新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

偉大なバンドの消長について その2 ジョン・レノン(バンドじゃないけど)

 先週金曜の朝、ラジオでザ・バンドの曲が立て続けに流れた。直感した。「誰か死んだんだ」。
 ラジオの人が「リヴォン・ヘルムを偲んで…」と言った。やはりそうだった。享年71とか(僕の世代だと“レボン・ヘルム”という表記がなじみ深い)。
 きっと遠くないいつか、ラジオでザ・フーツェッペリンを立て続けに聴く朝が来るのだ。僕はツェッペリンにはあまり馴染みがないけど、フーは大好きだし、残ったメンバーは二人しかいないし、きっとその時はなにがしか泣いてしまうだろう。

 会社を辞めてからこっち、音楽を聴くたびに、その音楽家の栄光のその後、バンドの行く末などをつい考えてしまうことが増えた。死んだミュージシャンを算え、活動を停止したバンドがどうしてしまったか調べたりした。ちょうど老眼が昂進する初老期と重なってしまったため、どうも発想が暗い方へ暗い方へ暗い方へ行くのには我ながら困った。
 このネガティブな探索は案外と奥が深く、かつ面白く、ハマッてしまった。とくに、音楽家の死はどれも劇的で、魅了されるのだ。

 会社を辞めて身の置き所がない不確かさにやっと慣れた頃、考え方がちょっと変わってきた。というか、動かしがたい大きな事実に気づいてしまった。
 人は、栄光の時をずっと生きることはできない。誰もが、充実した生を生きたい、と願うが、充実を感じるのはほんの一瞬で、そのあと長い長い退屈な時間を生きなければならない。むしろ、充実した一瞬を得て、その記憶が輝かしければ輝かしいほど、残りの生は一層退屈に感じることだろう。
 この「退屈」なるものは、現代人の最大の悩みであり、全力で対処せねばならない喫緊の課題なのだ、ということがだんだんわかってきた。
 賢い人はどこにもいるもので、文芸評論家の小谷野敦は2002年の段階で『退屈論』というしっかりした一冊を著している。退屈の文学史・精神史・思想史へとまたがる壮大な試みなので、心ある人は読むべきと思う。
退屈論 (シリーズ生きる思想)
 最近では、経済学者(?)の池田信夫が、アゴラの書評「暇つぶしという重要な問題…『暇と退屈の倫理学』」で重要な示唆をしている。そのずっと前にも「退屈」と題したエントリを書いているが、これは非常に短くかつ鋭い文だ。
 両者とも、退屈の本質は、「生に意味はあるか」という根源的で過激な問いかけなのだ、という問題意識を持っている。退屈して発する言葉は、「何かいいことないか子猫チャン」だったり「私の人生は何だったんだろうか」だったりといろいろだが、これはどっちも同じくらい重たい言葉だと思ったほうがいい。きちんとした仕事を持ち、忙しく働いている人には理解できないかもしれないが、あなたもいずれ退屈に苦しめられる運命にあるので、他人事ではないと思ってください。
 ところで小谷野さんはニーチェ的な退屈への対決姿勢に釘を刺し、「退屈のあまり人を煽動などしてはいけない」ときちんと書いている。一方で池田先生は、無理筋の論争など引き起こすことが多いのはどうしたものか。聡明な人なのに、退屈の毒に当てられてるのではないか。

 さておき。音楽家は、曲を書き、歌い、あるいは舞台で演奏することで燃えるような生を生きる(一方で長く続くツアーに退屈したり、レコード会社との契約で曲を書くことに苦しんだりもするわけだが、ひとまず措く)。僕が注目するのは、曲を書いたり歌ったりすることを止めた音楽家は何をしているのか、ということだ。
 ザ・フーのピート・タウンゼンドが、ネットの小児ポルノ保持で逮捕された(2003年)。彼は「楽しむつもりではなく児童ポルノを防止する観点からのリサーチだった」と主張しているが、僕には言い訳に聞こえる。ひとつ僕が疑ったのは、「彼は退屈していたのではないか?」ということだ。
 多くの成功した音楽家が、薬物やアルコールに苦しめられてきた。ローリング・ストーンズも、元ビートルズのポールも、薬物所持歴あるいは所持現行犯で日本に入国できなかった(多くは70〜80年代。その後彼らはクスリを止め、入管も態度を軟化させ、90年代に続々来日が実現した)。日本の入管は薬物歴のある音楽家のリストを持っているはずだ。FBIはもちろん持っており、それは偉大なロック音楽家リストときれいに一致するらしい。アメリカの保守的な人がロック音楽を忌み嫌うことがあるのは、あながち無根拠なことではない。ある人たちにとって、ロックは薄汚いものなのだ。
 今でも突然死する音楽家は多い。マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンは、いずれも薬物の影響が強く疑われている(前者は睡眠薬向精神薬、後者はコカインのようだ)。どちらも、身体の不具合を治すための薬物使用ではなく、刺激が欲しいから、退屈でしょうがないから薬を欲したというところだ。マイケルは抗不安薬を使用していたが、鬱病の大きな原因の一つは退屈による抑鬱だ。
 彼らは芸術的にも商業的にも大成功して、名誉と富と両方を持っていたはずだ。名誉と富とは、権力と言ってもいい。
 権力の定義はいろいろあるだろうが、僕が気に入っているのは軍学者・兵頭二十八のそれで、「飢餓と不慮死からの遠さ、を以て権力とする」というものである。不意に死んでしまうようなことがない、飢えることがないようにする力を、権力とする。とすれば、マイケルもホイットニも、あんなに成功した芸術家なのに、不慮の死を遂げてしまったとは、つまり権力を持っていなかった、ということになろう。

 本当に富と名誉を持った人は、身の持ち方を正し、危険を避けようとする。お金持ちが退屈な車メルセデスに乗るのは、事故時に他の車種より生き残る可能性が多少は大きいからだ。そうでなければみんなフェラーリやポルシェに乗るはずだ。スポーツカーはリスクがあり、それは不慮死の可能性に繋がる。豪邸に住むのもそうだ。ほんとうは、目立つ屋敷に住むと他のリスクを呼び込むので、あんまり派手な住まいはお金持ちにはふさわしくない。だが、相応のセキュリティを備えた住まいとなると、ゲーテッドコミュニティとかトーチカみたいに窓の少ない邸宅、有人セキュリティの高層コンドミニアムとかになるのだろう。彼らはしかたなくそういう閉ざされた家に住む。本当に贅沢な人は、田園地帯に農家のような屋敷を構え、犬や馬、羊を飼って農家の真似事をするらしいが、セキュリティにべらぼうな金がかかるのでそんなことができる人は一握りだ。
 リスクに敏感なお金持ちは、ロックコンサートにも行かないはずだ。コントロールされたクラシック演奏会や高いチケットのオペラがふさわしい。日本でいえば新宿や渋谷の盛り場も避けるだろう。行くとしても自動車でデパートに乗り付けるのがせいぜいか。若い富裕層二子玉川や自由が丘に惹き付けられるのは、少なからずリスクの問題がある。彼らははなから池袋や上野には行かないはずだ。そうしたライフスタイルは、趣味の問題だけではなく、リスクを避けようとすると必然的に取らざるを得ない行動様式なのだ。

 ロックは、もともとお金のない若者たちが愛好した音楽だから、音楽家がロック音楽産業で成功したとして、正しいお金持ちの態度を取る(=リスクを避けて注意深く生きる)と、ファンから「俺たちを棄てて金持ちの側についた」と罵られる。だからどうしても音楽家たちは、リスクから離れて安楽に生きることができない。また、若いうちにビッグマネーを手にすることでさらに音楽家の周りにリスク要因が集まってくる。なかなか難儀なことだ。
 マイケルはネバーランドと名付けられた奇矯な屋敷のことで世間を賑わしたし、ホイットニも着の身着のままで徘徊し奇行をしていたとの報道があった。死者に失礼なことを言うのは申し訳ないが、彼らは自分が得た富と名声にふさわしい生活態度を取ることができず、リスクをうまくコントロールできなかったのだと思う。
 ドラッグは本来、若くて命が安いチンピラの玩物だ。偉大な芸術家がドラッグのような安っぽいものに染まるのはおかしなことだ。
 ロッカーは比較的若いうちに大成功するため、正しい身の処し方を学ぶ機会がないのかもしれない。また、ロックは社会への異議申し立てという側面が大きいので、反社会的なものを拒絶できないという宿命がある。
 大衆音楽は、大衆から遊離できない、大衆であるというリスクから離れられない運命なのかもしれない。人生のリスクについて歌うこともロックだからだ。

 これまでいろんな音楽家が亡くなってきたが、最大の悲劇は、1980年のジョン・レノンの死だと思う。生きていれば71歳。先週亡くなったリヴォン・ヘルムと同い年だ。
 当時40歳のジョンは、夜更けにスタジオから帰ってきて、自宅マンション(アパート・ダコタというがあんな豪勢な建物だから日本語ではマンションでよかろう)の前で不審な人物から銃撃されてしまった。あまりにも唐突な死だ。狙撃者の異常な振るまい(逃走せず、『ライ麦畑』を読みながら現場に留まった)から、彼は怪しい組織から行動を制御されてレノンを射殺した、という説まで出てきた。僕は1982年くらいの月刊PLAYBOYで読んだ。1981年のレーガン大統領銃撃事件とからめて、CIAなど闇の政府機関が薬物や催眠術で暗殺者を操っている、という説だった。ほんまかいな。だがこんな陰謀説がリアルに聞こえるくらい、レノンは政治的に危険な人物だったのも確からしい。また、FBIはロック音楽にものすごく不寛容なのも伝統らしい。統計的にみると、ロックはいつも犯罪すぐ隣にいる音楽だから、彼らは犯罪を憎むと同様、ロックを警戒するという。

 僕は1980年当時、レノンの楽曲を聴いたことがなかった。ビートルズの赤盤は、13歳の誕生日に歳の離れた姉がテープをくれたので擦り切れるまで聴いたが、青盤はおろか他のアルバムも聴く機会がなかったのだから、レノンのソロなど手が届くわけがない。しかも、レノンは直近5年間は育児をしていて作品を発表していなかったのである。FMラジオだけが頼りで、音楽を聴き始めて間もない田舎の中学生が、偉大だけど最近は活動していないミュージシャンの過去の作品など買って聴くわけがない。図書館? うちの町の図書館にレコードあったかなあ。自転車で14キロ走って、市の図書館でワグナーとかは聴いたけどなあ。
 そんなわけで、80年に衝撃的な死を遂げたレノンに、僕はさほど思い入れがない。むしろ1983年春のカレン・カーペンターの死のほうがショックだった。あんなに素晴らしい歌い手が、拒食症で痩せ衰えて死んだとは。当時付き合っていた背の高い女の子と地元の商店街を歩きながら、ラジオで訃報を聴いたのだった。そういえば、カーペンターズがカバーした「ヘルプ」「涙の乗車券」はどちらもレノンの楽曲らしいね。
「イマジン」をはじめとする彼のソロ楽曲のほとんどを、彼の死後はじめて聴いた僕にとって、レノンとは、彼の不在を以て巨大な存在感を示す動かしがたい存在、という奇妙な音楽家だった。

