書籍の刊行に懐疑的な僕と、出版社社長との対話
なかなか筆が進まないのだが、もう腹くくって書いてしまおう。
僕は、自分の書いたものを書籍にして刊行することにかなり懐疑的だった。
商業的に成功するかどうか怪しい、という点もある。それ以上に、これを世に問う意義はあるのか、という点が怪しいのではないか。そう思っていた。
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株式会社出版人も、同社でしか出せない本を出している、エッジの立った一人出版社だ。
出版人ライブラリの第一作は『知られざる出版「裏面」史』だった。
知られざる出版「裏面」史 元木昌彦インタヴューズ (出版人ライブラリ) | 元木 昌彦 |本 | 通販 | Amazon
これは同社のメイン媒体、月刊「出版人・広告人」に連載された、元木昌彦によるオールド出版人たちへのインタビュー集だ。「日刊ゲンダイ」創刊の関係者や、講談社集英社小学館の〝伝説〟のライター・編集者たちが綺羅星のごとく登場する。正史である社史はもちろん、現役社員たちの間ですら曖昧になりつつある〝当時の現場で起きていたこと〟を書き残そうとする、オーラルヒストリーだ。歴史的に意義の深い企画だとおもう。
これは僕も校正で少し手伝わせてもらったが、本当に興味深い企画だった。
こういう、他ではやらないものを出すことが、一人出版社の意義だろう、と強く感じられた。
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同社では、この後のラインナップも進行中だ。知る人ぞ知る音楽評論家の蔵出し原稿集、同じく知る人ぞ知る社会派ライターのコラム集、はたまた月刊誌「出版人・広告人」連載の書籍化……など、いずれも資料性が高く、時代を振り返るメルクマールになるような、他にない企画だ。
ひるがえって、僕の本は、他にない企画と言えるだろうか?
これ、ものすごく疑問に思えて仕方がなかった。
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僕は会社を辞めて以後、何か書く機会があっても、きわめて個人的なことしか書くまい、と決めていた。
以前のブログ「たぬきちのリストラなう日記」が大勢の人に読まれたのは、僕の書くことに魅力があったのではなく、僕が書いていた対象、つまり出版社の内情というやつが人気だったのだ。人気コンテンツだったのはたぬきちではない、出版社の方だ。
それは重々承知していた。だから勘違いしないように気を付けていたつもりだった。
それでも、持て囃してくれる人がいるうちは、勘違いしがちだ。自分が書くモノには魅力がある、などと過信してしまう。書かねばならない、と勘違いする。せっかく手に入れた人気ブロガーという地位を維持しなければ、などと思った時期もあった。
これは全部間違いだった。出版社の内情、というキラーコンテンツを失った僕は、一山いくらのブロガーに過ぎなかった。
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一山いくらの野良ブロガーから、休眠ブロガーになった。その間Facebookでちょこちょこ書いて衝動を発散していたが、ブログを再開しようとは思わなかった。そして「出版人・広告人」に連載しなよ、と今井氏から誘われたとき、これからは個人的なことしか書くまい、と決めたのだ。
出版社の内情を書いたことで、多くの人に不快な思いをさせ、不義理をした。色々あって僕も傷付いたこともあったが、周りの人が傷付いたことの方が絶対に多いだろう。迷惑を掛けた。申し訳ないと今でも思う。
だからこれからは、頼まれても自分のことしか書かない。徹底的に個人的なことしか書かないと決めた。だから、「出版人・広告人」の連載は、まず退職金の運用云々のズッコケ話から始めて、後は野となれ山となれだがそれでも自分のことばかり書こうと努めた。
いったいそんなものを、世に問う意義があるのか? 出版する価値があるのか? これは今でもなかなか疑問なのだ。
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校了前後だったか、ある時、版元の社長今井氏にそれを電話でぶつけたことがある。「そんなに苦労するなら、出さないという選択肢をもう一度検討すべきではないのか」と。あるいは「内容を世に問いたいのなら、電子書籍でばらまくという方法もあるのではないか」とか。
今井氏は、普段の氏にしては珍しく淡々と答えた。
「タダで配ろうなんてことは全然思わない。これを出版しようというのは、出版状況に一石を投じ、出版状況を少しでも豊かなものにする、そのための一冊なのだ。だから出す意義はある」(と、こんな感じだったと思う。曖昧な記憶なので言葉尻を捉えないように)
そうなのか、と僕は半分忸怩たる思いを嚙みながら、半分は納得して聞いた。
なるほど。それだけの覚悟があるなら、こっちも腹を括るべきだな、と思った。