新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

5月のシンガポール航空は男泣き映画祭だったよ

 連休で旅行に行ってきたんだよ。帰ってきたら成田の検疫がめちゃめちゃ混雑してたので驚いたよ。
 それはともかく、シンガポール航空は機内エンタテインメントシステム「クリスワールド」がものすごく充実してて素晴らしいんだよ。最新のA330A380には12インチくらいのHD縦横比の画面がついてて、完全オンデマンドで早送り巻き戻し自在で映画を見られるんだよ。しかも今月はいい作品がそろっててねー。

 つごう20時間くらい乗ってたんで、こんだけ見られたんだよ。
■「グラン・トリノ」(監督・主演イーストウッド
■「レボリューショナリー・ロード」(監督サム・メンデス
■「ゴモラ」(イタリアの作品)
■「ザ・レスラー」(主演ミッキー・ローク
■「チェンジリング」(監督イーストウッド、主演アンジェリーナ・ジョリー
■「モンスターズ・インク」(ビクサー作品)
■「フロスト/ニクソン」(監督ロン・ハワード
■「007慰めの報酬」(主演ダニエル・クレイグ
 途中で寝たのは「イエスマン」とドキュメンタリーの「マン・オン・ザ・ワイヤー」。さすがに真夜中発朝イチ着というダイヤではずーっと良いコンディションで飛ぶことはできなかったよ。じゃ、駆け足で感想をメモしておくんだよ。基本的にはどれもネタバレ御免でお送りしますので、よろしくごめんなさい。


■「グラン・トリノ
 これはエアバスの機体じゃなくて747-400だったんで画面が小さかったんだよ。しかし映画としての風格と面白さはこれが最高だったよ。現代のアメリカ、デトロイト郊外の住宅地に独居する頑固老人が主人公。朝鮮戦争で軍功を立て名誉負傷章も得た英雄、今でもM1ガランドとコルト45ガバメントはいつでも撃てる状態で毎日持ってる。フォード在職中に組み立て工として携わった1972グラン・トリノは生涯最良の思い出。たぶん走行距離もそんないってないやつを1台、大切に持っている。さらに50年間で集めた工具。工具って高いもんなんだよね。それが膨大にある。
 彼の悩みは、トヨタの営業で働く息子や、チャラい孫たち。彼らとは会話が成立しない。さらに過疎化する近隣には本当に会話ができない連中、アジア人とかの移民が押し寄せてくる。治安も悪くなった。M1ガランドはマジでクリップを装填してありいつでもレディトゥファイアだ。
 このガランドがきっかけで、彼は隣人と話すようになった。モン族の一家だ。祖母は自分より年上みたいだ。男親はいず、母親が働いてるらしい。長女はちょっと太めだが頭の良い女子学生。このスーが彼コワルスキの心をだんだん解きほぐしていく。スーが気にかけているニートな弟タウ。これがバカ息子で、従兄の不良アジアギャングに脅されている。コワルスキはこいつのことが気になってしょうがない。自分が戦争で殺してきた何人ものアジア人にそっくりなこいつが、なんと自分の青春時代を思い出させるのだ。ついついちょっかいを出したりしてしまう。「この童貞野郎!」とかって。
 いや、この作品は肩の力が入ってなくて素晴らしい。このスーとタウ姉弟とコワルスキのふれ合いは、見ていてとても楽しいものだった。いくつもの映画で繰り返し描かれてきた、世代が違うゆえにつながる絆。年寄りは死ぬときに何かを残してしまう、若者は年寄りからその何かを受け取らなければならない、という人間の掟?があるのかな。この映画は、つまるところそういう話ですね。
 終盤、モン族ギャング団たちの圧力が強大になり、タウ一家への銃撃、スーへの暴行が起きる。「許されざる者」と同じ展開ですね。けど、今回のイーストウッドの復讐劇はちょっと違う。というか、子どもっぽい活劇ではなく、考え抜かれたアッという手で臨む。これは驚いた。もったいなくてちょっと書けない。まあ、見てしまうとへーって感じではあるんですが、まあみなさんもぜひご自分の目でご覧ください(ていうかネタバレのサイトがありますよね)。
 物語の終わりで、それまでダメダメだった少年タウはコワルスキの世話で定職に就き、たぶん彼女もできたし、バスで異動するのではなく自分のクルマを転がせるようになる。もちろん1972グラン・トリノ。昔だったらこれでめでたしめでたし、と思って見終えることができるんだけど、最近は「ここからが本番、大変なんだよ、お若いの」と思ってしまう。タウは勝手な頑固爺から大変なものを相続してしまったんだよね。タウが男の生き様を生ききることができるか、それはまた別の物語となるわけですが、コワルスキもきっと誰かから受け継いだ男の魂は、こうして繋がっていく、これこそがアメリカがアメリカたるゆえんなのであろう、などと知ったふりして書いてしまうんだよ。


