1年前に公開されたすごい映画があった——「告発のとき」
ごぶさたでした。ごろごろしたりで忙しくてブログ更新をさぼってたんだよ。この間、宮古島に遊びに行ったりしてたけどまあそれは内緒なんだよ。で、ある水曜、TSUTAYAで安くなってたDVDを借りて見たらすごい当たりだったんで記念にメモしておきます。
この「告発のとき」は原題を「エラの谷にて」といって、旧約聖書のダビデとゴリアテの故事にちなんでいるらしい。作品中にもデビッドという幼児に向かって「君の名前の元々の由来を知っているか?」とトミー・リー・ジョーンズが語りかけるシーンがある。この神話的な戦争の挿話をずっと下の方に隠しながら、悲惨な物語がつづられていく。
最初、日曜の夜に見たのだけど、初見では話の全容がうまくつかめなかった。もともと軍隊映画は苦手だ(好きだけど)。とくに「ブラックホーク・ダウン」みたいにリアルな映画は。同じくらいの年齢の若者が同じ髪型で大量に出てくると見分けがつかないのだ。本作でもそうで、とくに主人公の息子が在籍した分隊の軍曹と、息子の同僚を見分けにくくて困った。軍警察と町警察の刑事も見分けにくい。また本作はナレーションによる説明がなく、何が起きているかを観客は自分で把握していなければならない。まあ当たり前っちゃ当たり前なのだが、今時のバカな観客相手にはハードルの高いことである(俺も観客リテラシー低いし)。劇伴の挿入も少なく静か。ここが盛り上がるところですよ、という示唆もない。そして驚くべきカタルシスのなさ。気持ちの落ち込む結末。こりゃヒットしないのもむべなるかな。
だけど、見終わって一時間もすると、いろんなシーンが脳内に蘇るのである。忘れられないのである。気になるところがいっぱいあるわけだ。だからもう一度見てみた。そして、この映画が私にとって何であるか、考えてみたくなった。
ジョージア州コロンバスの住宅街に住むハンクさんは昔軍隊で憲兵をやっていた。長男は82空挺師団に入ったがヘリの墜落事故で10年前に殉職。次男が歩兵師団に入ってイラクに派遣中。ある朝、ハンクさんに電話がかかってくる。「息子さんが基地に戻らないんですが」。え、息子はイラクにいるけど。いえいえ先日帰国しまして。72時間の外出から戻らないんです。このままだと軍法会議です。連絡があればすぐ帰隊されたしとお伝えください。
ハンクはちょっと逡巡したが、昔なじみの基地まで出向いて息子の行方を捜すことにする。愛車のピックアップでジョージアからニューメキシコまでぶっ飛ばす。フォート・ラッド基地は彼の知ってた頃とは様変わりで、イラクから帰ってきたばかりの息子の分隊はみなあどけない青年ばかり。息子を知らないか?「きっとすごいいい女がいたからしけこんでるんですよ」昔から変わらない能天気な軍隊の符牒が飛び交う。しかしそこここに不吉な兆しが。こっそり持ちだした息子の私物、壊れた携帯電話には、意味不明の動画ファイルがいろいろ。移民の便利屋に復元してもらったファイルが時々届く。動画を開くと、イラクの戦場風景が。不穏だ。よくわからない。しばしば焼けこげたイラク人の死体が映ってるが、どうも兵士じゃなさそうだ。女子どもの死体か。
地元の警察はなっとらん。女の係官にデスクワークを押しつけて油を売ってる刑事たちも好かんが、女係官もダメだ。忙しくて粗雑な仕事しかできてない。みろ、いま追い返した女性は何も問題を解決されてないぞ。でも俺が頼れるのもこの女だけなんだな。え、やはり「軍警察の管轄なので」か。使えねーな。
報われない聞き込みを繰り返した数日後、正装した下士官がモテルに訪ねてきた。ああ、ついにか。しばしトイレで逡巡する。カミソリ負けで流血したのは虫の知らせか。意を決して出てみると、「息子さんの遺体が発見されました」。だが軍は死体との対面をさせようとしない。つまり…死体は切断され、焼かれ、動物に食われていたのだった。哀れな息子。妻になんと言うべきか。
息子はなぜこんな殺され方をしたのか。憲兵は、麻薬を扱うメキシコ人ギャングのやり口だという。つまり息子が麻薬にからんでいた、と。そんなはずはない。俺が息子の汚名を雪がねば。
この監督の作風なんだろうけど、ともかく静かに淡々と進む。トミー・リー・ジョーンズの一人称視点は一貫してるし、時間軸は一応一定なのでそう凝ってるわけではない。しかし複雑だ。それは、説明を極力省いて観客の理解に委ねているのと、「軍」と「軍に依存する町」というちょっと異様なシチュエーションを説明抜きに描いているからだ。
