新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

大好きな絲山秋子

 僕は小説が苦手で、自分から読むことはほとんどない。人から勧められたらなおイヤだ。本貸してくれる人も多いけど、まず絶対に読了して返したりしない。まあこれはノンフィクションの本でもそうだけど。人から借りた本ってなかなか興味持てないですよね。
 
 絲山秋子のこと最初に読んだのはこれ。去年の2月に出た文庫だけど、アルファロメオ145の画が表紙。僕はクルマについて書いてあるのを読むのが好きで、この本も小説だとは気づかずに、クルマエッセイだと思って買った。買ったら恋愛小説だったので驚いた。でもただの恋愛小説じゃなくてすごく曲者だった。ちょっと癖のある輸入車たちを狂言回しにしながら、とても曲者な大人の恋愛が描かれる。この恋愛の描写がなかなかすごくて、絲山お前はいったいどんな人生を歩んできたんだ、と問いかけたくなるのだけど、一方のクルマの描写も簡潔かつ的確で、そこらの自動車評論家が束になってもかなわないくらいきちんとしたイメージを提示できている。評論ってのは相手に何かを伝えたり、相手と同じものを見つめながら相手が気づかなかったことを気づかせたりすることが大事だけど、ほとんどの自動車評論家って自動車メーカーが用意したリリースをなぞるだけの原稿しか書いてくれない。残念だ。絲山秋子はそんなことしなくて、「NAVI」に連載されたというこの小説では作中に登場するクルマにいちいち試乗したらしいが、それらしいディテールをピックアップしている。アストンマーチンヴァンキッシュのV12のエンジン音がきれいな和音になってるという話もいいが、ドリンクホルダーからPETボトルを取り出すとホルダーゴムがいっしょについてくる、なんてマヌケな件にも触れている。基本、口が悪い。素晴らしい。毒舌な女というのは大好きだ。僕はこの1冊ですっかり絲山秋子の虜になり、以来、書店で見かけるたびに買ってしまう。あんまりたくさん書いてないし、1冊1冊が薄いのですぐ読めてしまう。最近は仕事がたくさんあるのか新刊をよく見かけるけど、読まずにほっとく羽目になることはない。
 
