新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

『評伝 小室直樹』上下巻、村上篤直著、ミネルヴァ書房より発刊

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大変な本をご恵贈いただきました。
著者は東大法学部卒(小室先生の後輩ということか)の弁護士さんで、小室先生の著作目録や年譜を作ってこられた人。
今回、ものすごい大勢の人にインタビューして、小室直樹伝をものされました。僕もインタビューを受けて、ファミレスでコーヒー奢ってもらっただけでなく、和菓子のお土産までいただいて超恐縮でした。そのうえこの総額五千円を超える本を謹呈いただき、恐れ入ることおびただしいです。
(インタビューした方全員に献本したとしたら、印税じゃ足らないと思います。これはもはや社会貢献活動かと)
    ※  ※  ※
評伝 小室直樹(上):学問と酒と猫を愛した過激な天才
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評伝 小室直樹(下):現実はやがて私に追いつくであろう
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著者:村上篤直
昭和四七(一九七二)年、愛媛県生まれ。平成三(一九九一)年、愛光学園高等部卒業。
平成四(一九九二)年、東京大学教養学部理科II類中退。平成九(一九九七)年、東京大学法学部卒業。
平成一一(一九九九)年、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程中退。弁護士(新六四期)。
橋爪大三郎編著『小室直樹の世界』(ミネルヴァ書房、平成二五(二〇一三)年)にて「小室直樹博士著作目録/略年譜」を執筆。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ「ボーダーライン」(Sicario)(2015)の感想(後)

完全ネタバレ◎アレハンドロの秘密と作品の謎を全部書く

 夜、テキサス州エルパソからアリゾナ州フェニックスに戻る。ここでレジーが呼び出され、彼の運転で160キロ離れたツーソンへ移動。ツーソンでは深夜2時なのに煌煌と明かりが付いた施設に行く。大勢のメキシコ人が座り込んでおり、銃を持った警備兵がいる。ボーダーパトロール国境警備隊である。

 メキシコ人たちはバスで連れて来られており、「彼らの夜食代に8000ドルかかる」という台詞もある。おそらく入管のような、不法移民として摘発された人びとが収容される施設から連れて来られているのだ。
 スペイン語で彼らに問いかけるアレハンドロ。米国人官吏のように強権的ではなく、彼らの間に分け入って腰を屈め、視線の高さを同じくらいにして、近づき、「結婚は?」「子どもは」「手を見せろ、入れ墨はないな」と尋ねていく。
 すぐ後で判明するが、これは、ノガレスにあるという秘密トンネルの位置を探し当てるための、不法移民たちからのデブリーフィング、そのためのリクルートメントなのだ。訊問ではなく、自由に話させる。その方がリラックスして正確な情報になる、といったノウハウがアレハンドロにはあるのだろう。
 貧しい移民たちの間に分け入るアレハンドロの姿は、優しさに満ちている。移民たちに寄り添う姿勢がある。彼を見ているケイトたちには、それはない。アレハンドロは移民たちを“同胞”として遇しているのだ。
 ケイトにはそれがわからないから、このリクルートの意味もわからず、ここにいること自体に苛立ってしまう。もう深夜2時なのに引っ張り回され、自分が何をさせられてるかもわからない。あげく、「もう帰っていいよ」と片道2時間のフェニックスに帰れと言われる。着いたら明け方だろう。
 対照的にアレハンドロは主体的に行動し、精力的だ。とくにこのシーンは生き生きしていた。
 アレハンドロがメキシコでずっと検察官をやっていたら、こうして民衆と接し、庶民派の検事として人気になっていただろう。やがて選挙に出て、大物政治家になったかもしれない。
 すべてがカルテルによって狂わされたのだ。

 翌朝、ケイトはあまり眠れなかったようで、フェニックスの自宅で悶々とメキシコの犯罪写真などを検索して見ていた。朝、レジーが訪れて例の「新しいブラを買え」議論を仕掛けるパートだ。
 二人が“本部”になっているモーテルを訪れると、朝から(?)アレハンドロと移民たちは地図を前に熱心に議論している。
 移民たちはアレハンドロに積極的に協力している。もしかすると見返りを約束したのかもしれないが、それ以上に、アレハンドロの態度が彼ら移民を正しく遇しているから、移民たちのモチベーションも上がっている。

 マットの発案で、マヌエル・ディアスの資金洗浄係を拘束、口座を凍結する作戦に出る。資金洗浄係の金髪・白バッグの女性は特定済み。地元フェニックスのSWATに拘束を頼む。ここでゴムバンドで丸く留めた札束が出てくる。一束1万ドルくらいだと思う。こういう風に丸い札束を作るのはアングラな博奕打ちが多いと聞いたが、正規の銀行でもやるのかな?(これは洗浄済みの、銀行からおろした金だと思う)

 ここでケイトとレジーボーンヘッドをする。銀行の店内に入り、支店長に掛け合ったのだ。マットは「銀行に入るな」と注意したのだが。
 ケイトの目論見は、合法的にディアスを逮捕拘束し起訴すること。マットたちに任せているといずれ非合法(超法規的)にディアスを処分してしまうかもしれない。それは許せない。だからマットの制止を振り切ってでもここは突破しなければならない。
 マットとしては、そのくらい敵も想定内で、不正資金くらいでの裁判は打撃にもならない、たぶん起訴もできないだろう、それより泡食らってメキシコに戻るのを待つべきだ(国外で超法規的措置に出る)。これはケイトとしては絶対に賛同できない。メキシコでFBIが活動するのは違法だからだ。

 ケイトとレジーは銀行の監視カメラにはっきり顔を撮られてしまった。組織は、口座を凍結した連中の一人、とケイトを認識したはずだ。
 
 一瞬、プール付き邸宅の男が映る。札束のゴムバンドをいじっている。

 自分の上司に掛け合うケイト。ケイトは正規の手続きで立件・逮捕・裁判に持っていきたい。だが上司はすでに投げやりで「去年の立件数はその前の二年分より多い。でも街は安全にならなかった(立件しても仕方がない)」と言う。すでに正規の手続きを放棄しているかのようだ。少なくともマットたちの作戦を支持し、ケイトに自重を求めている。
 そして、この作戦は高いレベルで決定されたもので「超法規的行動をしてもいいんだよ」とケイトを説得する。そう言われてもケイトとしては容認しがたい。違法な捜査はしてはいけない、法を遵守して執行せよ、というのはFBIの金科玉条、ケイトとレジーの信奉する主義でもあるからだ。上司の命令で個人の信条を曲げることはできない、というのが米国的な倫理観だ。

 気晴らしに地元のバーへ飲みに行くケイトとレジー。ここでレジーはケイトに気分転換させようとする。うまい具合に以前知り合った地元警官テッドがいた。テッドはケイトが店に入ってきたときから気付いてチラチラ見ていた。
 この映画は説明が丁寧だ。このチラチラ見透かすシーンも、当然伏線になっている。
 ケイトは彼を自分の部屋に伴う。愛撫を交わし、いい雰囲気になったとこで、テッドはジーンズのポケットから邪魔な鍵束を出してテーブルに置く。そこに色鮮やかなゴムバンドがある。
 ケイトはゴムバンドが目に入ってしまう。一瞬で気付く。テッドから身体を離し、距離を取ろうとする。追いすがるテッド。だがもうケイトは怖くてテッドを許容できない。自分の拳銃を取って自分を守ろうとする。これが失敗だった。
 テッドは自分がディアスの金を受け取っている汚職警官だと気付かれた、と悟る。ケイトが激しい抵抗をやめないのでテッドはやむなく首を絞める。殺そうとしたのか、それともただ抵抗をやめさせようとしたのか。どちらにせよ、当初はここまでやるつもりはなかったと思われる。寝て、捜査状況がどうなっているかを聞き出せば上々、くらいのことだったかもしれない。ここまでエスカレートしたのはケイトが発砲するほど激しく抵抗したからだ。ケイトの反応も理解できるが、これは不幸なエスカレートだった。

 ケイトの意識が薄くなろうとしたとき、部屋に侵入してきたアレハンドロがテッドに拳銃を向ける。ケイトのグロックを拾ったのだろう。

 シーンが切り替わり、マットも来ている。だから銀行に入るなと言ったのに、I told you と言いつつ、ディアスの息の掛かった汚職警官を挙げることができたのは上等だった、とうれしそうだ。外には地元警察が大勢駆けつけているのに、テッドを拘束しているのはマットとアレハンドロの車だ。そしてテッドは首から上が血まみれだ。暴力を振るった訊問を受けているのだ。
 マットはテッドに言葉で訊問するだけだが、横からアレハンドロが出てくると必ずテッドに痛みを与える。顔の皮膚を捻り上げ、耳に深く指を突っ込む。的確にテッドの心を折る。ためらいもない。
 マットはさらに、「娘を安全に身辺警護をつけるか、元女房の住所をネットに晒すか」「まともな刑務所に送るか(ミズーリワークキャンプ)、屠畜場か」、ここ“屠畜場”とは原語では加州コーコラン刑務所のようなキルハウス、と言われている。チャールズ・マンソンやフアン・コロナのような殺人鬼が収監されていた州刑務所だが、ここでは治安の悪い、組織の手が内部に入っている危険な刑務所のことだろう。

 しかしこの比喩の翻訳はいただけない。今時の屠場はこういう比喩にふさわしくないからだ。キルハウスの訳は“処刑場”くらいが適当なのではないか。

 アレハンドロの駄目押しの虐待でテッドは完落ちする。携帯電話の住所録を見ながら、カルテルに買収された警官の名前を全部挙げる。これでテッドは終生カルテルから追われることになる。

 落ち込んだケイトを慰めに行くアレハンドロ。ここで彼は「奴は殺し屋じゃない。捜査状況を探っただけ。奴らの標的は我々(自分とマット)で君じゃない」とはっきり言う。ケイトはカルテルにとっても小者で、捜査状況を洩らす壊れた水道管くらいの存在なのだ。「ありがとう」と応えるが、ケイトは自分があくまで蚊帳の外であることに傷ついたはずだ。

