新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その8 それぞれの逡巡

 今夜は佐々木俊尚さんの新刊『電子書籍の衝撃』9784887598089の発刊イベントがあったらしい。ツイッターを見てると予想だにせぬ方角から拙ブログのURLが。ハッシュタグ #denshi を追っかけるとイベントの実況タイムラインが現れた。そこに「RT @joesakai あれ、どこの出版社の話か、バレてますよね(笑)RT @chibama: リストラなうの話なう #denshi」などと不敵なつぶやきが!
 なんだとー!!
 そうかー、バレてるのかー。いやいや、そんなことないですからね! そんな会社は知りません! 僕は認めませんよ! 最後までしらを切り通します!


■募集2日め、確信はないけれど
 昨夜ブログを更新した後、気分を変えたくなって盛り場に飲みに行った。濡れた歩道をてくてく歩いてると、向こうから見知った顔がやってきた。
「あ、○○さんじゃないですか」
「あーびっくりした。そんな格好で何してる?」(僕は黒ソフト帽をかぶっていた)
「飲みに行こうかと。○○さんはもういい心持ちですね?」
「ああもう帰るとこ。ところで君“たぬきち”なの?」
「どこでその名を! って、そうですけどw」
「そっか…」
「○○さん、どうなさるんですか?」
「うーん……悩んだけど、辞めることにしたよ」
「そりゃいい! 同期生ですね。卒業の」
「そうさね…まあ、人事がこうなるらしいし(と符丁や隠語や暗号を混ぜて会社の噂をひとくさり)、で、決めたんだ」
「そうですか…(僕にはよくわからない)、で、どうされるんです?」
「アテはないよ。君だってないんだろ?」
「ええ」
「しばらくぶらぶらするかなー。じゃア」
「ええ、おやすみなさい。握手してくださいよ」
「変なの。いいよ、じゃ、おやすみ」
 降りたいんだか上がりたいんだかわからない雨が帽子のつばに水滴をつけていたが、僕の気分はだいぶ軽くなった。その夜は一人で飲んだけど○○さんと僕自身の未来に乾杯しておいた。
 この人に限らず“決めた”人との会話はおおむねシンプルだ。悩みは人それぞれで百通りも千通りも存在するが、いったん決めてしまえば考えることなんてそんなに多くない。


 昨日の募集1日めは、総務部に出入りする人が多くて社内はかなりざわついたようだ。だが何人くらいが応募したのかは相変わらずわからない。総務部のドアに一日張り付いていればわかるのかもしれないが(出口調査か!)、そんな暇はないし。
 何人か意外な面々が提出したと聞いた。僕にとっては上記の先輩も意外な人だった。
 応募者の数は相変わらず聞こえてこない。僕がこんなふうにダダ漏れするのを警戒してるのかとも思ったが、よくわからない。会社側からのプレッシャーらしきものもないし。このまま静かに、つつがなく定員を満たし、自分で辞めると決めた者だけが去り、残ると決めた者は気持ちよく残れればいいのだが。
 問題は、大半の者は悩み、迷っている最中だということだ。人生の半ばで責任重い人たちの悩みには、僕なんかの言葉は軽すぎてダメだ。届かない。


■したくないけど給料の話をしよう。段々と
 今日は気が乗らない話を書く。この某大手出版社の正社員がどんだけ高給かという件だ。気が重い。
 このところ辛辣なコメントがつく。「自慢話なんでしょうか」「共感できない」「給与について書くとき、『出版社社員』を『大手出版社社員』に変えていただきたいです。高給なのは、ほんのひとにぎりの大手だけ」……その通りだ。そしてきわめつけが「ここまで書かれたのですから、他の人のことはともあれ、たぬきちさん自身のこれまでの年収と予定される退職金額は公表はしてほしいですね。それがないと、どの程度の『厳しさ』『辛さ』なのか伝わらないと思いますよ」!
 そうなんだよな。これまでべらぼうに高い給料取ってきたってことを隠して書き続けると欺瞞になっちゃう。かといって赤裸々に金額を載せると絶対に共感は得られなくなる。むしろ反感を買う。ふざけんなよ、そんな高い給料と退職金取っといて、リストラされただの圧迫面接だっただの“被害者ヅラ”かよ! ちったあ世間の風っつーものを浴びてからモノを言え!このすっとこどっこい! …となる。
 でもまあ、中途半端な共感よりも、数値の持つ絶対性・冷酷さがどんな破壊力なのか見てみたい気がするので、準備でき次第、自分のこれまでの年収は晒してみようと思う。給与明細ほとんど持ってるし。非難の嵐が怖いなあ。
 退職金については、まだゲットしてないので書かない。まずはゲットしないとな。


