新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

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ドゥニ・ヴィルヌーヴ「ボーダーライン」(Sicario)(2015)の感想(後)

完全ネタバレ◎アレハンドロの秘密と作品の謎を全部書く

 夜、テキサス州エルパソからアリゾナ州フェニックスに戻る。ここでレジーが呼び出され、彼の運転で160キロ離れたツーソンへ移動。ツーソンでは深夜2時なのに煌煌と明かりが付いた施設に行く。大勢のメキシコ人が座り込んでおり、銃を持った警備兵がいる。ボーダーパトロール国境警備隊である。

 メキシコ人たちはバスで連れて来られており、「彼らの夜食代に8000ドルかかる」という台詞もある。おそらく入管のような、不法移民として摘発された人びとが収容される施設から連れて来られているのだ。
 スペイン語で彼らに問いかけるアレハンドロ。米国人官吏のように強権的ではなく、彼らの間に分け入って腰を屈め、視線の高さを同じくらいにして、近づき、「結婚は?」「子どもは」「手を見せろ、入れ墨はないな」と尋ねていく。
 すぐ後で判明するが、これは、ノガレスにあるという秘密トンネルの位置を探し当てるための、不法移民たちからのデブリーフィング、そのためのリクルートメントなのだ。訊問ではなく、自由に話させる。その方がリラックスして正確な情報になる、といったノウハウがアレハンドロにはあるのだろう。
 貧しい移民たちの間に分け入るアレハンドロの姿は、優しさに満ちている。移民たちに寄り添う姿勢がある。彼を見ているケイトたちには、それはない。アレハンドロは移民たちを“同胞”として遇しているのだ。
 ケイトにはそれがわからないから、このリクルートの意味もわからず、ここにいること自体に苛立ってしまう。もう深夜2時なのに引っ張り回され、自分が何をさせられてるかもわからない。あげく、「もう帰っていいよ」と片道2時間のフェニックスに帰れと言われる。着いたら明け方だろう。
 対照的にアレハンドロは主体的に行動し、精力的だ。とくにこのシーンは生き生きしていた。
 アレハンドロがメキシコでずっと検察官をやっていたら、こうして民衆と接し、庶民派の検事として人気になっていただろう。やがて選挙に出て、大物政治家になったかもしれない。
 すべてがカルテルによって狂わされたのだ。

 翌朝、ケイトはあまり眠れなかったようで、フェニックスの自宅で悶々とメキシコの犯罪写真などを検索して見ていた。朝、レジーが訪れて例の「新しいブラを買え」議論を仕掛けるパートだ。
 二人が“本部”になっているモーテルを訪れると、朝から(?)アレハンドロと移民たちは地図を前に熱心に議論している。
 移民たちはアレハンドロに積極的に協力している。もしかすると見返りを約束したのかもしれないが、それ以上に、アレハンドロの態度が彼ら移民を正しく遇しているから、移民たちのモチベーションも上がっている。

 マットの発案で、マヌエル・ディアスの資金洗浄係を拘束、口座を凍結する作戦に出る。資金洗浄係の金髪・白バッグの女性は特定済み。地元フェニックスのSWATに拘束を頼む。ここでゴムバンドで丸く留めた札束が出てくる。一束1万ドルくらいだと思う。こういう風に丸い札束を作るのはアングラな博奕打ちが多いと聞いたが、正規の銀行でもやるのかな?(これは洗浄済みの、銀行からおろした金だと思う)

 ここでケイトとレジーボーンヘッドをする。銀行の店内に入り、支店長に掛け合ったのだ。マットは「銀行に入るな」と注意したのだが。
 ケイトの目論見は、合法的にディアスを逮捕拘束し起訴すること。マットたちに任せているといずれ非合法(超法規的)にディアスを処分してしまうかもしれない。それは許せない。だからマットの制止を振り切ってでもここは突破しなければならない。
 マットとしては、そのくらい敵も想定内で、不正資金くらいでの裁判は打撃にもならない、たぶん起訴もできないだろう、それより泡食らってメキシコに戻るのを待つべきだ(国外で超法規的措置に出る)。これはケイトとしては絶対に賛同できない。メキシコでFBIが活動するのは違法だからだ。

 ケイトとレジーは銀行の監視カメラにはっきり顔を撮られてしまった。組織は、口座を凍結した連中の一人、とケイトを認識したはずだ。
 
 一瞬、プール付き邸宅の男が映る。札束のゴムバンドをいじっている。

 自分の上司に掛け合うケイト。ケイトは正規の手続きで立件・逮捕・裁判に持っていきたい。だが上司はすでに投げやりで「去年の立件数はその前の二年分より多い。でも街は安全にならなかった(立件しても仕方がない)」と言う。すでに正規の手続きを放棄しているかのようだ。少なくともマットたちの作戦を支持し、ケイトに自重を求めている。
 そして、この作戦は高いレベルで決定されたもので「超法規的行動をしてもいいんだよ」とケイトを説得する。そう言われてもケイトとしては容認しがたい。違法な捜査はしてはいけない、法を遵守して執行せよ、というのはFBIの金科玉条、ケイトとレジーの信奉する主義でもあるからだ。上司の命令で個人の信条を曲げることはできない、というのが米国的な倫理観だ。