「明日ディアスはメキシコに呼ばれる」とアレハンドロは予言する。ものすごく展開が早い。ケイトをチームに入れて作戦を始めてからまだ数日のはずだ。
 そこまで練り上げていたのを、ケイトたちFBIを噛ませてから一気にカードを切っているのだ。

 翌日、本部になっているモーテルに顔を出すと、昨日までいたメキシコ人移民たちは一人もいない。代わりにむさ苦しい私服兵たちがいる。マットの手足となる陸軍デルタフォースか。デルタは髪形や服装を偽装して偵察したり作戦したりするらしい。便衣兵である。

 空撮画像の監視員がいる。無人機でディアスの邸宅と自動車を見張っている。

 今日これからトンネル突入作戦をする、と告げられ驚くケイトとレジー。初耳だ。一応装備はつねに車に積んではいるが。突入時は後ろから付いて来い、とマットは強圧的に言う。戦力にならないのになぜ自分たちが帯同しなければならないのか、ケイトたちは不審だ。マットはあけすけに言う。「CIAは単独での国内活動を禁じられているから、君らFBIとの共同作戦ということにすれば合法になるのだ」つまり、名目上のパートナーとして、役に立たなくてもいいからついてこい、と言っている。これほど屈辱的なことはないだろう。

 レジーは激怒する。「俺たちは利用されてた。同行する必要はない。むしろ作戦をしくじらせてやれ」
 しかしケイトはそれに同意できない。「見届ける。知りたいのよ」
 二人のコミットの深さには差がある。レジーはあくまでFBIからの出向で、FBI的価値観を棄てるつもりはないし、FBIがコケにされたならメンツを取り戻すために相手(CIA)をハメることも厭わない。非常に狭量だと思うが、通常の組織間の付き合いではこれが普通だ。組織・党派の価値観を蔑ろにすることは許さない。
 だがケイトは、FBIの価値観を棄てるつもりもないが、この作戦を邪魔するのもためらわれる。この作戦はアレハンドロが立案・主導している。アレハンドロにはテッドから救ってくれた借りもあるし、その後「君は私の大切な人に似てる」と慰めの言葉をかけられている。いや、そうしたエモーショナルな部分よりも、ケイトは純粋にアレハンドロの実力に興味を持ち始めている。ディアスと、その先の大ボスを「ついに始末できる」とは、具体的にどうするのか。国境の向こう側の人間を「始末する」とは、米国法では違法に決まっている。その尻尾を捉まえて、コケにされた借りを返すか。それともアレハンドロの正体を知り、彼を理解したいのか(ここはわれわれ観客と同じなのだ)。

 作戦が始まる。武装したデルタを満載したシボレーのSUVが、フェニックスから国境のノガレス方面へとひた走る。サバーバンかタホかわからないが最大サイズのSUVだ。全車黒なので車列は異様に見える。フアレスでの移送作戦といい、この映画を象徴するものだ。

 国境の向こう側が少し描写される。これまで息子や妻とのふれ合いのみが描写されていたメキシコ人警官は、実はコカイン倉庫から安全に商品を運ぶ副業をやっていた。国境のこちら側ではマットが「メキシコ警察も車で運ぶ。制服警官を見たら敵と思え」と言っていた通りだ。この映画は説明が自然で丁寧だ。

 国境を越えたディアスを無人機が常時監視している。トンネル入口近くで全員シボレーを降りると、無造作に装備を付けて作戦が始まる。
 みそっかすのFBIはデルタのリーダーから「安全装置オン、銃身は下に向けろ。後ろにいろ。俺の仲間を撃つな」と素人相手のような注意を受ける。屈辱がいや増す。
 ヘルメットには光増幅型の暗視装置と熱感知型サーマルビジュアルセンサーが付いている。トンネル内は完全に光がない場所も多いので、光増幅型ノクトビジョンだけではダメなのだ。

 坑内に突入する。敵地だ。暗視装置でこちらからは敵が見えるが敵はこちらが見えない。サーマルセンサーには足跡まで映る。ナイフで音を立てずに見張りを倒す。
 鉱山のトンネルではなく、国境をパスする通路に過ぎないのでトンネルの構造は一本道のはずだ。少し分岐があるようだが、基本的には一本道をデルタが火力で押し、カルテル側を排除してゆく。
 トンネルのメキシコ側入口にも銃声が聞こえてくる。パトカーからの荷下ろしがまだ済んでいないが、カルテルの人間はヤバいことに気付いている。警官が律儀にすべての荷を降ろそうとするのを、「逃げよう。キーを寄越せ」と銃を突き付ける。
 そこに黒ずくめのアレハンドロが登場し、銃を持つ方を射殺する。すぐ撃てる銃を手にした者は問答無用に制圧(殺す)する、厳しすぎる作戦だ。
 生かしておいた警官をアレハンドロは拘束する。だが逮捕ではない。
 そこにトンネルからケイトが現れ、両者に「動くな」と通告、武装解除と逮捕を目論む。メキシコ側での殺人を目撃したから、ケイトにとってはアレハンドロを逮捕拘束する大義名分は十分なのだ。

 だがアレハンドロは予想外の行動に出る。ためらいなくケイトを撃ったのだ。ボディアーマー(出撃前に金属の防弾板も入れていた)を着ているので死にはしないが、相当痛いはずだ。しかも二発。古い型の防弾着だと、一発目で気密が破れると二発目は弾を通してしまう。二連発は必殺の撃ち方だ。アレハンドロが本気であることがわかる。本気の峰打ち?というと変だが、実はとても危険な男である。

 ケイトを撃ったアレハンドロの「二度と俺に銃を向けるな」も、最後まで見ると一種の伏線であることがわかる。

 アレハンドロはメキシコ警官のパトカーをハイジャックし、警官に銃を突き付けて走り去る。ケイトは言われたとおり米国側の出口に戻る。
 ここからの展開が少しご都合主義で奇妙だ。アレハンドロがメキシコ側に出た時、たまたま警官がパトカーで来てたからよかったが、車両が何もなければどうするつもりだったのだろう。
 また、無人機オペレータからの指示も奇妙だ。「標的は東北方向」というが、ノガレスの国境線は正確に東西一直線なので、東北方向は米国領で、アレハンドロより後ろになる。
「標的が17号線を行くなら56号線から回り込める。2号線から56号線を東へ」も変だ。17号線はノガレスの東の町アグアプリエタから南下する道路だ。しかしノガレスとアグアプリエタは直線距離で130キロもある。ノガレス近郊のトンネルから出たアレハンドロが追いつける距離ではない。そもそもノガレスから2号線に出るまでも40キロ以上あるのだ。1時間はかかるだろう。
 ちょっとここの位置関係は無茶苦茶で、せっかく良い映画なのに瑕疵だと思う。

 米国側。「20分後、標的に接近」とオペレータから報告が上がる。これはもちろんアレハンドロがディアスを捕捉することで、こう考えると全然ノガレスではない。むしろトンネルはアグアプリエタ近郊にあると考えた方が楽だ。

 デルタやマットは作戦が成功裏に終わりそうなので軽口を叩く。「あの二人はまったく手が掛かる」等。そこへケイトが遅れて現れる。いきなりマットを殴りつけ、返り討ちに遭って組み伏せられる。レジーも拘束される。
 マットはケイトを離れた場処に連れてゆき、落ち着け、と言う。マットは、ケイトに釘を刺さねばならない。
「君は違う通路に入り、見るべきでないものを見た」アレハンドロの単独作戦は目撃されてはならないものだったのだ。
メデジンとは?」とケイトは問う。警官シルビオがアレハンドロを見て叫んだ「メデジン」を覚えていたのだ。それに対してマットは驚くべきことを言う。
メデジンはかつて、すべてのドラッグを支配していた。我々(CIAなど米政府機関)に把握できる量が流通していた。やがて他の連中が“こっちの粉にしろ”と国民の20%を奪うまでは、理想的な秩序だった」
 コロンビアのメデジンカルテルが麻薬を入れていた頃は、米国政府機関は事実上のお目こぼしをしていた、ということだろう。流通量を把握していたら、それを国内の誰が扱い、どこへ卸しているか、誰が使っているかまである程度わかる。リスクを管理できていた、ということだろう。
 それがメキシコのカルテルが参入して流通量が爆発的に殖えると、管理不能な量になり、麻薬の使用者も国民の2割に及び、米国内の犯罪も殖えすぎてしまった。「その秩序を、アレハンドロが取り戻そうとしている」メキシコカルテルを潰して、コロンビアのカルテルに主導権を渡す、という手打ちが、米国内の高レベルで判断され、その作戦をCIAのマットが行い、アレハンドロを雇ってやらせているのだ。

 ここからのマットの言葉はアレハンドロ本人の重要なプロファイルになる。
「彼は誰の仕事でもする。人生を破壊した者を倒すためなら。我々でも、奴らでも。復讐を果たすために、彼は追いつめる。妻の首を切断し、娘を酸に投げ込んだ男を。敵はそういう奴らだ」

 ケイトは「私は都合のいいように黙りはしない。暴露してやる。何もかもすべて喋る」と言う。怒りに駆られている。だがそれは、FBIの流儀を無視された怒り、自分が依って立つ正義・公正さを踏みにじられた怒り、自分がコケにされた怒りにすぎない。
 マットは静かに「もっと気を楽に。やめておけ。それは大きな過ちだ」とだけ言う。ケイトたちが銀行に入ろうとしたとき消極的に制止した、それと同じような態度だ。言ってもどうせ聞かないだろう。だが“I told you”とはっきり言っておかねばならない。

 マットが口にしたアレハンドロの過去。それはすさまじいものだ。メキシコで人望のある腕利き検事だったのが、カルテルに手を出したため、妻子を殺されたのだ。妻の首を切り、というのはカルテルの常套手段なので詳しいシチュエーションはわからない。だが、娘を酸に投げ込んだ、というのはおそろしい。アレハンドロは娘が溶けていくのを見ているに違いないからだ。
 酸に入れた死体は溶ける。溶けてなくなる。濁った酸の液は、誰かの死体が溶けていることくらいはわかるが、DNA鑑定で個人が特定できるかどうか。それを“娘を酸に投げ入れ”と断言しているということは、溶けてなくなる直前の娘の姿を、娘が溶けていく過程を見せられた、という意味に間違いないのだ。しかも、それはたぶん生きたまま、だ。娘の死体を酸に投げ入れ、ではない。アレハンドロに最大限の恐怖を与えるには、死体では意味がない。おそらく妻も、生きたまま首を切られたに違いない。
 おそらくアレハンドロ本人も苛酷な拷問を受けている。彼がギレルモやテッドに対して容赦ない拷問をできるのは、すべて自分がされたと同じことをしているのではないか。ギレルモにぎゅうぎゅう下半身を押しつけて威圧したのも、水責めも、テッドの顔を捻り、耳に指を突っ込んだのも、すべて彼自身が経験したことではないのか。

 ここから先は逐語的に作品を追わない。クライマックスについて書くのは無粋だし。ただここでアレハンドロはかなりの掟破りをする、とだけ書いておきたい。それもこれも、彼の背負った修羅の大きさによるのだ、とマットの説明を聞いていれば納得できる。
 アレハンドロがメキシコの元同僚から「幽霊」と呼ばれた理由もわかるだろう。彼は一度ならず死んだのだ。抜け殻が歩いているのだ。


大テーマ◎正義とは、単に汚れてないことか?

