2013大河ドラマ「八重の桜」が超楽しみ!近代日本を駆け抜けた女マークスマンの雄姿、会津魂を早く見たいよ!
綾瀬はるかのことはあまり知らないんだけど、このビジュアルは恰好良いよね?
手にしているのはスペンサー・ライフル、口径14mm(おそらく)、金属薬莢、7連発チューブ式給弾。「許されざる者」でモーガン・フリーマンが使ってたやつだね。当時の最新兵器だ。
先だって機会があって大河ドラマのノベライズ『八重の桜【一】』を読んだのだ。最初は、へへーん、砲術指南の家に生まれた娘だからって鉄砲撃つようになるなんてありえねーだろ! 脚色がすぎるんじゃねーの! と思っていたら、読み進むにつれどんどんリアリティが増してくるんだ。それで気になって調べてみたら、女主人公・山本八重の生涯は、どうもドラマのまんまらしいのだ。
こんな凄い女性が、幕末の東北にいたなんて!
※僕が読んだのはこの2冊です。ノベライズはまだ最初の1クール分だと思う。
会津松平家中の中級武士の娘で、歳の離れた兄は家中の開明派。兄・覚馬は佐久間象山に学んだ最新テクノロジーを会津に持ち帰り藩校の教授となる。彼は象山だけじゃなくて他の幕末の志士たちとも広く交流したようだ(松陰吉田寅次郎との交流も描かれる)。2010の「龍馬伝」でも描かれたけど、江戸期の若者の行動範囲はものすごく広かったんだね。移動手段が徒歩しかないというのに、東北や四国の片田舎の若者が、江戸・京都はじめいろんなところへ出かけ、見聞を広め、仲間を育てている。
ヒロインは女性だから、兄と違って遠方に出かけたりしない。ずーっと会津にいる。このまま何事もなければ、“山本さんちの娘は鉄砲撃ったりして物騒だよね、変わり者だよね”で終わっていたと思う。
しかし、時代は八重を、というか会津を、平穏無事にはさせなかったのだった。荒波、大嵐が、会津松平家と家中の人たちを襲う。“お転婆娘”が、男装して戦うという、少年ジャンプでもなかなかありえねーだろ的展開がほんとにあったのだ。
そう、このドラマは、幕末維新を“会津目線”で描くものだ。
僕は単純な男なので、そう言われただけで目頭が熱くなり、鼻水がじゅるじゅるいってしまう。
会津の藩祖は保科正之、二代将軍秀忠の庶子であり、三代家光から「肥後よ宗家を頼みおく」と遺言された、至誠の人である。以来、会津松平は藩を挙げて、徳川家の親衛隊として生きるのである。
会津の子弟は武に励み、誠を尊び、ウソをつかない、と聞いた。
現代でも、この会津魂は生きていると思う。僕は数人の、会津の男子を知っている。
会社にいたとき、会津出身の人がいた。裏表のない、理非曲直を正す、男らしい人だった。苦しい戦いでも歯を食いしばって戦い抜くような人だった。
そして小室直樹先生。マッドネスな博覧強記の人、という世評だけど、間近で見た印象はそうじゃなかった。子どものように裏表のない、溢れんばかりの誠を持ったがゆえに、傍からはクレイジーに見えるという、悲劇的喜劇的な人だったのだ。まぎれもなく小室先生は会津魂の持ち主だったと思う。
幕末の会津松平の当主・容保公こそ、会津の至誠・赤誠と、会津の悲劇を体現した人だろう。
そもそもこの人は美濃から来た養子で、外来者なのにリーダーとならねばならないため、会津人よりも過剰に会津人たろうとしたようだ。そこらへんもドラマでは言及されるらしい。楽しみだ。
そして、だーれもやりたがらなかった京都守護職を引き受け、上洛すれば「カイヅとはどこの国やろ」と侮られながら、懸命に京都の志士・浪士たちと話し合いを以て宥和しようとする。発想が近代人なのである。
