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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その27 下々から見た“大殿様”とその時代 前編

 いま書店で売ってる「群像」の連載小説「日本文学盛衰史」(高橋源一郎)を読んだ。冒頭に「リストラなう」とあって驚いた。ていうか、何割かはこのブログの引用で、何割かは佐々木俊尚さん『電子書籍の衝撃』の引用じゃん。これで小説なの?とまたちょっと驚いた。ブログならトラックバックが届いて引用されたらそうと知れるが、紙の出版物はTBしてくれないんだね。こりゃあ衰亡するわけだわ。
 いやブログの文章なんてパブリックドメインなのかもしれないよ。けどTBするって慣例と機能があって、それが何かを担保してると思うんだ。紙の出版物にはそれがない――のか? 早くも紙メディアの限界が露呈されているのか? なーんて考えたが、まあどうでもいいことなので置いとく。とりあえず、今度高橋源一郎の文章を引用する機会があったら思いっきり連絡せずに引用しようと思うが、そんな機会も興味もないのがちょっと残念か。
 そんなことより、一昨日見たNHK大河ドラマ龍馬伝」の、武市半平太山内容堂との残酷な映像が脳裏から離れない(第十九話「攘夷決行」)。攘夷の実行が空砲に終わって土佐一藩どころか朝廷をも動かす権力の絶頂にあった土佐勤王党盟主・武市半平太が転落を始める。前藩主・山内容堂が冷酷に掌を返し、武市から次々と力を奪うよう同志の間にくさびを打ち、武市を追い詰める。だが武市はあくまでも「大殿様」と容堂を慕い、忠義を尽くそうとする。この壮絶な片思い。
 僕は最初、半平太の姿が自分の一部にダブってしかたがなかった。だがよく考えると、半平太は全然僕っぽくない。失礼、歴史上の偉人を勝手に自分とダブらせるなんて自我が肥大してますね、すみません。だけどドラマを見るってそーゆーもんでしょ。だから少々自意識過剰なのはお許しを。
 半平太みたいな熱情・至誠・陰謀の人を僕は身近には知らない。もちろん自分もそんな器じゃない。だけどどうにも彼の姿には惹かれるものがある――それが何か、今日、わかった。
 彼が“大殿様”容堂に対するときのおそろしいまでの低姿勢が、似てるのだ。何にって? 僕らの会社の“大殿様”への姿勢に。そっくり。今夜はその話をしたい。


■大殿様の登場
 現在から見て先代(失礼、先々代と書いてましたが間違い。一代前です)の最高経営責任者、仮に“大殿様”と呼ぼう。彼は九〇年代中頃、徐々に低迷が見えてきた会社を救う「最後の名編集長」出身者として経営陣の一角に就いた。なんで最後の名編集長って言うかというと、この会社を大いに繁栄させる原動力となった女性ファッション誌を次々創刊したという、大きな大きな成功体験を持つ最後の人物だったからだ。
 彼には様々な伝説がある。黒いぞろりとしたファッションが流行っていた頃、明るいキャンパスを闊歩する女子学生たちを主役にしたファッション誌を創り、街の風景を明るく変えた、とか。次に超ハイソ(当時はハイソなんて言わなかったかもしれんが)なファッション誌を創り、日本のファッションの世界に海外上流階級への志向――当時の我が国には薄かった階級という観念?を導入した。さらに家庭に籠もらざるを得ない若い主婦を主役にしたファッション誌を創り、彼女たちを美しく着飾らせ、またまた街の風景を変えた……などなど。
 耳に入る言動も伝説的だった。いわく、「編集部員は世田谷に住め! そうでなきゃファッション誌なんか創れん!」だとか。「タクシー乗ったら西だの東だの言うな! そんなのは田舎者の言いようだ。都会人なら『なんとか通りを右』って言え!」だとか。料理のページを校了しようとしたら「スープの質感が出てない! 再撮!」だとか。これはかなり怖い。タイトな日程で働いてるのにそれをぶち壊して組み直して、スープひと皿の写真を再び撮るのはどれほど骨が折れることか。
 彼は教育者として非常に優秀で、彼と同じセオリー、ノウハウ、厳しさで誌面を創る編集者たち――教え子たちの集団は彼の名を冠して「○○学校」出身者、と呼ばれた。
 新しい世紀を迎えようという頃、次期社長は誰か?という話題では「彼しかないでしょう」「もし彼が独立するって言ったら引く手あまただろうし、そうなると会社は一気に傾くでしょ。絶対彼でないと」と誰もが口々に言ったものだった。