■「レボリューショナリー・ロード」
 ああ、もう面倒だから1行で感想すませちゃうんだよ。これはすごい作品だったね。「アメリカン・ビューティ」から笑いと色気を抜いてぎゅーっとコンクした感じ。こんな重たくて真実っぽい話を連休の冒頭に見るんかよ俺は!と最後まで見てしまった僕は心で悲鳴を上げました。でも面白かったですよ。
 ちょっと追記したくなった。この作品はジャンルでいうとホラー映画になると思うんだけど、とくにケイト・ウィンスレットのお母さんっぷりが怖いんだよ。身体がぷりぷりの主婦してる。「女力(おんなぢから)」に溢れてる。これは怖い。男はみんなこういう女性からは逃げたくなるんだよ。それが自分を追い詰めてくる…デカプリオ夫の感じた恐怖は並大抵ではないと思うんだよ。物語は悲劇で幕を閉じるんだけど、それもこれも「パリに引っ越しましょうよ」なんて言い出したケイト妻が悪いんだよ。もし移住が実現してたとしても、悲劇がよそで起きるだけだったろうよ。


■「ゴモラ
 気を取り直してイタリアの作品。ナポリに巣くうカモッラというやくざ組織を描いたドキュメンタリーもどきの劇映画。ゴモラという題名はカモッラという組織名を旧約聖書の堕落した町と音的にかけたもんなんだろうね。しかしこれイタリア映画だと思って見ると全然裏切られるから気をつけて。舞台はたしかにナポリあたりらしいけど、風景は完全に南アジアか東ヨーロッパ。貧乏人が住む巨大団地やちんぴらが集まるゲーセンがよく映る。どう見ても「おしゃれできれいなイタリア」って画じゃない。それくらい風景も登場人物も粗野で洗練されてない。かっこも悪い。みんな汚いTシャツかジャージだ。イタリア人はおしゃれだなんてのは民族偏見だ。そしてこの映画に出てくる若いのはみなバカだし、年寄りは老獪で残酷。ドキュメンタリー映画みたいに手持ちカメラで、照明は暗く、画面は揺れるしざらつくし、ナレーションも音楽もないのも、殺伐さに花を添えている。しかも暴力シーンが多く、冒頭でいきなり日焼けサロンでくつろぐちんぴらたちが射殺される。爽快感のまるでない、イヤ〜な感じの殺しのシーン。こんなん金とって人に見せるなよ、と思うけど、ああ俺は飛行機で見てるから金出してないなと気を取り直す。あらすじも難しくて、「シリアナ」みたいに複数の人物が複数の筋立てで絡み合う脚本。わかりにくい。一番わかりやすいエピソードはバカ2人組、こいつら「スカーフェイス」のトニー・モンタナが大好きで他に何も考えてないバカ。組織の武器隠し場所から火器を持ちだして川辺で勝手に試射。このパンツ一丁で銃を構えた写真が見栄えがするのでよく媒体に出てるみたいですね。このシーンは実銃です。そしてトニー・モンタナみたいにM203グレネードランチャ付きM16をぶっ放す。グレネードで棄てられた船を燃やす。バカです。ちょっと羨ましいが。こいつらゲーセンで遊んでて負けが込んだら「おらおら強盗だぞー」と銃を振り回す、ほんとのバカです。組織の生業は産廃の不法投棄。これはずいぶん儲かる物らしいが、ナポリの周辺は産廃だらけということがはからずも暴露されています。僕はこれ、原語音声に英語字幕で見たので、筋は2割くらいしかわかりませんでした。不法入国みたいな中国人のアングラ縫製工場にイタリア人の元やくざで今は縫製職人がこっそり指導してたり、いろいろシノギの描写が出てくるんだけど肝心な全体像がなかなかわからない。ただ、そのアングラ工場で縫われたドレスが有名ブランド品として日本とかへ高価で売られていくんだろうねってことはわかる。しかしそもそも出てくるおっさんたちの区別がつかない。みんな無個性でダサいおっさんなんだもん。こんなとこにリアリティ出してもなー。ただ、ちんぴらどもの風俗は面白かったです。ちんぴらのくせにハッタリ効かせたクルマじゃなくてフィアットとか乗ってるのね。あと下品な改造したミニがいたな。殺しのシーンも多いんだが、劇的に盛り上げていくなんてことは一切しないで、唐突に殺しが起きる。これは似たような暴力映画「シティ・オブ・ゴッド」よりもずーっとドライで恐ろしい。殺しに特別な意味なんてない、というカモッラという組織の病的な日常感覚が伝わってくるようでした。しかも、子持ちのおばさんとかまで殺される。あっさりしすぎててかえって怖いです。
 この作品はすごく印象に残ったのに内容が理解できなかった部分が多く、とても残念なので原作を読むことにしました。


