新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

ここまで書いたのか!『新書 沖縄読本』が直視させてくれる“沖縄の実相”

■震災前に出た本を先日読んだ。講談社現代新書『新書 沖縄読本』(下川裕治+仲村清司編著)。
 沖縄が好きで何回か行ったことがある。沖縄の出版社「ボーダーインク」の本が好きでよく読んでいた。音楽は琉球民謡、あるいは宮古島下地勇とかコザのキャンパスレコードが好き。ローカルヒーロー琉神マブヤー」はDVDで見た。国際通り沖縄プロレスも見た。スパムの缶詰やアイゴの塩辛を買ってきて沖縄料理を作ってみた……などなど、至って普通の沖縄ファンだ。ボーダーインクだけじゃなくて双葉社の沖縄読み物、旅行ライター・カベルナリア吉田の一連の著作もよく読んだ。

■前に、ブログに「なんくるないさぁ」という沖縄の慣用句を引っ張ってきて「金の計算はおろか、ほとんど何も計算しない。これがウチナー流か。アバウトでいいなあ」などと無礼なことを書いた。まったくもって失礼な、紋切り型の文章だ。沖縄の人を思いやる気持ちのない、うわべだけの言葉。ブログから消してしまいたいけど、罰としてこの文は消さずにいる。

■僕は平凡な沖縄ファンで、普通の観光客として何度か沖縄県に行っただけだ。けど、普通に観光してるだけで様々なモノが段々見えてきた。だけど、それについて書いたり人に伝えたりすることはしていない。言葉にすること自体がちょっと億劫だったからだ。

■たとえば、沖縄料理は美味しくて、ヘルシーで、健康長寿のもと、とよく言われる。たしかにゴーヤ(ニガウリ)やフーチバー(よもぎ)は“良薬は口に苦し”な感じだし、堅くてたっぷりとした島豆腐は栄養豊富そうだ。ナーベラー(ヘチマ)、島ラッキョウといった食材も、呼び名からしてエキゾチックで健康になりそうだ。
 一方で、沖縄に観光に行くたびに太って帰ってくる自分に気づいていた。沖縄滞在中はここぞとばかりに沖縄そばを何杯も食べ、夜はオリオンビール泡盛を欠かさず、アグー(沖縄在来種の豚)やグルクン(沖縄の代表的な魚、タカサゴ)の唐揚げ、チーズたっぷりタコライス、深夜にステーキハウスに行き、コンビニでポーク卵おにぎりを買い食い……なんてしてたのだから。太るはずさ。健康にも悪い。
 観光客の僕は「自分は観光客だから暴飲暴食しちゃうけど、沖縄の食事は健康に良いはず。長寿県なんだし」と思って目をつむっていたのだ。きっと本当の沖縄の人は、健康的な食事をしてて、長寿なんだよ、と。

■しかし本書『新書 沖縄読本』はのっけからそういうウソを木っ端みじんに粉砕してくれる。第1部第1章「伝説化する長寿の島――肥満率まさかの日本一へ」には、直視したくなかった沖縄の姿が満載だ。ちょっと要約・抜粋してみよう。いわく……

・「沖縄は全国一仕事が少なく…あっても給料は安い」という現実は十年以上前から変わらない。
・「お年寄りは孫や曾孫の世話をしながら、達者で長生き」は最近変わってきた。男性の平均寿命が短くなってきている。
・年齢別平均余命では、沖縄県民は若いほど余命が短い傾向が見られる。若年ほど早死に、といえる。
・「沖縄の長寿は七〇歳以上のオジィ・オバァに支えられている」「健康なのは高齢者だけ」
・ゴーヤ、サツマイモ、ヘチマなど伝統食材、ハレの日だけ食べる豚肉に代わって、高タンパク高脂肪のファストフードが人気。
・米軍の食習慣の名残が「ポークランチョンミート」。高脂肪高塩分高添加物。消費量は英国ドイツについで沖縄“県”が世界三位。
・その結果、男女とも県別肥満率はワースト1位。県民総メタボ。
・老人医療費も全国平均を超えて増加中。高齢者も健康長寿とはいえなくなってきた。

 などなど、がっかりする事実が目白押し。そうかぁ、なんか地元には固太りの男性が多いなあって思ってたけど、やっぱメタボなのか…。ていうか。フライだらけのA定食とか、超ハイカロリーのサーターアンダギーとか頻繁に食べてたら健康長寿になるわけないよな。