 世紀が替わる頃、彼は下馬評通り最高経営者に就任した。入れ替わりに退任した先々代(当時)の最高経営者は「社員が何もしなくても五十年は給料を払い続けられる」ほどの額の内部留保を残したと言われる。カネはあるがビジョンがない、ポリシーがないとされた会社を、名編集長だった彼がどう変えるか、社内外は固唾を呑んで見守った。
(ここから先、資料を用意せずに僕自身の記憶のみで書き進めるので、重大な漏れがあったり時系列の混乱があるかもしれません。心ある方、ご指摘いただければ幸いです)


■大殿様の統治
 僕は大殿様(正確に言うと現藩主だとこう呼ばないだろうが、便宜的にずっとこう呼ばせてもらいます)の任期八年のあいだ、編集から宣伝へ、そして営業へと異動した。その間、大殿様にお目通りすることが何度かあった。まあ、ありていに言って武市半平太のようにひたすら平伏していたわけだが、お菓子をもらったことはなかったナ。
 まず最初に大殿様がやったのは、女性週刊誌の再生だった。編集長人事をして大きく誌面を刷新させた。だがこれはどうもうまくいかなかったようで、すぐに次のリニューアルが行われた。
 次に長期低落が続く男性週刊誌の抜本的改革に乗り出した。現場に向かって矢継ぎ早に改革案を出させ、圧力をかけたが、長い議論を尽くした現場から出てきた案は結局現状維持に近いものだけだったらしい。大殿様は怒り、禁断の伝家の宝刀を抜く。「休刊」だった。
 次に社内から精鋭を引き抜いて新しい週刊誌を創刊した。伝統的な男性週刊誌の活版+グラビアスタイルではなく、オールカラーで判型も「AERA」と同じグラフ誌体裁。だけど「AERA」よりももっとポップでもっと格好良い提案ができる週刊誌を目指した、らしい。らしいというのはこの間僕はうつ病になって会社を休職したり異動したりしたので、あまり誌面を見てないのだ。いや休んでたのはそんな長い間じゃなかったんだけど、雑誌が出てた期間もけっこう短かったので、結局あんまり読まずに終わった。
 このグラフ誌は某巨大広告代理店の提案で生まれた、という噂があった。どんどん大きな広告を入れられる容器として。派手な消費の牽引車として機能する雑誌として。三十代ヤング中年層を囲い込む圏域として。だが想像以上に市況は厳しく、「AERA」における働く独身女性のような、中核読者層を獲得できぬまま、創刊誌は低迷を続けた。そして一周年を待たずして休刊が決定された。
 創刊、短期間でのリニューアル、休刊というめまぐるしい動きは相当な出費を伴ったと思う。十数億だかの赤字が発生した、との噂もあった。そのていどで済んだのかな?という気もするが、数字は非公開なのでわからない。ただ、けっこう長い歴史のあった男性週刊誌の休刊に続く大型休刊だったので、人事面で会社は大きく傷ついたと思う。というのは、人事というのはコストがかかるのだ。再配置・再教育・業務の見直し。それはいま進行中のリストラでも同じことが起きるわけで、今回僕たちの人件費をカットしてもその後の人事でそれを上回るコストがかかるような危惧を感じる。
 話がそれた。続けよう。
 大きな休刊で社内は大変バタバタしたが、当時の社全体の売上は実はものすごいものがあった。月刊ファッション誌が売れて売れて大好況だったのだ。大恐慌じゃないよ。
 まず、大殿様が若い頃創刊した学生層ファッション誌が、半ミリオン以上をつねに売り上げていた。刷り部数に対する仕上がりも驚異的で、九〇%を超えることもあった。さらにその上のOLファッション誌(超ハイソ生活スタイル誌はいつの間にかOLに向けた、手の届く範囲の物を扱う雑誌になっていた。これは表紙モデルさんがとても愛らしくて好きだった)が好調。
 その上の主婦ファッション誌も、流行語を連発して絶大な支持を得ていた。集広も好調で、広告業界的にまったく新しい市場を創出したと大きく評価されていた。また、大殿様が最高経営者になる直前に創刊した男性月刊誌は、これまたハイソな富裕層だけを対象にして成功していた。部数的にはさほど大きくなくとも、大殿様の独創性・先進性・創作物への鋭敏な感覚を象徴する業績として輝いていた。
 こうした好況のおかげで、創刊週刊誌がなぜ失敗したのか、将来の問題点は何か、議論を尽くすこともせず、会社の一同は上も下も、束の間の繁栄を楽しんでいたのだった。


■大殿様、ご乱心?
