新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「師匠シリーズ」のウニ氏は僕と同窓か?

 おひさしぶりです。しばらく外出したりするとすっかりブログのこと忘れてしまい。てゆかネット自体離れてしまい、Twitterも見なくなったり。今日は僕の好きなブログとかネット上コンテンツについて書きます。


中上健次を彷彿とさせるブログ
 会社を辞めた頃から愛読しているブログ「teru0702の日記 by今井照容」の、先だってのエントリがすごく良かった。「東京から遠く離れてフクシマを想像する 前編」と題されたそれを読んでて、「この雰囲気、匂い、手触りは、何か昔知っていたぞ」とずっと思っていた。誰の文章だっけか…? この熱く、粘っこく、さりとてどこか透徹したような感じは。
 後段、小名浜ソープランド街で働くソープ嬢のブログエントリが紹介されてたあたりでハッとした。これは、中上健次の『紀州 木の国・根の国物語』で「少女の髪を撫ぜたいと思った」というくだりにそっくりなのだ。文章が似てるとか取り上げたものが似てるんじゃない、書き手の視線が似てるのだ。
 ていうか、中上健次は19年前に死んでいるけれど、もし今生きていたら必ず被災地に行っただろうし、なかでも原子力発電所の事故という天災ならぬ禍事に見舞われた福島に必ず踏み込んで、そこの人たちのことを書いたはずだ。原発労働者たちの憩いの場所・小名浜ソープ街のことを絶対書いたはずだ。そこで働く女たちの肉声を読者に届けようとしたはずだ。
 そもそもエントリ「東京から遠く離れてフクシマを想像する」の出だしが何か普通じゃなかった。

激しい雨がワンボックスカーを叩きつける。私たちはドアーズやローリングストーンズの音楽をかけながら常磐自動車道をひたすら北上する。

 これは中上の別のエッセイ『スパニッシュ・キャラバンを捜して』を強烈に連想させる。
 僕が一番好きなエッセイ『紀州』は、熊野・新宮生まれの中上が紀伊半島南部全域を車で旅し、各所で見聞きし、触れた、語られたことを粘っこい文体で綴った小説的ルポルタージュだ。僕はこの本にすごく毒されたので大学四年の夏にこの本と、岡山駅で知らない青年から買った青春18切符3枚を持って和歌山に無銭旅行に出かけた。天王寺、串本、那智、新宮、本宮、湯の峰、伊勢、奈良を歩いた。海外放浪とかじゃなくてスケールのめちゃ小さい旅だったが僕は大満足だった。駅の軒下や寺院の山門で寝たのも楽しかったし。
 東京と福島は遠くない。岡山から和歌山よりも近い。だが遠い。放射性物質が届かないくらいには遠いし、そこにいる人たちがどうしているか想像するのをやめてしまうくらいには十分遠い。その距離を埋めるのは想像力だったり、そこで見たことを伝える力だったり。「力」が要る。エントリ「東京から遠く離れてフクシマを想像する」にはその力を強く感じた。
 僕はなんとなく「中上健次を連想しました」ぽい短いコメントを残した。するとブログの著者であるteru氏からコメントで返事があった。

(前略)中上健次は私にとってアイドルでした。実は奥様で作家でもある紀和鏡さんとは「サンカ研究会」での仲間なのです。『マージナル』という雑誌は、この研究会を母胎に生まれました。そうした縁があって小学館文庫が創刊する際に「中上健次選集」がラインナップに加わったのです。(後略)

 そうだったのか! ていうか「マージナル――漂泊・闇・周辺をめぐる」(現代書館)は就職して上京したばかりの僕は池袋リブロで毎号毎号待ちかねて買った民俗学系ムックだ。それはそれは食い入るように読んだものだ。そーか繋がってたのか。小学館文庫ももちろん買ったな。当時は「なんで中上が小学館文庫?」と思ったが、そこには人間の縁があったんだね。縁がなきゃこんなことは起きないか。だけど唐突な中上選集、黒い背表紙はとても美しかった。


 teruさんはブログからエントリを精選して書籍『新大陸VS旧大陸』(イーストプレス)を出した。さらに今月末にも別の本を違う版元から出されるという(版元webにはたしかに刊行予定アナウンスがあったのだが、あれ?著者名がないよ?)。読んだらまた紹介させてもらいます。
  