 世間では蛇足だと思われている、最後のケイトとアレハンドロの対峙。僕はここが真のクライマックスだと感じて震えた。
 作戦が終わり、休日、ぼうっとベランダで喫煙するケイト。ストレスのあまり禁煙をやぶり、不安は去らないので煙草を常用するようになった。
 屋内に人の気配がする。「しばらくはバルコニーに立たないほうがいい。OK?」
 アレハンドロが室内に侵入している。暗い部屋にケイトを坐らせ、「怯えると少女のようだな。殺された娘を思い出す」と語り掛ける。アレハンドロに感じていた、ケイトを何か特別視している感触が、ここで説明される。前にも一度、「大切な人に似ている」とぼんやり伝えていたことだ。
 だがここで重要なのは「俺の大切な人は殺された」ということだ。

 アレハンドロは書類とボールペンを投げ渡す。「“作戦はすべて法規に準じたものだ”という書類にサインしてくれ」宣誓供述書のような意味の書類なのだろう。
「サインできない」とケイトは泣きながら拒否する。「大丈夫だ」とアレハンドロ。
 ここ、多くの人が読み違えているのだが、アレハンドロは自分の保身のためにケイトにサインをさせようとしたのか? 僕は違うと思う。
 アレハンドロという人物をよく思い出してほしい。彼は保身を欲するような人物か。
 米国に居られなくなったらコロンビアでもどこでも行ってしまえばいいのだから、彼に保身は不要だ。
 では誰のためか。マットなどCIAほかの政府機関をスキャンダルから守ろうとしたのか。それはあり得る。だが主筋ではない。

 サインを拒否するケイトの顎に彼は銃口を突き付け、「君は自殺することになる、ケイト」と宣告する。それほどまでに彼がケイトのサインを必要としたのは。
 もう結論は一つしかない。「ケイトを殺させないように、ケイトの偽証供述書が必要」なのだ。

 ケイトの主義では、公正さ・正義が非常に重要になる。そのために勇気があり、個人の強さがある、という思想だ。このままほっとけば、ケイトは必ず内部告発をし、作戦の全容を、米政府が違法な作戦を認可していたことを世間に暴露する。
 各方面が打撃を受けるだろう。ケイトを出向させたFBIの上司から、CIA、陸軍、警察、DEA、その上の政府機関だから司法省や国防総省、大統領府まで。大スキャンダルになる。
 ケイトは命を狙われる。それでなくともすでにソノラカルテルからは仇と目されている。メデジンカルテルにしてみれば内部告発者=裏切り者だからやはり消すべき存在となる。米国の利害関係者も彼女を消したがるかもしれない。
 それをさせないために、信念を曲げろ、命を守れ、偽証をしろ、とアレハンドロは迫っているのである。俺の娘のようにしたくない。酸で溶かされるくらいなら俺が射殺して自殺に見せかけたほうがまだましだ、というアレハンドロの確信。
 暴力で信念を曲げさせられるのはケイトにとっては初めての体験だ。レイプに匹敵する。

 銃を突き付けられたままサインしたケイトに、「小さな町へ行け。法秩序が今も残る場所へ。君にここは無理だ」とアレハンドロは諭す。ここは具体的にはフェニックスのケイトの部屋だが、広義にはフアレスやノガレスなどメキシコのカルテルと接する場所すべてを指す。「君は狼ではない。ここは狼の地だから」とはそういうことだ。

 アレハンドロはケイトのグロックを分解して捨て置いてくる。ケイトはそれを素早く組み立て、ベランダからアレハンドロの背中に狙いを付ける。気配を感じて振り向くアレハンドロ。
 しかし、ケイトは自分が狼ではないことに改めて気付き、絶望して銃口を下げる。ケイトは完全にアレハンドロを理解した。そして、自分はそうはなれないこと、彼との断絶の深さを改めて知ったのだ。その絶望だ。

 ケイトという個人が屁垂れなのではない。彼女はよくやった。彼女が負けたのではなく、彼女が信じた正義、公正、フェミニズム的自由と解放の思想、相互に信頼し合う思想が、アレハンドロの背負った修羅に負けたのだ。

 アレハンドロは、進んで悪を引き受けた男だ。それも大きな悪だ。これほど大きな悪でなければ、対抗できない悪、邪悪さが満ちているのが“狼の地”なのだった。
 アレハンドロにはそれまで口にしていた、「大ボスを始末することはワクチンの発明に匹敵する、大勢の命を救える」という大目的があり、それは終始変わらない。ただ、その目的を、キレイキレイな手段でのみ実現しようとする気はない。障害を何もかもなぎはらって一直線に目標に向かう。アレハンドロにとって法は些細な障害にすぎない。自分にはもう守るべきものは何もないからだ。この身も命も惜しくない。

 おそらく彼が最大に惜しむのは、自分が「カルテルを挙げる」と決意したために流された妻や娘の血が無駄になることだろう。すべては自分の選択のせいだったのだ。警官シルビオのように組織に内通すれば、今でも妻と娘は無事で、自分も豊富な資金を得て政治家への転身だって可能だったはずだ。
 だが、正義を選んだためにアレハンドロは何もかも失って、幽霊となった。
 彼がケイトに発したのは「俺のようになる覚悟はあるのか」という問いだと思う。その覚悟があるなら、俺に銃を向けて撃つがいい、と。

 この修羅の深さが「ボーダーライン」を見る者を圧倒するのだ。
 この作品のレビューに「善悪では割り切れない」「悪に対しては一定の悪も必要」といった言葉が使われているのを目にする。だけど、そういう小さな話か? と僕は思う。
 考え得るかぎり大きな悪を引き受ける、と覚悟した者を、誰が裁けるのか。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ「ボーダーライン」(Sicario)2015の感想(前)

 遅まきながら「ブレードランナー2049」を見て、改めてヴィルヌーヴにハマっている。前に「灼熱の魂」を見た時やっぱり心を奪われたのだが、あの時はこんなにネットのレビューが気にならなかった。だが「ボーダーライン」を見ると気になって仕方がない。
 なぜかというと、ネットのレビュワーたち(僕自身も含む)は、ヴィルヌーヴの問い掛けをきちんと受け止めているか?ということが問われているのではないか、と思うからだ。
 この映画は丁寧な説明が多いが、それでもわかりにくい。


登場人物◎アレハンドロはコロンビア人ではない!

人物を整理しておこう。断っておくが、ここからすでに【ネタバレ】なので注意を。

ケイト・メイサー(主人公。FBI特別捜査官)
FBIの誘拐即応部隊指揮官。アリゾナ州フェニックス支部勤務らしい。冒頭に武装して装甲車ごと敵アジトに突入する。アリゾナでの主敵はマヌエル・ディアスという名だと判明しているが、彼女にはほとんど情報がない。
特別捜査官になってすぐにQRFになり、指揮官歴は3年。5回の突入をすべて成功させている。だが直近の作戦では仕掛け爆弾で2名のチームメイトが死んでいる。離婚歴あり、子はなし。

ジー(主人公の同僚)
ケイトのバディで、黒人の特別捜査官。奨学金ROTCを受け、イラク派遣(たぶん海兵隊)の後、法学の学位取得。たぶんロースクールを出て弁護士資格があるということだろう。『ヒルビリー・エレジー』の主人公のような苦学生で、現在のFBI特別捜査官という地位は彼にとって通過点、もっと上を目指しているのではないか。

マット・グレイヴァー(CIAオペレーション・オフィサー)
現場指揮官より上のクラスの会合にサンダル履きで来る男。またFBIなども彼のだらしなさを許容している。それは、身ぎれいなデスクワークや会議に彼が割ける時間は少ない、現場歴が長く今も現役であることを意味している。命が懸かった現場に身を置く者特有の横着さ(「葉隠」)のようだ。
現場担当者と「それは淋病だ」「フィジーの謀略、俺にやらせたら」といった軽口を叩く。安い売春婦を抱くような田舎国や熱帯の経験が長いのだろう。

アレハンドロ(国防省顧問)
国籍不明でスペイン語母語とする男。マットは彼に大きな権限を与えており、作戦の立案・実行に大きく関与させている。マットの仕事は、アレハンドロをハンドリングすること、なのであろう。CIAのケースオフィサーとは本来、実行者を飼い、自分は動かないものだ。
序盤に「フアレスで仕事していた」「私はメキシコのために働く検察官だった」と明言している。外国人が検察官になることは少ないだろうから、元はメキシコ人だったと考えるのが自然だ。
ネットには必ず「コロンビア人アレハンドロ」と書いてあるが、作品中ではコロンビア人であるとは一度も明言されていない。「ここ(マットの顧問)の前はカルタヘナにいた(コロンビアのために働いていた)」と言っているだけだ。「コロンビア人アレハンドロ」というのは日本の映画輸入業者のミスであろうと思われる。

