新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

限界が低いクルマを借りた

レンタカーで、ダイハツ・ハイジェットの1BOXを借りた。
レンタカーだから当然走行距離は多く、タイヤはツルツルに近く、サスやブッシュはへたっている。
また、普段乗り慣れないワンボなので、腰高というか重心が高い。いわゆるトップヘビーで、動くものとしては素性が悪い。
普段は軽のハッチバックを借りているのだが、たまたま今回はワンボになった。これはこれでたくさん積めるので重宝なのだが。

いつも余裕で曲がっているとある急カーブで、タイヤがキキキキッと鳴ったので少し慌てた。
四名乗車だとなかなか加速しないので踏み込むと、リニアに加速せずどっかんと加速する。そしてすぐ頭打ちになる。
ブレーキは比較的マトモだが、フル乗車だとそれなりに停まらない。

普段乗っているのは1600ccのハッチバックで、トレッドが広く、重心も低い。動くものとして素性が良い作りになっている。現代のクルマ(ヒュンダイ、ではない)なので曲がってるときにブレーキを踏んでも平気できちんと曲がる。
限界が高いクルマなのだ。

ところが、今回借りた軽ワンボは限界が低い。曲がるときはきちんと減速して、姿勢を作ってやってから曲がらないと、反り返って危ない。車体がひっくり返ることはないとしても、積んだ荷物が荷崩れする。
加速も余裕が必要だし、減速や停止は注意深く、ドラムブレーキがロックしないように丁寧に踏まねばならない。
限界が低く、制約が多い。

ところが、これがすごく楽しいのだ。
こうした制約はすべて物理的なもので、非常に合理的だ。きちんとルールを守れば、きちんとレスポンスしてくれる。その応答が面白い。
これでマニュアルシフトだったらさらに楽しいのだろうにな。

速くないスポーツカーの魅力、というのが少しわかった気がする。
スポーツカーには2種類あり、フェラーリやポルシェのように絶対的な速さを追求するものと、MGやロードスタースーパー7のように、絶対的な速さは出ないけど操作を楽しむものがある。という。
まあ後者にしても、そんじょそこらの乗用車よりは軽快で速いのだが。それでも絶対的な速度の領域ではなく、普段使いの領域で楽しさを味わえる、というのが面白い。

それが、乗用車としては素性が悪い軽ワンボが、意外に運転が楽しい、というのは僕にとって発見だった。
いつも限界が高いクルマに乗っていると気づかなかった。

こういうことは、畑違いの他の分野にもあり得るだろうなあ。
海外でぶっきらぼうな接客に触れると、日本のバカ丁寧な接客の価値がわかったりする。だけど、ぶっきらぼうな中に規格化されない個人的なコミュニケーションが交じったりすると、それはそれで魅力的だったりする。
快適なインフラや、行き届いた、保護的な社会サービスに囲まれていると、粗野で乱暴で汚い環境での振る舞い方を忘れてしまうことがある。
粗野な環境の中にいると、接客サービスに対してクレーマーになることが少ないように思う。クレーマーというのはサービスに過剰に期待してしまうことから生じる、コミュニケーションギャップの一種ではないかと思う。サービスに期待しなければ、あり得ないのだ。

日本は高度に発達したサービスが社会の隅々にまで行き渡っている。戦後70年、明治開闢以来150年をかけて、こういう社会を形成してきた。
しかし、人口が減って、構成人員が高齢化して、社会の力は確実に減衰している。サービスも行き届かなくなる。限界が低くなる。
それはつまり、社会の粗野な本質が剥き出しになる、ということだ。
おんぼろ軽ワンボが、動くものの本質を剥き出しにするように。
もしかすると、限界が低くなった社会も、案外面白いかもしれない。
なんてね。