 レノンの楽曲が否応なく僕の視野(耳の場合は何て言うのか…)に飛びこんで来たのは、1985年に見た映画「キリング・フィールド」だ。ポルポト派が席巻する1975年のカンボジア、追い出される白人ジャーナリスト、残されるカンボジア人インテリ助手。すべてを失い強制収容所に入れられた助手、大量の死体が横たわる荒野を逃げる……というお話。85年時点だと当事者が生きていたり日本人ジャーナリストもほぼ同じ体験(助手を置き去りにして国外退去させられた)をしていたせいで、ひりひりするリアリティを感じる映画だった。そして映画のクライマックス、白人記者とカンボジア人助手が再会を果たすとき、レノンの「イマジン」が流れるのである。
「イマジン」の美しいメロディと、レノンの柔らかい歌声が、それまでの過酷な画面を許すかのように優しく押し包む。観客はよかったよかった、めでたしめでたし、と胸を撫で下ろして映画館を出た。あんまり見事なハッピーエンドだったせいで、「この映画は事実をねじ曲げている」と激しい論争が起きたほどだ(正確にはイマジンが論争を起こしたわけじゃないが、あまりにもぴたりとハマった曲だったために、あの映画に違和感を持つ人たちの反感を燃え上がらせた、のは確かだろう)。
 僕も、あんまりできすぎじゃないか、と思って、その不満を素直に口にした。そもそもレノンはこんな状況に「イマジン」が使われることを意図していたのか。たしかに楽曲は美しい、だけどここでそれを流すのは、政治利用じゃないのか、と。
 ライブハウスのマスターは言った。「レノンは、こういう状況をも念頭に置いて『イマジン』を歌ったと思うよ。そもそも、あのアルバム写真の雲は、ヨーロッパやアメリカでは見られない雲、インドシナ半島のような低緯度地域の雲だというよ。なぜ彼がその雲をジャケットにしたか、想像してごらん」。
 ほんとだろうか? あのアルバムジャケットの雲は、ヨーコの詩の「雲が滴るのを思え…」以上の意味があるのか。いくら検索しても出てこないんだが……。

 レノンの歌は、80年代90年代のニュース映像にしばしば登場した。ベルリンの壁崩壊、東欧の民主化革命、引き倒されるレーニン像スターリン像にかぶせて。あるいはボスニアでの死者を悼むローソク集会、「ギブ・ピース・ア・チャンス」がエンドレスで歌われた。年末のそうした映像には「ハッピー・クリスマス」。さすがに食傷するよね。
 政治的な映像と併せてくり返し流される楽曲を聴いて、僕は、レノンの歌はそういうものだ、政治的なものなんだと思い込んでしまった。
 これは、典型的なレッテル貼り行為、偏見だ。一部を以て全体と思ってはならない。大事なものを見落としてしまう。

 レノンの歌は政治的というより、内省的・厭世的・個人的なものが多い、と気づいたのはつい最近だ。アルバム「イマジン」を全曲通して聴いたのは、恥ずかしながら先月のことだ。これは優れて個人的な作品だということが、聴いているとすぐにわかった。他人のために、世界のために大声で歌ったアルバムではなく、自分のことだけを囁くように静かに歌ったアルバムだった。
「ジェラス・ガイ」では自分は嫉妬深い男だ、と告白し、「アイ・ドン・ウォナ・ビー・ア・ソルジャー」や「ギミ・サム・トゥルース」で世界への嫌悪、自分の弱さ、力のなさを赤裸々に歌うレノン。「オー・マイ・ラブ」で流産した子を悼み、「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でかつての友人ポールを口汚く罵るレノン。彼はこのアルバムで様々な姿を見せるが、どれ一つとして「公的なレノン」ではなく、「私人レノン」が歌ったものをたまたま僕らが耳にした、というくらい狭い世界ばかりだ。(やや脱線するが戸川純の「いじめ」という曲は「オー・マイ・ラブ」そっくりだ。剽窃とか言ってるのではないよ、抑鬱的なメロデイ、曲のあり様がそっくりなのだ。戸川は鬱も強迫も患っているが、レノンにもその気があるのではないか、と僕は疑う)
 最高なのが、最後の曲「オー・ヨーコ」。「ヤフコ」と聞こえるのがご愛嬌だが、これは恐るべき個人的で恥ずかしい、かつ可愛らしいバラードだ。真夜中に、真夜中に、君の名を呼ぶ。風呂の中で、トイレ(?)で、君の名を呼ぶ……。なんて恥ずかしげもなく、こんなことを歌えるか。
 たぶん僕は、若い頃にこの曲を聴いたら、まったく意味がわからなかっただろう。
 今なら、十分わかる。中年すぎの、心を許したパートナーと一緒に暮らしている人間なら(とくに男性なら)、ここでレノンが何を歌っているか、よっくわかるはずだ。
 なんのかんの言って、男性が妻などのパートナーを愛する気持ちは、歌にするとこんな感じだ。女性が相手をどう思っているかは僕にはよくわからないが、男性の気持ちは、他愛ない、ばからしい、だけど深いものだ。依存心が丸出しで。これはたぶん、世界中どんな男性もそうなのだ。そういう、とても大きな大きな事実を、衒いもなく、隠しもせず、飾らず、堂々と歌ったレノンはやはり偉い音楽家だと思う。

 芸術は、なんでも若い頃になるべくたくさん、浴びるように体験したほうが良いらしい。音楽に限らず、絵画・演劇・書・工芸・建築などなど。若いうちに、自分がどんな芸術に惹かれるか、自分で認識できていれば、その後の長い人生を楽しく送る助けになる。
 だが、鑑賞するのにどうしてもある程度の人生経験が必要なものがある。「オー・ヨーコ」が、聴く度に涙が出るくらい美しい歌だとわかる歳になって聴くことができて、僕はラッキーだったと思う。

 レノンは自分のバンドを残すことがなかった。プラスチック・オノ・バンドはテンポラリーなもので“グループ”ですらない。だから彼の軌跡はその死でぷっつりと途絶えるはずだった。が、世界は彼を放っておくことができなかった。
 彼の歌は誤解され続けているかもしれないが、その時その時のコンテクストに沿ってつねに読み替えられ、聞き継がれるはずだ。とくに、レノンは特定のシチュエーションを名指しで歌うことをせず、自分の内面に映る世界を歌い続けたものだから、聴く側が自由に解釈できるのだ。彼がいま生きてたら反原発ソングを歌ったかね? 不安や怒りを歌うことはあっても、名指しはどうかな。
 あと僕が好きな彼の曲(および、曲が流れる状況)は、SF映画「トゥモロー・ワールド」(2006)だ。この映画はクリムゾンやパープルの歌、またフロイドの豚などがまぶされた素敵な作品だが、とくに「ブリング・オン・ザ・ルーシー(フリーダ・ピーポウ)」が流れるとこが良い。この映画に登場するマイケル・ケイン、元写真家の老ヒッピー役だ。彼の姿が、レノンが生きていたらこんな感じに老けたのでは?と思わせてとても素敵なのだ。彼の姿を見るためだけに、ときどきこの映画を見ることがある。死んだ人間が、こういう形で生き続けているのだ。これは強い。
 本人はずっと不在だけど、彼のアイコンは生き生きと生き続けるのだ。

イマジン トゥモロー・ワールド プレミアム・エディション [DVD]

名作『きのう何食べた?』のシロさんにすすめたい、台所道具のこと

きのう何食べた?(5) (モーニングKC)
 言わずと知れた名作グルメ漫画きのう何食べた?』だけど、来月下旬6巻が出るそうで、楽しみですね。
 僕はこれ、最近まで知らなくて、前に、二十年来の畏友・クドウさんが「いま最高のグルメ漫画はこれだよ」と教えてくれてから何カ月も経ってめぐりあったのだった。

 いやー、すごい作品だよね。まず、主人公・筧史郎の手料理のレシピ、素晴らしい。
 レシピというと普通「醤油大さじ2、砂糖大さじ1、みりん小さじ1、塩ひとつまみ。これを入れて15分煮る」などと記述されている。しかしこの書き方、実際に作りながら読むと、ちょっとわからないんだよね。たとえば「砂糖とみりんで甘さがかぶってるけど、省くとしたらどっちなのか?」とか「15分とは、何が基準か。じゃが芋が軟らかくなる時間か、肉が硬くなる前なのか、どっちが重要か」とか、迷うポイントが多い。
 ところが『きのう何…』のレシピは、往々にして「大さじ1」とかの単位が省かれており、「醤油・砂糖・みりん・塩少々」など非常にテキトーな記述だ。そして、実際に台所に立って読むと、このほうが使いやすいのである。加熱時間も、何分とか書いてないけれど、「トマトの形がなくなるまで炒める」と、実はこのほうが記述が詳しくて正確。
 僕の料理の腕は、シロさんには到底及ばないが、シロさんの彼氏・ケンジよりは上だ。1年半も主夫をやっていればこのくらいにはなる。
 だが、レシピを読むのが苦手なのが悩みだった。出来上がりをイメージしながら読めないので、どうしても違うモノができてしまう。
 しかし、シロさんのレシピは感覚的に理解できる。漫画だから手順が図示されてるせいか。しかもシロさんは、「この間になんとかを刻む」などと複数の副菜を手際よく作る。さすがである。僕も晩ご飯は四品作ることがノルマになっているのだが、手際が悪くてヘタだったのが、シロさんにインスパイアされて段々楽しく手順を組み立てて手短に、美味しく作れるようになってきた(と思う)。
 これは、ファンが多いわけだよね。素晴らしい作品だ。

 もちろん本作は食べ物漫画としてだけではなく、ゲイの生き方とか、法律事務所や美容院の内幕も素敵にリアルに描写されている。一つ一つで単独の作品が描けそうなくらい緻密なのに、それが組み合わさってたった一つの作品に盛り合わされているのだから、凄い。あまからすっぱいも、タンパク質・炭水化物・野菜類のバランスも、ばっちり取れている。
 ちなみに、算えてみると、どうもシロさんは僕と同い年のようだ。いつ弁護士になったのか、今のようなスタンス(仕事はきっちりするが残業はしない)になったのはいつか、とか謎が多いのだが、彼も僕も同じように人生の曲がり角を迎えていることだけははっきりわかる。両親は老いて、孫を楽しみにしていたけどどうやら願いはかなえてやれそうになくて…とか、読むと思わずうーんと唸ってしまう。

