新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

あの「平井文書」を批判検証した「EiFYE文書」を批判的に読んでみた。

孫正義も推奨した「平井文書」を憶えてますか?
 反原発の言論において、ネット上に有名な文書がある。「原発がどんなものか知ってほしい」http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html 通称「平井文書」。
 3月の福島第一原子力発電所の事故直後、ネット上でさかんにこの文書について言及されていた。僕が目にしたのは宮台真司さんのツイートでだった。孫正義のツイートで知った方も多かろう。ピーター・バラカンがインターFMの番組で「こういう文書がある、ぜひ一度読んでみてほしい」と言い、聴取者から「あれは信憑性に欠けるものだ」と指摘されたのも聞いた。

 そう、平井文書に反論する文書がある。いま検索してもっとも上位に来るのは「妖精現実」さんのアーカイブだろう。 http://www.faireal.net/dat/d2/d20903.xml このアーカイブでは、閉鎖されたサイト「EiFYE(エイフィー)原子力発電所」が掲載していた『Re:原発がどんなものか知ってほしい』をzipで読むことができる。 http://www.faireal.net/_tmp/2002/eifye.zip

 僕は3月の事故直後に震えながらこれらを読みふけった。
 整理すると、平井氏が亡くなったのが1997年、他人の手によって平井文書がまとめられたのが2000年以降、EiFYE氏が平井文書の検証を行ったのが2002年、EiFYE氏がサイトを閉じた直後に妖精現実氏がキャッシュをサルベージしたりEiFYE氏の同人誌をOCRしたりでアーカイブされたのが2002から2003年、アーカイブが現在の形になったのが2006年。
 そして2011年に、東日本大震災福島第一原子力発電所の事象が起きた。
 現在の地点からEiFYE氏や妖精現実氏の見解を批判するのは後出しじゃんけんでフェアじゃない。けど、それを承知でやってみる。卑怯な後知恵かもしれないが、それをやることで新たに理解できることがある、と思うからだ。

■いまさら「平井文書批判」を読むことにどんな意味が?
 僕が知りたいと思ってることは三つ。
 一つは、「平井文書は本当に信ずるに値しないのか?」。
 二つは、「平井文書への批判は妥当なのか?」。
 三つは、「原子力発電をめぐる言論にはどんなバイアスがあるのか?」。

 二つ目まではわかるでしょ。三つ目はどういうことかというと。
 EiFYE氏は、平井文書のバイアスを丹念に解きほぐそうとした。それはけっこう成功している。こういうバイアスのかかった文書なんだよ、ということを浮き彫りにしている。
 妖精現実氏は、EiFYE氏もあるバイアスに囚われていた、そのため無駄な議論や無意味な検証をするはめになった、だけどおおむねEiFYE氏は正しい、二つの文書の価値を喩えると、「重みづけは、0.1対99.9のレベル」だという。

 ほんとだろうか? そんなに平井文書は価値がないのだろうか。あんな事が起こってしまった後では「やっぱり平井文書や反原発の人が言ってたことは当たってたじゃん」と思ってしまうのだが、それは間違いなのか?

 福島第一原子力発電所のレベル7重大事象を踏まえて、もう一度これらを読んでメモを作ってみる。平井文書はもうみなさんご存じなのでここではやらない。各自で読んでほしい。EiFYE文書を読みつつ、それに付随して妖精現実氏のアーカイブ解説記事にもちょっとコメントを。