■さらに同書は憂鬱な“沖縄の現実”を突きつけてくれる。今度は第1部第3章から要約・抜粋してみたい。

・2007年の県民所得は204万円で全国最下位。東京の45%、全国平均の67%にまで落ち込んだ。
・生活苦から鬱病が増加している。
・1995年の統計では男性の自殺率が全国2位に。現在でも全国平均よりかなり高い。
・ゆいまーる(相互扶助)が機能しなくなり、人目を気にしつつ孤立する人が増えた。

 などなど。僕も鬱病の経験があるので、これ読んだときは他人事とは思えない辛さを感じた。
 ふつう鬱病は温暖な土地・低緯度地域は少なくなるはずなのだ。日照時間などと強い相関を示す病気だから。自殺率もそうだ。日本でこれらが高いのは秋田などの東北だと思っていたが…沖縄の貧困ストレスは豊かな日差しや亜熱帯気候の恵みを上回るってことか。
 なお、すごく気になったので1995年の自殺率統計を探してみたのだが、男性自殺率2位って数値はまだ見つけてない。だがこれらのサイト(http://todo-ran.com/t/kiji/10557)でも沖縄男性の自殺率は全国平均より高いとされている。

■所得が低いことは様々な不幸の原因だ。沖縄を旅行すると内地に比べると外食がとても安くて大盛りなことに気づく。珍しくて美味しいものをお腹いっぱい食べられるので嬉しくなる。だがやがて、平均所得が低いのでそれに合わせて価格が低いだけ、安く見えるのは東京の価格と比べているから、という単純なからくりに気づく。もしかすると島の沖縄そば五百円は、東京で食べる沖縄そば七百円より実質的には高いのかもしれない。
 沖縄はけっして物価は安くない。たしかに「チューリップ」「スパム」などランチョンミートは沖縄だと安い。大量消費地だからか。だが生鮮品は東京と同じか、野菜はかえって高かったりする。島で採れない野菜は九州などから運んでくるからだ。ビニール袋に入ったモヤシに「100円」と値札がついてた。天候などでとくに高騰してたのかもしれないが…東京だとモヤシは40円を切る。
 じゃあ外食が東京より安いのは……店舗代金や人件費の価格差だと考えるしかない。東京でも飲食店の人件費は圧縮に圧縮を重ねて大変なことになってるが。ちなみに東京の最低賃金は821円、沖縄は642円だ(http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/kijunkyoku/minimum/minimum-02.htm)。

■人は、やる仕事がないと生きていけない。僕も今の仕事は不安定で、仕事がなくなる不安もあるので、よくわかる。
 そして仕事があっても低所得だとやはり辛い。これは、定収が乏しいというだけじゃなくて、生きてる実感が得られにくいとか、社会につながってる感じが乏しくなるとか、自分への尊厳を保てないといったことだ。
 大金があれば働かなくとも悠々自適に生きていける、と思うでしょ? そんなことない。人間はそんなに強くないのだ。働かないことは辛いのだ。働くことも辛いけれど、仕事がないことの辛さは格別だ。こういうことは会社員時代はまったく気づかなかったな。甘ちゃんだった。
 沖縄は全国一失業率が高い。沖縄の人たちは、全国で一番、この苦しみを味わっている、よく知ってるということだ。また、軍用地地主など不労所得を得られる人もいるだろうが、かといって仕事がないときっと辛いはずだ。

■こんなことは改めて指摘されなくともずっと前からわかっていたことだ。沖縄のことを軽妙に書いた本にも「沖縄は仕事ないよ!」という台詞が頻出する(わうけいさおなんだこりゃ~沖縄!―マンガ・映画・雑誌の中の〈味わい深く描かれた沖縄〉を求めて』とかね)。書いた人が深刻ぶってないので気づかなかったけど、沖縄に観光に行くということは、そういう所に土足で踏み込んでお邪魔するということだ。とくに何度も訪れて普通の観光地はもういいや、となったとき、もっとディープなスポットはないか、と思ったとき、観光客は地元の人たちの生活の場を踏み荒らしてしまう。
 竹富島は赤瓦の建物と白い珊瑚の石垣で島全体がゲームのダンジョンにいるような、幻想的な場所だ。大勢の観光客が訪れる。僕も行った。そして、もっとディープな場所は、と歩いていくと、地元の人が大切にしている御嶽(うたき)や、生活の場所である家の庭などにも自分が遠慮のない目を向けてしまっているのに気づく。これは沖縄のどの場所でもそうだった。備瀬のフクギ並木の集落、首里の古道、那覇の農連市場通り、浜比賀島など、普通の観光地からちょっとズレるとそこはもう人々の生活の場なのだ。沖縄の女性知識人・知念ウシの文章に「観光される側の痛み」といったものがあった。何で読んだか忘れたけど、刺さって抜けないトゲのような文章だった。人々の大切な喜びや悲しみがある場所を無遠慮に観光して歩くことの傲慢さ、土足で踏み込むまなざしの罪深さに僕は気持ちが落ち込む。