 ところで、料理の手順をこれほどまでに詳しく描写されてしまうと、どうしても自分のやり方との違いが目についてしまう。そして、「シロさん、なんだかオバサン臭いぞ」と思ってしまうのだ。
 それはどういうことかというと、やけに味付けに「めんつゆ」が使われることとか、万能包丁じゃなくて菜切り包丁を使うとことか、あと、道具に凝らないところが、どうにもオバサンぽいというか、今風じゃないんだな。
 シロさんは野菜の皮むきを菜切り包丁でやる。でも、どう考えても、ピーラーを使ったほうが楽だと思うのだ。
リッター皮むき器これって常識っしょ?
 また、シロさんは野菜の水切りを、専用のきれいな布巾かキッチンペーパーでやる。でも、水切り器を使ったほうがいいと思うのだ。これは大きな籠としても使えるから場所を取らない。
野菜水切り器 バリバリサラダ  ASL22値段はピンキリだけどこれくらいで可と思う。
 また、最大の疑問が、シロさんは時間がない人なのに、圧力鍋を使わないところだ。
パール金属  エコクッカー 3層底 片手圧力鍋 3.5L H-5142ステンレスのメッカ・燕三条品質!
 これは僕が使ってるのと同じやつだけど、ホームセンターで2980円とかだった(Amazonでも同じくらいだよ)。外国のブランドものじゃないから安いけど、性能は変わらないよ。これなら締まり屋のシロさんでも抵抗ないでしょ。
 圧力鍋はほんと凄い。電子レンジに匹敵する手抜き調理器具だと思う。なにしろ、大根を2回炊いても15分かからないのだ。30分で茹でこぼしから本番までできるということは、1時間あれば十分味の染みたおでんができるということだ。シロさん、これでケンジに美味しい大根食わせてやりなよー。
 あと、ブランド調理器具にまったく興味がないシロさん(街の荒物屋で買ったとおぼしきアルミ鍋とか使ってるよね)だから、ティファールルクルーゼも登場しない。
T-fal インジニオ コクーン ネオ ローレルセット L56599やや、やりすぎ…。
 こんな豪華なやつでなくても、サイズ違いの鍋が三つ、重ねて収納できるやつだけでも、料理の効率はぐっとアップする。シロさん、あんたなら僕の十倍くらい使いこなせるだろう。
Le Creuset ココット・ロンド 20cm オレンジパチもんで可。
 そして、言わずと知れたコレ。まあルクルーゼの鍋は、シロさんのようにかなり出来る人が導入しても、際だった進歩は感じられないかもしれない。なにしろ、こいつが凄いのは、テキトーにやっても失敗しない、という点だから。むしろケンジくらいの腕前の人が使うといいだろう。もちろん僕も愛用してる。肉じゃがは、圧力鍋じゃなくてこいつのほうが美味くできる。
Le Creuset スチーマー ココット・ロンド20cm用 940071-20
 でもルクルーゼでおすすめなのは、実は鍋じゃなくてこっち、蒸し器。Amazonですら5000円以上もする高級品だから、シロさんに薦めるのは少しためらうが、これは、良いよ。20cmの鍋ならどこのだって使えるから、ルクルーゼのココットロンド持ってなくても平気。
 蒸し器があると、超手軽に野菜を摂れる。シロさんの好きなブロッコリも、僕の好きなニンジンも、じゃが芋・山芋などの根菜、新玉葱、キノコ、葉っぱモノ……なんでも蒸して、蒸し器のまま食卓に出せる。真冬は冷めちゃって美味しくないけど、暖かくなってきたこれからの季節に蒸し野菜はいーと思いますよ。
パール金属  和の里 中華せいろ 21cm H-5714清潔に保つのが難しいかもね…。
 まあ、こっちなら三分の一のお値段ですから、シロさん、ぜひご検討ください。

 ていうか、ケンジが生クリーム混ぜるのが大変だからって、泡立て器買うくらいなら、まずピーラーを買うべきだと思うんだよ! ケンジにも料理を教えるべきだから。
パール金属 グッドアーティ 電動 ハンドミキサー (プラビーター) D-1120でも、意外と安いのね、ハンドミキサー。欲しくなりました。
 ていうかシロさん、立ち読みでいいから、たまでいいから、「Mart (マート)」を見てみるべきだと思うんだよ。
Mart (マート) 2012年 05月号 [雑誌]
 いや、シロさんのような締まり屋には目の毒だとわかってるんだけど、けっこう良いものが載ってるんだよ。シロさんが買わなくてもいいな、ケンジのお店に入れてもらって、夜に借りて帰って読めばいーんだよな。

 いつの間にか、シロさんに話しかけるような妄想モードになってしまったけど、この漫画はほんと凄い、人物ひとりひとりに「あんたの話もう少し聞きたい」と思わせる魅力があるんだよな。
 今夜は、この漫画に教えてもらった若竹煮と、ネギのコンソメ煮にしよう。牛蒡サラダと胡瓜酢の物、みそ汁はわかめじゃない方がいいよな……。

なぜ、インターFM「レディオ・ディスコ」はホットなのか?

 ご無沙汰しています。
 愛聴しているインターFM(東京76.1MHz)、春の番組改編から2週が過ぎ、かなり落ちついてきました。
 期待通りの新番組、どうも期待にそってくれない番組、いろいろですが、自分内大ヒット番組があったので、メモしておきます。
 それは、午後1時半から始まる、「レディオ・ディスコ」です!
 DJは先月まで「グローバル・サテライト」の片割れだった亀井佐代子さんと、DJ OSSHY(音楽プロデューサーの押阪雅彦氏)。オッシーが選んでリアルタイムに繋ぐ曲、リスナのメールとのキャッチボールはサヨコさん、番組ページのプレイリストを見てもらえればわかるけど、ジェイムズ・ブラウン、アーハ、スティービー・ワンダー…と非常に懐かしい曲が目白押し。
 ひと目見ると「古っ」と呆れてしまいそうな番組だけど、いざ聴いてみると、これが意外にも、意外にも、気持ち良い。
 なんか、見事にハメられた感じがしてくやしいくらい、気持ち良い。
 なんでか〜〜!

 実は僕は、ディスコミュージックは嫌いだった。80年代に思春期でしたけど、全然聴きませんでした。忌み嫌ってたので。
 前にも書いたけど、僕は理屈から入るタイプだったので、感覚に訴える音楽との接点が薄かった。
 音楽を「理屈から入る」とはつまり、「見栄で音楽を選んでいた」ということなんですよね。他人からの見た目を気にしていたというか。自分がかっこいいと思った音楽を聴いてたわけで、気持ち良い音楽を聴いてたわけじゃなくて。
 たとえばレゲエを聴いてたのも、気持ち良いからじゃなくて、ボブ・マーレーの思想とか、死んで伝説になったこととかがカッコよくて、そのカッコ良さにあやかりたくて、聴いてた。馬鹿な聴き方をしてたと思います。
 パンクやニューウェーブに惹かれてたのも、パンクの思想性に憧れてたからだ。スプリングスティーンやレナード・コーエンも、なんかインテリ臭かったから聴いてた、というのが正直なところ。見栄っぱりでした。
 でもまあ、良い音楽たちでしたので、聴くと気持ちは良いんですよね。それなりに良い体験はさせてもらいました。

 でも、理屈で音楽を選んでると、ものすごくメジャー、庶民に大人気、ってだけで選択肢からこぼれちゃうことがあるんですよね。メジャーな音楽聴いてても見栄は張れませんから。同級生が聴かないようなアーティストを選んで聴くようになる(友だちができないわけだよ)。
 だから、ディスコブームのときも、みんなが聴いてるからってだけで、ディスコ音楽は全然聴きませんでした。
 同じく、テクノのときも聴かなかったし(その頃はプログレを聴いてた)、メタルからビジュアル系に到る日本のアーティストたちも全然知りません。バイトしてたライブハウスにはけっこう来てたのに、全然耳を傾けなかった。
 馬鹿だったよなー、と思う。

 そういう、ディスコ音楽にまったく造詣がない僕が聴いても、「レディオ・ディスコ」は楽しい。シンプルではっきりした、ズンドコズンドコのビートが、聴いてると否応なく気持ちを盛り上げてくれる。
 なぜか? なぜ私はディスコ音楽を聴くと、こうもHOTに感じてしまうのか?

 どうもこれは僕だけの傾向じゃないらしく、インターFMのwebを見ると、「レディオ・ディスコ」は番組webのビュー第1位だし、2ちゃんねるインターFMスレでも大人気だ。
 関係者が、「これは、ウケる」とどんだけ確信してたかわからないけど、自分的にはもう大ヒットっすよ、大ヒット。
 平日月〜木は13:30〜15:00の90分だけど、金曜は時間拡大で13:00〜15:00の120分だそうです。もう明日が楽しみで…。

 この番組がなぜこれほど突出して良い印象なのか、これはちょっと考えたいテーマだ。
 一つには、新番組に期待ほどじゃなかったものがあったので、それとの対比で印象が良い、ということもあろう。朝の「バラカン・モーニング」に替わった「キャッチアップ」は正直、つまらない。パーソナリティの方が頑張ってるのはわかるんだけど、印象は良い人なんだけど、どうも僕的にはダメだ。前番組と比べると、リードしてくれるものがない。比べちゃいかんのだろうけど、ラジオってのはどうしても時間帯における聴取習慣で聴くものだから、「先月までの朝が恋しいよ〜」などと空しいことを思ってしまうのは仕方がない。
 そもそも「キャッチアップ」って「追従する」「遅れを取り戻す」ってことだよね!? 全然良い言葉じゃない。リスナーに向かって、お前らついてきなさい、導いてあげますよ、と言ってるようで不愉快だ。この番組タイトルをなんとかしなきゃ、つまらないのは直らないと思います。
 平日21時からだった「BAM!」の面々が18時に引っ越して「6時のヤツラ!」になったのは、まあ良い。この時間は台所で食事の仕度しているから、前半は楽しく聴ける。でも後半は、食事タイムになるのでラジオ切らされてしまいます。残念です。「BAM!」は夜に仕事するときの楽しみだったので、聴けなくなってとても残念。21時からの新番組はJ-POP主力の若年層向けになってしまったので、もうご縁がありません。
 だから、自分の世代的にも、生活習慣的にも、「レディオ・ディスコ」がジャストフィットした、ということなのか。

 いや、違うな。もっと根源的な、音楽の原理的な理由で、「レディオ・ディスコ」は聴く者を惹き付けるんだと思う。
 ディスコ音楽は、音楽的・音楽史的にはあまり語られずにきたと思う。むしろ産業ロックのように「消費される」音楽として生まれ、その使命を全うし、消えたといえよう。批評家から評価されるようなものじゃなかったし、。
 ピーター・バラカンさんはブルーズやR&Bなど黒っぽい音楽もよくかけていたけど、ディスコはほとんどかけなかった。彼もディスコは守備範囲外なのだと思う。まあ80年代、彼は坂本龍一矢野顕子をサポートしたり、MTV系を支えてたわけで、日本のディスコには通ってないだろうしね。
 ディスコ文化は、「レディオ・ディスコ」でも「80年代死語の世界」などとやや自嘲的に紹介されるけど、完全に大衆的なものだったと思う。先鋭的な批評家から無視されたのもむべなるかな。あんまりにもありふれたものは、そのときそのときでは批評の対象からはずされちゃうんだよね。そして、なくなってから初めてその価値を再評価されたりして。まさにいまがディスコの再評価時代だと思います。誰か、僕も納得できるように語ってくれないかなー。
 僕は、言ったように、ディスコ自体を体験したことがない。岡山にはディスコあったのかなー。東京出てきて行ったのはもうクラブだったしなー。ディスコブームってどこで起きてたの?という状態。田舎者です。
 しかし不思議なことがあって、たとえば「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)で一世を風靡したジョン・トラボルタ。彼はディスコが盛んだった80年代は「ステイン・アライブ」(1983)がコケて長らく不遇だったんだよね。ブームに火を点けた人だったのに、94年の「パルプ・フィクション」まで、彼は我々の視界に戻ってこなかった。きっとディスコで踊ってた人たちも、彼のことは忘れてたと思う。その間もビー・ジーズはヒットを出し続けてたと思うけどねー。なんでだろう。

