新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

また死刑が行われるかもしれない?

http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2261
 上記リンクによると、森法相がまた死刑執行命令書に署名するかもしれない、それも近々、という観測らしい。
 今回執行されそうな死刑囚は5人、山地悠紀夫(男性、1983年生まれ)、篠沢一男(男性、1952年生まれ)、造田博(男性、1976年生まれ)、前上博(男性、1971年生まれ)、尾形英紀(男性、1980年生まれ)。


山地悠紀夫事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/utunomiya.htm
池袋・通り魔殺人事件
http://zara1.seesaa.net/article/34196870.html
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage490.htm
 5人の起こした事件に言及したwebを並べておく。いずれも許し難い罪だ。


 しかし、彼らを殺すことで罪は購われるのだろうか?
 僕が死刑という制度に納得できない理由はいくつかあって。
 たとえば前上博は自身が死刑を望んでいるというが、彼を殺すことで罪は償われるのか? 最近は自ら死刑を望む被告が何人もいるけれど、執行は彼らを「あっち側」へ逃亡させる、彼らにとって願ったりかなったりの結果なんじゃないのか?というもの。
 反対に、死にたくない被告にとっては、死刑が確定するといつ執行されるかわからない(午前中が多いそうだ)ので昼が来るまで毎日が恐怖の連続であるとか、期限なく執行を待たさせる現況は、必要以上に苦痛を与えているといえる。刑罰を与える側が「罪にふさわしい罰を」と考えているなら、この場合バランスを失している。罰のほうが重いんじゃないか。
 そもそも、「罪にふさわしい罰を」という考え方はあり得るのか? 「目には目を、歯には歯を」という考え方は、「目には目と歯を」ではない、つまり行き過ぎた復讐をしてはならない、とリミットをかけるものでもある。それにしたって大昔の野蛮な時代の考え方だ。それが最近、「目には目と歯と耳を」とでもなりかねない感情の暴走があるような。世界は(というか日本といくつかの国は?)大昔よりずっと野蛮になってるんじゃないのか。


 死刑を執行することでまず迷惑をこうむるのは、執行にたずさわる刑務官たちだろう。彼らの仕事は彼らにおそろしいストレスを与える。どんな人も、誰かにそんな野蛮な仕事をさせてはいけないと思う。僕は納税者として、彼らに死刑執行をさせたくない。死刑囚を飼い殺しにしておくほうがマシだ。どうせ税金の使途なんて無駄ばかりなんだから、僕は僕の納税分をよろこんで死刑囚の扶養に差し出すよ。


 被害者の遺族にとっても、死刑はよくないんじゃないかと思う。僕は、遺族は単純な復讐など求めてはいないんじゃないかと思う。たとえば、肉親が殺された、じゃあ犯人を殺してよいよ、となったら、ホントに手を下す遺族はいるんだろうか? 人として、誰かを殺すってことは大変なことだ。ある意味、人であることを捨てることだ。殺されることの無念や悲しさ、恐ろしさをいちばん知っているのも遺族だろう。そんな遺族が、新たに人を殺すことで救われるか?
 もう一つ、死刑は「あっち側」への逃亡幇助だ。犯人を「あっち側」へ逃がしたくない遺族もいるだろう。彼らの権利を踏みにじることになりはしないか。


 なんてことをまとまりなく考えていたらホントにまとまりがつかなくなってきた。しかたないので、はがきを2枚書いて気持ちをまとめよう。宛先は、

〒100-8977 東京都千代田区霞が関1-1-1
法務大臣 森英介 様

〒100-0014 東京都千代田区永田町2-3-1 首相官邸
内閣総理大臣 麻生太郎 様

 死刑執行の命令書に署名しないでね、あなたの政権でこれ以上殺人を重ねないでね、と。

 この作品は死刑に反対の立場で描かれたものではないです。僕の考えなんかよりずっとレベル高いのでご一読を。面白いですよ。7巻までかな?