■『新書 沖縄読本』も、刺さって抜けないトゲのような話題を拾いまくる。第3部第13章「沖縄独立論の迷走」も重たい1章だった。
 一昔前、大田昌秀沖縄県知事時代に「沖縄独立論」を聞くことが多かった。大田知事は僕の印象ではアクロバティックなバルカン政治家で、使える武器ならなんでも使うという感じの人。ブレーンに北朝鮮主体思想の研究家がいたというのも聞いたが、それもいろんな勢力とつながることで日本政府とのパワーゲームを有利にしようとしたのだと思う。その彼が唱える沖縄独立論は、もちろん本気じゃなくて、沖縄県民により有利な条件を引き出すための、日本政府との交渉におけるカードだと思っていた。
 だがいったん唱えられた独立論は大田知事だけのものじゃなくなり、沖縄の人たちの辛い心を引きつけていく。そしてナイチャーの執筆者と沖縄の人がこんなやりとりをするまでになる。(以下、抜粋引用)

質問者「沖縄はさっさと独立して日本と訣別すべきじゃないかと考えますが、篠原さんはどう考えますか?」
篠原(この章の執筆者)「沖縄経済の約三割は、日本政府から支出される補助金などによって構成されています。つまり、現状では補助金なくしては成り立たない経済ということです(略)」
質問者「沖縄には観光がある。経済的にはあまり問題ないんじゃないか」
篠原「観光に過度の期待をするのは危険だと思います。(中略)他の産業を育成することも考えないと、独立を語るのは難しいと思います」
聴衆A「経済というかカネの話ばかりして、あんたは『沖縄の心』をわかってない!」
聴衆B「おまえは沖縄の味方なのか敵なのか。いったいどっちなんだ!」
篠原「お金のことだけを語っているつもりはない。敵味方という問題でもない。独立が現実に可能かどうか…(略)」
聴衆B「いままでヤマトンチュが沖縄にしてきたことを考えろ。おまえはいったい沖縄のために何をしてくれるというんだ!」
篠原「沖縄のために何かをしてあげるなんて不遜なことは考えたことはない。そういう言い方が沖縄をダメにするんです。大事なのは沖縄の人たちが主体的にどう考え、自発的にどう行動するかであって、僕のような人間が沖縄のために何かをしてあげることじゃない。そんなことを期待されても困る」
聴衆B「おまえたちのそういう姿勢が沖縄をダメにしてきたんだ!」
篠原「同じ言葉をそっくりお返ししますよ」

 この部分は本当に強烈だった。読んでからちょっとの間、息が出来なかった。
 沖縄独立が可能かどうかは置いて、もし本当に独立したら、とくにこの聴衆Bさんのような情熱が実を結んで沖縄が独立国になったら、いったいどうなるか、想像してみた。
 シンガポールや香港のような経済国家になれるか? どうだろう。モルディブのような観光国家か。海外とは価格競争力が違うし。
 思いつくのは、1960年代以降、熱狂的な運動の末に独立を勝ち取ったアフリカ諸国だ。ジンバブエコンゴ民主共和国、ナイジェリアなど、有望視された国の多くが崩壊国家になっている。
 沖縄経済の三割が国の補助金、というのはどんだけ本当なのか。サトウキビ農家に補助金が出ている、地元の主要企業は土建会社で主な仕事は公共事業、というのは観光に行っただけの僕のような者でも知っている。他にも時限立法その他で優遇されていることがいろいろあるという。
 これって、アフリカの崩壊国家群が国際社会の援助からなかなか独り立ちできない状況と似ていないか。聴衆Bさんのように「沖縄のために何をしてくれるのか」というスタンスがとくに似てるような。
 もっとも、日本政府も無尽蔵の補助金を与えられるわけじゃないので、この構造はだんだん変わってくると思うが。公共事業も縮小されていくだろうし、農家の優遇も日本のTPP参加で終わってしまう。聴衆Bさんも本気でそう思ってるわけじゃなくて口が滑っただけかもしれないし。そもそも独立っていうのは、自分の脚で立ちたい、支配されるのも依存するのもやめたいという気持ちの発露だと思うし。

