新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

大塚で見た芝居「東京タワーには行きたがらない」

 はいさい〜。と言ってもここは沖縄ではない。雪になりそうな雨の降る東京、山手線北辺です。今日は近所に住む好事家の先輩から「近所で面白そうな芝居をやってるので見に行かないか」と誘われて普段は行かない大塚・放射状の街に来ました。

 芝居は、大塚駅から徒歩4分の萬劇場という小さな小屋でやっていました。
 http://www.vitamin-taisi-abc.com/nextplay/intro.html

 このURLだと後日はわからなくなると思うので、引用しておきます。芝居の題名は「東京タワーには行きたがらない」。

 オレンジ卸売商「星川商事」の作業場を舞台にした精緻に描く人間模様。三部構成で登場人物の心の動きを描きます。

 舞台は東京都下西郊とおぼしき市外局番0425の地域、低賃金労働に従事する二人の青年とプラスもう一人の青年、その他の人々が痛い、かつ笑える日常を送っている。

第一部「鶴見と戸村にとっての東京とは」
 鶴見(奈良チャボ)と戸村(野村ノルナ)は、星川商事というオレンジ卸売商で働いている。東京の外れとはいえ、上京して来た二人にとって、そこは夢の世界の筈。しかし、どうしても都心まで出かける勇気が出ない。それは東京が怖いから。渋谷も銀座も行った事がない。だけど、強い興味はある。電車で向かえばすむだけなのに、行かずして「攻略法」ばかりを頭で考え続ける鶴見。  ふとしたことで、鶴見が戸村のとある秘密を知ってから二人の関係は大きくバランスを失う。

第二部「星川社長と宗くん」 星川商事の星川社長(宮川賢)は、中国人の宗さん(つんつん)を雇っている。宗さんは、単純作業が続くこの職場でも陽気で快活な為にアルバイト学生の人気を集めている。忠実に働く宗さんを便利に思っていた星川だが、ある時、宗さんが社内の在庫オレンジを横流しして私腹を肥やしている事実を突き止めてしまう。

第三部「垣本とふたりのMIDORI」 水商売女ミドリ(村田未来・福田加奈子)がオレンジの臭いが立ちこめる作業場を訪れたのは、垣本(堀江慶次郎)のツケを取り立てる為だ。柿本に代わり応対をする鶴見と戸村は、柿本がミドリと結婚すると聞かされていた為に困惑の色を隠せない。
 日を改めて出直すというミドリを見送ってから、柿本にどう伝えようかと窮する鶴見と戸村の前に、上京した実妹の美土里(北村みつば)を連れて柿本が戻る……。

 そんなこんなで、盛りだくさんに満足した2時間でした。「落ちが強引だったね」といった声も聴かれましたが、ぼくは自然に終わった、心地よい終わり方だった、と思います。


 このドラマは、1995年にやった芝居の再演だそうです。カセットテープとか劇中の景気動向にちょっと今の風俗と異なる部分があったので違和感があったのですが、それを知ってなるほどと思いました。
 この芝居は、低賃金労働に従事する若者(といってももう35歳になる人もいる)たちの生態、とりわけ地方から上京して東京にアンビバレントな思いを抱いている人の屈折したエナジーを笑おうというところから出発しているようです。しかし現代の状況は異様に流動的で、そうした確固とした笑いの土台を永続させません。上京した地方人がビビッていたのなんて今は昔のことではないでしょうか。当今は生粋の東京っ子ですら地元の居酒屋でしか飲んだことがないって人もいます。渋谷や新宿に出ないという小田急沿線・京王沿線の若者は実際にたくさんいます(この芝居の主人公の一人も、地元から出たことのない東京出身者という設定でした。これはリアルで良い造型でした)。
 そして、この芝居が焦点を当てている地方と東京の情報格差&自意識格差も、昨今の大不況による金銭格差の前にすっかり存在感をなくしているような気がします。
 そう、いまや、賃金格差がいちばんの問題なのです。
 主人公たちが働く郊外の低賃金な青果選別流通会社、これはいろんな低賃金職場の暗喩になっています。2次産業はすべて含まれるでしょうし、3次産業も接客業は段々と低賃金に分類されるようになっていると思います。たとえば書店業は、店員たちの「本が好き」というモチベーションをうまいぐあいに搾取して、「本に携われる仕事なんだから給料は二の次ね」と言わんばかりの低賃金でビジネスモデルを構築しています。それでないと会社自体が成立しないような…。賃金が上昇すれば、主人公たちが直面している問題はすべて解決されるのか、と言われれば、違うかもしれない、と応えるしかないのですが、つまらない都会コンプレックスなんて賃金が上がって可処分所得が増加すればかなりの勢いで解消されるのも事実です。肥大して困る自意識を抱えて苦しんでいるのは、当人たちの自己責任ではないのです。低い賃金のせいです。
 この芝居はそういう主張も、結論もしてませんが、僕は見ている間中そう思っていました。
 なぜなら、僕も同じく地方から上京してコンプレックスに悩んだくちだからです。
 僕は1989年に上京したのですが、幸いなことに世間はバブル景気で、賃金はバブルが崩壊してもしばらくの間は一直線に上昇してました。おかげで、いろんなコンプレックスから解放されました。東京という極端な消費社会では、ちょっとの可処分所得の上昇が、当人の可能性を段違いに広げてくれるんです。おどおどせずに盛り場を歩ける、女性ともおじけずに話せる、つまらない見栄を張らずにすむ、とくに知ったかぶりをせずにすむ(原典に触れる機会が小遣いの増加とともに激増する)ことには驚きました。

 しかし、今や情報格差を笑っているだけではすまない世の中になりました。生存権が脅かされるくらいの格差があります。この芝居も、ちょっと意味がわからないところができてしまいました。それは時代の感覚の落差のせいです。
 ともかく、「何が言いたいのかよくわからなかったよ」と言いながら劇場を出てきたのですが、それもまた面白い、主張がビシッとわかって伝わってしまう芝居よりもよかったかもしれない、と思うのです。
 この芝居はTBSラジオ954kHzが後援しているようです。なかなかラジオは力があるとおもいます。
 今日もまとまりがなくてすみません。にふぇーでーびる。ではまた。