新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

本を出す、ということには今でもためらいがある

僕は会社員時代、本を作る、あるいは本を売る、という仕事をしていた。会社を辞める際にはブログを本にして出してもらう、という幸運にも恵まれた。

だけど、その間ずっと、本を出すということへのためらいがあった。諸手を挙げて大賛成、自らすすんでプロモート、という感じではなかった。

とくに前回(2010年)は、書いたブログが話題になり、早い段階で何人もの方が「本にしませんか」と声を掛けてくれた。彼らの熱意に寄り切られる形で、本のプロジェクトに加担してしまった。

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最終的に新潮社の郡司さんチームにお世話になることにしたのだが、それについては先に声を掛けていただいた方に不義理をしたり、いろいろ多方面に申し訳ないこともした。

ただ、それには僕の計算もあった。

僕の本はリスキーだ。商業的にリスキーという点もあるし、いちおうというか業界大手出版社の内情を暴露する、よろしくない本なのだ。刊行することで僕だけではない、関係者が業界でよろしくない立場に立たされることは十分ある。

本の刊行で迷惑を掛けるなら、なるべく大きい会社に迷惑を掛けよう、と僕は小賢しく計算した。

新潮社のチームは、僕の目論見を超えて、悪評にもびくともしなかったし、献身的にプロモートしてくれた。とくに宣伝とパブリシティに関してはおそるべき力を発揮し、何誌・紙のインタビューに答えたのか記憶がないくらい、いろいろセッティングしてくれた。かつて「フォーカス」で辣腕を振るった方が宣伝でやはり辣腕を振るったのだと聞いた。こういう経験ができたのは本当に嬉しかった。

そして、新潮社は太っ腹にも、「ブログは公開したままでいたいんですが」という我が侭も許してくれた。このせいでだいぶ売れ行きが落ちたはずだし、申し訳なかったと思うが、今でもこの判断は間違っていなかったと僕は思う。

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あの時も僕は、自分の本が刊行される、ということについて強く信じることができない、何か深いところでの懐疑があったのだ。信じるとは、刊行可能か、刊行されるかどうか、ということではない。刊行する意義があるのか、ということだ。

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小さな出版社、一人出版社がいくつも勃興しているという。スマッシュヒットも生まれているという。たとえば出版社「鉄筆」は光文社で一緒だったこともある渡辺弘章氏(書籍販売部で彼は部長、僕は部下だった)が一人で起ち上げた版元で、白石一文の文庫でヒットを飛ばし、辺見庸ラグビー関連のノンフィクションを継続的に出している。いずれも他ではなかなか実現しないだろう企画だし、個人が出版しているポリシーを感じさせる、気骨のある企画だ。こういうのは、たとえ斃れたとしてもこれらを世に問うた意義はある、と言えるのではないか。もちろん斃れない要慎を重ねていることもしっかり窺える。

一人出版社は絶対に楽ではないだろう。だけど、一人でしかできない、このご時世だからこそ一人でやりたい出版というのがあるだろう、それもよく伝わってくる。

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今度の『その後のリストラなう』も、一人出版社からの刊行となる。リソースも、機会も、戦力も限られた、乏しい、ゲリラ戦の出版社だ。大手と違って、切れば血の出る小さなチームだ。余裕はない。

そういう処の貴重な資源を費やして、敢行していい作戦なのか。僕は終始この懐疑が離れなかった。もちろん、原稿に関しては一所懸命、可能な限り誠実に手を入れたのだけど。(まだつづく)