 僕は宣伝セクションに異動して、これら絶好調の女性ファッション誌の宣伝物制作を担当していた。これは非常に面白い仕事で、それまで地味な書籍の世界しか知らなかったのが、会社内にこんなに大勢の異能の人たちがいると知り、また女性誌という特別な世界の一端を垣間見ることができて本当に興味深かった。また宣伝担当は大殿様が臨席する毎月の会議にも陪席したので、直接彼の言動を見聞きする機会を得た。
 あるとき、学生向けファッション誌の御前会議で大殿様が絶好調の雑誌に重々しく苦言を呈した。いわく、「清楚じゃない」「雑誌の根本理念であるコンサバじゃない、」「原点に戻らなければいけない」と。
 たしかに当時の同誌は創刊時のお嬢様路線ではなく、どっちかというと派手でおきゃんな誌面だった。人気モデルはJリーグのスター選手との仲が噂され、それもまた人気の一翼を担っていたみたいだ。またアメリカの大富豪姉妹を日本に紹介したのも同誌だったと思う。今では彼女たちはすっとこどっこいで芸のない、だけど笑える勘違いアイドル、いわゆるおバカセレブみたいになってしまったが、当時の彼女たちの扱いは地上に降りた美神みたいだったなあ。これも勘違いだったと思うが、人気は高かったし面白かった。
 どうも大殿様にはこれら全部が気に入らなかったようだ。さらに「醜い誌面で売れるより、少ない部数でも美しい誌面でいる方が良い」「いま手を打たなければ将来に禍根を残す」と言って、刷新人事が断行された。粉骨砕身して大部数を維持していた編集トップを更迭したのだ。
 雑誌には奇跡のような旬というものがある。同誌がトップだった頃二番手に甘んじていた他社の雑誌が、何人かのスターモデルの出現でブームを起こし、入れ替わりのように社会現象となっていた。こっちの雑誌は編集トップが次々と交代し、違う人が跡を襲うたびにリニューアルを繰り返し、部数は低迷していった。だが大殿様は「これでいいのだ」とどっしりと構えていたらしい。
 人事がなくても、同誌は寿命を迎えていたかもしれない(大殿様の言う通り?)。いややはりトップ交替は致命的だったのかも。どっちが正解なのかはわからない。はっきりしているのは、部数低下を食い止めようと会社が打った手はすべて空振りだった、ということだ。ずいぶん経って気がつけば、部数は競合誌すべての後塵を拝していた。
 同時期、主婦向けファッション誌からさらに上の世代に向けた雑誌が生まれた。これが創刊からしばらくして大きなヒットとなった。成功の果実は甘い。同じ籠には苦い果実や傷んだ果実も盛られているけれど、それらに目を向けるのがばからしくなるくらい、甘い。
 雑誌は部数だけで判断するんじゃないよ、という見方もあるだろう。先鋭的なものはそれなりの数の読者しか得られないけど、先鋭的であることに価値がある、ということも。だけど残念ながら、苦境の学生向けファッション誌はもっとも大衆的な層を狙うべき、艦隊で言えば主力だった。フリゲート巡洋艦がいくら戦果を上げても肝心の戦艦がめった撃ちでは、艦隊決戦の勝敗はどっちかというと負けだろう。
 どうも会社は、大殿様は、このへんの戦略眼を思いっきり無視していたような気がする。いや、それは会社の下々である僕らもそうだった。(つづく)
※すごく長くなったのでいったんここで止め、後編に続きます。