新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

左翼の魅力が輝く、今日この頃

 テレビを買ってから、なんとなく夜に映画を見たくなるようになった。昨日は「シティ・オブ・メン」を見た。「シティ・オブ・ゴッド」と同系列の、ブラジルのスラムを舞台にした子どもギャングたちの殺し合い映画。たいへん面白かった。(正直、「シティ・オブ・ゴッド」よりもやや退屈だったが)。


 今夜は、買ったまま見てなかったDVD、オリバー・ストーンの「7月4日に生まれて」を見ている。なんでこれを見ようと思ったのかな。「ワルキューレ」の紹介記事でトム・クルーズが障害を負った軍人の役をやっているのを見たからかな。
 トムは偉大な役者だ。シークレットシューズを履いていようと、バカ女と結婚してバカ夫婦をやっていようと、バカ宗教にハマッていようと、彼がやってきた仕事の数々はたいへん偉大なものだ。デビュー作は何だろう? 「タップス」の幼年学校生徒かな? 彼は軍人役がとても似合うよね。
 この「7月4日に生まれて」は、オリバー・ストーンのストレートな反戦映画だ。だけど、あんまりにも事象を丹念に描きすぎているので、はたして反戦なのか督戦なのか、見ていて段々わからなくなる。主人公ロン・コービックは車椅子の帰還兵。高卒の彼が海兵隊を志願し、戦場で辛い戦いを経験し、負傷し、人手の足りない病院で大変な思いをし、やっと故郷に帰ったら周囲に溶け込めず荒れた日々を送り、メキシコの帰還兵が集まるリゾートで娼婦を買って初めて解放され、ついにニクソンの共和党大会に乗り込んで一世一代の反戦デモをするまでを、ナレーションなどいっさいなしで描いている。人物の心象をナレーションで語る映画は糞、なんだそうだけど、この映画はとてもちゃんとしてる。主人公ロンが無垢に国を信じていた頃、負傷して傷ついていた頃、故郷に帰って癒されぬ心を抱えて荒れていた頃、やがて仲間と出会って心を開く頃、それぞれが説明抜きで描かれるが、彼の変化は自然に見ている側に伝わる。説明不要。というだけでもこの映画は優れている。だってさ、ほんとの人生では誰も説明してくれないからね。大切な場面で「ここで彼にとって重大な転機が訪れた」なんてボイスオーバーは響かないの。
 負傷して帰国して以降、トムはずーっと車椅子の演技のまま。演技はリアルで、痛々しく、苦しそうで、不自由を感じさせ、汗や排泄物がまとわりついている不快感があり、車椅子を強いられる人生の辛さを十分に表現している。見ている側に無条件で伝わる説得力がある。トムのベスト・アクトの一つだろう。絶対。
 この作品は20年前のものだ。それがなぜ、今見ると、より深い感銘を受けるのか。
 そう、僕は深い感銘を受けたのだ。心が震えた。40年前のことを描いた20年前の映画に、21世紀のある夜、東洋のある町のアパートで、平凡な男が感銘を受けた。これは、この作品が特定の時代の特定の価値観だけに立脚したものではなく、普遍的な価値を持ってることを意味していると思う。なんでかね。
 なんで僕は感動したかね。
 一つには、この作品の作者、オリバー・ストーンの揺るぎない左翼根性が、僕の心を揺さぶったのだ。ストーンは筋金入りの左翼だ。主人公ロン・コービックと同じくベトナムに志願して苦労し、帰還兵として辛酸をなめ、国や権威に対する不信感は誰よりも強い。その代わりに彼が信じているのは、戦友、痛みを分かち合う友、社会ののけ者たち、荒れ狂う若者、そして彼らを受け容れてくれる娼婦たちだ。徹底した肉体的なリアリズム。傷病兵病院の苦しみの描写を見よ。糞尿にまみれた負傷兵を思想は救ってくれない。思想なんか信じてない左翼。これは強いぞ。
 とくにメキシコでの娼館の場面が素晴らしい。故郷をほとんど追い出されて田舎の避寒地に流れ着いたロンは、負傷兵仲間の集まる娼館で酒を呑む。やがて一人の娼婦を見初め、二階に上がる。この部分の前段として、故郷で「女を知る前に負傷して、童貞のまま不能になった。ペニスを押っ立てたいんだ!」とわめき続けるシーンがある。彼のペニスとはゴムの導尿管のことだ。これは立つわけない…と思いきや、娼館では手練のわざで彼はめくるめく一時を経験する(具体的には描写されないんですけど)。童貞の負傷兵がやっと体験できた悦楽。このシーンは泣けます。古今のセックスシーンのなかでも白眉でしょう。といっても童貞の辛さを理解できない人には伝わらないでしょうけどね。
 ストーンの左翼根性は、こういう体験や心性に共感することで涵養されたんだろうね。だから下品だけど、とても説得力がある。少々のことでは揺るがない強さがある。
 この古い映画を見ていると、なんて「今」は「当時」なんだろう、と思う。ベトナムとアメリカはずいぶん前に仲直りしたけれど、今はイラクを攻めて大勢の血が流されている。街では、誰もが負傷兵のような人々…ホームレスや貧乏人、いろいろ不自由な人たちを無視して、彼らは透明な存在であるかのように振る舞う。無視される人たちの尊厳は、誰も救ってくれない。やがて誰もが無視される側に転落していくだろう。
 オリバー・ストーンのような、力強く、業の深い、腹黒い、百戦錬磨の左翼が、ぴかぴか光って見える今日この頃だ。我が国では雨宮処凜もがんばっているけど、まだちょっと迫力が足らないな。がんばらねば。
(会社が5%の賃金カットを発表した日に記す)

 追伸。この映画には、ストーンの代表作「プラトーン」の重要な人物がちらりと出ています。トム・ベレンジャーが主人公の高校にリクルートに来るガナリー・サージャントとして。ウィレム・デフォーがメキシコの負傷兵リゾートの先輩負傷兵として。これは、この作品がまぎれもないストーンのベトナム戦争の変奏曲であることを示しているでしょう。天才は同じ作品を繰り返し作る、という言葉を聞いたことがありませんか。いや、懐かしい面々が出ててうれしい。

 まあ、見ていて気持ちの良い映画ではありません。「地獄の黙示録」は激しい快感のある映画ですが、この映画には快感はあまりない。それでも目を離せないのはなぜなんでしようね。そういう映画です。希有です。

   おまけに