■オカ板人気コンテンツ「師匠シリーズ」は僕もよく知ってる町が舞台だった
 思いがけず、大学生だった頃のことを思い出して浸ってしまった。若かった頃のことは“若かった”てことだけで懐かしく価値がある。若いということには、元気がある、希望がある、だけど貧乏、バカである、といったこと以外にとても重要な要素がある。いつもそばに同年代の仲間がいる、誰かと一緒にいるのが自然、ということだ。そしてそれは大概同性の仲間だ。異性は仲間とは呼ばない。
 同性の仲間と群れてる時期をギャングエイジと言ったりする。こんな時期のことばかりを書いたコンテンツがネットのある場所に大量に存在する。
 たとえば2ちゃんねる「オカルト掲示板」だ。通称オカ板。ここに集まった怖い話の傑作はいくつかのwebアーカイブズやブログにまとめられ、快適に閲覧できる。「怖い話まとめブログ」とか、スレッドから話の核心を拾い読みする必要がないのでとても良いです。
 オカ板の怖い話は古典的に有名な「くねくね」とか、いろんなバリエで増殖する「コトリバコ」とか、僕も大好きな話がいろいろある。で、オカ板の特徴には「語り手が若い」「仲間と肝試しに行って…といったシチュエーションが多い」がある。みんなギャングエイジなのだ。あるいはギャングエイジを回顧しながら語るのだ。
 他にも「けっこう積極的に神社に救済を求める」「仲間内に宮司の子弟がいて特殊能力を持ってたりする」といった特徴があるけど、これはちょっと話を作りすぎだと思う。そもそも田舎の神社というのは常駐の宮司さんがいないところが多く、僕の郷里の神社なんてどこも無人だ。肝試しに行って憑依され、帰り道で神社に救いを求めるなんて不可能だよ。
 ま、いいか。オカ板発の名作はいろいろあるけど、誰もが知ってる傑作に「師匠シリーズ」がある。研究サイト「師匠シリーズ・データベース」がわかりやすい。
 これは「ウニ」という投稿者が「大学生の頃、僕のオカルト道の師匠と仰ぐ人物と関わった不思議な出来事」を述懐する、一連の書き込みだ。他の怖い話の傑作と違って、著者の個性がものすごく反映されており、かといってくどくなく、軽快な語り口や謙虚なスタンスがとても好感の持てる立派なコンテンツだ。こんなことは読んだ人ならみな知ってるから今更書くのもなんだが。
 で、こないだ「師匠シリーズ」をまとめて読んでいたら「あれ??」と思ったしだい。
 エピソード「東山ホテル」は、なんだか僕も聞いたことがあるよーな地名が出てくる。まあでも東山なんて京都にもあるしどこにでもある地名だろう、そこに廃ホテルがあるなんてこともあるだろう、とスルーしていた。次のエピソード「コジョウイケトンネル」を読んだとき、おや、古城池とはまたよくよく似た地名があるもんだ。僕は行ったことないけど、大学時代、県西部にそっくりな名前のスポットがあった……。
 あるいはエピソード「猫イイ!」。ここでは「大学のすぐ裏のアパートに住んでいた」とある。僕が学生生活を送った町に男子が行ける大学は3つあったが、うち1つは小高い山の上にあり「裏」にアパートなんてあったかいな?だった。
 同じエピソードに「夜、大学構内で自動車部のDQNが酔っ払って暴走中」とある。これ、都会の大学に行った人には想像できないだろな。僕が行った大学はものすごくキャンパスが広く、当時「北海道大学筑波大学に次ぐ」と言われた。キャンパスをT字型に公道が横切っててキャンパス内にバス停が3つあった。学内に学生が自分の車で入り、夜中も停めておいたりも普通。ゼロヨンができる直線路もあった。僕は友人の原付で夜中に推し掛けとシフトチェンジの練習をさせてもらった。自動車部もあった(今も健在なようだ。廃部にはなってないかと)。で、市内の他大学のキャンパスは狭い。
」というエピソードは大学のサークル棟が舞台だ。記述には「3階建ての」「ある程度の自治権が守られ」「24時間開放」……とあるが、僕が行ってた大学の新BOX(僕らはこう呼んでいた)とまったく同じなのだ。
 僕らは「これが国公立大学じゃ当たり前なんだろう」と思っていたが、後に他大学では「サークルは学館のスペースを借りるだけ」「夜は閉め出される」「そんなに広くないよ」とずいぶん事情が違うことを知った。あの新BOXは昔、学生(学友会)と大学側とでイレギュラーな取り決めが行われ、国公立大学の基準から大幅にはみ出た規格が事実上黙認されたものなのだ、とも。
 僕の在学中、その件で大学と学友会が揉め、新BOX内の仕切り壁(可動式)を一部撤去するという騒ぎがあった。国の規則では「サークルBOXは密閉できてはいけない」んだそうだ。しかし可動壁とはいえ事実上密閉構造になっていたので学友会は国の規則に違反している、是正しなければ大学側が強制執行するぞ、ということで、ならばと学友会は自主的に壁の一部を撤去して密閉状態をテンポラリーに是正した。壁の上の方を細長く、欄間のように開けたと記憶している。その後また閉じたかもしれんがよく知らない。そんな曰くもあったサークル棟なのだ。
 あるいはエピソード「図書館」。ここに登場する大学付属図書館は開架式だ。誰でも書庫に入って本を探せる。僕が通っていた大学もそうだった。僕は卒業前にそれまでお世話になったエロ本をこっそり書庫に持ち込んであちこちに埋葬してきた。すみません。今では閉架式になったと聞いているが。
 これはもしかして、同じ大学だったのでは?と思う。


