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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

ダークツーリズム、記憶の風化に抗う旅と、被差別部落のフィールドワーク

前に、こういう本を読んだ。

僕はチェルノブイリには行きたくない(寒いの嫌い)けど、福島第一には行ってみたい。周辺の海で泳いでみたい。もしかして、漁業権が設定されていないのではないか、とすると、スピアフィッシングだってやり放題なのではないか?と思ったり。
というのはまあ実現可能性が低いけど、僕もここ数年、ダークツーリズムに参加している。
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北関東某県の某被差別部落のフィールドワーク。正式な呼称は「フィールドワーク」とか「スタディツアー」になっているが、僕ら歴史部会のはぐれメンバーの間では「ダークツーリズム」と呼んでいる。
ふつう観光しないような処を見に行く観光だから、ダーク、だと思っていた。
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田舎の路地や新興住宅地を見て回る。ここが百五十年前何だったか、その痕跡を探す。
古い墓碑や神社に詣でる。石造物や神社は大昔の痕跡を留めていることが多いので。
地味な地味な活動なのだけど、これが滅法面白い。
ただ、Facebookやブログに書いて自慢することは躊躇される。
なぜなら、地名を出したり写真を出したりすれば、「あそこは被差別部落なのか」とわかってしまうからだ。
検索すれば、各地の白山神社に参拝したブログが出てきたりするが、これなんかも微妙なとこだ。
リンクはしないけど、「部落探訪記」をwebで連載している「鳥取ループ」という有名人もいる。かれは『部落地名総鑑』事件を現代に再現していて、部落解放同盟との間で裁判になっている。
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解放同盟系シンクタンクのサイトに、こういう読書案内・リストがある。
  人権フィールドワークに役立つ本(関西編)
しかしよく見ると、戦争・在日・障害者・食肉といったテーマの方が多く、被差別部落そのものにフォーカスした本は案外少ない。
「部落」の「地名」を明示することは非常に難しい。
周囲の一般地区と完全に格差がなくなり、混住も進み、差別が事実上なくなっていたとしても、地名を指して「ここが被差別部落だ」と云うことは、新たな差別を生みかねない。
当事者たちが「オープンにして=カミングアウトして議論をしよう」と云ったとしても、当事者全員の意思統一ができるわけではないので、誰かが「それはやめてほしい」と思っていたとすると、「望まれぬ暴露=アウティング」になってしまう。
ネットは発信者情報を隠すことができるので、「アウティング」もやり放題だ。これは非常に苦しい問題だ。
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僕は、基本的には情報はすべての人にオープンにされるべきだ、と考えている。
だけど、「人を傷つける情報まで無制限にオープンにできるのか、その責任は誰が取れるのか」という問題がある。
このことで、ごく親しい同志のような友人とも、よく議論になる。
簡単には解決できない。
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でもね、面白いんだよ。前に行ったとこは、関八州でも上から三番目とかに位置する由緒正しい有力小頭が支配していたとこで、歴史も古い。織物や手工芸が発達していた北関東らしく貨幣経済でも豊かな小頭だったらしい。つい廿年前まで、堀と長屋門をめぐらした大きな屋敷があったという。
今は町が買い取って更地にして分譲してしまい、古井戸が公園の隅に残っているだけだ。小さな墓地と白山神社しか、その地区の歴史を刻んだものは残っていない。ちなみに白山神社はそのすべてが被差別部落と関連しているわけではないので、これもまた難しい。
同和対策事業のおかげで各地の部落の道路は整備され、厳しい環境は緩和された。同時に神社の氏子は流出して減り、高齢化が進んで地域の伝承も消滅しつつある。
中には、白山神社であることを隠した処もある。扁額が裏返しになっていたり、神社名の石碑をくるりと裏向きにしていたり。残念なことだと思うけど、その地の人たちが受けた苦しみを思うと、誰も責めることはできない。誰が好き好んで、自分たちの力で建てた、誇りである神社の名前を隠そうとするか。好きでやるものか。泣く泣く隠すのだ。
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ダークツーリズムとは、記憶の風化に抵抗する旅、ではないかと思う。
神社に生えていた柚子の実を一つ分けて貰った。大根の煮物に添えて食べた。売っているものと違って表面が汚れていたが、香りはことのほか高かった。汁を搾って醤油にたらしても美味かった。
豊かな歴史を持つ世界があるのだが、なかなかアクセスできない。そして、これらも高齢化と過疎で消滅しようとしている。あと半世紀経つと、完全になくなる地区が相当数だと思う。それは「差別がなくなる」ということなのだろうか?