シルビオ(メキシコ人警察官)
妻、息子あり。夜勤が多く、寝ているところを息子に起こされてサッカーを付き合う。スキンヘッドだが30代くらいではないか。住居地は、アリゾナと国境を接する街ノガレス。
後にわかるが、彼は麻薬密輸出を手伝っている。麻薬倉庫から国境のトンネルまで麻薬のパッケージ(5kgくらいのパック)を何十個も、パトカーのトランクに詰めて運んでいるのだ。腐敗警官ということになるが、組織のために殺人や脅迫までしてたかどうかは不明。
制服警官は薄給で危険なので、麻薬組織に通じた方が安全で収入も増える、という矛盾がある。

テッド(アメリカ人警察官)
FBI捜査官レジーの知り合い。どこかのアカデミーで一緒だったのか(FBIアカデミーに警官が研修に来ることはある)。今はアリゾナ州フェニックスで警察に奉職。
組織に買収されており、組織の資金洗浄担当(女性)が所持していたと同じ札束用ゴムバンドを持っていたのをケイトに気付かれる。

ギレルモ(メキシコ人)
組織の大幹部。フアレスで官憲に拘束されていた。マットたちの最初の作戦はその身柄を受け取って米国側のエルパソに移送することだった。組織の大幹部マヌエル・ディアスの実兄。
アレハンドロの拷問に屈し、ノガレスのトンネルを自白する(ということは、ギレルモのレベルでは大ボス・アラルコンの居場所は知らないのだ)。

マヌエル・ディアス(アリゾナ在住メキシコ人)
麻薬組織を統括する実力者。普段は米国内のアリゾナでプール付きの邸宅に住み、子どもたちと暮らしている。しかし問題が生じたらメキシコ側に戻って大ボスと協議しなければならないので、現地法人社長くらいの地位か。

ファウスト・アラルコン(メキシコ人)
ソノラ・カルテルの支配者。麻薬王。所在不明の大きな屋敷に住む。妻と息子二人あり。
彼の屋敷の警備は、外郭が1名、内陣が3名、邸内が1名らしい。他に料理人の女性が1名。


構 造◎ケイトは名ばかり主人公ではない!

 この作品には二つの対立構造がある。一つは大きな対決の構図で、米国官憲vsメキシコ犯罪組織。もう一つは共存ないし協働すべきなのに対立してしまう、遵法主義vs現場主義。ここでは便宜的に現場主義としたが“脱法もやむなし主義”でもよい。
 そして前者の官憲vs犯罪者の対立は作品中では後景に退いていて、我々観客に突き付けられるのは後者の対立である。すなわちヒロイン・ケイトと同僚レジーの連合vsマットとアレハンドロ組。

 ケイトたちが体現しているのは我々と同じ価値観だ。法を守り、人権を守り、正しい手続きを踏む。人は差別されるべきでなく、固有の文化や個性は尊重されねばならない。だからケイトとレジーは白人・黒人、女性・男性、エリート・苦学生といった差異を越えて信頼しあっている。二人とも遵法精神があり、FBIが守るべき法を熟知し、違法捜査ならやらないほうがマシだ、と思っている。違法だと公判を維持できないからだと思われる。レジーは法律の学位保持者なのでその意識が強く、マットたちの違法な作戦を「邪魔してやるか」とはっきり言う。違法な作戦は彼らにとって有害無益なのだ。
 対して、マットはそういった意識が希薄というか、意識的に無視している。彼は登場時、会議の他のメンバーがスーツにジャケットなのに、彼だけ半ズボン・サンダルである。これは会議の他のメンバー、FBIや警察、軍だと思うが、それらに対して敬意を持たない、そうした秩序に背を向けるよ俺は、と言っている。
 ちなみに彼のサンダルは親指の股で鼻緒をはさむビーチサンダル型だ。アメリカで一般的なサンダルはビルケンシュトックなど革サンダルやGTホーキンスのような旅行者サンダルだろう。ビーチサンダルはサーファーか熱帯経験者に多い印象。CIAで熱帯経験者といえば、自然に「バナナリパブリックに謀略を仕掛ける者」というイメージになる。
 マットはケイトをリクルートする面接で、「夫はいるのか」「子どもは」と問うた。これは採用面接では政府民間問わずタブーのはずだ。本人の能力ではなく周辺状況で合否を判断するのは性差別と同じで、雇用法違反だからだ。だから問われたケイトも「なんで訊くか?」という表情になる。だが傲岸に、自信たっぷりに訊くマットに気圧されて、しぶしぶ答える。ケイトなりに、この質問には根拠と必然性があるのかもしれない、と思ったからだろう。
 そう、重要な質問なのだ。この作戦に携わる者は、誰でもこの質問を経ているはずだ。それは作品の後半大詰めでアレハンドロの家族背景が語られるときに判明する。

 はっきり書くと、ケイトたちはフェミニズムの価値観を体現している。
 なぜフェミニズムと断定するかというと、レジーの行動でわかる。レジーは男性だが「そのブラをなんとかしろ」と同性の友達のようにケイトに接する。けっして男性視線からの言葉ではない。レジーが妻帯者かどうかは描かれないが、レジーは異性のケイトを性的対象ではなく一個の人間・同僚・尊敬すべき相手として見ている。性的な枠組みから自由なのはフェミニストの特徴だ。
 マットはフェミニズムなんて糞食らえと思っていそうな、前時代的な背景を持っていそうだ。一応政府機関職員だから紋切り型のマチスモ的発言は控えているし、ケイトを差別せず男性同様に厳しく遇するようにしている。が、動作の端々から“お上品なフェミニスト”への軽侮がうかがえる、というのは僕の考えすぎだろうか。
 マットとアレハンドロがアンチフェミニストなのは、作戦についての説明を意図的にサボっていることからも明らかだ。「見て覚えろ」というのは「余計なことを訊くな」「お前に質問する権利はない」と無言のメッセージを発している。「共有する」という発想がない。
 フェミニズムの特長というか主張には「公正さ」がある。メンバー間で情報の量が同じでない、作戦目標すら知らされないで従事させられるのは明らかに公正でない。レジーはそれを我慢できなくて、不法入国メキシコ人たちを面接している最中に「作戦について説明しろ」と食ってかかった。対するマットは「OKか? なんかシリアスだな」とレジーの態度を嘲笑う。
 マットにはマットの理屈がある。作戦の全体像をケイトとレジーに知らせるのは、かえって二人の安全を損なう、くらいの認識がある。付いて来るというやる気を見せてくれるなら教えてもいいが、今のまま杓子定規にFBIのやり方を振り回す彼らに情報を与えるのは良くない。作戦を危険にさらすし、彼ら自身も危険になる。
「俺たちを“暗闇”に残すな」と言うレジーに「暗闇が怖いか」と返すのはマットかアレハンドロか。それは「自力で暗闇から這い出てこい」というメッセージでもあるはずだ。だが、システムとしての公正さを要求するケイトとレジーには、マットの論理は届かないし、届いたとしても無視される。

 ネットの感想文では「主人公は無力だ」と繰り返し書かれている。そして後半はっきりとアレハンドロが真の主人公であることが明かされるので、ケイトは狂言回し以下、優等生が引っかけられてコケるのを嘲笑うような作品に見えかねない。名ばかり主人公というか。
 だが、ケイトはそれでも立派に主人公なのだ。なぜなら、我々大衆は彼女の側でしかあり得ないからだ。
 ケイトがふりかざすフェミニズムは比較的穏健なもので、我々の常識とさほど乖離してない。彼女は明らかに我々の側だ。彼女が関わろうとし、それでも無視や拒否される世界とは何なのか。謎の男アレハンドロの正体とは何かを彼女の目を通して明らかにする。それがこの作品の構造だ。彼女が主人公でないと成立しない作品なのだ。
 なぜアレハンドロという男を理解するのに彼女が必要なのか、それは彼が物言わぬ“幽霊”だからだ。

 

謎と答え◎この映画はアレハンドロという男を理解することがすべてだ

 本作の真の主役はアレハンドロだ。これは誰でもわかると思う。だが、アレハンドロ自身に自分を語らせることはできない。彼が持っている数々の謎こそがこの映画の推進力だからだ。
 だから構成上の主役ケイトが存在する。彼女が我々の代わりに謎を体験し、苦しみ、そして理解する。我々は彼女の五感を通して、アレハンドロとこの作品の世界を体感する。

 彼の謎・彼の行動を具体的に見ていこう。
 ケイトが彼を認めたのはフェニックス郊外のルーク空軍基地からエル・パソに移動するガルフストリームの機内だった。寝穢く寝こけているマットを後目に、ジャケット姿で乗り込んできたアレハンドロはきちんと座席に腰掛けている。うとうとし、悪夢を見たのか大きな音を立てて目覚めた。
 目覚めたアレハンドロの顔には驚きと恐怖の余韻があった。何の悪夢を見たのか。少なくとも“彼はしばしば悪夢を見ているに違いない”ということがここからわかる。

 次に、移送作戦のブリーフィング後にアレハンドロはケイトに問われて答えている。
「フアレスで仕事していた」「メキシコのために」「私は検察官だった」「(今はどこだろうと)命じられた地に行く」「(ここの前はコロンビアの)カルタヘナにいた」
 これだけでかなり濃いプロフィールがわかる。メキシコの検察官で、フアレスが任地だった。今は検察官ではなく、メキシコのために働いてもいない。コロンビアのために働いている。専門が麻薬犯罪だとすると、フアレスの麻薬組織を立件するために働いていたが、それができなくなった、だから流れ者になり、コロンビアを経て、今はCIAのマットに雇われている、ということだ。
 最後に彼はこう言い置く。「米国人の君には理解できまい。すべてを疑うだろう。だが最後には、君も理解する」これは、本作の構造全体を指す台詞であると同時に、いちいち説明を求めるケイトに対して「説明してもどうせわからない。経験すれば理解できるはずだ」と釘を刺している。

 移送作戦出撃前、アレハンドロは白いジャケットを脱ぎ、背中側を折って丁寧に畳み、丸めてバッグに入れた。身なりに雑なマットと好対照だ。アレハンドロはジャケットを着慣れており、こうしたことをきちんきちんとやってきた几帳面な人なのだ、ということだ。

