新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

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天皇に忠節を尽くそうとしたら、天皇制に疑義を挟まざるを得ない──大塚英志『感情天皇論』

大塚英志『感情天皇論』ちくま新書、2019

感情天皇論 (ちくま新書)感情天皇論 Amazon

 改元のタイミングで刊行された本だが、いくつも驚きがあり、単なる便乗商品ではない。迫力があった。
 基本的には2016に太田出版から出した『感情化する社会』で述べたことを詳述展開しているのではないかと思う。思う、というのは『感情化する社会』は未読で、そのプロモとして書かれたコラム「感情天皇制論」が今回のちくま新書とそっくりだからだ。

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文芸とサブカル天皇をどう捉えようとしたか

内容をかいつまんで紹介しよう。

『感情天皇論』目次
序 章 私たちは明仁天皇の「ことば」をいかにして見失ったか
第一章 他者としての天皇──投石少年論
第二章 セカイ系としての「純粋天皇」──大江健三郎を平成の終わりに読む
第三章 押入れの中の「美智子さんの写真」と「女子」教養小説という問題
第四章 シン・ゴジラの帰還と素晴らしき天皇なき世界
第五章 平成三〇年小説論──「工学化した世界」の片隅で
短い終章 天皇のいない国をつくる

 

  序章は、明仁天皇が2016に発表した「譲位の仕組み作りを提言した動画」が、いつの間にか「お気持ち」とされて形骸化してしまい、それでもというかそれゆえにというか国民の大多数に支持されていった過程を告発している。

 一章は、1959のご成婚パレードで馬車に投石して拘束された少年の挿話と、それを三島由紀夫石原慎太郎らがどう記したか語る。三島は『裸体と衣装─日記』でエロス的に称揚して書いた。石原は実際にその少年が自分を訪ねてきて「きちんと話したい」と語ったにもかかわらず、文藝春秋に「あれをした少年」という半小説みたいな文を発表し、少年に成り代わった文体で矮小化した。大塚は、石原にはこの事態を受け止める度量がなかった、と言いたげだ。

 二章三章はその後文壇で流行った「不敬小説」の系譜を記す。大江健三郎「セヴンティーン」は実は山口二矢だけでなく投石少年がフィーチュアされている。『芽むしり仔撃ち』や石原の『太陽の季節』も実は不敬がテーマなのだ、とする。
「不敬小説」というジャンルができるほど文壇人は天皇というか明仁皇太子に夢中だった。その極致はもちろん深沢七郎『風流夢譚』1960である。

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 三章では重要な〝忘れられた不敬小説〟が語られる。小山いと子美智子さま」がそれで、同作は実際に宮内庁から連載中止の要請があり、「平凡」での連載は打ち切られたという。抗議理由は《「私生活に対する侵害」、つまり「人権」であったとされ》、天皇個人の人権を圧殺する天皇制の本質に頬被りして宮内庁が人権を言う、興味深い事例である。
 大塚は、《この小説はむしろ皇太子妃の人権擁護小説》と明快に擁護する。男性純文学作家たちが天皇事象をオナニーや性的暗喩やスッテンコロコロと弄ぶしかできなかったのに対し、大衆向け作家の小山が啓蒙的ビルドゥングスロマンを書いて、しかもそれが宮内庁から抗議されたというのだから。《つまり小山は美智子を皇室を離脱して自立し得ることさえ選択する、自分の意志のある「近代」女性だと書くのだ》。性的暗喩や明白な嘲弄が無視され、通俗的な人権感覚での描写がむしろ逆鱗に触れる、宮内庁の逆鱗に触れなければその小説は現実のエッジに触ったとはとても言えないと僕は思うので、文学史的には小山大勝利であろう。

 四章では皇居直前の東京駅で停止、という劇終を迎えた「シン・ゴジラ」を語っている。エヴァンゲリオンや『絶歌』、折口信夫、「崖の上のポニョ」、「ゆきゆきて、神軍」「小栗判官車街道」とかも語られるが……正直あまり面白くなかった。サブカルの話題なのに。