退屈論 (河出文庫)退屈論(小谷野敦)
 唐突だけど、「なぜ私はディスコ音楽に惹かれるのか」「なぜディスコ音楽は批評的に語られずにきたのか」という疑問に、答えがありそうな気がしてる。それが、この本。小谷野敦の『退屈論』。
 小谷野敦は文芸評論家なのでディスコ音楽については1字も語っていないけど、この本では「退屈とは何か」「退屈はなぜ生じるか」「退屈を避けるためにヒトはどう振る舞ってきたか」などが、文学史・文明史的に語られています。なかでも出色なのが、「人生に意味はあるか」という議題。
 古来、いろんなヒトが、暇に飽かせて「そも、人生とはなんぞや」と思索してきたのだが、ここ21世紀になってほぼ答えは出ているようだ。
 いわく、「人生に特段の意味はない」と。
 これは「人生」を「音楽」に置き換えても成立する箴言ではなかろうか。
 自分のことを反省しながら言うのだけれど、音楽に何かの意味を求めて聴いてきた選んできた自分は、音楽に対して不純だった。
 申し訳ない。
 だもんで、僕は、何かの主張があるわけでもない、労働者たちが仕事の後に気張らしで遊びに行くディスコなんてとこで消費されてるだけの音楽に見向きもしなかったわけだ。何か意味がありそうな、革命を歌ったレゲエだとか、不満を歌ったパンクだとか、頽廃を歌ったグランジ、思想とのシンクロを見せたニューウェーブなどを見栄張って聴いてきたわけだ。基本的にこれらの音楽は今も僕は好きだ。
 しかし、ディスコ音楽のリズムに否応なく惹かれる自分がいる。この、薬物のような身体反応を誘う音楽って何なのか。
 それは、意味を放擲したところにある、即物的な、それこそ「ノレるかどうか」だけが問題の、下賤な音楽だった。それでいて高度に洗練され、大きな文化潮流を形成したものでもあった。
 人生に意味はない。音楽にも意味はない。しかし、律動はある。
 ということではないかと、思うわけです。

 今後も午後1時半からの「レディオ・ディスコ」は楽しみにしています。DJオッシーのMIX(と言っていいのかどうか)は大変素晴らしい。サヨコさんのトークも。80年代生まれの若い人たちが、どんだけ理解できるかどうかは知らないが、リズムはわかるんじゃないかなー。
 あと、今後も退屈については考えていきたいと思っています。

映画「冷たい熱帯魚」、愛犬家連続殺人、暴露小説、その知られざる迫真部分

 園子温の映画「冷たい熱帯魚」を今更見た。昨年新春公開で、DVDリリースは先の夏だから、ずいぶん遅い鑑賞になった。すっかり旬の話題から乗り遅れているたぬきちであった。
 しかしツタヤでは準新作になって高回転してるみたいだし、何より、簡単には古くならない作品だから、乗り遅れたけどちょっと感想を書いておきたいな、と思う次第。

冷たい熱帯魚」に今更ハマるのは、たぶん僕だけじゃない。近所のツタヤでは週末は全部借りられてるし、原作を読もうとする人がすごく多いのだ。
 原作というか、正しくは“元になった事件を書いた本”だが、三冊ある。
共犯者 (新潮クライムファイル)山崎永幸『共犯者』(新潮社・四六判・1999年)

愛犬家連続殺人 (角川文庫)志麻永幸『愛犬家連続殺人』(角川文庫・2000年)

悪魔を憐れむ歌蓮見圭一『悪魔を憐れむ歌』(幻冬舎・2003年)

 実は、どれも新刊では入手不可能、業界的に言うと「ただいま品切れでございます」、つまり「重版未定、事実上絶版」らしい。
 これらは、タイトルが違う、出版社が違う、著者名まで違う。パッと見、まったく違う三冊の本である。
 しかし、中身はほぼ同一らしい。なんということか。
 なんでこんな不可思議なことになっているのか。

 その前に。僕が住んでいる区の図書館には、『共犯者』が一冊ある。図書館のwebを見ると、今日は貸し出し中。そしてウェイティングリストに28人が並んでいる! ちなみに区の人口は80万人、ここに一冊きりだから、映画をDVDで見た一握りが「読みたいな」と思ったら、こんな塩梅になってしまうわけだ。
 ちなみに『愛犬家連続殺人』は区の図書館は所蔵していない。
 ところが、『悪魔を憐れむ歌』は区全体で四冊あり、貸し出し中は一冊のみだ。ちなみに借りてるのは僕だ。
 だから、「冷たい熱帯魚」を見て“原作”を読みたくなった人は『共犯者』じゃなくて『悪魔を憐れむ〜』を探すと良いと思います。

 この三バージョン、何が違うのか。『共犯者』の著者は、本文に「俺」として登場する。事件の共犯として捕まり、主犯●●の連続殺人を事細かに供述し、証拠となる屍体がほとんどないこの事件の決定的な証言をした立役者。その、実名がクレジットされている。
『愛犬家連続殺人事件』の著者は、『共犯者』の著者と同一人だが、苗字が違う。
 そして『悪魔を憐れむ歌』の著者は、どうやら、『共犯者』の元になった「週刊新潮」連載記事の頃からゴーストライターを務めていた人らしい。ちょっとにわかには信じられないことだが、ゴーストが自分の名前で本を出したということか。異常な事態だが、そうせざるを得なかったねじれ、もつれを感じる。
 実際に読み比べてはいないのだが、ネットに断片的に転載されているのを見る限り、『共犯者』と『悪魔を〜』は、地の文はほとんど違わないみたいだ。一番の違いは、『悪魔を〜』では登場人物の一部が仮名になっているらしいこと。犯人側は最初の『共犯者』のままらしいが、被害者が匿名になっているのだ。
 Amazonのレビューを見ると、被害者を仮名にしたことに憤っている人がいる。そういうものなのか。自分が手にする情報がいくらか毀損しているのが気に入らないのだろうか。そもそも情報は情報になった瞬間に事実から欠け落ちる部分が膨大にあり、初めから毀損しているようなものだと思うが。

 とりあえず、中身が違わないんならどれを読んでも同じじゃん、ということで『悪魔を憐れむ歌』を読んだ。……いやはや、物凄い迫力の本だった。
 文章も素晴らしい。事件の詳細をたどりながら、スピード感、ユーモア、恐怖・怒りといった心理の揺れが緻密に伝わってくる。蓮見圭一という人の仕事は素晴らしい。また、ゴーストにこれだけのことを伝え得た原著者の才能も窺わせる。
 いや、才能ではなく、体験の凄さなのか。
 事件の概要については愛犬家連続殺人事件を参照してほしい。このwikiは削除されるかもしれないので魚拓を取りたい方はお早めに。
 映画「冷たい熱帯魚」は、いくつかの設定を変えてあるが、大筋は実事譚(a true story)を忠実になぞっている。いや、実事というより書籍『共犯者』その他の記述を忠実になぞっている。とくに殺人者・村田(演じるのはでんでん)のここぞと云うところの台詞が、書籍から多く取られている。たとえば、

「子どもがすくすく育つのを誰よりも願っているのは親だよな。お前もそうだろう。俺も娘が嫁に行くまでは、どうしても捕まるわけにはいかねえんだよ」
「人間の死は、生まれた時から決まっていると思っている奴もいるが、違う。それはこの●●●が決めるんだ。俺が今日死ねと言えば、そいつは今日死ぬ。明日だと言えば、明日死ぬ。間違いなくそうなる…」(同書p058。※原文●●●には人名がはいりますが、不要と思うので伏せました)

 映画では台詞が出てくる状況がちょっと変えられているが、非常に効果的に、印象強く使われている。脚本を書いた人たちの素晴らしい仕事ぶり。この映画が、元になった書籍に敬意を払っており、書籍から伝わってくる実事件の本質を作品に掬い取ろうと懸命の仕事がなされたことがわかるはずだ。

 だが、映画がフィルムに焼き付けることができたのは、事件のごくわずかな一面にすぎなかったらしい。あの事件は、あの凄惨な映画が描ききれなかったくらい、闇が濃く、深く遠く、血の量も遥かに多い。
 たとえば同書には、映画が取りあげなかった四人目の殺人が書かれている。中年女性で、店の従業員の親御さんらしい。犯人は彼女を殺し、他の被害者と同じように屍体を解体するのだが、その過程で性的に屍体を辱めたという。また別の箇所では、犯人が人肉食をしていた、あるいは、被害者の知り合いに人肉食をさせたと思しき会話がでてくる。まったく、レクター博士そこのけだ。
 繰り返し云うが、あの凄い映画は、事件のごく一部を切り取ったものにすぎないようなのだ。

 さらに、『共犯者』Amazonレビューには、もっと凄いことが書かれていた。引用する。

悪魔, 2011/2/19
By sumire1996 (東京都)
当時の●●と▲▲は、有名人だった。ペット業者やドックショー関係の者ならば必ず噂は知っていた。アフリカケンネルの犬は人間の肉を食っていると・・・●●は愛想良くいつも若い兄ちゃんやギャルに声をかけていた。真相を確かめに友人が誘われるままアフリカケンネルに遊びに行った。ライオンがいたと言っていた。それと異常にデカイ機械が事務所の中にあって牛一頭全部ミンチにできる機械だと言った。●●は頻繁に新宿へ遊びに行き家出娘を連れ帰り住み込みでペットショップで働かせ身体を弄び逃げ出す前に殺していた。死体は機械で処理し犬が食って終わり、犬の糞から未消化の骨がでるけど埋めたり燃やしたり汚物として廃棄する。アラスカンマラミュートはアザラシの肉(脂肪の塊)を消化する数少ない犬種。だから●●のショードックは毛艶良く見栄えがした。そして威風堂々たる雰囲気を発していた。▲▲は犬の奴隷のように膝まづき熱心にグルーミングをしていた。犬への愛情というべきか執着というべきか異常なまでの溺愛ぶりを人目を憚らず見せつけていた。その容姿はピエロの様で障害者かと思わせた。事件の発端はミンチの機械が故障して死体の処理が不完全になった事からはじまった・・やはり悪魔の●●でも人を完全に消し去ることは不可能だったのだ。この事実が本に記載されていないのを悔やまれる。

 主犯とされた二人の名前は僕の判断で伏せて引用した。▲▲とは、主犯●●の妻である。
 しかし、この短い文章のなんと恐ろしいことか。たったこれだけの文章に、本に載っていないさらに恐ろしい事が書かれているではないか。
 このレビューを信じるなら、四人が殺されたとされる愛犬家連続殺人事件は、コーダ(結び)に過ぎなくて、まったく違う作風の前奏曲やら本編やらサビの部分が膨大にあるんじゃないか、と疑ってしまう。
 この事件は、「ボディを透明にする」という●●の言葉が有名になった。それは、書籍や映画では「包丁で屍体を解体し、肉と骨を分離、骨は焼いて粉にし、肉は細切れにして川に投棄」というメソッドを取っている。だが、本来は「牛一頭全部ミンチにできる機械」で「機械で処理し犬が食って終わり」という、別のメソッドがあったというのか。
 映画でも書籍でも、●●が屍体を解体し焼却する手際がものすごく良いことに驚く。五十キロの肉をサイコロ状に刻むなんて、台所仕事をする人ならそれがどんだけの労力を要するか見当が付くだろう。ものすごい能率だよ。この●●は、間違いなく仕事ができる人だ。犬のブリーダーとして成功したというのもある意味うなずける。
 それが機械を使うなら、もっともっと能率は上がる。というか、映画や書籍が描いたのとはまたまったく違う事件が、いくつもいくつもあったことが窺える。なんということか。

 とまあ、映画からちょっと先に行くだけでこんなに凄いことがボロボロ出てくるこの事件、まったく凄いモノだ、恐ろしいモノだと思いました。

 実は、書籍の読み所はまだ別のところにある。
 多くの読者は「こんなの余計な部分だ」と思うだろうが、僕は面白く読んだ。語り手が●●の共犯者として捕まって以降の、取調の部分だ。とくに検事との調書をめぐる攻防。
 書籍では、「俺」こと主人公が逮捕されてしまうと、主犯●●との接点がなくなってしまい、●●は舞台から去る。代わって登場するのが、浦和地方検察庁熊谷支部の長身のI検事、同書の掉尾を飾る悪玉だ。
 この検事は、殺人の共犯容疑で逮捕された「俺」にこう云うのである。