■だけど思い出す光景がある。ある離島に、立派なトラックと観客席まである運動公園がある。トラックは地元の陸上愛好会とかがよく使ってる。その脇にテニスコートがあるが、ここを使う人はいないようだ。雨でも張りっぱなしのネットは腐り、クレーのコートも水溜まりででこぼこになってしまっている。メンテナンスが全然できてないのだ。
 運動公園は公共施設だから税金でできている。たぶん地元から上がった税金じゃなく、地方交付税だろう。テニスコートも。そして、トラック競技や野球ならプレイヤーも多いのだが、始めるのにきちんと教わらなければならないテニスは離島では競技人口が少ないのではないか。だからメンテナンスもできない、コートが荒れる、いよいよ競技者が少なくなるという悪循環。
 ナイジェリアは産油国だけど、精製工場が稼働しないので石油を生産できずにいるのだという。メンテナンスを怠っていたら工場が壊れてしまい、再稼働できないというのだ。規模は違えど、なんか似てる、と思っていたとこに沖縄独立論の話を読んでつい連想してしまった。アフリカ諸国の独立熱もそうとう熱かったと思うが、情熱だけでは国家は運営できないのだ。あのマンデラ南アフリカでさえ今では崩壊国家なのだ。
 沖縄独立論には、他の国々の独立論と同じように崇高な理想や多くの人々の情熱が込められているのだと思う。だけど、今もし独立してしまったらどうなるか。理想や情熱だけでは飯は食えない、のではなかろうか。『新書 沖縄読本』でここを執筆した篠原章さんの文章はいずれも読み応えがあった。この章の着地も見事だ。続きはぜひ同書を手にとって読んでみてほしい。

■目を向けるのが辛いから、見なかったことにしてしまった事実。変えるのが大変だから、今日も昨日と同じ過ちを繰り返してしまったのだが忘れることにした事実。そういうのがいっぱいある。
 3月に起きた原子力発電所の事故もそうだ。「原発は絶対安全です」というウソを、ウソと知りつつ批判してこなかった。その累積が今日の放射能漏洩になった。
 沖縄の食事は脂っこく危険だという事実も、「沖縄は健康長寿県」という古い情報だけを見て、他の事実を直視しなかったせいでメタボ県になってしまった。観光客である僕らは口当たりの良い沖縄情報だけを見てきて、沖縄の人たちが直面する苦しみを「私は観光客なので当事者じゃないから」と「なかったこと」にしてきた。このままでいいのかな?
 不景気はどんどん深まる。いずれ東京の賃金も下がる。沖縄へ出かける余裕もなくなるし、沖縄との経済格差を「安いね〜」と無邪気に享受することもできなくなるだろう。

■沖縄には「模合(もあい)」という頼母子講がある。月一度など集まって飲食し、みなで五千円とか一万円を持ち寄る。その時出費がある人がそれをもらいうけて使う。翌月は別の人がもらう…という具合に順繰りに積立金を得る。相互扶助の仕組みだ。
 僕は最初これを読んだとき意味がわからなかった。集まって飲食すると余計な出費がかかるだろうし、なぜ一人で貯めて使わないのかな、と。寄り合いが面倒くさいときもあるだろう、と。

国際通りの裏手、平和通り商店街で、紅型(びんがた)の風呂敷が欲しくなって探したことがある。嘉数商会というタオル屋さんを教えてもらった。ここは、タオルや風呂敷、前掛けなどの布地ものを名前を入れて作るお店だった。店内には数え切れないほどの新生児「命名」の紙が貼ってある。誕生や進学でタオルを作るらしい。繁盛してるらしく、たびたび問い合わせの電話が入る。分厚い生地の風呂敷は長寿のお祝いや民謡の先生の受賞祝いなどで配るらしい。そんなに高くはないかもしれないけど、けっして安いものでもない。なかなか素敵な習慣だ。けど、こういう付き合いを維持しなきゃいけないのもけっこう大変だよね。
 つまるところ、このお店はタオルや風呂敷を売る店じゃなくて、地域のつながりを維持するメディアのようなお店なのだ。超アナログなソーシャルネットワークというか。
 模合もきっとそうなのだ。効率は良くないけれど、安全保障になる、コミュニケーションになる。宮古島にはオトーリという、一つの杯を回して水で割った泡盛を順に一気飲みする習慣がある。これは「貴重な泡盛をみんなが同じだけ飲めるように」と工夫した習慣だ、と聞いた。ほんとかどうかわからないけど、一回参加させてもらったんだけど、めいめいが好き勝手飲むような贅沢な飲み方とは違う、素朴で慎ましい飲み方だと思った。けっして泥酔したいからやってるんじゃない、と思った。

