新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

イエスの高弟・ペテロ(シモン・ペトロ)に関する想像

 ペテロは十二使徒の筆頭、イエスの一番弟子で、もっとも高弟とされる。位の高い使徒、ということだ。年もイエスより上で、三十代で青年期の終わりだったイエスと比べると、おそらく四十代の中年期、青年らしい潑剌さはなく中年の落ち着きや分別があった、だからイエスはペテロを重用したのだろう。
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 ペテロはガリラヤ湖の畔で漁師をしていた。漁を終えて舟を着けたところか、舟の手入れをしているところをイエスに声を掛けられ、最初の弟子になった。このとき兄弟のアンデレ──おそらく弟だろう──も一緒に弟子になっている。ペテロは既に結婚していた。家族がいて仕事もあるのに、イエスに帰依し、放浪するイエスに付いて南方のエルサレムまで行った。序列では教祖イエスに次ぐ地位だが、一を聞いて十を知るタイプなどではなく、どちらかと言うと物わかりが悪い、また眠気に負けて眠り込んでしまい、イエスに叱咤されるなど、ピリッとしないところもある。
だが、そこが良かったのだ。
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 十二使徒は、その筆頭が中年で、あまり聡明とはいえない、どちらかというと鈍くさい元漁師のペテロだったことで、他の十一人がまとまりよくイエスに付き従った、とも言える。
 使徒たちにはいろんなタイプがいた。若くて才気煥発な、イエスに愛されたヨハネ。ガリラヤの有力者のせがれで、堂々としてリーダーシップもあるヨハネの兄ヤコブ。教団の会計を引き受け、頭が切れて仕事もできるユダ。過激派である熱心党《ゼロテ》から弟子入りし、他党派の影響を強く引き摺っているシモン。などなど、敬虔な宗教者、つまり大人しい羊のようなイメージからはかけ離れた、曲者揃いの寄り合い所帯だった。

 だが長男にあたる高弟ペテロが凡庸で鈍くさい、別の言い方をすればどっしりとして落ち着いた男だったので、他の弟子たちの重石になっただろう。
 ペテロ自身にも筆頭の弟子である自覚があった。イエスが弟子たちに問うと、ペテロが答えることが多かった。おそらく、聡明なユダやヨハネは、自分ならもっと気の効いたことを言えるのに、と内心思っても、兄弟子の面目を立てて言わずにいただろう。だからこそペテロにお鉢が回ってくるというのもある。
 もっとお調子者で軽い弟子はいなかったのか。
 一番年少のヨハネがもっとも賢く、イエスにも愛されていたから、彼より年上の弟子があえて道化になろうとはしなかったのではないか。また、イエスの問い掛けは引っかけやダブルバインドが多く、素直に答えた者はたいてい恥をかく。イエスの問いに答えるということは、この、恥をかく役回りを進んで引き受ける、という意味だった。だからユダやヨハネが黙っているなか、どうせ正解ではないと知りながら、ペテロはイエスの問いに果敢に答えていたのだ。
 おそらくペテロ本人も、ああ俺はまた間抜けなことを言ってしまった、といった後悔がいつもあったに違いない。年長者が年下の教祖にいいようにあしらわれる、そのみじめな姿を取り繕わず、さらけ出すことに、イエスの高弟ペテロの誇りや意地が有ったのではないか。