれた意味がやっとわかった、というあたりが笑えるのだった。

 寺に生まれ、跡継ぎとして育った者だけが持つ決意、というのは実際あるだろう。好きが嵩じて僧侶になったような“アマチュア”とは違うぜ、俺たちは覚悟して育ったんだ、というプライドというか。それはわかるのだけど、それだと余りにも閉鎖的すぎないか。
 つまり、90年代初頭、オウムに走った若いインテリたちは、なぜ既存仏教ではなくオウムを選んだか、という問題が、いまだに投げられっぱなしになっているということだ。
 簡単なのだ。誰でも発心することはある。だが、既存仏教には、それを掬いとる回路がない(わずかにあるけどあまりに少ない)のだ。オウムは、発心した人間を出家させるチャンネルを設けていた、というだけの違いなのだ。

 日本の仏教は、江戸時代の寺請制度からあまり変わっていない。檀家を持ち、それを収入源として寺を経営する(勧進や旦那場の制度がすべてなくなったのに、これだけは生きている!)。お坊様が妻帯し、子どもに後を継がせるシステムは、あまりに完成されていて、改良の余地がないと云うことか。逆に、子どもを僧侶にしないと、お寺を維持管理できないだけではなく、年老いた自分がお寺に住まう権利すら失ってしまう危険がある。どこの世襲業界とも一緒で後継者難なのだけど、仏教業界にはアマチュア出身の僧侶を全員跡継ぎとして迎え入れるキャパシティもない。出家者が増えている一方で、檀家はどんどん減りつつある。出家者が檀家を持った寺の住職におさまり、安定的な経営ができる可能性はすごく少ないようだ。そのうち“出家したけど難民”みたいのが問題になるかも。

 こうした仏教業界の難しい現況は、少しかじれば次々と見えてくる。また、ネルケ師の著書にも隠さず記されている。師自身、奥さんと二人の子どもがおり、奥さんから「私たちの将来はどうなるの?」と問いかけられるという。その都度困っているのを隠さないのがまたグッと来るのだが。また安泰寺で得度したお坊さんたちが、「自分が檀家寺を持てるのはいつでしょう」と悩むこともあるという。安泰寺は修行道場としては先鋭的で充実しているが、寺院を経営するプロの住職になる教程はないらしい。
 面白いもんだ。うっすらとわかるのは、曹洞宗大本山、とくに永平寺は、雪に埋もれた景色や早朝の修行風景などで禁欲的・先鋭的な修行道場、という印象なのだが、実際には「住職になるための教習所」という側面も大きい、ということだ。道元禅師が開いた寺院であり、開祖の教えを護持しているのは確かなんだが、やはりどこか変質してきているのだ。
 だから逆に、安泰寺がクロースアップされるのだろう。安泰寺の創始は戦前で、寺としての歴史は古くない。だが沢木興道・内山興正というスターが寺名を高め、今はネルケ師が注目されている。檀家もなく、ここで修行しても住職にはなれない、という困窮必至の環境は、実は開祖が目ざした修行スタイルにもっとも近いのではないか。原理主義的というか。ここで出家得度する人が多いのも特徴のようだ。失礼を承知で申し上げれば、曹洞宗の中で、保守化した大本山と、改革する異端派というか、ローマ教会とルターみたいな構図が(あれほど敵対的ではないとは思うが)生じているのではないかと思う。

 僕は、何事にも真剣に悩み、考え、飾らない言葉でそれをオープンにするネルケ師のファンだ。ネルケ師の本は、断定的な口調が少ないような気がする。坐禅のメソッドにしても、「自分はこのように解釈しているからこうしています」という控えめなスタンスを感じるのだ。他の坐禅指導者は「普勧坐禅儀に書いてあるから、こうするのです」「開祖が決めたことです」で済ませてしまい、深く考えないことを旨とすることがままある。坐ったとき右足が上に来てはいけないのか?という疑問とか、そうなのだ。「右が上に来てもいいですよ」と言われたこともあるけど、根拠がわからない。ネルケ師は「実は仏像のほとんどの場合、左足ではなく、右足が上にきているのです」と、なんだか実証的なのだ。これだけでもかなり違うと思いませんか?

 僧侶というのは、やはり変わった生き方だ。日本では多くが寺族出身で、大学を卒業し、本山で修行した後、副住職などを経て住職となり寺を継ぐ。つまり、あまり一般社会を知らずにプロとして生きていく。「僧侶になって三十年です」などというが、それは三十年間修行してきたという意味ではなく、僧侶として寺院に勤めて三十年です、の意に近い。サラリーマンや中小企業の二代目社長と同じだね。
 それでいて、「ありがたい説法」を求められる。無理だろう、そんなこと。大卒後、とくに一般社会で揉まれた経験もない人が、一般人の悩める心を掬うような話ができるわけがない。大学教育学部を出てすぐの人間が「先生」と呼ばれても何もできないのと同じだ。それでも教師は教員免許があって日々教鞭を執ることで教師になってゆく。僧侶は、頭を丸めて袈裟をまとって、僧侶になる。ちゃんとした僧侶になれているかどうか、客観的な判断基準はない。