だが、「足利木像梟首事件」という、パロディみたいなテロがきっかけで、容保公の心は大きく傷つけられる。若く、優しく、開明的なリーダーが、悲劇の招来を承知で、百八十度方針転換するのだ。泣けるぜー。
※本書を参考にしました。
八月の政変、池田屋騒動、禁門の変、と京都を舞台にした事件ではことごとく会津が一方の当事者となっている。時間が煮詰まっていけばいくほど、反幕府勢力の会津への憎しみはいや増す。徳川陣営最大の貧乏くじだ。頭の良い慶喜や春嶽はさっさと逃げ出したり中立を保ったりするが、容保公と会津家臣団は徹頭徹尾、宗家への赤誠を貫くのである(宗家の主人がさっさと戦線離脱するような人だというのに!)。
戊辰戦争で朝敵となった奥州諸国は、維新以来、ハズレくじを引かされ続けてきた。開国・開化の恩恵は東北まではなかなか届かず、幕藩期に豊かだった諸州も経済・産業の変動にさらされ貧窮を余儀なくされた。日清・日露・大東亜の戦争では兵士の草刈り場となり、東北の兵は粗食に耐えてよく戦うとされた(対して京大阪の連隊は弱兵で有名だった)。戦後になってもそれは変わらず、西日本には新幹線が走ったのに、東北に作られたのは原発だ。挙げ句、2011に過酷事故を迎える。
このドラマにはものすごく政治的な意図があると思う。
「東北復興プロジェクトの一環」という以上に。
もともとNHKの大河ドラマには、毎年毎年、政治的な意図が忍ばせてある。僕が最初にそれに気づいたのは、2001年の「北条時宗」だ。同作は「国難」がテーマで、当時日本が置かれていた政治状況をよく反映させていたと思う。もしかすると2010年代は当時よりも国難はよりシリアスになってるかもしれないが。
近年の政治的な作品といえば、「龍馬伝」と「平清盛」かなー。前者は、若者よ起業せよ、後者は、新しい時代を切り拓け、というはっきりしたメッセージを投げかけていた。そのメッセージが視聴者に支持されたかは措くが(「龍馬」は僕も好きで見ていたが視聴率的に成功したとは言い難い。後者は言わずもがな)。
「八重の桜」は、福島の背負い続けてきた過酷な運命を、福島人自身の視線で描くことによって、日本人の宥和を改めて提案している……のではないか。
会津の人たちは、薩長に対して今でも“戊辰”を忘れていない。そりゃしかたないだろう、“戊辰”以来、中央政府が会津にしてきたことを思えば。
日本は、そういう断裂や分断やわだかまりを抱えてここまで来た国なのだ。
たとえば、米沢や三河の一部では「忠臣蔵」は見ないらしい。米沢は吉良と縁の深かった上杉家、三河は吉良の所領。そういうエピソードが日本の地方地方にはある。彦根と水戸の間には「桜田門外」「天狗党」と殺戮の応酬があった。会津では「白虎隊」が有名だ。凛々しい少年たちの仇役として薩長が描かれるから、薩摩長州の人はこれを喜んで見たりしないだろう。ついでに言うと僕の故郷福山も譜代だったので維新政権では冷遇されたようだ。
僕たちは2013年の一年間、会津人の目線で会津の幕末〜明治を目撃することになる(もしかして後半の舞台は京都ばかりかもしれないけど)。このドラマがヒットするかどうか、まだわからないけれど、一年間見終わると、きっと、会津のことを懐かしく思い出すようになるかもしれないし、会津がすごい女性を生んだということを忘れられなくなっているんじゃないだろうか。
そういう芝居を、期待したい。
ところで実在の山本(新島)八重は、綾瀬はるかにはまったく似てなくて、外見的には「東京物語」の東山千栄子のような人だったようだ。そういう人が男装して鶴ヶ城の銃眼からスペンサーライフルをぶっ放していた、いや腕利き狙撃者(マークスマン)だから緻密に落ち着いて発砲していたであろう姿を想像すると、ちょっとグッとくる。