 移送作戦。フアレスの裁判所?で停車して待つ間、彼はケイトに「ここでは何も起きない。危険なのは国境だ。メキシコ警察に気をつけろ。買収されてる奴が多い」と言った。事態は彼が言った通りになるのだが、そのメキシコ警察のテクニカル(重武装車両)が移送作戦部隊の前後左右を固めているのだから、とても安心できない。国境のゲートで地元警察部隊と別れたときかえってホッとするくらいだ。

 渋滞で停車を余儀なくされたのは米国側のゲートに入る前か。ここでアレハンドロは目聡く襲撃者とおぼしき車両を特定する。「銃を持て。赤のインパラ、10時の方向」さらに他の車両から「3車線左、7時の方向、緑のシビック」と続報が入る。
 アレハンドロはHKの短いカービン銃を、手慣れた様子でストックを出し、構える。
 襲撃者たちが車のドアを開けるや、移送部隊は銃を構えて飛び出す。アレハンドロは赤の車両に近づき、「ノーノーノー、平和的にいこうぜ。銃を捨てろ」とスペイン語で語り掛ける。威圧的ではない。
 だが一瞬で均衡が崩れ、襲撃者が銃を目の高さにまで挙げるやいなやアレハンドロらは即座に射殺した。また、彼の予告通り、黒ずくめの警察のかっこをした襲撃者が車内に残ったケイトを襲い、ケイトは一瞬早く身を伏せて回避、反撃して射殺した。
 移送部隊の護衛は米陸軍のデルタフォースらしいが、もちろん軍服ではなく、私服にボディアーマー、顔は覆面と、ギャングっぽい。正規の出撃ではないか、出撃そのものを秘匿したいか。
 渋滞がハケて脱出路ができると、アレハンドロは後席に戻るのではなく、ハッチバックを開けて後ろ向きに座り込んだ。デルタが一人並んで、二人で後方を警戒しながら離脱する。すごくプロっぽい。

 エルパソの基地(フォート・ブリス防空基地かと思われる)に引きあげると、「違法行為だ」と詰め寄るケイトに対してマットは、レジーには無理だからはずしたが、彼を早く慣れさせろと言った。完全に見捨てていないのだ。そして「見るものすべてから学べ。君は学ぶためここにいる」と言い置く。ここすごく米国的だと思う。
 未熟である、と切り捨てるのではなく、このような言い方をする。もうベテランのケイトですら、まだ学んで成長する余地がある、としているのだ。マットはけっして根っからのアンチフェミニストではない。マットの傲岸不遜な態度には、それなりの理屈と理由がある、ということだ。

 基地内でのシーケンスは重要だ。拘束され、水を飲まされているギレルモに対しマットは「お前の旧友を連れてきたぜ」と言う。アレハンドロのことだ。アレハンドロはギレルモと面識があるのだ。
 廊下のアレハンドロ。白いジャケットを再び着ている。給水器にかがみこむと、「“幽霊”ものどが渇くとは」と語り掛ける背広の人物が。英語話者だがメキシコ人のようだ。
 アレハンドロは「よく奴の命を守れたな。大変だったはずだ」と応える。相手はおそらくフアレスの裁判所か警察のトップなのだ。家族はどうか、と挨拶する。男は妻と幼い子どもが二人いるという。フアレスではなくモンテレイに、と言うとアレハンドロは「それはいい(安全だ)」と応じる。フアレスはベターではないのだ。それはかつてアレハンドロが実際に体験したことに裏打ちされた言葉なのだ、という実感がこもっている。
 背広の男から「トンネルがある。ファウストの“アリゾナへの道”だ」と情報がもたらされる。彼は「君の目的のためにも便利だろう」と念を押す。アレハンドロとは旧知の仲で、今は疎遠だがけっして完全に縁が切れたわけではない、むしろ陰ながら見守っているぞ、というニュアンスが伺える。
 背広の男はギレルモの部屋に入ろうとするが、アレハンドロは「あんたはよせ。まずいことが起きる。見ない方がいい」と制止する。これから起きることとは、アレハンドロがギレルモにやる行為だ、それは違法で危険で、「今も戦っているとはさすがだ」つまり現役の法執行官が少しでも関与すると身の破滅になるようなことだ、ということだ。背広の男はメキシコの警察か検察、おそらく検察でアレハンドロの昔の同僚なのだ。「君の身に起きたことは残念だ」とは、アレハンドロを襲った悲劇を指すのか、メキシコ法曹界を去って浪々の身になったことを指すのか、両方か。
 背広の彼を見送るアレハンドロは、廊下に置いてあった予備の水タンクを持っている。18.9リットル(5ガロン)の水タンクだ。ギレルモが拘置された部屋に入るが、ここにはウォーターサーバーはない。

 ギレルモのベージュのシャツには少し血が付いている。移送の時手荒くされ出血したのか、いやその前のマットと会うシーンでは血が付いてないから、あれからマットか黒縁眼鏡の手で出血させられたのだ。ギレルモはさっきより汗を掻いている。脂汗だ。入ってくるアレハンドロを見て緊張が増す。
 アレハンドロは、椅子に後ろ手で縛られたギレルモの脚を、乱暴に蹴って開かせ、股間深くに自分のスタンスを入れてごく近づいて立つ。パーソナルスペースを侵すことで「お前に人権はない」と威圧しているのだろう。
 黒縁眼鏡のマットの同僚は「俺は出とく」と退出する。これから始まることを見たくないのだ。
「ヤンキーランドは地獄だぞ」「いやメデジンこそ」との応酬。アメリカ式拷問をするぞ、との宣告に、いやメデジンつまりコロンビア組織式だろ、と混ぜっ返す。お前はコロンビアの犬だ、とギレルモは強がるのだ。
 より詰め寄るアレハンドロ。傍観するマットを見やるギレルモ。「なぜ俺を見る? 英語できないんだろ」とあくまで傍観を決め込むマット。
 ここから先は台詞がない。代わりに、床に置かれた水タンクと、床の排水穴が俯瞰でアップになる。背後にギレルモの苦しそうなうめきがかぶさる。
 ここは明らかに拷問のシーンを代替する象徴カットだ。本当なら、排水穴に水がちょろちょろと流れ込む画だったのだろうが、それすら審査基準を通らなかったので、水は完全カットになったのではないか。

 水を使った拷問とは、俗にwaterboarding clubといわれるものだ。
 詳しいやり方はケン・ローチ作品「ルート・アイリッシュ」やキャスリン・ビグローゼロ・ダーク・サーティ」に出てくる。
 容疑者の身体を板などに固定し(boarding)、寝かせ、やや足側を高くする。こうすると逆立ちしたのと同じになるのだ。容疑者の顔を手拭いなどで覆い、その上からコップ一杯の水を徐々にかける。逆立ちしていると水は重力に従って鼻の穴から入ってくる。息で吹き戻すことはできない。たったコップ一杯でも、気管に入るとそれは溺死するのに十分な量だ。
 殴ったり出血させたりせずに、命を危険にさらし、細かな制御も可能、非常によく練られた拷問方法なのだった。
 ケン・ローチ作品は英国映画なので審査基準が違うはずだ。ビグロー作品はCIAが拷問をした、とはっきり描いたため論争になったという。本作は水タンクを出すのがぎりぎりだったのだろう、と僕は推測する。
(あれ? ゼロ・ダーク・サーティPG12、シカリオはR15+だ。シカリオは他の要素ですでにレイティングがめちゃ悪かったんだな。それにしてもあの拷問描写でPG12とは、ゼロ・ダーク・サーティよくわからん。しかもルート・アイリッシュはGだ。まったく基準が分からん)

 ちょっと映画をベタに叙述しすぎた。これでは丸コピーになってしまう。
 序盤のこの流れだけでも、アレハンドロには明白に語られない謎が多いことがわかる。これらの謎を解読していくことがこの映画を理解することになる。この映画はとっつきにくいようで実は親切なので、見終わってもアレハンドロについて謎が残っていると、それは理解が足りないことになる。もう一度注意して見れば、必ず答えは判明する。
 こうした「答え合わせ」のような映画の見方はくだらない、とも思う。だが、作り手が仕掛けたことをせめて理解してやりたいではないか、とも思う。
 僕はこの映画はフェミニストであるヴィルヌーヴが観客に鋭い問いを突き付けた映画だ、と思っている。その問いがどんなものか、ヴィルヌーヴはどのように我々に突き付けてきたのかを書き記すには、少なくとも焦点の人物アレハンドロの解読は必要なのだ。
 ここから先は駆け足でアレハンドロの謎を解いてゆき、ヴィルヌーヴの設問に近づいてゆこうと思う。

(後編に続く)

イエスの高弟・ペテロ(シモン・ペトロ)に関する想像

 ペテロは十二使徒の筆頭、イエスの一番弟子で、もっとも高弟とされる。位の高い使徒、ということだ。年もイエスより上で、三十代で青年期の終わりだったイエスと比べると、おそらく四十代の中年期、青年らしい潑剌さはなく中年の落ち着きや分別があった、だからイエスはペテロを重用したのだろう。
    ※  ※  ※
 ペテロはガリラヤ湖の畔で漁師をしていた。漁を終えて舟を着けたところか、舟の手入れをしているところをイエスに声を掛けられ、最初の弟子になった。このとき兄弟のアンデレ──おそらく弟だろう──も一緒に弟子になっている。ペテロは既に結婚していた。家族がいて仕事もあるのに、イエスに帰依し、放浪するイエスに付いて南方のエルサレムまで行った。序列では教祖イエスに次ぐ地位だが、一を聞いて十を知るタイプなどではなく、どちらかと言うと物わかりが悪い、また眠気に負けて眠り込んでしまい、イエスに叱咤されるなど、ピリッとしないところもある。
だが、そこが良かったのだ。
    ※  ※  ※
 十二使徒は、その筆頭が中年で、あまり聡明とはいえない、どちらかというと鈍くさい元漁師のペテロだったことで、他の十一人がまとまりよくイエスに付き従った、とも言える。
 使徒たちにはいろんなタイプがいた。若くて才気煥発な、イエスに愛されたヨハネ。ガリラヤの有力者のせがれで、堂々としてリーダーシップもあるヨハネの兄ヤコブ。教団の会計を引き受け、頭が切れて仕事もできるユダ。過激派である熱心党《ゼロテ》から弟子入りし、他党派の影響を強く引き摺っているシモン。などなど、敬虔な宗教者、つまり大人しい羊のようなイメージからはかけ離れた、曲者揃いの寄り合い所帯だった。