■優秀な編集者・営業マンの牙を抜いたのは何か
「何をしたいか、したいことがないんだよ」
 窮屈そうに身体を折り曲げるのが彼の癖だ。そうして低い声でぼそりとつぶやく。うまく聞き取れないので顔を近づけると、自然、彼の言葉に耳を傾けることになる。
「お前はブログ書いてて楽しそうだけど、2ちゃんにも書かれてただろ? 応援してる、がんばれ、って言うやつは多いけど、一緒に働こう、うちで働いてくれ、ってやつぁいないだろ? 本って言ったってしれてるだろ。部数なんて行って八千だよ」
 その通りだ。出版のオファーが来たりして舞い上がってた。まだ十数ページ分しか原稿がないのに書籍化なんて言って浮かれてる場合じゃない。
「…でも僕ぁ楽しいよ。会社残るって選択する覚悟は認めるよ。でも、この会社を変えていこうって本当に覚悟してる? 息苦しい会社に風穴あけたのは、今のとこ、辞めてく僕が書いたしょーもないブログだけじゃない?」
「言うね……俺だって真剣に悩んでるよ。でも、俺も声かけてくれる人なんていないんだ。みんなもそうだ。また編集戻ってモノを作りたいって思ったけど、できるかどうかわからない。外に出たって、したいことなんてないんだ」
 僕は彼の率直すぎる懺悔に驚いた。彼は乱暴なもの言いとは裏腹に繊細な心遣いができる人で、仕事ぶりもエネルギッシュであるいっぽう、先様の気持ちをつかむ誠実さを持っていた。はっきり言って尊敬している。その彼が「やりたいことが見つからない」と嘆いている。何を甘えたことを、と思ったが、その空虚さ・切実さは全然バカにできない。むしろ、彼のように自分の内面の空虚さにきちんと向き合おうとするのは珍しい。たいがいの者は目の前の雑事に逃避したり、酒や会社の愚痴に淫するのみだ。
 こういう社員が、会社には実に多い。腐っても大手のはしくれ、二十年前に高止まりした基本給を今でも墨守しているため、この不景気下でもついこの間まで信じられない額を出していた。高給に安住すると、ハングリーさがなくなる。牙を抜かれる。結局、彼のようにやりたいことを見失ってしまう者が後を絶たない。
 実のところ、こないだまで僕もそうだった。だが今回の騒動をきっかけに僕にはやりたいこと/自分にできそうなことの見当がついてきた。これはありがたい。だが一朝一夕で強くなれるわけもないので、自分のひ弱さ、とくに世間知らずの高給取りだった弱さがこれから通用するか、心配なのも事実だ。


■高給は必ずしも悩みを減らしてくれない
 もう一つのパターンが、高給にふさわしい生活水準へと適応するうち、身動きがとれなくなるケースだ。経済が右肩上がりで成長する時代なら、何も考えずに旧来のライフプランに乗ってみるのもよかった。結婚、出産、住宅購入、輸入車購入、子どものお受験、私立進学……こんなふうに生活のスケールを拡大し続けると、今回のように収入が激減する、定収がなくなるという事態に適応ができない。
 対象者だけど今回は辞めないと真っ先に宣言した人たちは、多かれ少なかれこのタイプだ。なかでも住宅ローンと教育費は2大負債だといえる。こういうこと書いた本、あったなあ。
 
 90年代に早々と個人でタックスヘイブンを使うことを提唱した著者集団「海外投資を楽しむ会」だけど、同時に「専業主婦は不良資産」「住宅ローンと教育費は両立しないので、子どもを持つなら家を、家を持つなら子どもを諦めろ」といった過激な主張を繰り広げていた。こいつらの本を読んでいると、会社の人たちがやってることが怖くてしかたがなかった。なんでこんなにリスクファクターを増やすかな?と。
 でも、周囲みんなが同じことをやってると、それが危険だということがわからなくなるんだね。僕は適齢期に鬱病をやって結婚しそびれたせいもあるが、次々と結婚し家族を作る同世代の選択がちょっと信じられなかった。たしかに僕らは世間でいう高給取りだ。だが、無限にお金をもらってるわけじゃなくて、せいぜい1000万円台から1500万円までだ。結婚したみんなのきらびやかな消費生活は、給与所得以上のものじゃないか? ある者は結婚するに当たって生涯所得をExcelでシミュレートしてみたというが、今回の会社再建案で給与水準が大きく見直される、そのショックを吸収できるバッファはあるのだろうか?
 高給は薄給より良いに決まっている。死や飢餓や非人間的な扱いから自分を守ってくれるのはお金がいちばん可能性がある。
 だが、普段から高給に慣れてしまうと、その高給をきっちり使い切る方向へと生活が肥大する。
 それは会社の経営もまったく同じで、数百億あったといわれる内部留保が、十年経たないうちに溶けて消えて借金が残るのである。人間の身に同じことが起きないと誰が言えよう。


 この項、少し情緒的になりすぎたようだ。もっと具体的にやるか、考えを整理して再挑戦したい。
 一つだけ言っておきたいのは、僕だってこの不自然なほどの高給に何の疑問も持たなかったわけじゃない、ということだ。でも金はドラッグだ。今だって、根拠レスな心配のあまり、踏み出せない人がいる。僕はそうはなりたくなかった。(つづく)