■「師匠シリーズ」のナニが魅力か
 この一連の作品の著者ウニ氏は、読むと誰でもわかるけどものすごく文章が達者だ。投稿順に読んでいくと、加速度的に語り口が手練れていくのがわかる。
 けど僕はごく初期の短い作品が好きだ。なんというか、読者の心理をいじくろうとする達者な文体よりも、「昔僕が経験したことでサ…」と飄々とした、気負わないスタンスが好きなのだ。怖い話ではあるけれど、そこには僕も経験したような無意味に楽しかった時間があるような気がして。誰でも、若くて、無鉄砲で、貧乏で希望だけがあった頃は楽しかった、という記憶を持っているはずだ。そしてすぐそばに友達がいて。毛虫は一匹だけになると寒くて凍えて死んでしまう。だから群れて樹にたかるのだ、と誰かが書いてたけど、毛虫だった時期は無闇に楽しかったのだ。「僕(ウニ氏)」と「師匠」のような関係は僕にもあったし、あなたにもあったはずだ。
 深夜、アテもなく出かけるときに一緒に行ってくれる相手がいる。朝目覚めてタバコを吸うときに灰皿を取ってくれるやつがいる。講義をさぼって生あくびをしたら、あくびが感染るやつがいる。まったく無駄だけど、素晴らしい。人生後半になるとこういうことはもう起きないから。
 僕は怖い話が人並みに好きだけど、そんなに得意ではない。「洒落にならないほど怖い話まとめサイト」を延々読んでいたら寒気がして風邪引いた。好きだけど気持ち悪くなるのでお酒飲めません、と同レベルだ。
 だけど「師匠シリーズ」はそうじゃなくて、なんだか懐かしく温かく、禍々しい感じがしない。実を言うと僕が学生時代を送ったあの町の描写はあんまり出てこないのだが、それでもちょこっと出てくる背景の描写、景色の描写の一つ一つが嬉しい。ああ、コンビニは当時からあったよね、昔はもっと遠くだったけど、とか。