 五章が本書の白眉かもしれない。古市憲壽『平成くん、さようなら』と田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』が語られるのだが、ここで大塚は両作品に対して驚くべき審判を下すのだ。ここはあまりにも面白いのでみなさんご自分で読まれた方が良いので詳細は伏せるが、本当に驚いた。
 ところで僕は田中康夫が33年後に相変わらず消費しまくるプチセレブたちを描きながら、ボランティアや〝ゆるいつながり〟、マルチチュードみたいなものに救いを暗示させていることに、すごく田中らしいなあと思い、そしてすごくつまらないと思った。そんな甘いもんで現実が救われるわけねーよ、という地方出身者のニヒリズム・上から(下から)目線で思った。
 田中とともに本書では鶴見済が取り上げられている。鶴見も『完全自殺マニュアル』の頃の突き抜けた立場から一転、シェアリングエコノミーやユイ・モヤイ社会が我々を救う、といった安易な着地をしてしまった。僕に言わせれば、これらは都会人の無知なエゴだ。大塚は取り上げていないが『そして、暮らしは共同体になる』の佐々木俊尚もそうだ。こういう議論は失格だ。人は共同体に居るのが苦痛でしかたがなく、共同体から逃げ出すために勉強したり出世しようとするのだ。そうして少子化孤独死すら選べる自由を手に入れたのだから、二度と共同体には戻らないのだ。「きずな」とか言ってるのは時代錯誤なのだ。
 ジャ・ジャンクーは現代中国を描写する映画作家だが、「山河ノスタルジア」はSF的でぶっ飛んでいた。改革開放・先富起来でリッチになった中国人は、宗族共同体から脱してオーストラリアに移住し、子供からも見放されてたった一人で老いて死ぬ自由を謳歌するのだ。中国人ですらそうなのだ。日本人が「きずな」に戻るわけ、ないのだ。
 まあ、注記しておくと、大塚はけっしてこんなこと言っていないのだが、まあこういう連想してしまうくらい僕には衝撃的な結論だったわけだ。

 終章、大塚は永年の持論に立ち戻る。『感情化する社会』のプロモエッセイで、《天皇制は断念されるべきだ、というぼくの立場はとうに表明済みである》と書いているとおり、本書でも《ぼくの結論は至ってシンプルだ。天皇制を断念しよう》とはっきり言い切っている。
 これは前々から彼の持論なのでネタバレにはならないだろうから、肝心の部分全部引用しておこう。その前段には、《いいかげんに私たちは近代を担保し民主主義を運用し得る「個人」となるため、私たちの怠惰を許してくれている天皇制を断念すべきである。そして天皇家の人々に私たちが奪い続けた「個人となる権利」を返すべきである》とあるのだ。そのために、《天皇制を断念しよう》と。

天皇への共感〟は実は〝甘え・依存〟では?

 実は僕も、前からほぼ同じことを考えていた。
 僕は外山恒一(1970生、九州のファシズム思想家。元は高校生左翼活動家)の影響で「ファシズムを現代に実現するには」を考え続けているのだが、天皇制については「あってもなくてもいいが、現在のように祭り上げて依存するのはよくない」と考えていた。保守(ネトウヨ含む)や民族主義国家主義の限界を突破してファシズムに糾合するには、どうしても「国民みなが天皇制に依存している現状を棄てねばならない」のだ。
 そして「もし存続させるなら天皇に忠義を尽くすべきで、忠義を尽くすなら民主国家が保証する人権を彼らにも与えるべきだ」、だから「天皇天皇制から解放せねばならない」と結論していた。

 天皇に対して「それは不敬だ」とか、遠慮したり、敬して遠ざけるのは、天皇を支える国民として正しい態度ではない。〝不敬〟よりも〝不忠〟をこそ恐れろ。
 つまり、「天皇に忠義を尽くすなら、天皇制を覆さねばならない」。

 これは大塚の「天皇制を断念しよう」とほぼ同じだ。

 あっぱれ、大塚英志は忠義者であった、と思った。
 それ以降の「皇太子の水の文化論」とか「天皇家バチカン化計画」とかはとくに僕は感銘受けなかった。まあ、いろんな考えがあっていいよね、ということだ。
 とにかく「天皇制に依存し、甘えている現状に無自覚でいてはならない」という大塚の結論は唯一無二のもので、スケールの大きいものだ。既存左翼の天皇制反対論とも違う。天皇制を認めるからこそ、そこから卒業せねばならない、からだ。