 去年の秋口に出た『ばかもの』がものすごく評判良いけど、僕のベストオブ絲山秋子はこれ。『逃亡くそたわけ』。タイトルからして彼女の鋭い言語感覚がとがりまくっている。福岡の精神病院から躁病の少女「あたし」が鬱病の青年「なごやん」を道連れに脱走した。二人はマツダのおんぼろセダンに乗って九州の南を目指す…というお話。
 期待のクルマ話もたっぷり盛り込んであるし、クルマで旅するという今時珍しい話だし、地べたを伝って移動するまだるっこし感がたっぷりで旅情もそそる。ところで旅情ミステリーなんてのをちらっと読んだりしたことがあるんですが、あれって移動時間のことはほとんど書かれてなくて探偵や警部がいきなりご当地に飛んで現れるんですね。とくに十津川警部はすごいですね。移動時間の描写はゼロ。瞬間移動みたいに沖縄でも北海道でも出現する。旅ってそんなもんじゃないでしょ。苦痛きわまりない移動時間と、それにまさる苦痛の待ち時間があって、やっと目的地が近づいてくる。それじゃあまりに苦行だから旅は途中も楽しむことになったというか。それが旅情ってもんでしょー。旅情ミステリーってちっとも旅情ないの。それはさておき、絲山作品には移動時間そのものをみっちりと書き込んであって旅情たっぷりなんだよ。殺人は起きないけどよっぽどミステリアスなんだよ。
 さらに本作の主人公は躁病なのだ。躁病といえば幸せそうな病気だと思っていたが、これ読むと全然そんなことなくて、もしかすると鬱より辛いかも、と感じさせられる。どうも絲山本人も経験がありそうだし。メジャートランキライザーの名前とかが作中に出てくるんだけど、ベゲAとかの名前読むと僕もドキドキしてくる。僕も「なごやん」と同じように、ヘタレの鬱病患者だったのだ。36歳の頃だ。僕は暑い暑い夏に発病した。暑いのに、頭から毛布をかぶってうなだれて膝を抱えていると落ち着いた。ああ、鬱のかっこを画に描いたようだなと思ったけど、やってみるとそれで落ち着くんだから不思議だ。何週間も眠れなかったり、酒飲んでも酔えなかったり、ものの味がわからなくなったりした。大好きなジュンク堂池袋店に行くと、棚の本が全部煉瓦のように見えて文字が目に入っても読めなかった。一分一分が辛くて、四六時中悲しみに押しつぶされていた。僕が処方されたメジャー系はヒルナミンどまりだったけどね。
 僕は2年通院して薬を止め、また次の冬に具合が悪くなって何ヶ月か通院し、というのを繰り返した。そんななかですごく気晴らしになったのはクルマの運転だった。発病して1年ちょっとした頃、欲しい!と思ったクルマがあって買おうと思った。発注して何ヶ月か待って、年末に納車された。納車後さっそくこすったりぶつけたりして落ち込んだけど、それでもクルマの運転というのは素晴らしかった。運転してる間は他に何も考えないからね。病気で朝早く目が覚めるとクルマ走らせた。夜眠れないときも。東京のあちこちを一人でうろうろした。奥多摩にはよく行った。今でも好きだ。移動している途中が旅の本当の部分なんであって、目的地はどこでもいいのだった。700キロ離れた田舎にもクルマで帰った。年末の往路はあちこちに寄ったり、高速のSAで車中泊したりして帰るけど、復路は正月元旦一気に東京まで戻る。途中、雪に降られることもあったけど、チェーンはいつも積んでいる。この一気に駆け抜ける時間は素晴らしい。これがやりたいから帰省するのだ。だけど名神とか東名とかは道が良すぎて走りやすすぎるので、旅情にはやや欠ける。楽しいのは渥美半島縦断とか紀伊半島一周とかだね。とくに渥美半島はおすすめ。ずーっと農村が続く光景ってなかなか日本離れしてる。紀伊半島は山が海の際まで迫ってて圧迫感があるけど、分厚い歴史が堆積してる感じが良い。中上健次が粗暴で緻密な文体で描写した枯木灘をのろのろと駆け抜ける旅。そういえば中上作品にもクルマが出てきたな。車種は特定してないけど、シャコタンの特徴はきちんと描写してあった。僕はそれまでエンジンのある乗り物に興味がなかった。一番好きな移動手段は徒歩で、一度思いついてどこまで歩けるか試してみようと箱根の向こうまで歩いたことがあった。田子の浦で歩くのに飽きて電車に乗ってしまったけど。奥多摩もそれまでは山歩きのために早朝の電車に乗って通った。山歩きも鬱には良い効果があるようだ。歩くのは良いってみんな言ってるね。僕も病気になってウォーキングもだいぶやったけど、膝が悪くなったので山歩きはできなくなったし、一番気持ちいいって思うのは結局クルマの運転だった。
 そんなわけで、病気とクルマの話がばっちり美しくまとまっている『逃亡くそたわけ』はとても好きな小説なのだ。
 絲山秋子は何年か前に群馬に引っ越したという。最近の作品の舞台はほとんどが群馬だ。『ラジ&ピース』は群馬のFM局が舞台。最新エッセイ『絲的サバイバル』は群馬のキャンプ場にオートキャンプに行く話ばかりだ(群馬以外も意外と行ってるが)。絲山も書いてるように群馬のクルマは峠が速い。これは去年、薬師温泉かやぶきの郷ってとこに行ったとき思い知った。とくに群馬ナンバーのスバルね。群馬の峠を走らせたら世界一。他ではどうか知らんけど。
 クルマで走るということは何事からか逃げ出して自由を希求するという行為を象徴しているのかなあ。『逃亡くそたわけ』も逃げる話だし。それは題名でわかるか。そんな話は全世界のあちこちでいろんな人が作品にしている。ためしに挙げてみると、
 これは有名でしょ。必見の逃亡映画。
 これはまだ古典になってないけど。
 これはかなり微妙かもしれないが。
 これは歴史的名作。スピルバーグ映画史の序章。
 クルマに偏執してる変態映画。
 などなど。他にもいっぱいあるけど手元にあるのはこのくらいなんだよ。思いついたらまた加筆するよ。
 で、実は『逃亡くそたわけ』も映画になっててDVDも出てるんだけど、どうなのだろうか。僕はデビッド・リンチに撮ってもらいたかったんだよ。不安で不安でしかたのない映画になっただろうな。
 見てないけど、貼っておきます。いつか見よう。