新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その5 2次面談は本気度UP!

 昨日のエントリーに「自分に酔ってる感じ」というコメントを寄せてくれた人がいて、ハッとした。そう、たしかに僕は自分に酔っていた。ごめんよ。
 でもね、自分の書いたものが何千人に読まれ、反応が寄せられ、「本にしませんか」なんて申し出を受け、挙げ句の果てに昔から畏怖していたノンフィクションライターに「文章がいい」なんて褒められると、誰だって酔っちゃうと思わないかい? ええ?(と逆ギレ)。
 だからといって酔っぱらった文章晒していいわけじゃないけどね…。
 子どもの頃から作文を褒められるのは嬉しかったんだ。大人になるとそんな機会はついぞなかったし。嬉しかったんだよう! 会社で評価されなかった分、見知らぬ人から褒めてもらえるのが!
 ……はっ。また醜態を晒してしまいました。すみません。
 では今日もエントリを一つお送りします。「2次面談」です。


■本日、2次面談終了
 今週は月曜から金曜まで、対象者の2回目の面談だった。僕はそそっかしくも早々に「辞める」と宣言してしまったのでなんとも残念なことに2次面談自体がなかった。なんだか、みんなが進学相談受けてるのに一人だけ就職する高校生みたいだぜ。って違うか。失業するんだから逆か。
 今思うともったいなかったな。せっかくだからこの機会に経験しとけばよかった……って、あまりに野次馬っぽいですかね? すみません。
 こんな能天気なやつは蚊帳の外に置いて、着々と2次面談は進んでいったらしい。いや、着々と、とはいかなかったというか。伝え聞くところによると、1次面談を上回る修羅場が繰り広げられたようだ。
 1次面談は、今回の臨時措置の説明と、優遇制度の具体的な提示までだったので、質疑で長くなるとはいっても対象者のストレスはさして強くなかった。だが2次面談は、会社と対象者たちの真剣勝負の場である。なにしろ、来週から始まる応募期間に先立って、会社側は応募者の「票読み」……応募数の見通しをしなければならないからだ。
 2次面談でも、1次と同じように総務の偉い人と、自分のセクションの偉い人の2人が対象者を面接した。まず「会社提案について、あなたのお気持ちはいかがですか?」と尋ねられるらしい。そこで「もうちょっと検討したいので来週(応募期間になってから)お返事します」、あるいは「はい、お受けします」と答えたら、面談は終了だという。そりゃそうだよな。OK、あるいは脈あり、ってことで。
 だが「残ります」と答えたらちょっと違うコメントがもらえるらしい。
「残念です…会社再建のプランにご賛同いただけませんかそうですか」
「あなたなら社外でもきっとご活躍なさると思うのですが」
「今と同じ職場に残っていただけるとは限りません。ご希望でないセクションに配置転換となる可能性も」
 ……なんか聞いたことがある台詞だな、と思ったら、前に読んだリストラの本にそっくりな文例がいくつも載っていた。ま、こういう台詞に独創性を発揮されても困るわな。きっとそういうテキストがあるんだろう。こういう場での問答は後々問題になることもあるだろうし、当たり障りのない問答集が開発されて売られてるのに違いない。
 こういうの絶対、面談する側もしんどいよな。自分の言葉で語ることが許されない時間だもん。自分の意志を奪われた時間、とも言える。いわば“奴隷の時間”だ。
 是が非でも会社に残ろう、とすることは、ずっと“奴隷の時間”が続くのを受け容れることじゃないのか——? 僕はそんな感じがした。いや、言い過ぎだ。死ぬほどの努力をして残ろうとする人を奴隷呼ばわりするなんて失礼きわまりない。やっぱり僕は思い上がってる。