『そっと後押し きょうの説法』という本を読む機会があった。若手僧侶たちがテレビ番組でした短い法話をまとめた本だ。宗派がバラバラなのは好印象だ。僧侶たちの肩書きはほとんど「住職」「副住職」。大きな大きな寺の下積みの坊さんは、こんなとこに呼ばれないんだね。
 内容は、当たらず障らずのプチ法話。ありがたいと思って読めば良いだろうし、つまらないと思ったらとことんつまらなく見える。僕はとくに心に響かなかったので、僕のように汚れた心で読んではイカンのだろう。
 これなんか、若手の行動的な僧侶たちが社会に働きかける活動として有望なんだろうけど、ほんとにそうか?と疑問に思うのだ。彼らは袈裟を着てるから人びとはその言葉に耳を傾けてあげるけど、袈裟を脱いだら、ほとんどがただのタワ言ですよ。彼らの言葉からは、社会経験も、修行経験も、窺えないからだ。ただ、ありがたそうなお話を、もっともらしくしているだけだ。まるでマニュアルがあるみたいだ。

 むかし、上野広小路の、ちょっと高いスナックに連れて行かれて飲んだことがある。僕ら以外の客は全員、お寺の住職、という店だった。たぶん、彼らが人目を気にせず気楽に飲める店だったのだろう。
 僧侶は酒を飲んではいかん、とは思わないけど、実際に目にすると、生臭坊主め、と軽蔑を感じざるを得ない。ロレックスを身につけ、酒を飲み、肉や五葷を食し、女性と戯れる僧侶たち。これのどこを尊敬すればいいの、と思ったものだ。
 外国の宗教者が尊敬されるのは、女色を絶ち、禁欲し、子どもを持って自分の血を後世に伝える欲を棄てるからだ。カソリックはそうだし、仏教の僧侶も日本以外はふつう肉食妻帯はしない。中国文化圏では僧侶が肉食せずにすむよう、素食(ベジタリアン)のレストランが頻繁にある。在家信者も午前中は素食するなど、食の戒律が一般的だ。日本仏教の戒律はずたぼろだ。
 もっとも、戒律があるからこそ、それを破る宗教者が必ずあり、それを目にするのがイヤだから、戒律などはなくしてしまえ、という発想もあるという。プロテスタントが牧師の妻帯を許したのも、禁を破る神父たちがあまりに多かったせいだ。親鸞の肉食妻帯にも、そういった先鋭的な宗教運動としての側面があったに違いない。だが、今の日本の僧侶の肉食妻帯には、宗教的にその意味を問い、突き詰めて得られた結論として私は肉食妻帯する、といった決意は窺えない。みんなして赤信号を渡っているかのようにしか見えない。

 仏教は悩んでいる人のための教えだ。釈迦は悩んだ人だったから。ユダヤ教キリスト教とはちょっと違うと思う。
 また、僕は曹洞宗の教えしか知らないのだが、曹洞宗では神秘体験を否定している。坐禅していると、意識が変成したり、トランスに陥ったりして、あらぬものを見てしまうことがあるらしい。僕も楽器を演奏したり入稿の準備をしててトランスになったことがあるので、神秘体験の心地よさはちょっと理解できる。だからこそ曹洞宗では、「それは悟りとは違うので気をつけましょう」とはっきり言っている(僕は南直哉師の文章でそれを読んだ)。
 神秘体験の否定。これは凄いことだ。オウム真理教中沢新一も、神秘体験大好きだった。
 だが、神秘体験は安易な道なのだ。そんなもので「悟った」なんて思ったら、開祖から怒られてしまうだろう。
 こういう志の高いストイックさは、曹洞宗の大きな魅力だ。沢木興道師からネルケ師まで、みな「坐禅をしても何にもならない」と言う。それでも彼らは坐り続ける。神秘体験などに凭り掛からず、座蒲のパンヤを入れたり抜いたりという地味で滑稽な努力をしながら、彼らはひたすら坐る。とても良いと思うのだ。少々社会経験が足りなくても、ちょっと素っ頓狂だったとしても、そうして坐り続けた人の人生は他の誰とも似ておらずユニークだ。そんな人の言葉には耳を傾けてみようと思わせる何かがあるのだ。

 僕には夢がある。将来はどこか山奥の修行道場で典座(てんぞ)になりたいな、となどと夢想したりする。そう、道元禅師が宋で出会った老典座のような人になりたいなと思うのだ。料理が好きで、坐禅にも心惹かれている、アマちゃんの夢想です。恥ずかしいけど笑ってお見逃し下さい。あはは。

裸の坊様 (サンガ新書) 迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書) そっと後押し きょうの説法 とんぼの本やさしい「禅」入門 『正法眼蔵』を読む 存在するとはどういうことか (講談社選書メチエ)