死体遺棄での逮捕はある。勾留もあるかもしれないが、それくらいは我慢してくれ。最終的には僕が起訴猶予か不起訴処分にするから、君が刑務所に行くことはない。最悪でも執行猶予はつける」

 主な容疑は死体遺棄とはいえ、四件の殺人に関わった人間が起訴猶予か不起訴になるなんて、ありえるだろうか?
 だが、拘禁され、追い詰められた「俺」に、検事の言葉を疑う余裕はない。代わって彼に真実を告げたのは「俺」の調書を取った刑事だった。

「はっきり言おう。お前は捜査当局への協力者だが、それでも実刑を食らうことになる。四件の死体遺棄で執行猶予なんてつきっこねえんだよ。ましてや不起訴だの起訴猶予だの、あるはずがねえ。あの検事が何を吹いたか知らないが、遺族感情ってものがあるんだよ…」

 この落差。検察官がつく、あられもないすぐバレる嘘。
 当今のニュースで、検察のスキャンダルを耳にしているからこそ「なるほど、ここでもか」と思えるが、そうでなかったら「こんなすぐバレる嘘を、検察官がつくわけないだろ」と思い込むかもしれない。普通の人間には、疲れてくたびれたスーツを着た刑事よりも、ピッとした立派な服を着た検事のほうが、偉く、信頼感もあるように見える。
 だが、違うのだ。「俺」の弁護士は、諄々と「俺」を諭す。

「検事といっても所詮は歯車の一つだということです。弁護士も一緒です。検事や弁護士が死んでも事件は起きるし、裁判は続きます。総理大臣が死んだからといって誰かが困ったという話も聞いたことがない。この国では総理大臣ですら歯車に過ぎないのに、どうして東京地検の検事あたりを偉いと思う人がいるのか、私にはさっぱり分からない。でも、どうやらI君はそう思っているようだ。それが勘違いだということを教えてあげるのは悪いことじゃない……」

 法廷劇というジャンルがあるが、その前の取調の段階のドラマは何て言うんだろうか。僕は、恐ろしい連続殺人について読もうと思ってこの本を手に取ったのだが、思いも掛けず良質な別のサスペンス劇がついてきたようで、とっても得な気持ちがした。読み終わるのが惜しい本だった。

 事件の当事者が世間に公表した本に、当事者バイアスが働かないはずはない。そもそも、どんなことだって、膨大な事実があるなかで、掬い上げ形にできることはわずかにすぎない。
 だが、この本から僕は、事件に対する謙虚な気持ち、被害者への鎮魂の気持ち、遺族への誠意のようなものをうっすらと感じた。誠意。そう、自分が巻きこまれた事件を、誠意を以て世に伝えようとしてると思う。


冷たい熱帯魚 [DVD]

偉大なバンドの消長など その1 ザ・ドアーズ

 先日ピンク・フロイドについて書いたのだが、ずいぶん前に、好きなバンドについて書いたエントリをアップロードしていないのを思い出した。二年近く前に書いたものですが、ちょっと修正しつつあげてみます。


 僕は最新の音楽にはいつも疎いので、懐メロしか聴かない。子どものときからそうだった。
 それはつまり、新譜をばんばん買えるほどお小遣いがなかったから、旧作・名作ばかり聴いてきたということだ。そういう風な聴き方をして育ったために、今でも最新音楽の動向にはあまり興味が向かず、もっぱら辛気くさい旧作ばかり聴いている。レディ・ガガもアデルもラジオでしか聴いてないし、フーファイターズやグリーンデイも、たぶん解散してから買って聴くのだろう。
 高校に上がった1980年に聴いていたのがドアーズ。ジム・モリスンが死んですでに10年経っていた(1971死去)。
 乏しい小遣いを貯めてゆっくりと古いアルバムを買いそろえていったのだが、その中にジムの詩の朗読にメンバーがBGMをつけた「アン・アメリカン・プレイヤー」という作品があった。これは1978年のリリース。あれ? ドアーズはジムが死んでも存続してたの? と当時不審に思った。別のアルバムの日本語ライナーノーツには、「ジムの死をメンバーが悼むコンサートがあった」と記されていた。ジムなき後、ドアーズはどれくらい存続してたのだろうか。
 wikipediaを見ると、ドアーズはジムの死後も「アザー・ボイセズ」「フル・サークル」の2つのオリジナルアルバムをリリースし、商業的には失敗、そして解散、とある。ちょっと驚いた。そ、そうだったのか。ふつうドアーズのディスコグラフィというと「L.A.ウーマン」で終わっている。それってウソじゃん。あと2枚もあったんだ…。
 僕がレコードを買いあさっていた80年81年頃、ワーナーパイオニアでは旧作アルバム1枚1,500円のセールをやっていた。だから僕なんかでもLPレコードを買えたのだ(2枚組「アブソルートリー・ライブ」は2,500円だった)。そのラインナップでもドアーズ全作品と称して「L.A.ウーマン」の次は「アン・アメリカン・プレイヤー」が並んでいた。あれあれ? その間の2つのアルバムの立場は…?
 ドアーズについて語る人は、何のためらいもなく「スタジオアルバム全6作」などと記す。ちょっと待て、ドアーズは他にも3作のスタジオ盤を出してるんだぞ!と言いたいが、僕もそのうち1枚しか聴いたことがない、ジム不在時の彼らの仕事を知らないので大きな事は言えない。なんだか可哀相なアルバムたちだ。突然いなくなったジムの穴を埋めるという、残された3人の苦闘が刻み込まれたアルバムだろうに。
 ドアーズはアルバム「フル・サークル」のリリース後解散したというが、1978年に「アン・アメリカン・プレイヤー」を出してるし、1980年には映画「地獄の黙示録」に主題曲「ジ・エンド」を提供してグループ名でクレジットされている。許諾を出す人がいた、つまりメンバーが了承したということだ。僕が聴くようになったきっかけもこの映画で、映画と前後してベスト盤が出たのを買った。「地獄の黙示録」は当時の大ヒット映画でテレビCMにも「ジ・エンド」がとても美しく使われていて、この映画がきっかけでドアーズを聴くようになった人は相当多いと思う。本当に幸いなことだった。コッポラ監督は大学でジムと知り合いだったというが、良い手向(たむ)けになったと思う。
 ともかくドアーズの3人はジム亡き後もドアーズとして仕事をしていたのだった。…それがジム抜きでは市場的にまったく評価されてない、今ではなかったことにされてる仕事であろうとも。

 wikiにはその後のドアーズの活動として、今世紀になってギタリストとオルガン奏者がドアーズを再結成したこと、ドラマーがそれに異議を唱えグループ名の使用差し止め訴訟を起こしたことなどが記されていた。この辺、メンバー間の行き違いが伺えて面白い。
 このようなことがあると、昔のバンドが今何をしているかがやっと世間に知れる。世間に知られなくても彼らは生き続けてきたし、日々暮らしていたわけだが、僕たちはそれを忘れがちだ。だが、栄光から遠ざかっても、芸術家たちは生き続ける。これは銘記しておきたい。
 このwikiを読んだのがきっかけで、昔好きだったバンドがその後どうしているか、やたらめったら調べてみた。これが非常に面白い。人間のダイナミズム、芸術の力、市場・商業主義の冷酷さなどなどが、昔の僕のアイドルたちの肩越しに立ち現れてくるようで。
 バンドは法人に似ているが、けっして法人ではない。代替わりして続くようなことは滅多にないからだ。かと言って、不可欠な個人の集合体、と断じるのも早計だ。バンドが続く、あるいは消え去る、いずれにもいろんな力学が働く。それをいくつか、僕の知ってる範囲で書いてみたいと思っている。


【追記】この文を書いたのはだいぶ前なのだが、当時はどこを検索してもドアーズ「アザー・ボイセズ」「フル・サークル」を購入することはできなかった。ところが、今Amazonを見ると、なんと、この2枚をカップリングした盤が売っていた! 急いで注文しましたとも。
ジム抜きドアーズ「Other Voices / Full Circle」
 Amazonのレビュワーさんが書いておられる通り、ドアーズの作詞作曲はキーボードのレイ・マンザレクかギターのロビー・クリューガーが主力で、ジムの作品は多くはなかった。僕はロビーのギターが特に好きだ。この人は超絶技巧もできる人だし、「ジ・エンド」のような不可思議で演劇的・空間的な音も作れる。ドアーズというとスターだったジムばかりが取り沙汰されるが、亡くなって四十年も経つことだし、ロビーのこともよろしく聴いてみてもらいたいです。
【追記】Amazonから届いたのでさっそく聴いたのだけど、残念なことに、出涸らしのような空虚なアルバムだった……。これは、売れないのもむべなるかな。ていうか、これ、作ってて辛かったんじゃなかろうか彼らは。


 さて気を取り直して。Amazonにはなかなか良い商品があって、格安にジム存命6作が揃うものがあった。しかも紙ジャケ。
ドアーズ(ジム在籍中)6作品セット
 これで2,775円! たぶん世界最安。
 僕が買い集めた三十年前は1枚1,500円でした。いやはや、デフレですね、二十一世紀は。

An American Prayer
 ジムの詩の朗読+音楽。朗読といってもNHKのラジオ番組のようなものを連想してはいけない。独り演劇のようにダイナミックでワイルド、かつ最後は泣けます。僕が聴いていたLPより曲数が多い。ボーナストラックがあるらしい。
 この作品は、ジム抜きのアルバム2枚と違って“魂”が入っている。ジムの死後つけたバックトラックも、演奏が生き生きとしている。オススメできます。