■「ザ・レスラー」
 男泣き感動作第2弾。これは泣けました。周りに知らない人が大勢いるにもかかわらず、涙でぐしょぐしょになりました。成田へ向かう京成電車のなかに「アメリカで盲腸手術…いくら?」という海外旅行保険の広告が出ています。盲腸は200万円だそうです。かほどにアメリカの医療費はバカ高い。ところがです。プロレスラーという仕事は、怪我と無縁にはありえません。バカにしかできない、すごい仕事なんです。ミッキー・ローク演じるランディ・“ザ・ラム”・ロビンソンというプロレスラーは、80年代の人気絶頂期はいざ知らず、00年代の今は落ち目のポンコツレスラーです。高校の体育館や地域のコミュニティセンターを借りての興業にやっと顔を出し、週日はスーパーで働いている。しかしランディは満身創痍になりながらレスラーを続けたい。昨夜も腰を痛めて帰ってきたら、家賃滞納でトレーラーハウスの鍵が閉められている。しかたなしにバンで寝る。腰が痛いのにアイスバッグも取りに入れない。これがいかに大変なことかわかりますか? 腰だけじゃなくて膝も両方とも壊れてるみたいだし、腕だってちゃんと上がらないようだ。ロッカーでは今夜の相手と段取りを決めながら、お互いを褒め合い(心の底から)、そして薬を融通し合う。怪我の治療薬もだし、ステロイドも。このへんの描写がすごく泣ける。「やあランディ」とみなは陽気に声を掛け合う。「●●年のあの試合はよかったよなー」「グレイトだったよ」とか。基本、懐古譚になりがちなのが悲しい。泣ける。お互いを尊敬し合っている。そりゃそうだ。お互い痛い目をみながら客を喜ばせるために命をかけてるんだから。ステープル銃をお互いに撃ち合うドロドロ流血マッチのシーンがすごい。試合の場面はすっ飛ばしておいて、ロッカーに帰ってから身体から針を抜くシーンと試合の最中のシーンをカットバックで混ぜて見せている。熱狂の裏にこんな痛みが、という実感が迫ってくる。この映画はランディの一人称に近い構図で延々と手持ちっぽいカメラで撮られている。ドキュメンタリーもどきの画作りだ。だから風景もしょぼい。ニュージャージー近辺の田舎をドサ回りしていて、3月とか4月上旬の寒々しい、残雪が消えてない風景。そしてある試合の後、ランディは倒れる。目覚めると開胸手術が済んでて、心臓にバイパスが施されていた。おいおい、これだけでいくらの借金になっちゃうの? 悲惨すぎる。それでもランディはリングに立ちたい。いや、一度は引退を決意した。分かれていた娘との関係も修復したい。惚れてるストリッパーとも絆を深めたい。仕事も(スーパーのお総菜売り場だけど)打ち込みたい……。でも彼は結局リングしか帰るところがない。スーパーの仕事もうまくいかない。娘とも約束をすっぽかしてダメになった。ストリッパーは子持ちで固い。俺がいられる場所は…俺と関係を持ってくれる人は…リングしかない、ファンしかいない。「ファン感謝祭」のシーンがこれまた泣けるですね。感謝祭っつっても、公民館の会議室か何か借りて、ロートルなレスラーが集まって自分のグッズを売るだけなんです(それもVHSビデオとかですよ)。