■僕が大学時代に聞いた話・経験した話
 で、僕が大学時代に経験した話なんだが。2年か3年の冬、氷雨が降る日だった。映画サークルが上映会を学館講堂でやるというので顔を出した。タダで映画を見れるなんていいじゃないの。底冷えのする講堂に駆けつけたら観客は僕を入れて数名。これじゃ途中退席はできないな、と思ってたら始まったのが「十九歳の地図」(中上健次原作)。案の定途中退席なぞできたもんじゃなく、たいへん怖かった…。て意味がわかりませんかすみません。僕はウニ氏みたいな文才はないんで。


 大学に入ったばかりの時、上級生に「この大学の七不思議とか、怖い話ってありますか」と訊いた。「本学は由緒は正しいんだって。旧制六高の生徒と教師が終戦後、占領軍撤退のどさくさにまぎれて旧陸軍の師団駐屯地を占拠した、それが今のキャンパスだ。だからほら、専門キャンパスには異様に古い建物が多いだろう。学生部、喫茶、二部学友会棟とか。これらは旧軍の施設だよ。連隊司令部だった××棟には、夜、兵隊の亡霊が来るってよ」……こういう趣の話が聞きたかったのだが、現実に僕が聞いた話はこんな感じだった。


「ここはそんなに歴史が古くない(当時で開学34年)から、こなれた怪談ってなくてね……まだ生々しいんだよ。たとえばほれ、昔あそこで学生が殺されたことがあってね。セクト内ゲバだったって…」……全然面白くありません! ていうか怖いし。
 この事件は事実でwikipediaにも出てた。そして内ゲバではなく異なるセクト間での襲撃事件なのだった。押井守的展開である。この事件の舞台となり、僕がいた当時も運動する学生の溜まり場だった男子寮は僕らが卒業する前後に廃止され更地になった。更地になるとものすごく狭く見えるのは不思議だね。


 僕らもバカな若者だったので、夜中に怪異スポットに行ったりした。山中の経塚(小さいけどまさにピラミッド!)、巨石の下の延喜式内社、あるいは丘の上に遺棄されたヘルスセンター(ティラノサウルス骨格型の遊具が夕日に映えていた)。また、すぐ近所の運動公園で自殺者が出たと聞いて夜中に現場はどこかと探しに行ったりした。
 でも僕には怪異な経験は何もなかった。霊感も皆無だし。この世ならぬ体験をしてみたいと思っても、ウニ氏と違ってそんなことはけっして起きなかった。
 それより今考えるともっと怖いことがあった。いっしょに入学して毎日いろいろの講義で顔を合わせていたはずの同級生がいつの間にか見えなくなる。僕を講義で見かけなくなったのはただ講義をサボる癖がついただけだが、真面目な彼が見えなくなったのは何やら奇妙な非公認サークルに入ったせいだとか(親鸞研究会といったか?)。
 いちおう、国立大学である。当時は共通一次と二次試験を受けて入ったのだ。行方不明になろうとか悟りを開こうなんて考えて大学に来る人はいないわけで、せっかく入った大学から姿を消してしまうとは。