「ファストフードの無銭利用」で思い出した二、三の事柄

 午後六時、退勤時間の渋谷の繁華街は雨でごみごみしていた。某有名ファストフードの二階席もぐっと混雑の度合いを増してきた。
 窓辺で大判のテキストを拡げ、何か勉強していた女性の隣に、僕は座った。僕と彼女との間には空席があるが、スツールにはその女性のものと思しきボストンバッグが置いてある。バッグにはピンクのスパンコールがたくさんついていた。
 階段を上がってきた客の一人が「満席だな…」と呟いた。白いTシャツの店員が、荷物を席に置いた客に、荷物を下ろしてくれ、と順に頼んで回り出した。
 僕の隣の女性の所に来た。
「すみません、混み合っているので、お客様のお荷物はお足下に置いていただけませんか? それと、商品をお召し上がりでないようですが、ご注文はお済みですか?」
「あら、レジが混んでたから注文する前に席を取ろうと思って。何頼もうか考えてたとこなの」
「そうですか。店内大変混んでまいりましたので、こちらのお荷物をお足下に置いていただけませんか。それとご注文していただかないと」
「あたし、いつもこの店来てるけど、いつも席を取ってから注文するんです。これから注文しようと」
「でも本を拡げてお勉強してらっしゃいますね、ご注文なさらずにお勉強していたただくと、他のご注文いただいたお客様のご迷惑になりますので、やめていただけませんか?」
「でも注文する前に席を取るなんて普通でしょ? 他の店でもいつもこうしてるし」
 僕は、隣でいきなり始まった問答にちょっと驚いた。というより、このようなことが押し問答に発展すること自体に驚いた。
 白シャツの店員は、声を荒げないよう注意を払いながら、女性に話しかけている。女性は、そうしたいのかどうかわからないが、大きめの声で応酬する。女性の声は高いので、どう耳を塞いでも彼女の言葉が聞こえてしまう。一メートルほどしか離れていないから聞こえて当然なのだが。
 店員の言葉も、徐々にヒートアップしてくる。
「他の店はどうでも、今当店は大変混み合っておりまして、席がないお客様が大勢いらっしゃるんです。ですので、まず荷物に席に座っていただくわけにはいきません。そして、ご注文していただかないと困ります。ご理解いただけますか?」
「他の店ではいつもこうしてるのに、渋谷店だけダメなんですか。あなたの名前は何ですか。名札をつけてませんね。本部にメールしますから名前を名乗りなさい」
「私の名前はどうでもいいです。これは私個人のお願いではなく、店としてお願いしていますので。まず荷物を下ろしていただけませんか」
 なぜ、この店員の言葉が本部へのクレーム対象になるのか、僕にはまったく見当が付かなかった。
“モンスター”という言葉が脳裡をよぎった。
 コーヒーを飲んでリラックスした気分が僕の中から消え失せ、心がかき乱されるのが辛かった。こんなところで、奇妙な論理のかん高い声を延々聞かされる羽目になろうとは。
 他の席に移りたいが、空席はない。それこそ、空いてるのは僕の隣の、彼女がボストンバッグを置いた席だけだ。
「今は満席かもしれませんが、さっきまで店内は空いてたんです。だから座席に鞄置いてもいいかなって。そこもそこもそこも空いてたし」
「今は混み合ってまいりましたので、こうしてお願いしている次第です。当店は繁華街にありますし、お客様の流れは一瞬で変わりますので、さっきまで空いてても今は満席で座れないお客様がいらっしゃる状況です」
「ですから何頼もうか考えていたところですって。席を取ってから注文に行くのはそんなにいけないんですか。いつからそうなったんですか」
「注文する前にお勉強なさっていらっしゃいましたし、お座席にお荷物を置いていただきますと他のお客様が座れません。ご注文なさらずに席につかれますと、同様に他のお客様がご迷惑です。混雑時のお勉強も当店ではお断りしています」
「私は今までアルバイトとかいろんな仕事をしてきましたが、必ず名前がわかるよう名札をつけていました。なぜあなたは名札もなしに、私にいろいろ言うんですか。人にものを言うときはまず自分から名乗りなさい」
「何度も言いますが、私の名前は関係ないんです。今はご覧のように店内混み合っておりまして、お席のないお客様もいらっしゃいます。こちらの席に鞄を置いていただくと、お金を払って商品をお求めいただいたお客様にご迷惑がかかりますので」
「私、渋谷店でこのようなことを言われたと本部にメールするつもりです。席を取ってから注文を考えるのはいけませんか。失礼なことを言っておいて名乗らないとはどういうことですか。今日のこの時間のシフトに入っていた男性店員といえばあなただと特定できますか」
「名前を書かなくても今日この時間にこうしてお願いしているのは私だと本部でも誰でも特定できますから、それはご自由になさってください。とりあえず、他のお客様に迷惑ですから、鞄をどけて、下のフロアでご注文していただけませんか」
「私本部にメールします。いいですか」
 このようなやりとりが、混み合った店内で続いていた。僕はすっかりコーヒーを飲む気力を失い、呆然と隣の二人を見やった。
 女性は、いっかな店員に従おうとしない。店員は、あくまでもお客様に接する態度を保とうとしているが、額の血管がややピクついているように見える。はじめに店員から感じた人間らしい物腰や思いやりの雰囲気が、徐々に失われている気がする。いや、こんなことは彼にとって慣れっこなのだろうか、マシーンのような仏頂面モードになろうとしているのか。
「私本部にメールしますよ」
「その前に、何かご注文いただけませんか」
「ああー! うるさいっ! あんた早く出ていけよ。あんたの言ってることおかしいよ」
 僕は、隣で繰り広げられる緊張関係に耐えきれず、ついキレてしまった。女性の顔に指をつきつけ、そう叫んだのだ。
 一瞬、女性と店員は黙ったが、すぐに女性は口を開いた。
「私本部に連絡しますよ。名前を名乗らない店員から、こんなこと言われたって」
 女性を指さし、キレて顔を歪めている僕は、まるで存在しないがごとく、彼女は一瞬前までのやり取りに戻ったのだった。ワンクリックでテレビ録画を十秒前にスキップしたような、時間が狂った感覚に襲われた。
(しまった……こんなことしても何にもならなかった)
 再び押し問答に立ち戻る女性。女性に、席を立つよう求めるが決定打に欠ける店員。その横で無視されて呆然とする僕。
 これは三すくみですらない……僕の一人負けだ。
 もう、落ちついてコーヒーを飲むとか、都会の雑踏でちょっとの間のリラックスを求めるとか、この店を訪れた動機は消し飛んだ。不気味な押し問答に固執するこの女性の注意を、少しでも僕に向けさせ、僕が非常に不愉快な思いを蒙ったことを伝えたかった。
 僕は、手元の携帯電話のスイッチを入れ、カメラモードにして彼女に向けた。
 女性は、やっとこっちを向いた。こっちというか、彼女に向けた携帯電話を凝視した。僕のことは相変わらず見てくれない。
 店員の表情が、(ああ、これはマズいな。店内で他のお客さんを撮影するのはマズい…)と言っていた。
 僕は、画面をタップして、撮影するふりをして電話をしまった。
「いま私のこと撮りましたね。ネットに載せるんですね。私これから警察に通報します。通報していいですか」
「いいですけど、席を空けていただいて、ご注文してからにしていただけませんか」
「いいえすぐ通報します。私のこと撮りましたから、通報します。どうせネットに載せるんでしょう。2ちゃんねるとか」
 僕は自分がまた間違いを犯したことにやっと気づいた。
(僕はまた、彼女の違うスイッチを押してしまったのか……。とにかく絶対にここから動こうとしないんだな)
 僕は電話のスイッチを入れて、カメラモードを確認した。さっき画面をタップしたが、シャッターボタンは押していない。電話の中に彼女の画像は、たしかにない。この状態で警察官が来たら、僕はどうなるのだろうか。やっぱり肖像権侵害か何かで捕まるのだろうか。
「私通報します。本部にメールします」
 彼女は再び僕のことなんか意に介さず、店員の腰の低いお願いにも屈することなく、押し問答モードに戻っていた。
 いまやっと、僕は彼女をじっくりと見た。着ているものはユニクロというよりしまむらに近い。紫の薄手のダウンジャケットにはフェイク毛のふわふわがついている。バッグがピンクのスパンコールなのに合わせて、ピンクのパイピングだかワンポイントの入ったシャツ、わりと短いスカートから出ている足は痩せている。この恰好から年齢を当てられるほど、僕は女性一般にくわしくない。
 顔は、艶と張りがない、骨張って痩せた印象だった。化粧をしているようだが、潤いが感じられない。口の横には法令線が深く刻み込まれている。何か資格のための勉強をしているようだし、先ほどの押し問答では、アルバイトとか仕事とか言っていた、彼女の苦労の職歴が、頬に刻み込まれているようだった。二十代には見えない。だけど三十代なのか四十代なのかもわからない。何より、流暢にクレームのメールや通報を述べ立て、自分にはまったく非がないと主張している、ふてぶてしさが、彼女から若さを感じさせないのだった。
 僕は、自分が何度も大間違いを犯したことに気づいた。まず、彼女に、あんたがおかしい、と言ったのはまったくの無駄だった。彼女は、自分がやっていることはおかしいかもしれない、と思うような人ではなかった。
 次に、僕が迷惑を蒙った、不愉快な思いをしたことをわからせたかったが、カメラで撮影するふりをしたのも大間違いだった。そもそも、公共の場で知らない人間を撮影するのはマナー的に許されないことだし、撮影するふりも同じく許されないだろう。また、そんなことをして無理矢理彼女の注意を僕に向けたところで、彼女が僕の前から消えてくれるわけがない。彼女はそんな人ではない。
 何より、僕が座ってゆっくりしていたこの席の隣で、不愉快な押し問答が勃発したからと言って、僕が現座席の占有権を主張し、お前らここから去れ、ここは俺の席だ、俺がゆっくりする邪魔すんな、と申し立てることが、そもそも大間違いだった。
 ここは某有名ファストフードのお店で、座席はお店のものだ。僕のものじゃない。僕がここに居られるのは、コーヒー一杯にふさわしい短時間だけだ。その限度を超えて、自分の座席の占有権を主張するとなると、僕はいま隣でわめいている彼女とまったく同じ間違いを犯してしまうことになる。
 僕は荷物をまとめ、席を立った。
 去り際、白いシャツを着た店員さんに、「気持ちはわかるよ。がんばって……」そして「ごめんなさい」と言った。最後は蚊の鳴くようなか細い声になってしまったのでちゃんと聞こえたかどうかわからない。店員も、どう思ったか。客観的に見ると、変な客が変な客にキレて去って行った、というだけかもしれない。

 この有名ファストフードチェーンは、日本で開業した頃はどちらかというと高級なお店だった。カジュアルだけどおしゃれで、その分ちょっと高級、というのが80年代の僕らがこのチェーンに抱いた印象だ。
 90年代はファストフードが最後の輝きを見せた年代かも知れない。モスバーガーに続きフレッシュネスバーガーが台頭し、ファストだけど味気なくない、しっとりしたハンバーガーを提示してくれた。吉野家は業界のリーダーで、特盛りが一世を風靡した。バーガーキングなどの大物も海外から渡来したが、某有名ファストフードチェーンは、三段重ねハンバーガーをアイコンとして盛り場に君臨し続けた。
 2000年代に業界は大きく変動した。モノの価値が下落していくデフレが定着し、ファストフードも業界一位の会社がどんどん新顔に追い上げられ、凋落していった。僕が郷愁を感じる吉野家は三番手くらいになってしまったし、バーガーキングは日本から(僕にとっては池袋から)撤退した。我らが某有名ファストフードチェーンは創業者を失い、しばし迷走したが、異業種からやり手の社長を招聘して苛烈な値下げ競争を始めた。主力商品が百円を切り、80円とか60数円とかになり、ライバルは競争に伍する体力を失ってやがて一人勝ちが確定した。それから後の第二次黄金時代はみなさんご存じの通りだ。
 日本で一番稼いでいるファストフードチェーンだろうし、店舗の数も膨大だ。24時間営業の店も多く、またクーポンで気軽に無料利用できるため、本来ならファストフードなど立ち寄らない客層までも取り込んで、成長を続けている。
 そして、店内には、様々な客が溢れることとなった。
 平日午前中は営業マンが打合せをし、午後から子供たちが入り浸りWi-Fiゲームに興じる。夜は仕事帰りの人たちが去ると、行き場のないホームレスと思しき人たちがうつらうつらする。
 デフレの進行とともに、これも大きな変化だったと思うのだが、いつの間に顧客はお店の人よりもずっとずっと偉くなってしまったのだろうか。顧客は、自分が満足しないことを、お店に不満としてぶちまける。お店の落ち度だと言わんばかりに、お店の上位機構に直訴する、と言う。そう言うことで、お店に対してなんらかの譲歩を要求しているかのようだ。
 ついには、何も商品を買っていない、つまりお客ではない人から、お店は怒られるまでになってしまった。
 いったい、この国のお客様はどんだけ偉くなるのだろう。
 いや、お客様とか言っても、コーヒー一杯くらいでお客様ヅラして威張りくさっていいはずがない。
 いやいや、コーヒーだろうが新車一台だろうが、お客様はお客様だ。
 いやいやいや、新車買ったとか言っても、それを楯に威張りくさっては、みずから客としての品位を放棄したと同じではないか。
 誰も、誰かに対して、威張り腐ったり、尊厳を冒したりする権利は持ち得ないのではないか。