■EiFYE文書の行間から見えてくるモノとは
 まずはEiFYE文書から。http://www.faireal.net/_tmp/2002/eifye.zip

そもそも設計というモノは机上で行われますので、間
違っていないでしょう。ですが、机上で充分に検討さ
れたものな訳です。その設計は信頼に値すると私は
思います。

 EiFYE氏は自分で「原発職員」で「原子力発電所の運転」経験があり、2002年当時「福島第一原子力発電所1号機にも携わって仕事をしています」とのことだ。だから僕は、そのような人がそのような立場を明らかにして平井文書批判を書いている、と念頭に置いて読み進むことにする。
 ここは平井文書のツカミである「原発地震で…決して大丈夫ではない」について言及したところ。たしかに当事者であれば、設計は信頼性があるし、施工はきちんと検査されたのでOK、と考えるほかない。いやいや施工は甘いぞ、とか、設計も怪しいぞ、とは考えられないのだ。そう考えたら当事者であることを辞めなきゃいけなくなるから。

モノを作った時にはかならずキチンと出来ているかを
検査しますので、設計通りになっていない可能性は低
いと思います。

 この言い方はEiFYE氏が平井文書を批判するときのキモであり常套句だ。ざっくりと言うと、平井文書は「理屈ではこうなってるけど、実際の現場はこうなんだよ」と聴く者を煽るわけだが、EiFYE文書は「いや理屈ではこうなってるんだけど」と切り返す。ここが「噛み合わない」とされる所以か。

常識で考えてもちゃんと確認するのが当たりまえで
す。従って設計どおりに造られない確率はかなり低く
なると思います。

 この「常識で考えて」もEiFYE文書の常套句だ。ここでは、原子力発電所の施工にプロの職人が少なくなった、ゆえにエラーも増えているはずだ、とする平井文書に対して、いや各段階でチェックが入るのでエラーの可能性はどんどん減るはずだ、と反論している。
 工程に多くの人が携わればエラーが減る可能性はあるか? あるとも言えるしそうじゃないとも言えるのではないか。いろんな人が一所懸命やったけど、そのうち一人がミスって全体がぽしゃった、ってこともあるだろう。僕は工程管理の理論とか知らないのだが、「常識では考えられないことが起きる」からこそ工程のマネジメント理論とかが発達してきたのではないかと思う。
 マーフィの法則「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」「作業の手順が複数個あって、その内破局に至るものがあるなら、誰かがそれを実行する。」「いろんな可能性があるなかで最悪の事態が起きる。」を言い出したらきりがないのだけど、原子力発電はその最悪の事態のキリがなさすぎると思う。

どこをどう一歩間違えても「世界中を巻き込むような
大事故」に進展する事は考えられないのですが。
こういう書き方をするならば、「針金がどこをどのよう
にすると大事故になるのか」を説明する必要があると
思いますがどうでしょうか。

 福島の原発で「針金を原子炉の中に落としたまま運転していて」「1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故に」と平井文書が煽ってたことへの反論。これは僕もちょっと知りたい。炉心に針金を一本放置したことがどれだけの事故を起こすのか、想像がつかないから。
 しかし、僕らはこれとよく似たことをもう知っている。高速増殖炉もんじゅの中にかなり大きな針金が落ちて取り出せないことや、世界中を巻き込むかもしれない大事故を予防するための予備電源が容易に故障するようになっていたため、実際に世界中を巻き込んだ大事故が起きてしまった、ということを。
 針金が大事故の原因になるかどうかが問題なのじゃない。その針金を取り出そうとするか放置するかのメンタリティが問題なのだ。そして残念ながら、僕らがこれまで見て知った東京電力の態度は「取り出すのがコスト的に見合わないので放置します」とかって言いそう、ってことだ。

手抜きする人や技能のない人を受注会社が出してく
るとは思えません。

 発注する側はこう考える、というだけのことで、反論にはなっていない。受注する側は「手抜きがバレるような人材や技能がないことがモロバレの人材は送り込まないよ」と言うと思うよ。受注する側のインセンティブを考えず、発注側の都合を100%満たす業者だけに発注している、と思うのはいかがなものか。


■“常識”を疑え!

常識で考えてです。
普通、「科技庁(科学技術庁)の者」が自ら講演会で
「まるっきり素人です」と「会場から発言」するものでしょ
うか?