 だが長男にあたる高弟ペテロが凡庸で鈍くさい、別の言い方をすればどっしりとして落ち着いた男だったので、他の弟子たちの重石になっただろう。
 ペテロ自身にも筆頭の弟子である自覚があった。イエスが弟子たちに問うと、ペテロが答えることが多かった。おそらく、聡明なユダやヨハネは、自分ならもっと気の効いたことを言えるのに、と内心思っても、兄弟子の面目を立てて言わずにいただろう。だからこそペテロにお鉢が回ってくるというのもある。
 もっとお調子者で軽い弟子はいなかったのか。
 一番年少のヨハネがもっとも賢く、イエスにも愛されていたから、彼より年上の弟子があえて道化になろうとはしなかったのではないか。また、イエスの問い掛けは引っかけやダブルバインドが多く、素直に答えた者はたいてい恥をかく。イエスの問いに答えるということは、この、恥をかく役回りを進んで引き受ける、という意味だった。だからユダやヨハネが黙っているなか、どうせ正解ではないと知りながら、ペテロはイエスの問いに果敢に答えていたのだ。
 おそらくペテロ本人も、ああ俺はまた間抜けなことを言ってしまった、といった後悔がいつもあったに違いない。年長者が年下の教祖にいいようにあしらわれる、そのみじめな姿を取り繕わず、さらけ出すことに、イエスの高弟ペテロの誇りや意地が有ったのではないか。

「億り人」についての感想

 夜のNHKニュース(ラジオ)で、暗号通貨仲介業へのハッキングの件で「億り人とも言われる…」と流行語が出てきた。ふうん、こんなに普通の言葉になったのか。

 多量を意味する「がっつり」や2ちゃん語の「キター」などが説明抜きで雑誌の見出しになり始めた頃(2004年くらいか)もへーと思ったが、今夜の「億り人」には少なからず感心した。なぜって、これは投機で儲けている人がこう呼ばれています、ということでしょ。射幸心を煽ってる流行語が、一応日本で一番堅い公共放送の報道(バラエティじゃなく)に出る、って今がバブル状況だって証拠だなあ、と。だから感心した。

    ※  ※  ※

 ちょい前に友人が「僕もビットコインやるべきかと……リアルな知り合いが〝億り人〟になってたりするんで」と言っていた。

 僕はその時は深く考えず、反射的に「やめといた方がいいんじゃ?」と答えといた。

 あれからしばらく考えていたのだが、僕がなぜ否定したか、理由が二つ思い当たった。それをここにメモしておきます。

 

【理由その1】毎日を仮想通貨に捧げられるか?

 投機を始めたら、日々の意識が投機のこと以外に向けられなくなる。これは相当辛いのだが、始める前はたぶん絶対にわからない。投機に振り回される自分、を想像できる人はあまりいないと思う。

 僕のつたない経験だけど、退職金で投機をしたことがある。結局大敗したのだが、少し勝ったこともある。当時は投機ではなくちょっとリスクとリターンの大きい投資、だと思っていた。だが間違いなく投機=博奕だった。自分に何の関係もない海外の金融商品なんて、世界のどこかでサイコロが転がっているようなものなのだ。そのサイコロが、「最近良い目が出てるんですよ、あなたも張りませんか?」と言ってくるのが金融商品のセールスマンだ。

 当時の金融商品は一日一回しか基準価格が発表にならなかった。だけど、僕は毎日の価格のチェックで相当エネルギーを取られた。仮想通貨は価格の変動が激しいからデイトレードになるんじゃないか? 一日何時間をトレードや監視に費やす予定か知らないが、どのくらいの労力を予定しているか?

 また、何か他に本当にやりたいことがあって、その資金稼ぎに仮想通貨投機をやろうという人もいるだろう。そういう人にはもっと言いたい。先に本当にやりたいことをやれ!と。それでも時間がすごく余るなら、投機もいいだろう。でも、それって本当にやりたいことをやってるのか? やりたいこと、人生でやるべきことを始めたら、他のことなんてやってる暇ないはずなんだが。創作でも身体的なことでも勉強でも。

 好きでもないギャンブルに時間を費やすより、やりたいこと、やるべきことをやる方がいいと思う。

 

【理由その2】いつやめるのか?

 投機=ギャンブルを始めるのは割と簡単だ。だがやめるのはとても難しい。

 実は、古今東西の博奕小説というのはたった一つのテーマで書かれている。それは「いつやめるのか?」だ。ドストエフスキー『賭博者』や阿佐田哲也『ドサ健ばくち地獄』が一応名作とされる、前者は世界的な評価、後者は僕をはじめ日本の好事家の評価だが、僕的には圧倒的に後者の方が名作で、前者は間延びしててつまらない、ドストエフスキーにしては短い作品だけど、それでもテーマが伝わりにくいので、読むなら阿佐田哲也がオススメだ。

 ドストエフスキーで唯一良いのは、歴史的背景、当時の貴族のギャンブル事情がわかることだ。博奕は貴族のたしなみでもあった。どういうことかというと、〝負ける〟ことを学ぶためなのだ。〝死〟をシミュレートするようなものだと思う。若い貴族は博奕場で負けること、いかに負けるか、どうやって負けを認めて去るか、を学び、本業(領主・軍人・政治家)へと戻っていく。

 阿佐田哲也の場合は貴族ではない、下賤な民衆の中のアウトローがやる博奕を描いている。ドサ健の部屋の押し入れには、輪ゴムで束ねた札束が山のように入っている。ドサ健は大金持ちなのだ。だが彼は金持ちらしい消費はしないしステイタスとも無縁だ。なぜなら彼の札束は、使うための金ではなく、博奕をする資金、チップにすぎないからだ。

 凡人が仮想通貨の投機をすると、貴族ではなくドサ健のような毎日になる。いつか足を洗って本業に復帰する、のではなく、どんなに儲かってもそれは次の勝負の種銭、チップにすぎなくなる。

「1億円勝ったらやめよう」と決めていて、本当にやめられるならいい。けど、大きな上昇トレンドの中で「もう1億円分上がった。換金するぞ」ってできると思う? できないよ。上がってる間は勝負を降りられないし、下がり始めたらなおさら降りられない。大負けしてやっと「もういい、降りよう」と決心できる(僕のように)。

 

 もし、この二つに当てはまらない、私は時間をきっちり守って、いくらいくら勝ったらやめますよ、と断言できる人なら、止めない。ご武運を、と思う。

 

【ではどんな人がやるべきなのか】

 それはもう簡単だ。自分の金を張る人は、やるべきではない。

 プロのギャンブラーは自分の金を張らない。張るのは他人の金だけだ。

 少し反社会的なことを書いてしまうけど、事実だから仕方がない。世界で名をなしている投資家・投機家は、自分の金では勝負してない。他人から預かった金を張っている。結果が出ない=負けても、自分は責めを負わなくていい。預けたやつが悪いだけだ。そう言える立場の人間だけが、プロの博奕打ちの資格がある。

 ドサ健の札束(専門用語で〝ズク〟という)も、実は全部借金で作ったものだ。当然、ドサ健は借金は返さない。踏み倒すはずだ。

 最近デヴィッド・グレーバー『負債論』をちらっと読んだのだが、長い長い〝世界の借金の歴史〟が書かれているのだが、どうも「借金なんて返さなくていいよ」と言いたそうなのが可笑しかった。でもそんなもんだ。博奕の借金は、返さなくていい。

 だから、会社の金であるとか、団体の金であるとか、親戚の金であるとか、赤の他人の金とかを張れる人は、やるといい。増えると喜ばれると思います。負けても「時の運です。次は勝ちます」と言えばいいし。

 自分の金だと、冷静な勝負はできない。だから、自分の金を張ってる世間の「億り人」たちは物凄く難しいチャレンジをしている、と僕は思う。それだけ難しいことができるなら、もっと自分の人生のための自分だけの勝負を張れる、その方がその人にとって有意義だと僕は思う。

 もちろん、その熱くなれる瞬間、張っている時間が好きでたまらない、というなら、止めない。ご武運を祈ります、ドサ健さん

 