 雨の渋谷を歩きながら、そんなことを考えたとき、フッと彼女の気持ちがわかったような気がした。
 あの店員は、十分抑制して彼女に接していたが、それでも彼女には店員の指摘が苦痛だったのだ。
 あなたは何も注文していない、あなたは客ではない。あなたに、ここに坐っている権利はない。
 そう、真実を指摘され、彼女は赤面したのだ。とくに、周りにそれがバレてしまったことが、彼女をのっぴきならない苦境に追い込んだ。彼女がそれを認め、はいそうですね、と改めて注文したものを持って二階席に戻って来ることなんて、できっこない。そんな辱めにさらされて耐えられるほど、彼女のプライドは安っぽくない。
 だから彼女は、その場を動かず、徹底抗戦をした……んじゃないか。
 だから、僕がやったことは、すべて無駄だった。無駄どころか、より有害だった。すでに傷ついた彼女の気持ちを、さらに横から傷つけた、笑いものにしただけだった。見知らぬ人間から嘲笑されるなんて、こんなにも尊厳を踏みにじられることってあるだろうか。

 彼女はその後どうしただろうか。どこか場所を変えて、また大判テキストを広げて勉強の続きをしているのだろうか。
 二十一世紀のこの街では、金を払わずに腰を掛け、ちょっと本を読んだりする場所がとても少ない。公共の場所にベンチがあったとしても、東京のほとんどのベンチには、横たわれないように、ごつごつした仕切りがある。
 なんだか、巨大でぎすぎすした街だと思う。この街をそうしたのは僕たち自身なのだが。

【222】【業務用 訳あり】フライドポテト(1袋約1kg)
【業務用 訳あり】フライドポテト(1袋約1kg)

※このエントリはBLOGOSの記事「ファストフードの無銭利用キッズたちが示す「米国的雇用環境」」に触発されて、思い出して書きました。

なぜ?てゆうか、だからピンク・フロイド! InterFM76.1MHzの珍奇で楽しい一日に思ったあれこれ

 昨日、3月22日のインターFMは、「Why Pink Floyd?」と称して、朝から晩まで古いフロイドの曲が流れた。前宣伝を聴くと、もっとバンバン流れるものと思っていたが、曲数は案外と少なく、「バラカン・モーニング」で3曲、「グローバル・サテライト」で数曲、「ザ・DAVE FROMM SHOW」で3曲?、といった感じ。DJなしの有線みたいな番組「AUDIO SQUERE」ではけっこう流れたんだろうけど、午後から夕方にかけて外出して地下鉄で移動していたので全部聴くことはできなかった。残念。
 すごく良かったのは、23時からの特番「♫WHY PINK FLOYD...? 〜The Wall Special〜」で、一時間まるまる和久井光司のDJで「ザ・ウォール」をかけるという、なかなか当今では目にしない、珍しいものだった。とくに時間帯が良かった。僕は風呂に入りながら聴いたのだけど、湯船で「Confortably Numb」を聴くなんて最高に良い。たかがラジオの番組のくせに、こんなに素晴らしい体験ができるなんて、と感無量だった。Confortably NumbはThe Bad Plusのカバーも良いですよ)

 各番組のDJを聴いてる限り、リスナーもかなり盛り上がっていたようだ。そもそもインターは喋りの少ない洋楽専門局で、他局に比べて平均年齢が高いはず(まあラジオ自体が高齢者のメディア、という説もあるが)。僕のようにプログレに毒されて育った中高年が狂喜乱舞したことだろう。もう少し若いリスナーは、きっと「二十分以上ある曲(「エコーズ」のこと)なんてかけるなよ、無音部分まであるじゃん」と辟易としていたかもしれないが、絶対数では少ないであろうフロイドファンはメールだのツイッターだので大騒ぎして、盛り上がってるような印象を残したことだろう。若い人たち、ごめん。
 
 そもそも、なんでピンク・フロイドなのか? デイヴ・フロムがあっけらかんと「CDを売りたいからでーす」と言ってたけど、その通りだ。最近リリースが完結した高価なリマスター盤がある(こんなのとか)。その宣伝で、EMIが世界中で「Why Pink Floyd?」と銘打ったキャンペーンをやってるらしい。日本ではそれをインターでやった、というだけなのだろう。
 これでどんだけフロイドのCDが売れるのだろう。高価な「ザ・ウォール」BOX、特典にスカーフ付き、なんて今時の若い人は絶対買わないだろう。
 だが良いイベントだった。僕はラジオの魅力を再認識させられた。

 音楽は、iPodのおかげで完全にウェアラブルなものになった。音楽は衣服の一部として身につけた小さなデバイスに入っているもので、おそらく僕の年代の洋楽ファンはかなりの高確率でフロイドを標準装備しているはず。僕のiPodにも「モア」を除くスタジオ盤全部が入ってて、何か机で作業するときはよくシャッフルで流している。通勤中だろうが排便中だろうが、高度8000メートルでも、(その気になったら)ダイビング中でも、アラスカでもモルディブでも、いつだってどこだって数回クリックすれば聴ける。いまや音楽はユニクロのフリースより手軽で、ユニクロ製品と同じくコモディティ化したと思う。
 そういう、いつでも聴ける曲が、ラジオから流れるだけで、どうしてこうも気持ちが盛り上がるのか。

 FMラジオで時間を限定され、(電波が届く所という)場所を限定されながら聴くフロイドは、それはそれは気持ちに迫るものがあった。風呂に浸かりながら「コンフォタブリー・ナム」を聴いてて、「今これを聴いているのは僕一人じゃない、この瞬間に大勢が、同じリズムに躯を委ねているんだ」と感じた。このライブ感は、錯覚とか幻想に過ぎないんだけど、それでも良かった。ヒトが本来持っているコミュニケーション衝動を満たすような何かだった。
 とくに、和久井光司が「ザ・ウォールが出たとき僕はパンクに凝ってて、それと2枚組だから4000円もしたんですよ…(だから聴かなかったんだよね)」と言ってたのがすごく良かった。同じ時期に同じ曲を聴いていた、という共通体験ではなく、同じ時期に同じ曲を聞き漏らしたという体験! これは濃厚な一言だったよ。
 そう、60年代にデビューした伝説のロックバンドのうち、僕が中学高校だった頃生き残っていたのは、フロイドとストーンズくらいだった。ザ・フーキース・ムーンを喪って余生を送っていたし、ツェッペリンも最後のアルバム(「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」)を出して“終わった感”を漂わせていたし、ジム・モリソンやジミ・ヘンは死んで十年近く経っていた。そんななか、79年の「ザ・ウォール」は、伝説のバンドが現役感バリバリで大ヒットを飛ばす、という稀有な様を目の当たりにできた、貴重な瞬間だった……のだけど、中学生には4000円は高すぎて手が出なかったのだった。
 結局僕が「ザ・ウォール」を聴いたのはアラン・パーカーの映画「ピンク・フロイド ザ・ウォール」(1982)がヒットし、僕自身は大学に入った後の85年頃だった。その時はピンと来なかった。このアルバムが素晴らしいことに気づいたのは、実はつい数年前だ。

 優れた音楽は、いつどんな時代に、どんな場所で提出しても「素晴らしい」という評価を得る。ロックの名曲オールタイムベスト50あたりだったら、それが世に出たときでも、数十年後の今でも、排便中でも出産中でも試験中でも、新しい恋人と出会って高揚しているときでも、臨終の床にあるときでも、聴けば絶対良いはずだ。「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザ」「ノーウェア・マン」「ライト・マイ・ファイア」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「セレブレイション・デイ」「ホテル・カリフォルニア」……とかね(異論は認めます)。
 けれど、残念なことにヒトには様々に物理的・空間的・時間的・財政的な制約があり、運悪く名曲と出会えないことも多い。そもそも、僕だってロック名曲ベスト50とか(どんな曲が該当するのかわからないが)のうち、ちょっとでも聴いたことがあるのはたぶん8割ていどで、絶対に2割は知らない曲、趣味じゃないからと聴いてもいない曲があるはずだ。3割くらいは、聴いたことあるけど趣味じゃないから記憶してない、という曲だろう。知ってるし好きだ、という曲はたぶん半分くらい、買ったことある曲はせいぜい1割だろう。
 たとえば、レコードコレクターズ アメリカロック名曲100というリストを見てみる。ベスト50で買ったことあるのは2曲しかないぞ。初期アメリカ産ロックに偏ったランキングだが、それにしても趣味の合わないことよ。サム・クックとかピンと来ないし、実は僕はエルビスはちゃんと聴いたことない。
 偏りの少ないランキングは、たぶんRolling Stone誌の挙げたオールタイムベスト500なんだろうけど(本家のwebサイトは有料化されてて閲覧できない)、それにしたって気の合う曲は三分の一ほどにすぎない。僕はとくに偏食が激しい方なのかもしれないが、それにしたって「美味しいものがあっても、食べる機会は少ない」わけだ。

 自分でお金を出して音楽を聴くのは限界がある。僕が育った70〜80年代の田舎にはまだ貸しレコード屋も少なかったし、僅かな小遣いをやりくりして買ったアルバムを、友人たちと交換してテープに録っていたのだ。あとはラジオ。NHK-FMの午後「軽音楽をあなたに」と、夜の「渋谷陽一サウンドストリート」だけが頼りだった。とくに前者は、毎回特定のアーティスト、アルバムを特集で流してくれるので、まとめて録ると名作アルバムの半分くらいが聴けるというお得な番組だった。ZEPやシカゴはこの番組で録ったテープが長らく僕の唯一の音源だった。彼らのアルバムをお金出して買えたのは十年以上後、就職してからだ。
 中学生のとき、お金を出して買ったのはエマーソン・レイク&パーマーだ。ああ、白状するけど僕はプログレ少年だった。恥ずかしい。
 なぜプログレ好きが恥ずかしいかというと、プログレッシブ・ロック(進歩的なロック)という絶妙の惹き句にイカれ、自分はそんじょそこらのロック好きより先進的なんだぞ、という自負があったからだ。今考えると、醜い選民思想的な、思い上がりも甚だしい話で、何より「プログレ」に分類されたアーティストたちに申し訳ない。彼らはきっと、自分たちはプログレッシブだ、なんて思ってはいなかったろうからね。
 若い頃にありがちだけど、何を聴くか、何を聴かないかを以て自分のアイデンティティを主張することがある。それは仕方のないこと、なかなか避けられないことなんだけれど、やはり愚かなことだ。
 最近僕はこう考えている。音楽なんて食べ物と同じで、いろんな国で取れるいろんなものがあり、偏食せずに食べてみればいいのだ。他国の人が美味しく食べているものは、たいがいあなたが食べても美味しいものだ。なかにはシュールストレミングみたいなのもあるけれど。
 それと、「先進的だから良い」という感覚がまた、音楽に対して失礼だった。評価が先にありきで、僕が聴いていたのは音楽そのものじゃなく、「良い評価の音楽を聴く自分」に酔っていただけなのだった。そこには音楽が不在、あるいは音楽そのものが希薄だ。もっと音楽そのものを聴かないと、と最近の僕は思う。

