天才の悲痛な叫び——外山恒一さんの苦しみ
2007年の都知事選に出馬して、驚天動地の政見放送で大ブームを巻き起こした「革命家」「ファシスト」の外山恒一。その彼が、自分のブログで悲痛な叫びをあげている。
ふざけやがってふざけやがってふざけやがってコノヤロー|我々少数派
そうだったのか! 彼の都知事選出馬は、ライターとしての地歩を築くためのプレゼンだったのか!
全然気づかなかったよ…。
2007年4月の都知事選は、現職・慎太郎閣下に拮抗する有力候補者がいないまま、野党は負けムードで始まった。このままずるずると慎太郎vs.弱い浅野でゲームが進むかと思いきや、奇矯な政見放送一発で「外山恒一」が浮上し、選挙戦が面白くなった。肩書きは「路上演奏家」で、学歴は「福岡刑務所卒」だった。
このポスターを見たやつは高円寺駅前に集合!というので僕も行ってみた。自分の財布でコンビニでビールを買い、だらだらとした駅前飲み会が行われている。非常に快適だった。
以来、外山恒一のぬるいファンである。著書は3冊くらい読んだ。
外山は都知事選に落選した(想定内!)後、九州に帰って私塾を始める。「黒色クートベ」という。名前の由来からして濃い内容を伴っているが、そこで行われた講義は希有な濃さを持っていた(冒頭でリンクしたブログの過去ログ参照)。
私塾は2年目に入り、つまずきながらも活動は順調…と思われたのだが、ここに来て彼は痛い、とても痛い叫びをあげた。
世をはかなんでいる。
物書きとしてブレイクするために300万も借金して都知事選に出たのに、結局何にも変わりゃしない。
のだという。僕はちょっと驚いた。というのも、彼の都知事選の戦いようが面白くて周辺をうろうろした者としては、「物書きとしてブレイクするため」だとはまったく思わなかったからだ。えっ、そうだったの!?という気分。
彼の苛立ちはわかる。僕も地方出身者だ。地方は限りなく保守的で、そこに居着いてる若者は志が低く、面白いことはそうそう起きない。新しいことも起きない。若さが無駄になっている。
九州でファシスト党を立ち上げる、という彼の志は、ブログを読んでると、じりじりと実現に近づいていたと思っていたのだが、実はやはりそうでなかったらしい。というか、そうじゃなくて、物書きとしてひとかどの人物になりたかったのだ、と知って驚くのだ。
というのも、当方は物書き業界の比較的近くで働いてるから。具体的に言うと書店への営業だけど。
末端の営業マンが見た出版界の感想だけど、外山の認識との食い違いについてメモしておく。
- 物書きとしてブレイクするために300万も借金して
そうだったかー。だとしたら、すごい遠回りをしたね。というのが業界に近い人間の感想だと思う。
出版業界が求める「有望なライター」とは、才能がある人でも、有名な人でも、面白いものを書く人でもない。「部数が見込める人」だけだ。部数さえついてくれば、原稿がつまらなくても無名でもよい。逆に言えば、部数が計算できなければライターとしてローテーション入りはできない。
- 私はもう一定“有名”ではある。問題は、この知名度が、活字メディアへの進出にまったくつながっていないことだ
そう、「一定“有名”」なのだ。これは出版市場でいえば残念ながら“有名”の範疇には入らない。書店を訪れる人が「あ、テレビで見たあの人だ」と認識するのが「真正“有名”」の規模。その手前だと、書店員が「○○で知ってる人」と認識できることが必要。書店員は忙しいから、その情報の網に引っかかるのはけっこう大変だよ。
そして、テレビに出て視聴率を取るよりも、ある意味、ノンフィクション単行本で採算分岐点を超えることのほうが難しいかもしれない。テレビは見るのタダだからね。ただし画面に登場するのには出版よりもずっとハードルが高い。
- 問題は、この知名度が、活字メディアへの進出にまったくつながっていないことだ
そもそものボタンの掛け違えがここだ。活字メディアに進出できるやつは、「知名度があるから」じゃない。そんなことじゃなくて、「編集部がストレスなく使える人材」が活字メディアに進出できるのだ。
その伝でいえば、才能があったり有名であることはむしろマイナスだ。才能がある人は編集者(多くは凡才だ)から疎まれる。有名な人はその名声を背景に編集者より高い位置につくのでやはり疎まれる。そうじゃなくて、編集部にへりくだり、編集部にとって便利な人材であれば、出版界デビューは近づくのだ。外山がやり玉に挙げている新潮新書の著者さんは、編集部にとって「外山恒一という有名人」よりも確実に使いやすい人材だと思う。
そもそも、才能があってプライドが高そうで、しかも九州という遠隔地にいて、これまで出した本の部数は壊滅的という人が、出版界に重宝がられるということのほうがおかしいじゃん?
- 出したい本を出せない苦境を、かれこれもう20年間、味わい続けている。
苦境だと思うよ。でもさ、出したい本を自由に出せたとして、社会は君が思ってるほど変わるだろうか?
たとえば君が高く評価するスガ秀実だが、彼の仕事は素晴らしいと思うが、その仕事がどれほど社会的なインパクトを持っているか。たぶん、東国原知事の5万分の1くらいじゃないか。いやもっと小さいかも。東浩紀にしても浅田彰にしても、いわんや芹沢一也においておや、「実」のある人の社会的インパクトなんて全然たいしたことないんだよ、今の社会では。
それよりも、本当に社会にインパクトを与えようとするなら、地上波民放でレギュラー番組を持たなくてはダメだ。東国原や橋下知事なんてまったくそうだし。百歩ゆずってラジオでのレギュラー。福島瑞穂タンはTBSラジオでの悩み相談でだいぶん社会的インパクトを醸成したと思うよ。これから社会変革を目論もうとする政治家は、テレビでバカな庶民に媚びを売っておくことが必須だと思う。
僕としては、ファシストを日本でやろうとする人が、ダサい既存のメディアにこんな過大な期待をしていたことが心外だった。まあたしかにミーディアというのは侮れないものではあるが、非常につまらないものでもある。現に既存の大手出版社は軒並み経営危機だよ。こんな構造不況業種に憧れても、いいことはないよ。
AmazonのキンドルやAppleの新型タブレットなどが「読む」という大衆の習性を変えようとしている今、ハードルはやたら高いくせにパフォーマンスの低い既成出版界にこだわるのは良策ではない。ここはひとつ、低コストで若さや情熱を反映させやすいwebミーディアでファシスト革命を完遂すべく、腹を据えてみてはいかがか。iPhone向けのアプリとして著作を売り出すのも有望だと思うよ。
がんばれ外山恒一。
彼の悲痛なエントリの最後は、
私は必ずこの世界に報復する。
世界を恐怖のどん底に叩き込んでやる。
となっているので少しは安堵している。ああ、いい感じだ。怨念を溜めておかないと革命はできないよね。
がんばろう、革命。