西部邁に熱海へ拉致られた件など、二、三の思い出

 西部邁が死んだ、しかも自死だった。なるほど、と思った。
 僕は西部の熱心な読者ではなかったし、彼の思想も好きだけど詳しくは知らない。ちゃんと読んで供養しなければ、と思うので図書館で『大衆への反逆』を予約したとこだ。
 実は、僕は西部と少しだけ縁があった。会社員時代、一冊だけ担当したのだ。
 その時いろいろ面白い体験をしたので、書き残しておこうと思う。なお敬称は略す。西部さん、というほど親しくないし、歴史上の人物に敬称を付けるのは却って失礼だと思うので。
    ※  ※  ※
 当時西部邁は東大を辞して浪人中で、「朝生」ではスター論客だったが、財政的には不安定だったと思われる。だから思想言論に強くない光文社にまで声が懸かったのだろう。1990年の早春、彼の周辺の誰かの紹介でカッパ・ビジネス編集部と縁が出来た。テレビで人気だったので彼の本を出すことに問題はなかった。
 だが西部という人そのものが問題だった。非常に癖の強い人で、編集部からすると癇癖が強いように見えた(今考えると西部が怒るのはもっともなことばかりで、癇癖というより単に真っ直ぐ、おもねるのが嫌いなだけだった)。
 まず、僕の先輩(京谷六二氏・現在は志木電子書籍主宰)が担当したが、何度目かの打合せの酒席で衝突し、飲み代数千円を叩きつけて退席、決裂、という武勇伝を残してしまった。
 どうも西部は、ちょっと面白そうな若者を酒の席でツツくのが好きだったようだ。先輩はそれに見事にノッてあげたようなものだ。
 その証拠に仕事においては決裂せず、二人はその後直接会うことこそなかったが、原稿とゲラのやり取りは至極きちんと、丁寧に行われた。二人の間に入ったのは編集部の明渡真理さんで、すらっとした長身の美人だから西部もさぞご機嫌だったろうと思われる。それは1990年4月にカッパ・ブックス『マスコミ亡国論―日本はなぜ〝卑しい国〟になったのか』として世に出た。素早い仕事だった。かなり売れて、3刷以上になったと思う。
    ※  ※  ※
 西部とカッパ・ビジネスの間にはもう1冊出す約束ができていた。だが1990年4月にビジネス編集部が再編に入ってしまい、編集長交替などがあってしばらくペンディングになった。
 この間に隣のカッパ・サイエンス編集部から西部と栗本慎一郎の共著『立ち腐れる日本―その病毒は、どこから来たのか』が出ている(1991.9)。これも売れたと思う。
 だがビジネス編集部と西部との約束はまだ果たされていない。というのも、西部は、自分と同郷のライター(新野哲也氏)をビジネス編集部に売り込もうとしていたのだ。ビジネス編集部での企画は西部と新野氏の対論ということで進行していた。
 ビジネス編集部は1990春に新編集長(山梨氏)を迎え、多くの新企画に挑んでいたが、その山梨氏が秋口に急死するという不幸があり、企画が全部ストップしてしまった。残ったビジネス編集部を引き受けたのは加藤寛一編集長だった。加藤氏はもともとカッパ・ビジネス生え抜きで、もともと昨年西部からの話を受けたのも彼だ。加藤氏は1990春の人事では会社のアクロバット的な人事で新企画室を任され、ビジネス編集部は「月刊宝石」から転じてきた加藤氏の同期・山梨氏に託されていたため、西部の企画は宙に浮いていた、ということもあった。だから加藤ビジネス編集長〝復帰〟でペンディングしていた企画も再起動した。
 ビジネス編集部の実働戦力は、先述した先輩と僕の二人きりだった。先輩は西部とは一応決裂している。僕はまだペーペーで、とても西部のような大物の相手はできない。西部の処遇は編集長直轄ということになったが、実際はフリーライターの新野氏が社外スタッフとして西部の担当編集となった。ということになった、と加藤編集長は理解していたのだと思われる。
 だが、西部の認識は違った。カッパ・ビジネスとの仕事は、あくまで西部と〝これから作家になる新野〟との対論で、西部は新野氏も作家として遇しろ、と思っていたのだ。
 こういう、カッパ編集部の粗雑なところが西部にはカチンと来ていたのかも、と今は思う。
    ※  ※  ※
 いつ頃だったか、盛夏や厳冬期ではなかったと思うが、1991年のいつか、西部と新野氏は熱海の温泉ホテルに一泊こもり、喋ってテープを取ろう、ということになったらしい。らしい、というのは僕なんかみそっかすで蚊帳の外だから、詳しい事情なんて知らないのだ。
 僕が言いつかったのは、その日加藤編集長ははずせない別件があるので「すみませんがご一緒できません、熱海では存分に語らってくださいませ」ということを東京駅まで謝りに行け、上等の駅弁など買って差し上げろ、とのことだった。
 僕は一期下の小原美千代さん(現在は扶桑社)と一緒に東京駅の新幹線ホームへ行った。大丸で買った穴子弁当を二人前持って。
 弁当を渡して上記の口上を伝えるだけだと思っていた。だが西部は激怒して、ふざけるな、もう行かない、帰る、と言い出した。え? こうした事態を想定していなかった僕は慌てふためき、ベンチに座り込んで動かない西部のそばに小原さんを残し、公衆電話で会社に連絡を取った。
 加藤編集長は留守なので京谷さんが出た。「あはは。今やってる仕事はいいから、熱海に行ってきな。君が行けばすぐ機嫌は直るよ」なるほど。着の身着のまま、財布にも少額しか入ってないが、カードがあるからなんとかなるはずだ。
 僕も行きます、と言うと京谷さんが言った通り、西部の機嫌はすぐ直った。熱海までは「こだま」だから空いている。弁当が無駄にならないよう、走り出したらすぐ使っていただき、僕は不器用に飲み物などサーブした。
 熱海の宿は大きなホテル型旅館だった。たぶん新野氏が手配したものだろう。3人での予約になっていたから、彼らは加藤編集長が同席するのが当然と思っていたはずだ。今なら僕もそう思う。書き手だけ放り出して合宿させるなんてあり得ない。だが、カッパ・ビジネス編集部というか加藤編集長は良い意味でも悪い意味でも粗雑だったので、そうしたことに思い至らなかったのだ。
    ※  ※  ※
 旅館の部屋に着くと、西部は案内してくれた仲居さんに「これはわずかですが」とポチ袋を渡した。当時は「ふうん、そんなことするんだ」としか思わなかったが、今考えるとこれは偉いと思う。本来は缶詰にする版元がやるべきだろう。だが版元の社員なんて、領収証の出ない出費は死んでもしない。
 仲居さんが淹れてくれたお茶で、さっそく対論のテープ録りが始まった。新野氏がメモを作っており、それに従って二人が掛け合いで話す。なかなかうまいことを言う、わからない名詞がいくつも出てくるけど、それでも面白い、と僕は傍観者的に思った。僕は黙ってお茶を注ぎ足したり、テープをひっくり返すだけだ。
 途中、休憩で感想を求められたので「は、はい。も、蒙が啓かれる思いです」などとマヌケなことを口走った。
 4時間近くテープを回して、夕食となった。部屋出しだったと思う。ビールを何本か追加した。仲居さんは非常にまめにお世話してくれた。さすがポチ袋。というか西部偉い。あとで「こういうのアレだけど、気持ち良く働いてもらって、僕らも気持ち良く過ごせれば、それでいいと思うんですよ」と言っていた。
 夕食を平らげると、西部は「カラオケに行こう」と言い出した。温泉ホテルにカラオケがないわけがないので、僕らは浴衣のまま階下のカラオケ店に行った。新野氏は何を歌ったか、吉田松陰とか正気の歌とかだったか、憶えていない。西部は「神田川」を歌った。これははっきりと憶えている。何しろ、店を出て3人で大浴場へ行ってもずっと口ずさんでいたからだ。
 自分が何を歌ったかは憶えてない。沢田研二を歌ったのではないかと今思い出すと冷や汗が出るが、まあ過ぎたことだから仕方ない。
 カラオケは数曲で切り上げ、温泉を使おうということになった。3人で大浴場へ入る。どうも屋上展望風呂だったようで、屋外のテラスにも大きな浴槽があった。西部の中年太りの尻を見ながら外の風呂に浸かった記憶がある。その時も西部はずーっと「二人で行った、横丁の風呂屋」などと口ずさんでいた。
 僕は「朝生」での保守の大物、という印象しかなかったので、彼が四畳半フォークに見せた執着がなかなかわからなかった。
 部屋に戻ると布団が敷いてあり、少しテープを回したが、もういいやということになって、布団のままビールの栓を開けてコップを回した。西部は「これ飲むと調子が良いんだ」と、黒いマコモバクテリアの粉末を取り出して、白湯で溶いて飲んでいた。ビールを飲むと、「いま同志を糾合して、自由に語れる場を作ろうと思っているんですよ」「僕はもう年なので、隠居したい、隠居したも同然でいい」などと語った。
 前者はその後、東日本ハウスをスポンサーに迎えて月刊媒体「発言者」となり、数多くの論客を輩出することになった。後者だが、当時の西部は52、3歳で今の僕と同じ年だ。まだ老け込むには早すぎる。当時の僕は、うちの父(昭和13年生まれ)よりも若いくせに何を言ってるんだ、と思った。
 今思うと、たしかに西部は年を取り過ぎていたのだ。それは、60年安保を闘ったブントの同志たちと比べて、だったのだ。だから「神田川」だったのだ。当時の僕はそんなことも気づかないボンクラだった。
 布団の上での語らいは長く、今思い出すと興味深い。西部は北海道の生まれで、育ったのは都市部(札幌)らしいが、記憶の中に茫漠たる原野があり、その何もなさに恐怖を覚えたこと、などを問わず語りに話してくれた。新野氏も小樽の出身で、二人は北海道の原風景を共有するという紐帯があったのだろう。
 西部というキャラはねちっこい性格のように思われていたかもしれないが、僕には、さっぱりとした、前のことを蒸し返すようなことは少ない人のように思われた。雪国の辛抱強さと北海道の広大さを感じた。
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 翌朝、朝食の後も少しテープを回し、チェックアウト前に東京から西部夫人が合流した。僕はなぜ奥さんが来たのかよくわからなかったが、お世話をする人数が増えたのは少し憂鬱だった。
 記憶にないのだが切符を新たに買ったりした覚えがないので、切符と旅館の手配はすべて新野氏が済ませていて、奥さんは自費で来たのだと思う。新野氏が手配した分は最終的に編集部から経費が出ていたはずだ。
 熱海で新幹線に乗る前に、西部は駅前の寿司屋に誘ってくれた。回転寿司のボックス席だったように思う。
「僕はね、いっぱい御馳走してもらって、ちょっとだけお返しするのが好きなんですよ」と言った通り、ここは西部が払った。これも当時は何も思わなかったが、今考えると大したものだ。ほんとに、何の反応もできずに申し訳ありません、と思う。
 思い出した! 新幹線に乗る前に、我々一行はMOA美術館に行ったのだ。だから奥さんも来たのだ。熱海小旅行なのだ。美術館は面白かった。少しまとまりに欠けるが、一流の文物が揃っているし、西部はあまり語らなかったが、彼の後を付いて美術館を歩くのはとても楽しかった。ここはもしかすると僕が払って経費請求したかも。
 たぶん、その日は土曜だった。僕は会社に戻らず、そのまま家に帰って、月曜まで寝てたのではないか。
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 西部邁と新野哲也の対論は『正気の保ち方―「繁栄の空虚」からいかに脱するか』としてカッパ・ビジネスの新書判で出た。西部はあるときこの本を「こんどパンフレットのようなものを出して」と言ったのが、僕には少しカチンときた。単行本でなく、小さなソフトカバーだから舐められたのか?と思った。今なら、パンフレットでも歴史を動かした例はいろいろあるし、危険な革命分子のパンフレットなら上等ではないか、と思うから全然オッケーなのだが。
 この本のタイトルは西部が付けた。あとで献本するときにちょっと困った。「正気の保ち方」を贈るということは、相手の正気が怪しいとでも思ってるようではないか。西部に言わせると、いや、世間の狂気を退けて如何に身を処すかだから、これを贈られたということは正気である証拠、と屁理屈言うかも知れないが。
 熱海合宿の後、テープ起こしを原稿にして、スムースに本ができるものと思っていたが、そうはいかなかった。新野氏は「テープ起こしができたら、何もせずに、触らずに送ってください」と何度も言った。そんなに編集部との信頼関係がないのか、と僕は呆れた。どうも、先輩が衝突したのは西部と直接ではなく、この新野氏とだったかもしれない。新野氏は1945年生まれだから当時まだ40代、週に何度か柔道場に通うという肉体派で、左翼の頭でっかちが大嫌い、という人だった。
 新野氏が何度かテキストに手を入れ、それを何度もワープロ屋さんに直してもらい(当時はそういう時代だった。テキストファイルを支給して貰って自分で直すようになったのは96年くらいからだ)、原稿はゆっくりと本の形をとりつつあったが、読んでもあまり面白くなかった。
 東京でも何度か打合せした。
 六本木の全日空ホテルのバーには「朝生」の出番待ちの時間潰しで呼ばれた。ここは華やかな店で、朝生の日下雄一Pが客の間を回って出演者に声を掛けていた。西部のそばにはたいてい、実業之日本社でひとりで「ザ・ビッグマン」を作っていた東谷暁さんが同席していた。
 新宿にもよく呼び出された。末廣亭の近くの「石の花」、二丁目の「風花」。前者はこじんまりとして落ち着いた店だったが、後者は論壇バーだったのでカウンターにはいつも錚々たる面々が並んでいて、ここに呼ばれると僕は憂鬱だった。西部と仲が良さそうだったのは当時千葉大教授だった加藤尚武、忙しいのでめったに会わないが栗本慎一郎スガ秀実、めったに出て来ないが出てくると大いに盛り上がる呉智英など。呉智英は当時池袋近傍に住んでおり、忘年会の後タクシーで送ったことがある。「池袋西口のマンションに住んでいた諸星大二郎東武線の端っこのほうに家を買ったそうだ。日本を代表する天才漫画家があんな田舎にしか家を買えないとは!」と強く憤っていた。
 風花では、一度、夜が更けて各社の西部担当編集ばかりになり、店の中で車座になり、流しのギター弾きを招き入れ、「みんなで一曲ずつ美空ひばりを歌おう」ということになった。僕は困った。僕が知ってるのは「リンゴ追分」だけだ。諸先輩を措いてこんな名曲を若輩が歌うなんてできない。さあ困った。
 僕に順番が来たとき、僕は大いに困ってダダをこねたのだけど、西部は僕をあやすように取りなして、「一緒にお祭りマンボを歌おう」と言ってくれた。そして僕の横でほとんどひとりで一曲歌ってしまった。
「みんなで一曲ずつひばり」とか言い出した時は「なんて面倒くさいおっさんなんだろう」と思ったが、率先垂範というかフォローはしっかりしており、そこはやさしい人だった。
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 新宿だったか池袋だったか、新野氏と三人でいたとき、一度だけ、わざと西部を困らせたことがある。西部の物言いがあんまり自信に溢れ、傲岸不遜なマウンティングに聞こえたので、くやしくて、何とか一矢報いたくて、言ってやったのだ。「そんなこと仰ってても、僕のような被爆者の子が置かれた気持ちなんかわからないでしょう」
 僕の母方の祖父は実際広島で被爆している。ただし8月7日以降の入市被曝であり、母はもう生まれていたので遺伝云々ということもない。その後祖父は体調不良に苦しみ、他人の証人になったので本人は被爆者手帳を交付されず、苦労した挙げ句にがんで死んだ。
 僕はこういう出自に加え、被爆者差別のようなものが存在し、それに苦しんでいる者がいるんだ、というような印象を西部に示唆した。
 実際のところは、被爆者差別なんて僕は知らなかった。〝血筋が汚れる〟といった類の差別的言辞がまったくなかったとも思わないが、少なくとも僕はそんな経験はない。自分が経験してない差別を、さもそれに苦しんだかのように言い募るとは、〝えせ同和〟行為と同じ卑劣なことだ。だから僕はその後とても反省した。
 だがその時は、西部と新野氏が困ったように黙ってしまったのが痛快だった。
 西部も新野氏も北海道の生まれで、部落差別にも原爆にも不慣れだ。突然に〝当事者〟から聖痕を見せつけられ、「足を踏まれた痛みは、踏んだ者にはわからない」と言われたら、そりゃぎょっとするだろう。
 西部は、いかにも自分はそういうことに疎い、知らぬ間に君を傷つけたとしたら済まなかった、謝りたい、と丁寧に言葉を選んで言った。僕は少しだけどあの西部邁をやり込めた、と思うと溜飲が下がった。
 だが、おそらく西部は僕の狭量な意図くらい見抜いていたのではないか。賢しらな、度しがたい、ポリティカル・コレクトネスのはしりのようなことを若僧が言っている、その度しがたさは、西部が本来叛旗を翻した相手と同じ種類の権威だったり、虎の威を借る狐だったりするはずだ。それを百も承知で、目の前の若僧が拗ねているのを、膝を屈してなだめてくれた、のが真相なんじゃないかと思う。
 僕は、自分が今時のポリコレ野郎と同じようなことをしてマウンティングを取ったことを、今は深く恥じる。こんなことをしたのは生涯一度切りだし、二度とする気はない。こういうウソは相手に失礼なだけでなく、本当の被爆者にも失礼だし、原爆という歴史的事象へも失礼だと思う。
 だから逆に、西部が相手だったのは不幸中の幸いというか、西部さんでよかった、と思うのだ。これが他の誰かに対してだったら、僕は今でもこのひと言を恥じ続けて、自分を責め続けなければならなかったろう。
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 1992年5月に本は出たが、あまり売れなかった。初速は良かったが、早々に息切れしたようだった。対談は書き下ろしに比べると不利だし、テーマもわかりにくかったし。
 僕の力不足、に尽きる。申し訳ない。今なら、このテーマのもっと面白く読みやすい切り口を提案できるだろう。本当に申し訳なかった、と思う。
 小平だったか、当時の家に行ったこともある。その頃西部は「月刊宝石」と関係が良く、とくに実力派編集者の神戸(かんべ)さんが西部に食い込んでいた。その彼と一緒だった。ダイニングのテーブルで長々と話しながら酒を飲み、猫用ドアから猫が出入りするのを見ていた。
 この小平の家はあれからすぐに手放し、都内に越したと聞いた。
 結局、あの一冊きりでビジネス編集部と西部との縁は切れた。残念だが、それが分相応だったと思う。
 初めに会った頃、西部はヒゲを剃っていた。だがある時期から顎髭を伸ばし始めた。「薔薇の名前ショーン・コネリーを意識しててネ」などと言っていた。お茶目な人ではあった。
 僕は自殺を責めない。積極的に認めるのには少し抵抗があるが、もはや若くない人が自分の手で自分の命を決することを人は責められないと思う。西部に映画の感想をいろいろ聞きたかった、と思う。例えばイーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」とか。