 でもまあ、エマーソン・レイク&パーマーは良いですよ。中学生臭いですけどね。当時はリアル中学生でしたから。乏しい小遣いで「展覧会の絵」「タルカス」「恐怖の頭脳改革」とかを聴いた。同級生と交換してボストンやクイーンを貸してもらった。
 高校に上がった80年は、レコード会社各社がちょっと古いアルバムを廉価で出し始めた。2500円のアルバムを1500円とか、4000円の2枚組を2500円とか。これでやっと僕も名盤に手が届くようになった。まず買ったのはザ・フー「トミー」「フーズ・ネクスト」とか初期のシングルを集めたのとかも。リリースから十年そこそこでこれらを聴けたのは良い体験だった。日本ではフーはマイナーで、トミーや「四重人格」の盛り上がりもかなり遅れて波及してきた。田舎町にケン・ラッセルの映画上映会も来た。行けなかったけど。
 ストーンズのデッカ時代のアルバムも安くなってたし、エレクトラも安売りしたのでドアーズを買った。ドアーズは映画「地獄の黙示録」日本公開に併せてベスト盤が出たし。
 でもいちばん熱狂したのはキング・クリムゾンだ。アトランティックの安売りで買ったのだと思うが、ベスト「ア・ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・キング・クリムゾン」は素晴らしい盤だった。2枚組の中に「クリムゾン・キングの宮殿」「レッド」がほとんど入っているというね。「太陽と戦慄」「暗黒の世界」とかも買った。「暗黒の世界」のジャケットはものすごく印刷が凝っていて、1500円でこれが手に入るというのは、もう感激だった。作品は難解でよくわからなかったけれど。
 僕はセンスの悪い、遅い子だったので、こうして評価の定まったバンドを追い掛けてばかりだった。それと、最新の新譜は高いので買えなかったのだ。裕福な友だちは、当時伸びてきたブルース・スプリングスティーンやエイジアを買って聴いていたので、貸してもらった。

 大学に入り、2年目にライブハウスでアルバイトを始めた。この店は現在もバリバリやっている(岡山ペパーランド)。当時は昼間は喫茶だったので、ウェイターとして働くうち、マスターが身銭を切って買う大量の最新音楽を浴びるように聴くことができた。85年頃全盛のオルタナティブ、パンクや、ハードコア、そしてブルガリア女声合唱なんかも。今でもよく覚えているのは、85年春の大ヒット作、ストロベリー・スイッチブレードと、レナード・コーエン「バリアス・ポジション」だ。この2枚はほんとよく聴いた。マスターは「一番新しいものをまんべんなくかけろ、趣味に走るな」と我々バイトに厳命していたが、僕らはこっそり古いレコードを出してきて「今日はレナード・コーエン特集だ」とかやってた。すみませんマスター。
 やっぱり旬の音楽を最盛期に聴くのは良いものだ。そのときの空気を記憶していられるのは、幸せなことなのだ。
 そのようにして、僕はこの店で、クレプスキュール、インダストリー、といったレーベルを教えてもらい、タキシード・ムーンとかデス・イン・ジュンは今でも大好きだ。店の同僚たちはバウハウスノイバウテンデペッシュ・モードを好んでたし、坂本龍一矢野顕子も支持が厚かった。僕はやっぱりちょっとピントがずれている。

 就職して給料をもらうようになると、僕は狂ったようにCDを買った。ライブハウスで最新の音楽を浴びるように聴けた、といっても、そこはやはり他人が選んだ音楽だ。自分のお気に入りを自分の裁量で買い集める幸せったら、何ものにも比べようがない。僕はボブ・マーリーなどレゲエに走り、当時池袋にあったクラブに行ってみ、ジャパン・サンスプラッシュのチケットも買った(急な仕事が入って行けなかったけどね!)。あと、ライブハウスではほとんど聴かなかったアメリカのロックを聴くようになった。アリス・クーパーとかね。ほんと僕はいつまで経っても中学生臭さが抜けない。会社の同僚からトッド・ラングレンニール・ヤングを教えてもらった。教えてもらうとタワー・レコードに直行してすぐに買う、なんて浪費をしたのも楽しい思い出だ。

 その後病気をしてまったくロックを聴かない(聴けない)時もあり、バッハばかり聴いてたこともあった。治ってハマッたのは民族音楽・宗教音楽だった。沖縄民謡とかもね。まあそんなふうに今に到るわけだけど、近ごろインターFMを聴くようになると、どうしても最初に刷り込まれたロックが意識の表層に上がってきがちな自分に気づく。まあインターには、古いロックに固執する年寄りのDJが多いせいもあるけど、どうもツボに嵌まる古い曲がよくかかるのだ。それでついつい“失われた時を求め”てしまう。のべつまくなしに人の口にマドレーヌを突っ込むようなことをしてもらうと困るな!>インターFM
 くだらない思い出話が長くなってしまったけど、さてピンク・フロイドだ。

 僕はフロイドは「狂気」が最大のピークで、他の作品は序曲であり、「炎」や「アニマルズ」はおまけにすぎない……と長らく思っていた。中学生の頃はまだ「ザ・ウォール」は出てなかったし。古いファンには、同じように思ってる人は案外多いんじゃなかろうか。
「狂気」は十何年もチャートに入っていたとか、全米で1500万枚、全世界では5000万枚売れたとか、伝説の多いアルバムだ。僕もあるときまで、「これはロックの名盤だ」と思って聴いていた。だが、会社員時代のあるとき、フッと気づいたのだ。
 このレコードがこんな多く売れた、多くの人に聴かれたのは、これが「ロックの名盤」だから、なんて関係ないんじゃないか。「ロックの名盤」を聴く人っていうのは、せいぜい数百万人規模でしかないのではないか。(んー、AC/DCが何億枚も売ってるって反証もありますけどね)
「狂気」は長い年月、コンスタントによく売れている。ロックを聴くようになった年代の子が毎年新たに買っている、のか……いや、こんな古くて地味なアルバムを、若くて小遣いに乏しい子が、最優先で買うだろうか。それに、フロイドの他のアルバムはこんな売れ方はしていない。なぜ「狂気」だけが長く売れるのか。
 もしかすると、ロックファンでない人が買っているからじゃないか? 「ロック」として聴かれていない可能性があるんじゃないか。
 こう思ったのは、会社で徹夜が続いていた時だった。
 会社の隅で仮眠しようとして眠れず、なんとなくラジカセでうっすらと「狂気」を流しながら横になった。眠れないまま目を閉じると、ゆったりとしたリズムとたゆとうギターに誘われ、走り回る足音に脳をかき乱され、段々と周囲への注意力が失われていく。途中、目覚まし時計にびっくりしたり、レジスターに邪魔されたりするが、アルバム後半になると一定のモードを保ちつつ、気持ちが急速にアゲられていくのに気づく。そして、最後の「日食」が終演すると、たった四十分横になっていただけなのに、素晴らしく気持良く起き上がることができたのだ。
「狂気」は、睡眠導入・覚醒、どちらにも非常によく効くクスリだったのだ。
 このアルバムは、「ロックのレコード」としてではなく、「眠れないときに良いよ」というクチコミで売れてるってこと、ないのか。広いアメリカの老若男女が長い年月聞き継いでいるのは、こういう理由じゃないのか。
 ビニールレコード時代、アメリカの家庭にはオートプレーヤー、とくにオートチェンジャーがかなり普及していた。日本ではピックアップが自動で戻るタイプがせいぜいだったが、アメリカの一般家庭には、長いスピンドルに何枚ものレコードを刺して、一枚が終わると次の一枚が滑り落ちてくるタイプが普通にあったのだ。贅沢なことだ。だから、「狂気」を2枚買って、A面、次にB面とセットすれば、入眠効果安眠効果どっちもばっちりだ。アルバムの売れ行きも倍だ……っていうのは僕の妄想ですけど。
 不眠に悩んでいる人がいたら、ぜひ一度「狂気」を聴きながら床についてみてほしい。僕が感じたソレを他人も同様に感じるかどうか、ぜひ知りたい。

 ところで、諸悪の根源である“プログレ”という言葉だが、僕は最近、あんなものは実は存在しなかったんじゃないか、と疑っている。キング・クリムゾン、イエス、EL&Pジェネシス、そしてピンク・フロイドだっけ。プログレ5大バンド?
 しかし、これってどうなのか。たしかにフロイド以外のバンドは交友・交流関係があり、指向もなんとなく似ている、コンセプトアルバムや組曲が好き、という共通点もある。じゃあ、同じように組曲が大好きで劇的にシンセサイザーシーケンサーを導入したザ・フーはなぜプログレと呼ばれないのか? あるいは、ちょと筋がズレるけど、ケイト・ブッシュプログレに系統づけられるとしたら、なぜエンヤをプログレと呼ぶ人はいないのか? しょーもない疑問がいろいろ湧いてくる。
 5大バンドとかいうけど、フロイドは他のバンドと違って基本がブルーズにあり、超絶技巧に走らなかった。いや、技巧というのは自分がイメージしたものを実現するための力だから、手先のテクニックに限らない、長く辛いスタジオワークをこなす体力や、バンド経営の力も音楽家の技巧の一つだ、と言うなら、フロイドはやはり素晴らしい技巧の持ち主たちではあるが。
プログレ”という余分なラベルを剥がしてフロイドやクリムゾンを聴くと、非常に心地好い。僕は最近、フロイドは「ちょっと変わったブルーズを演奏するバンド」と思うようになった。「原子心母」のB面の気の抜け方と、キング・クリムゾンアイランズ」の頼りな〜い感じ、なんか似てませんか。あの時期はクリムゾンがブルーズ・バンドだった貴重な瞬間なのではないか、とこれまた疑っている。

 優れた音楽、劣った音楽の区別差別は、残念ながら存在する。くだらない音楽は断じてくだらない。だけど、優れているからといって、なおさら優れている、他の音楽よりも際だって優れている、と自慢する必要はない。高尚だとか、難解なものを理解できるとか、聴いてる人が少ないとか、そんなことは自慢にもなんにもならない。ピーター・バラカンのように「これも良い曲ですね」なんてさらりと言って、楽しく聴けばよいだけだ。
 昨夜のインターFMは、楽しい体験だった。こういうことがまた起きればよいな、と思う。

 恥ずかしいので内緒だけど、中学生の僕がピンク・フロイドを“先進的なロック”と誤解した理由が一つある。レコードを買えなかった僕は、彼らのバンド名をPink Freudだと思い込んでいたのだ。そう、当時ジークムント・フロイトは「フロイド」と表記されていたんです(角川書店とかね)。それでアルバム題名が「狂気」ですから、あまりにも曰くありげでしょ。
 まさか、二人のブルーズマンの名前をつなげたバンド名だとは思わなかったよ。















※ただのアフィリエイトですけど、自分のブログに偉大なレコードのジャケットを貼りつけるのは気持ち良いなー。

追記。昨日のインターFMで一番面白かったのは、なぜかキャンペーンに参加せず一曲もかけなかった「BAM!」。DJのジョージ・ウィリアムズは英国で小学生だったとき、バス旅行で「We don't need no education♪」などと子供たち声を合わせて歌っていたという。昔からある唱歌だと思ってたらしい。なるほど、超大ヒット曲っていうのは思いも寄らぬ波及をするもんなんだね。ライブ8で「この曲はアフリカの子どもに贈りたくない」と言ったというデイヴ・ギルモアの挿話も僕は好きだ。