■沖縄に移住するナイチャーがいて、楽しい反面、トラブルもそれなりにあるという(同書第4部17章など)。たとえば「ゴミの分別」が問題になるとき、ナイチャーは細かく正確に分別するよう主張し、ウチナーンチュは「テーゲーでいいさ」となる。これ、内地の人なら誰でも「ゴミの分別はきちんとやらなきゃダメでしょ」と思うだろう。だが、島の人が「テーゲー」に済ませたいのは、こんなつまらないことでぶつかり合ってストレス溜めなくてもいいでしょ、という思いやりだったり深い知恵だったりするのでは。
 もしナイチャーの僕が移住するとどうなるか。たぶん、ゴミの分別は完璧にやるし、ビーチも汚さないけど、模合は意味がわからないし、寄り合いが多いのにはうんざりだし、すぐに噂話をされるのに疲れるだろう。Twitter的な正確さ・几帳面さはナイチャーの得意とするところだけど、祝いにタオル配るとか、寄り合いを欠かさないとかいった手間とストレスのかかる付き合いはウチナーンチュには勝てないと思う。

■先週、サッカー選手の長友が恋人の実家に挨拶するため宮古島を訪れた、というニュースがあった。正確に言うと宮古島からフェリーで20分かかる伊良部島を訪れたのだ。ここの情報伝播力は並じゃない。台風が去ったばかりの荒れた海岸で泳いでいたカップルにおまわりさんが「危ないからおやめなさい」と注意したら世界の長友だった、おまわりさんは「すみませんサインください!」と言った、なんて笑い話が、まことしやかに、その日のうちに島中に広がったそうだ。
 長友は大スターなので彼の足跡を訪ねてテレビのワイドショーレポーターが伊良部島を訪れた。島民はいろいろと自分が見た長友のことを取材班に喋っていた。伊良部島をイタリアのトップチームでプレイするサッカー選手が訪れたのは初めてかもしれないが、これはあんまりだろ、と思う。現役のうちはもう島に来る気をなくすのではないか。まあ、これは島の人たちよりか過熱取材をする側がいかんと思うが。

■ナイチャーは、とくに都会人は、ストレスのかかる人間関係を避け、隣人関係を結ばずに済むマンションの個室を買い、極力プライバシーを晒さずに生きてきた。その結果、プライバシーの秘匿は完璧、自室で死んでも誰にも気づかれないという究極の個人情報保護体制ができあがった。
 だからこそ沖縄に魅せられ移住するナイチャーが大勢いるのだと思う。沖縄のなーなーな共同体社会に憧れ、そして疲れ果てるかもしれない。
 マイケル・サンデルの素敵なハーバード熱血講義を見て「コミュニタリアン共同体主義)ってかっこいいなあ」なーんて思うけど、ほんとに共同体を機能させようとしたら、沖縄の社会のように模合や寄り合いに手間とコストを惜しまず、隣人の過ちに寛大になり、卑俗な噂話に自分も参加する覚悟が必要なんじゃないか…? と思うのだ。そして僕にはまだその覚悟はないのだ。

■僕はただの観光客にすぎないが、沖縄が好きだ。機内誌で見るきれいな沖縄だけじゃなくて、土着な沖縄、矛盾した沖縄も含めて好きだ。矛盾した問題を抱えているのは沖縄だけじゃない。僕の田舎の広島県だって問題はいろいろある。いや、日本で一番うまくいってると思われてる自治体・東京都だって問題は山のようにある。ただ、沖縄の抱える矛盾は、日本がいま悩んでいる矛盾と緊密に繋がっているから、その分悩みが深いのだと思う。そういうところにも僕は惹かれる。
 あと僕は米軍基地は沖縄にあってはいけないと思う。本当は原子力発電所と同じで日本のどこにあってもいけないわけだが、とりあえず沖縄の基地を減らさないと。知念ウシが言うように「内地に持って帰」れるもんなら、旅行で訪れるたびにポケット一つ分とか米軍基地を持って帰りたいよ。
   下地勇の一番のオススメはこれかな?