ニューメキシコの荒れ地の中の町が舞台。タンブルウィードが転がる荒れ地の中にフォート・ラッド基地がある。基地を囲む町は基地の落とす金だけで成立している。基地外に住む兵士と家族のための施設。毎晩7000〜8000人の若者が外出を楽しみ、寄って基地に戻る。兵士相手のストリップバーが多い。ジョージアの田舎の店と違って、店員は客の顔を覚えていない。コインランドリー、ガンショップ、コンビニ、いずれも荒涼とした町並み。郊外だ。郊外とは、血の通わないシステムの具現化だ。こんなところにいても心は癒されない。イラクから帰った兵士たちは72時間の休暇にこの光景と対峙し、より気持ちが荒むのだろう。
そんな感じが、黙って描写される風景からにじみ出てくる。モーテルで暮らす主人公(トミー・リー)は最初、軍で仕込んだ几帳面さで一人出張の身を律していたが、徐々に荒んできて、朝寝坊するわ、シーツは乱れて平気だわ、弁当ガラは出しっぱなしだわのありさま。このへんのリアルさが本作の魅力でもある。
息子は43箇所も骨に達する刺し傷を受けていた。息子が殺された場所を見たい。軍警察のボンクラは当てにできないので町警察の女に再びアタック。現場を見せてもらう。郊外の行き止まりの道。この道の外に、息子の焼けこげたバラバラ死体が放り棄てられていた。よく見ると、舗装道路の一角に血痕が。踏み荒らされている。ここで刺したのだ。そして引きずっていって荒れ地で解体し、焼いた。こんなことも警察のやつらはわからないのか。女警官に示唆するとブスッとしたが落ち度に気づいたようだ。緑のクルマを手配しているようだがここの街灯は黄色だ。クルマは青に違いない。
儂が得た情報で独自にストリップバーを聞き込みすると、女警官は露骨に嫌がった。気持ちはわかるがどうにも見てられない。息子が殺された土曜の深夜、戦友3人と飲みに出たらしい。息子はストリップバーにいて、その後チキン屋でカードでチキンを買ったことはわかっている。
戦友たちはいいやつだ。すぐにはうち解けてくれないが、酒をダシにしたりすると付き合ってくれる。アルコールが効くところをみると、やつらのストレスは相当高いようだ。息子がドラッグをやっていたのは事実かもしれないな…。
この作品は素敵な兵隊さんを描いたものではないので、リアルで苛酷な労働者としての兵士が描かれる。そもそも作品の主題がそれなんだ。しかしそこに直行するのではなく、徐々に描写の焦点を絞ってゆく。兵士たちがアルコール、それもバーボンのポケット瓶など「強い酒」に親和性があることを描いたり、兵舎で盗みが横行していたり、町の荒れた感じとそこに外出してくつろいでる兵士の姿を映すことで兵士の日常が荒んだものであることを自然に映している。だが、ニューメキシコの僻地といえども祖国。イラクとは比べものにならないのであった。
息子の分隊に、もう一人帰隊してないやつがいることが判明。メキシコ系だ。ドラッグディーラーに違いない。女警官とそのシンパを動かして包囲網を作る。心配だからこっそり見に行く。本当に頼りにならない警官どもだ。
案の定、包囲した家の屋根を伝って容疑者が逃げた。刑事どもは路地から追っていく。こういう貧民路地に障害物はつきものだというのに。俺は通りからクルマで追う。ビンゴ! 目の前に飛び出してきたじゃないか。走りながらドアで倒す。こいつが息子を殺したのか。懐中電灯で殴りまくる。勢い余って止めに入った女警官も殴ってしまった。
なんと、いちばん怪しそうだったメキシコ系の戦友はシロだと判明。では誰が殺したのか? 事態は藪の中。さらに妻が息子の死体と接見に来た。これを空港に迎えて送り返すのはかなり骨だった。女はこういうのに動揺するからな。俺も動揺してないとはいえないが…。
チキン屋に残された息子のカードのサインは偽物だった。戦友の一人がサインしていたのだ。つまり、息子はそのときすでに殺されていた。偽のサインに気づいた女警官は、真犯人の戦友をすでに確保していた軍警察を脅しあげて、ついに遺族(つまり俺)立ち会いの被疑者尋問にこぎつけてくれた。
しかし心配なことがあるのだ。息子の携帯電話に内蔵されたメディアを復元すると、いくつか動画ファイルが獲れた。それはよくわからないものだったりしたが、息子が一般家庭を索敵して焼けた少女の死体にふざけたシールを貼るシーンとか、ハンビーの後部で捕虜の傷口に指を突っ込むシーンとかが入っていた。これは俺の息子なのか?