それでもランディのはちょっと売れるからいい。他のメンツは、杖ついてわざわざ来たのに、客来ない。売れない。車椅子の人もいる、後遺症がひどくて歩けなくなったんですね。プロレスというのがいかに苛酷なものであるか、こういうシーンを積み重ねて、この映画は僕たちの80年代的な熱狂の種明かしをしてくれます。ひどいです。こんなの見せてくれなくてもいい!って思う。でも、とくに僕のような1983年IWGP決勝・猪木vsホーガン戦に熱狂してた世代は、この映画を見る責務があります。そうです、主人公自ら「80年代は最高だった!…90年代は最悪だ」と告白している。まったくその通りだ。そして最悪の90年代が過ぎて00年代になるともっと悪くなった。最悪以下だ。だがそれでも生きなければ、戦わなければならない。だから俺はスーパーじゃなく、娘とじゃなく、リングの上で、ファンの前に立ちたい。たとえ心臓が動かなくなっても。次の試合は、一度キャンセルしたけどやっぱりやらねば。1989年4月の記念すべき「ザ・アヤトーラ」との試合の20年目のリマッチだからだ。伝説のあの試合の熱狂をもう一度! このへんの脚本、うまいですね。ハルク・ホーガンや彼に続く金髪ベビーフェイスを彷彿とさせる主人公の造型。そのライバルはアブドゥラ・ザ・ブッチャーやら異民族系のヒールがモデル。アヤトラってイランのホメイニ師のことですね。ほんとうにありそうな、自然な設定だ。この映画にはプロレスという異形の興業への愛がすごく感じられて、いいんです。そしてランディ自身が苦しむ自分という病。彼の本名はロビン・ラムジンスキー。たぶん「グラン・トリノ」のコワルスキと同じポーランド系。貧乏白人のせがれ。彼はそこから這い上がり、ランディ・ザ・ラムという全米の英雄になった。今はまた零落しているが。でも、断じてロビンなんて優男な名前が自分の名前じゃない。俺はランディだ、ランディと呼べ、と何度も言う。現実とのギャップが痛いほど響いてくるシーンだ。大人になりきれない男をうまく見せたシーンもある。トレーラーパークの近所のガキどもはランディと仲がよい。ときどきファミコンニンテンドー・エンタテインメント・システムか?)で戦う。プロレスゲームだ。ランディの持ちキャラはもちろん自分。必殺技「ラム・ジャム」を得意にしている。ところが付き合ってくれる男の子が好きなのはPS2とかPS3だ。最新作なんとか4がいかにすごいか、NESのゲームをやりながら少年が淡々と話すシーンも胸にぐっとくる。ランディは大人になれないうちに子どもたちにも置いて行かれてしまった…。そんな彼が、ラスト、すべてを棄てて臨んだ試合がつまらないものであるはずがない。傷だらけの彼は、よれよれの身体でトップロープに屹立する。この神々しいシーンを拝むために、ここまでのシーケンスがあった。だがこのシーンがすべてかというとそうじゃなくて、すべてのつまらないことどもがあるからこのシーンに価値がある、ということがよくわかる名シーンになっている。すごいです。

 ああ疲れた。続きはまた今度。でも面白い映画ばかりでしたねー。