 憲法十三〜十四条には国民を個人として尊重し、人種や生まれで差別しない、と謳ってある。だが新天皇は還暦間近で登板し、八十過ぎまで激務を務め続けることが義務づけられる。人権もなく、ひたすら国民統合と国土の平穏を祈念し続ける、って持衰(じさい)とか『一目小僧その他』かということだ。野蛮な話である。
 とすると天皇は国民ではないのだな。この家に男子として生まれただけでこんな目に遭うとは。天皇を非人間的な天皇制から解放する闘争が必要なんじゃないのか? それとも民族派の志士や人権運動の闘士諸兄は、天皇にだけは人権を認めないのだろうか。

 今のとこ、きちんと「天皇制を諦めよう」と言っている言論人は大塚英志だけだ。尊敬に値する。もしもあなたの信条が大塚とまったく沿わなかったとしても、読む意義があると思う。

 大塚には巧言令色がないからだ。ことさら〝不敬〟を言い募り、天皇制に甘えるのをやめない輩こそ不忠者、君側の奸だ。

 巧言令色鮮し仁、君子は和して同ぜず。

 

付録。〝著者・大塚英志〟さんの思い出
 僕は昭和末年に大学卒業の見込みが立ち、東京の出版社に就職した。上京したのは平成初年の春だ。
 会社では軽装版ノンフィクション書籍の部署に配属された。隣の編集部のある人の机上に『物語消費論』があった。大塚英志の三冊目の著書だ。僕は田舎にいる時から『「まんが」の構造』『システムと儀式』は大好きで読んでいた。机の主が出社してきたので昼休みに声を掛けた。「この著者、好きなんです。面白いんで」その人は「へえ、知り合いから送られてきたんだけど、だったら読んでみようかな」。
 後日、「面白かったから著者に連絡したんだ。書いてくれるって」。
 こうして、光文社カッパ・サイエンスから『少女民俗学』が出ることになったのだ。
 担当編集は白石厚郎さんといった。本来はカッパ・サイエンスの理系っぽいタイトルを主にやっておられた。
 傍から見るとサクサクと進行して、あっという間に発売された(記録では5月刊らしい。4月頭に厚郎さんと雑談してからアッという間だった)。ささやかな打ち上げを、会社近くの穴蔵のような小さなビストロでやった。僕も呼ばれてお相伴に与った。
 ところがその夏、宮崎勤事件が発覚した。7月に捕まり、8月には自供が報道され、6千本のビデオとか、ロリコンアニメやホラー映画の影響が云々されだした。大塚さんはそれを我がことのように敏感に受け取り、裁判に関わることになってしまった。厚郎さんは「ぜひ続きを」と頼んでいたが、大塚さんの繊細な心に事件は重荷となるだろう、と心配した。不安は的中し、大塚さんは事件に忙殺されて続編は形にならなかった。
 あの時は本当に残念だった。せっかく脂が乗ってきた若い著者なのに、不毛な事件に関わって貴重な若い時間を棒に振るとは、と思った。だが、あの時ご苦労なさったのが、今の大塚英志の思想を鍛え上げたのかもしれない、という気が、今はしている。
 今回『感情天皇論』では、あの昭和末期に大塚が書いた『少女たちの「かわいい」天皇』という論考を、《ほとんどこれはセカイ系としての「天皇」に同一化する人間をただ甘美に描いているだけだ》と自身、完全に否定した。見事だ。そして《昭和のある時期までは盛んだった天皇制否定の議論は平成に入ると消え、逆に天皇制が「必要」であるならいかにあるべきかを考えることを怠った》と、非常に大きな議論を鮮やかにスパッと切って見せた。ここに本書のキモがある、と僕は思った。
 正直、昭和末年に僕が好きだった大塚英志は、明解でよく腑に落ちる文章を書いてくれる、やさしい著者だったが、世に出て以降の大塚の文章はやや読みにくい、韜晦もあるような、僕の苦手な文章を書く人になっていた。だが『感情天皇論』は、かなり明解だ。読みにくいところもまだあるけど、こんなにハッキリしている。三十年前の青年・大塚英志が帰ってきた、いや、ずっと健在だったのだ、ということがよくわかりました。
 ありがとうございます。なお、僕は本書をNet Galleyのゲラ配布・先行読みサービスで読ませていただきました。