 反対に、いつまで経っても大学から出て行こうとしない人たちがいた。ちょっと年のいった先輩というのがあちこちにおり、とくに文化系小理屈系サークルには「あんたもうすぐ三十でしょ」みたいな男性が必ず一人二人いた。反対に体育系サークルは選手登録できる年限が決まっていたり、音楽系は健全に異性と交遊してたりと、小理屈系文化系のように“こじらせてしまう”人はあまり見かけなかったように思う。
 そういう“老いた先輩”は大学院生であることは少なかった。「師匠シリーズ」の師匠が大学院生という設定は、僕には少し違和感があるのだ。そういう先輩は、例外なく落第生だった。あるいは、もう学生ではなかった(除籍されていた)。それでも大学周辺から離れずキャンパスに出没するのだ。講義室に出没することはけっしてないのだが。
 前にも触れた新BOX棟、そこに“キングオブ老いた先輩”がいた。それは学生でも元学生でもなかった。なんと、元の先生。ここの学友会室には大学闘争時代に大学を免職された“造反教官”が学生たちに雇用され、10年も巣くっていたのだ。
 大学のサークルというのは、最近は知らないけど、当時(昭和末期)はまだ政治性党派性が強く残ってて、「このサークルは何とかいうセクトの系譜」とか「大学祭は革命のための手段だからバザーはおまけ」とかいうことが普通にあったんだ。学友会は学生による自治を謳っていたけど、「自治とはなんぞや」とか言い出したら無限に続く議論地獄が始まって、いつの間にかカルト的な論理にがんじがらめにされて脱けられない、ということが起きた。当時はまだカルトという言葉が一般的でなかったけれど(カルトムービーとかバンドのカルトはもう存在してたけどねー)。
 普通の“老いた先輩”は、深夜に麻雀のメンツが足りないんじゃないかと現れたり、部室で酒盛りのときなんとなく後ろにいたりと、妖怪“ぬらりひょん”のように出没する。でも件の“キングオブ老いた先輩”はもっと禍々しい、まさしく妖魔で、近寄る者(各サークルから学友会運営のために出てくる総務委員たち)をぱくりぱくりと取り込んで生き延びてきたのだ。今考えると「師匠シリーズ」の怪異なんかよりずっと怖い。「それを見た人は行方知れずになった」なんてレベルじゃなくて、「彼に魅入られた者は学業を捨て、キャンパスの隅のサークル棟に棲みついて帰ってこない」ということがリアルに起きてたのだ。


 この大学名と「学友会」という言葉でググれば、有志による経緯のまとめがすぐに見つかる。それを改めて読んで「あれは何だったのかなー?」と思う。
 思うに、その“キングオブ老いた先輩”は、自分だけの運動を永遠に続ける場所を学友会に見出したのだ。本来、運動とは、青春だ。一過性のものだ。永遠に運動を続けるとは、青春を無限に続けると同義で、非常にいびつなことだ。だから彼の運動は早々に変質した。そもそも学友会から給与を取るということは彼が闘う敵である大学から学友会に交付される金を取ることで、それをずーっと続けるというのは実に変なことなのだ。不倶戴天の敵に依存して生きているようなもので。それは革命家というより公務員の生き様だ。彼が妖怪的になってしまったのはある意味必然だったかもしれない。
(もちろん学生運動はとても重要、それをこじらせ引きずって生きる人が一定数いないと国民の間に“運動”を担う人材が絶えてしまうという問題もあるのだが、この大学学友会の場合傷ばかりが深すぎた、と思う)


 学友会は僕が卒業して何年か経って解散したという。今は誰かに操られることのない、組織に改編されたと。「考古学をやるサークルに入りたいんですが」という人がいても「うちは考古学じゃなくて革命をやるサークルなんだよ」なんて齟齬は起きてないはずだ。公認サークルではやりたいことがちっともできない、なんてことがホントにあったんだよなー。ふう。
 でも僕は懐かしく思い出す。空きっ腹を抱えて夕方の学館会議室に詰めた幹事会とか、大学側に対してやったBOX棟臨時封鎖とか、セクトの立て看、それをメモする西署の私服警官、政治映画の上映会、未明の講義棟の外階段に登って見た朝焼け、ブルーハーツも歌った川の流れ、家賃9千円の下宿……全部もう手に入らない、お金を積んでも買えないものばかりだ。ちょっと怖いことも多々あったし。僕は人に伝える力はないんだけれど、なんというかサイモン&ガーファンクル荒井由実の歌詞のような気分が恐怖と表裏一体であるんですよ。
 尻切れトンボですみません。