ついこないだ、バッテリがあがった俺にブースターケーブルを貸してくれた息子の戦友が、目前のテーブルで自白している。いわく、ストリップバーで息子は荒れており、踊り子に小銭を放り投げて暴言を吐いたので店から追い出された。戦友の一人と口論になった。荒れ地の真ん中で、ついにこいつがナイフを抜き、息子を刺した。別の戦友(こいつはすでに縊死した)がバラして焼こうと言ったのでそうした。食事してなかったので飢えていた、だから3人でチキンを買って食った、と。
俺はもうこいつの顔を正視して聴けなかった。こいつは息子の戦友だと思っていた。なのに。
息子の死は全貌が明らかになった。残されたダッフルバッグ(俺のものを息子は使っていた)を引き取って帰らねば。兵舎の、息子の空きベッドに新兵が訪ねてくる。この子もイラクに行くのか。息子のようになるなよ。
あの、思い切り殴りつけたメキシコ系の戦友がまだいるらしいので部屋を訪ねた。ムッとされたがウイスキーを見せると落ち着いてくれた。そこで、最後に残った疑問を聞いてみた。「息子から送られた写真で一つわからないのがある。これは何を撮ったものなのだ」それはイラクの町のスナップだが、道ばたにうち捨てられたフォルクスワーゲン2型と、道ばたにうずくまった何者か、塀の向こうを駆けている子供達しか映っていない。
「イラクに派遣された最初の週、だと思います。ずっと継続されている命令があって…車両で移動中は絶対停まるなと。停まるとロケット砲で狙撃されるから。でもその日、ドク(息子のこと)が運転するハンビーは停まったんです」
息子の携帯から出てきた第1の動画。それは、イラク最初の週の出来事を息子目線で撮ったものだった。ハンビーを運転中、何かの衝撃を受け、怯える息子。それは、どうも地元の子どもを撥ねたらしいのだ。だがナビを務めていた戦友は「停まるな、走れ」と命令した。停まるとハンビーに同乗した分隊全員の命を危険にさらすからだ。息子はそれでも停まってしまった。ハンビーを降り、携帯で写真を撮った。それがこの現場のスナップなのだ。
「俺は後ろにいたからわからない。あれは犬を撥ねたんだと思います」
こいつのことはメキシコ系ギャングだと思っていたけど、ずいぶんいいやつだ。殴ってすまなかった。
そして思い出す、イラクに行った息子が最初にしてきた電話。「父さん、ここから連れ出して」寝起きだったせいもあるが、俺は息子の言葉がよくわからなかった。きっと初めての戦場で自分を失ってるんだな。適当にあしらってしまった。
だがその後の息子は、携帯で撮った動画のように、死体を弄び、敵の負傷兵を虐待するようになってしまった。俺の…せいか?
事件の全貌はわかった。イラクから帰還した分隊の、気の合う仲間が飲みに出かけた。些細なことで口論になり、一人が刺して、一人が死んだ。それだけだ。死んだのが息子だったのは偶然だ。刺した青年が殺されていた可能性も十分ある。俺は、ここまで付き合ってくれた女警官と別れ、ピックアップでジョージアに戻った。自宅には、生前の息子が送った郵便が届いていた。分隊の写真と、古い星条旗だった。これはたぶん俺が韓国やベトナムで使ったやつを譲り渡したやつだ。妻はこの郵便を開封しかけてやめ、眠っている。俺は、町の図書館か何かの前庭に国旗をかかげるエルサルバドル出身の男を訪ねた。いまこそ、この国旗を掲揚しなければ。逆さまに掲揚する国旗は国際救難信号だ。「たすけてくれ、もうどうしようもない」という意味の。
という感じで主人公視点かつたぬきち的に適当に要約してみました。間違ったとこもあるかもしれませんが、ご指摘いただければ直したいです。この映画は、カタルシスはあんまりないし、見てもスカッとしないので商業的な価値は薄い作品です。しかし、見た後忘れられない、何度も思い出す強烈な映画です。僕はそれが嫌いではありません。なので、ここに感想とあらすじをミクスしたものを載せときます。それだけです。