■例の「リスト」はあるのか?
 気になるのは、ものすごく短時間で終わった人がけっこういる、らしいことだ。しかも、その人たちは「お受けします」と答えたわけでもない。「どうですか」「まだ考え中で」「じゃあ」という感じで放免されたという。
 それって、会社が「この人は“辞めます”という返事をもらうつもりがない」=辞めてもらいたくない、と考えてることじゃないのか? ……僕ら対象者は、ひそひそ話でそういう結論に達してどよめいた。
 やっぱり、「辞めてもらいたいリスト」あるいは「引き留めたいリスト」はあるのだろうか?
 それは、噂の「五十人リスト」と同じものなのか。
 何を基準にリストアップしたのか。
 そして、(たぶん)対象者全員の最大の関心事は、「自分はそれに載っているのか?」だろう。
 僕もそれにはちょっと興味がある。
 けして優秀とは言えない半端な営業マンだった僕を、会社はどう見ていたのか。僕と、たとえばあの向こうにいる彼や彼女とでは、評価は違うのか。違うとすれば誰がその評価をしてたのか。そういえば、いつだったか、決算期変わりの頃だったかな?所属長との面談があったよね。そこでたしか僕の査定を聞かされた。……なんと、自分の査定を思い出せないよ。まあすぐ忘れるくらいインパクトのない評価だったんだろうなあ。ごめんなさい、一生懸命夜なべして査定してくれたのに、聞いてなくて。
 その査定と、もし存在するとしたら「リスト」は連動してるのだろうか?


■「票読み」…人数は足りたのか?
 僕らヒラの対象者たちが気づかないところで、人事の偉い人は各セクションの一番偉い人たちを集めて集会を開いたらしい。その後、各セクションの偉い人たちはかなり疲弊した表情で散会したという。いや、僕が直接見たわけじゃないけどね。見ていたやつがいたんだよ。
 僕ら対象者はまた集まってひそひそと鳩首した。これはたぶん、2次面談——1次とははるかにストレスの度合いが違う——のためのブリーフィングだったのだろう、と予想する。いや、もっと突っ込んだ話じゃないか? たとえば、各セクションの目標人数の確認とか——。
 …それもホントだったら辛いな。「あと何人」とか思いながら面談するってか。とすると、「こいつが首を縦に振ったらどんだけ楽になるか」とか考えながら毎日を過ごすってことだな。それは辛い…。
 もちろん切られる方はもっと辛いわけだが。だが僕は「選択肢を持ってないほうが辛いんじゃないか?」と思ってしまう。百二十名の対象者の中から五十名に会社提案を呑んでもらうってことは、四一%ってことだ。むー、これって書籍フェアの仕上がり率くらいだな。人に厳しい選択を呑んでもらうのは、本を並べて売ってもらうよりずっと難しい。
 各セクションの長は、自分とこの対象者の四一%に会社の申し出を呑ませるよう、会社側からねじを巻かれたのだろうか? 考えるだにこれは辛い。営業マンよりかよっぽど辛いぞ。でも、この辛さは辞めさせられる側にすぐにかかってくるのだ。んー、全員辛い選択だ。Win-Win関係の反対みたいだ。
 でも、会社再建案はまずこの「五十名削減」が実現できないと始まらないのだ。1次面談でも言ってたしな。
 応募者数の見通しはどうなんだ。「辞める側のやつがこんなのを気にするのは変だ。もうお前には関係ないだろ」とおっしゃるか? いや、関係あるんだよ。だって、僕なんて早々と“会社再建案”に賛同して手を挙げたんだから、せっかく辞めるんだから、“再建”も成功してほしいもの。人数が集まらなくて失敗しました、ごめんなさい、じゃ納得がいかないよ。ぜひ成功させてほしいと思ってるんだ。ウソじゃなくて——。


 いよいよ来週から「募集」が始まる(僕の届けも正式には来週受理されることになっている)。
 来週、僕らは何を目にするのだろう? 今でさえ、不意に職場に重苦しい沈黙が立ちこめたりするのに。いったい僕らの職場はどうなっていくんだ。
 もしかして、3次面談があるのだろうか? あるとしたら——参考文献のアフィリエイトでも貼っておこう。道を渡ったとこにある会社の売店で買えば、割引になるんだよ。
 (つづく)