常識で考えてです。お役人に連絡が遅れたとなって
は後々大変でしょう?
従って「素人だから知らせなかった」というのは間違
いだと思います。
また、個人的には何で『現場監督がそのへんの事情
を語れるのか?』の方が不思議です。現場担当者が
知る由も無い話だと思いませんか?

 常套句「常識で考えて」を使った箇所を二つ並べてみた。この箇所の反論文は、これ単体で読むと納得できる。ここで言う「常識」が僕たちの常識と、もしも一致しているなら、だ。
 だが僕らはもう知っている。東京電力の人の常識は、案外と非常識であることを。
 この箇所、前者はさておき、後者は東電の人のふるまいを「常識で考えてそんなことはありえない、だからそんなことはなかったはずだ」と言っている。僕は思う。たぶん、あったんだよ。そういう嘘や隠蔽をするのが東京電力の人の常識だから、と。
 本当に残念なことだが。

原子力検査協会』…機関が存在しない事を知らずに「そんな素人の機関
が見てるのか」とお考えになってしまった方は、もう少
し「本当なのか?」という事に注意して読まれるべきだ
と思いますよ。

 これは的を射た指摘。知らないことが書いてあって、調べるのが面倒だから書いてあるままを信じる、無批判でスルーする、ということを僕らはしがちだ。いやあなたはしませんか。すみません。僕はけっこうしてしまいます。
 知らないことは全部ググる、くらいの勢いで物事に当たらなきゃいけないんだな。ググった結果、目の前の当該文書しか出てこない場合は、当該文書の捏造だとして以後考慮からはずす、と。
 ただ、僕らは、たとえば原子力安全・保安院がなんだかあんまり機能しない、素人くさい機関だってこととか、天下りや就職斡旋の利害関係がいろんな人を結びつけていることを知ってしまった。

立会い検査で水が漏れた日には作業員も監督も真
っ青になります。場合によっては次回以降、仕事が廻
ってくるかどうか怪しくなるのですから。

 これはその通りだろう。正しい。つまり“下請けのパフォーマンスは、次回は受注できないかもしれない、という危機意識に支えられて高品質を保つ”というインセンティブがあるということだ。
 では発注元である東京電力が、自分たちの仕事の品質を保つインセンティブは何か?
 ないよね、そんなの。だって東電がいちばん偉いんだもの。何が起きても仕事を失わないんだもの。真面目にやる意味がない。そんなインセンティブは、ない。

というか、それを言ったら火力プラントだって同じよう
に水や蒸気が流れているわけですよ。常識で考えて
みても、配管系が停止してスグにボロボロになるはず
が無いです。

 ここの「常識で考えて」は物理や物性の常識だから、妥当だと思う。だけど、他の箇所で見たように、人々の行動や人が決めた決まり事を「常識で考えて」と演繹することは妥当ではない。っていうかそれは演繹ではなく、先に結論ありきの空論にすぎない。


■“人がどう行動するか”は物理や化学の常識でははかれない

狂牛病であの騒ぎです、それが日頃食べる近海の
魚が汚染されているのだとしたら、シャレにならないパ
ニックになってもおかしくありませんよ。
漁業問題としてもっと大々的に取り上げられてしかる
べきでしょう。
中には「パニックを恐れた政府の悪徳役人がマスコミ
に圧力をかけて隠しているに違いない」等と勘ぐる方
もいるかもしれませんが、その政府の役人にしても刺
身を食べたりしてますよね。
原発職員の自分だって地元で採れた魚を食べてま
す。
つまりはこの「放射能垂れ流しの海。」という話は明
らかに間違っていると言う事です。