 

【追記】

もう一つ思い出した。

西部の愛唱歌に「舟歌」(八代亜紀)もあるのだが、自分では歌わないのだ。周りの者にリクエストさせ、普通のパートを歌わせる。そして、「ダンチョネ節のとこだけ歌うから」とマイクを奪うのである。歌詞は「沖のカモメに深酒させてよ−」だったり、「俺が死んだらよー三途の川でよー鬼を集めてよ、相撲取る、ダンチョネ」だったりした。わがままなジジイであった。

民謡の素養がないと、ロックなんてできない

レナード・コーエンを聴くと、どろっとした澱のような感触がある。たぶんそれはユダヤの旋律なのだ。
ボブ・ディランはコーエンほど濃くはないが、それでも「コーヒーもう一杯」など古風でミステリアスな音を感じる。フィドルユダヤ、ジプシー、東欧などを想起させるからか。
U2とかアイルランドのミュージシャンも民謡ぽさを色濃く残している。
愛蘭に限らず、英国ロックは、実はケルト民謡に黒人音楽を継ぎ接ぎしたものではないか、という疑惑を感じる。ビートルズがそうなのだ。とくにマカートニーの楽曲は民謡の素養が濃厚なような。
米国に行くと、黒人音楽よりもカントリーの濃度を感じる。サザン・ロックは田舎くさい、そのくささというのはカントリー度に比例するのではないかと。
で、カントリーというのは実はアイリッシュ民謡だ。ケルトに新大陸の荒々しい風土が加わったもの。この風合いは西海岸音楽に近づくと薄れる。
ニューヨークに行った人から「ジャズの店は無数にあったが、カントリーの店は一軒もなかった」と聞いたが、NYという街がカントリーを拒むのにも理由があるような気がする。
第三世界が生んだ最大のロック・スターはボブ・マーリーだと思うけど、彼にはアフリカのイントネーションが強烈に残っている。ちなみにマーリーはケニヤなどアフリカは勿論、モルジブの若者にも人気だった。人種・宗教が違っても「俺たちの大先輩」という感じなのかな。
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僕が日本のロックに不満なのは、自分が根ざした民謡の背景、拭いがたい刻印のような、呪われた背後関係がない、キレイに断絶した音楽になってしまってる、ということ。70年代のフォークブームはフォーク(民族)と言いながら米国のフォーク音楽の模倣をしていて、邦楽の民謡とはあまり関係がない。
例外は沖縄のロックで、ここの歌い手は明白に民謡に根ざしている。民謡に育まれ、民謡との相克、民謡への反発があることで、良い音楽への推進力になっている。石垣島からわらわらと音楽家が出てくるのは、石垣で民謡教室が盛んなことと関係ないわけはなかろう。
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僕が最近横笛を練習してるのは、ディランの曲やアイリッシュな曲に使われているフィドルのような、そういうフレーズを僕もやってみたい(でもバイオリンはできないから笛だ)、という理由がある。横笛は縦笛よりもずっとずっとエモーショナルな音が出せるので、そこら辺痺れる。