 事実としては、パニックは起きなかった。むしろ、放射性物質を含んでるかもしれない食品を、「被災地支援」と称して積極的に購入して学校給食に使ったりする動きすらある。
 悪徳役人はマスコミに圧力をかける必要などなかったのだ。任意の箇所で任意の情報を遮断するだけで、何の騒ぎもなく、どんなことだってやれる。人々は蒙昧で温和しい。
 いま、現実として「放射能垂れ流しの海」が起きている。そしてEiFYE氏の予測を超えて事態は進行した。人々は事実を知ってもパニックを起こすどころか、パニックになっても無駄と知って、従容と放射性物質を受け容れたのだ。僕もね。
 人がパニックを起こすとか、マスコミが黙っちゃいない、だから…という論理は、もう成立しないってこと。

ですから、少なくとも現状では間違っても一週間分を
一日で浴びせて作業をする事は起こりえません。予
測線量がアラームメーターの最大値を超える作業計
画書は立案できません。許可もされません。もし誤っ
て許可されてもメーターがセット出来ないので管理区
域に入れず、物理的に作業を実施できません。

 ハードウェアである線量計はウソをつかないが、それを使う立場の人はウソをつく。というか許容量を恣意的に変えたりできる。それがはっきりとわかってしまった。
 これまでだって、そういうことが行われてこなかったって断言できるだろうか。

ですが、人命より金が大事かといわれたら、決してそ
んな事は無いです。
すこし考えれば用意に想像がつくでしょう?
そんな強引な作業をして、万一事故が起きたら。人身
災害が起きたら。そちらの方が一大事ですよ。手続き
だって大変なんです。マスコミや地元や国への説明だ
って大変です。そんな無理は誰だってしたくないでし
ょう。

 万一というか実際に事故が起きたとき、「廃炉になっちゃうから」と海水注入を躊躇したわけだ。原子炉に不可逆的なダメージを与えるのが嫌だったから、日本の国土に不可逆的なダメージを与えてしまった。これは、何よりも目先の金が大事だった、ということにほかならないのでは? 国民やマスコミへの説明なんてチョロかったしね。

もう一度書きますが、放射線に関する事にはウソは
つけないんです。
物理現象は正直だと言う事です。

 放射線を計測するハードウェアはウソをつかない。きっとそうだろう。だがモニタリングポストを稼働させなかったり、計測値を発表しなかったりといったことはできる。人はウソをつく、関係者は不正直に行動することは十分にあり得る、そういうインセンティブがある、ということだ。

その後の解析によって、現在ではなんと寿命は60年
行けると言われています。
もちろん然るべき補修やモーター、ポンプなどの交
換を行いますが、原子炉本体は炉材のサンプリング分
析の結果、まだまだ充分大丈夫な事が判っています。
(公開資料より)
従って、言われるほど「くたびれてヨタヨタ」には成っ
ていないというのが現状のようです。

 事故直後、福島第一原子力発電所で働いていた人たちが身を寄せていた避難所を取材したブログだか何かで、「事故は老朽化が原因だ」との声をいくつも聞いた、とあった。
 避難所にいた人が発電所でどんな仕事をしていたのかはわからない。その発言はイメージにすぎないかもしれない。だが、操業四十年のプラントが、そこで働く人たちにとって、けっこう「くたびれてヨタヨタ」に見えたのであろうことは想像に難くない。
 逆を言えば、東京電力は古いプラントを「くたびれてヨタヨタ」の外見のまま運転していた、それを許していたのだ。必要な補修はきちんとしてたのかもしれないが…それも推測にすぎないね。ほんとのところはわからない。

文頭の「私は原発反対運動家ではありません」という
宣言文です。
これだけ、明らかに故意に原子力に否定的な見解
で様々な事象を書いて公表しておきながら、この宣言
は随分ではないでしょうか?

 これはまったくその通り。ていうか、平井文書を読み始めたとき「私は原発反対…ではありません」で「ふんふん、この人はニュートラルなのね」と思いこみ、最後まで読んで「ああやっぱりニュートラルな人でもこれだけ原発には反対なのね」と信じちゃうことって、けっこうあるんだよね。ずいぶんな話だと思います。
 平井文書はこの一点を以てしても“アンフェアな文書”と呼んで差し支えないと思う。
 だが、はからずも平井文書はいろんなことの隠蔽をひっぺがしてしまった。その功績は称えるべきだとも思う。
 とくに、EiFYE文書のように、技術者が誠実に愚直に反論をしたためた結果、はからずも電力会社の体質やそのインセンティブを文字にしてしまったことは、平井文書ならびにEiFYE氏の大きな功績だと思う。こうしたことは内部告発でもなかなか出てこない、本人が意図して出せるもんじゃないので、実に貴重だと思います。

 そう、僕はここまでEiFYE文書の揚げ足取りをしてきたわけだけど、もちろん悪意はあるのだけれど、それ以上に、EiFYE文書の端々からにじみ出るノンバーバルな事どもが重要だと思う。この文書はかつて書き手によって削除されたものだけど、今また広く読まれるべきだと思います。


パラダイムが変わったんだから、文書の読み方も変わるべきでは?
 もう一つ、EiFYE文書を貴重なアーカイブにしてくださった妖精現実さんの意見にコメントしておきたい。
 妖精現実氏がアーカイブhttp://www.faireal.net/dat/d2/d20903.xmlを作り終えたのは2006年。当時の議論では「石油は枯渇する。有望な未来は原子力にある」というパラダイムが支配的だった。もっともそのパラダイムは電力会社の広報がたくさん広告宣伝費を使って作り上げたものだったかもしれないが。
 なので2006年時点で妖精現実氏はこう記している。

 わたしたちの生活は今この瞬間も、原子力で成り立っているのだから、 実は、賛成反対というのはかなりナンセンスでもある。 現実的に停止できるし停止すべきであるむちゃな戦争に反対するのとは、わけが違う。 原発に反対して「ただちに原発を停止せよ」と息巻いている運動家に従い、すべての原発を停止してみよう。 東京は大停電に陥り、電話もインターネットも水道もガスも病院も…何も機能せず、 大混乱のカオスとなるだろう。飢え死にする人もでるかもしれない。 暗黒のパニックの中で、殺人・強盗などのあらゆる犯罪も起きるだろう。

 事実として、日本の原子力発電所は次々と停まりつつあるが、とりあえず大混乱のカオスにはならなかった。飢え死には別の理由でなら起きてるが、とりあえず原子力発電が停まって飢え死にした人はいないと僕は思う。

 妖精現実氏が「平井文書」「EiFYE文書」を見る目は、当時の時点ではかぎりなくフェアだったと思う。とくにEiFYE氏を思いやる彼の態度には、やさしさだけじゃないフェアネスを感じて、僕は尊敬の念すら抱く。
 だけど、いろんな前提が変わってしまった今、文書たちはまた違った観点から読まれなきゃいかんのでは、と僕は思う。
 平井文書は、「原子力発電のハードはこんな感じに危険なんだよ」という観点から読むとウソばかりなのかもしれない。だけれど、「原子力発電に携わる人たちはこんな感じにいいかげんなんだよ」という観点から読めば、全然ウソじゃないじゃん、とも言えないか。
 そして原子力発電所のレベル7事象は、ハードの限界から起きたことではなく、ほとんどすべて人災だった。いまやそういうことが判明してしまった。

 原子力発電所は次々停まりつつある。普通に定期点検で停まったがさいご、どこの知事も再稼働を許さないので事実上もう動かない。来年の今頃は全部の原子炉が停まってるだろう。
 だからといって災害の芽が摘まれたわけではない。なにしろ事故の原因はたいてい人災だ。福島第一・4号機は停止してたのにあんなことになったわけだし、安心なんかできない。
 いま一度、平井文書とEiFYE文書に目を通し、何が事故を起こすのか、誰が事故を起こすのか、考えるのもいいんじゃないかな、と思うわけです。