 気晴らしに地元のバーへ飲みに行くケイトとレジー。ここでレジーはケイトに気分転換させようとする。うまい具合に以前知り合った地元警官テッドがいた。テッドはケイトが店に入ってきたときから気付いてチラチラ見ていた。
 この映画は説明が丁寧だ。このチラチラ見透かすシーンも、当然伏線になっている。
 ケイトは彼を自分の部屋に伴う。愛撫を交わし、いい雰囲気になったとこで、テッドはジーンズのポケットから邪魔な鍵束を出してテーブルに置く。そこに色鮮やかなゴムバンドがある。
 ケイトはゴムバンドが目に入ってしまう。一瞬で気付く。テッドから身体を離し、距離を取ろうとする。追いすがるテッド。だがもうケイトは怖くてテッドを許容できない。自分の拳銃を取って自分を守ろうとする。これが失敗だった。
 テッドは自分がディアスの金を受け取っている汚職警官だと気付かれた、と悟る。ケイトが激しい抵抗をやめないのでテッドはやむなく首を絞める。殺そうとしたのか、それともただ抵抗をやめさせようとしたのか。どちらにせよ、当初はここまでやるつもりはなかったと思われる。寝て、捜査状況がどうなっているかを聞き出せば上々、くらいのことだったかもしれない。ここまでエスカレートしたのはケイトが発砲するほど激しく抵抗したからだ。ケイトの反応も理解できるが、これは不幸なエスカレートだった。

 ケイトの意識が薄くなろうとしたとき、部屋に侵入してきたアレハンドロがテッドに拳銃を向ける。ケイトのグロックを拾ったのだろう。

 シーンが切り替わり、マットも来ている。だから銀行に入るなと言ったのに、I told you と言いつつ、ディアスの息の掛かった汚職警官を挙げることができたのは上等だった、とうれしそうだ。外には地元警察が大勢駆けつけているのに、テッドを拘束しているのはマットとアレハンドロの車だ。そしてテッドは首から上が血まみれだ。暴力を振るった訊問を受けているのだ。
 マットはテッドに言葉で訊問するだけだが、横からアレハンドロが出てくると必ずテッドに痛みを与える。顔の皮膚を捻り上げ、耳に深く指を突っ込む。的確にテッドの心を折る。ためらいもない。
 マットはさらに、「娘を安全に身辺警護をつけるか、元女房の住所をネットに晒すか」「まともな刑務所に送るか(ミズーリワークキャンプ)、屠畜場か」、ここ“屠畜場”とは原語では加州コーコラン刑務所のようなキルハウス、と言われている。チャールズ・マンソンやフアン・コロナのような殺人鬼が収監されていた州刑務所だが、ここでは治安の悪い、組織の手が内部に入っている危険な刑務所のことだろう。

 しかしこの比喩の翻訳はいただけない。今時の屠場はこういう比喩にふさわしくないからだ。キルハウスの訳は“処刑場”くらいが適当なのではないか。

 アレハンドロの駄目押しの虐待でテッドは完落ちする。携帯電話の住所録を見ながら、カルテルに買収された警官の名前を全部挙げる。これでテッドは終生カルテルから追われることになる。

 落ち込んだケイトを慰めに行くアレハンドロ。ここで彼は「奴は殺し屋じゃない。捜査状況を探っただけ。奴らの標的は我々(自分とマット)で君じゃない」とはっきり言う。ケイトはカルテルにとっても小者で、捜査状況を洩らす壊れた水道管くらいの存在なのだ。「ありがとう」と応えるが、ケイトは自分があくまで蚊帳の外であることに傷ついたはずだ。

「明日ディアスはメキシコに呼ばれる」とアレハンドロは予言する。ものすごく展開が早い。ケイトをチームに入れて作戦を始めてからまだ数日のはずだ。
 そこまで練り上げていたのを、ケイトたちFBIを噛ませてから一気にカードを切っているのだ。

 翌日、本部になっているモーテルに顔を出すと、昨日までいたメキシコ人移民たちは一人もいない。代わりにむさ苦しい私服兵たちがいる。マットの手足となる陸軍デルタフォースか。デルタは髪形や服装を偽装して偵察したり作戦したりするらしい。便衣兵である。

 空撮画像の監視員がいる。無人機でディアスの邸宅と自動車を見張っている。

 今日これからトンネル突入作戦をする、と告げられ驚くケイトとレジー。初耳だ。一応装備はつねに車に積んではいるが。突入時は後ろから付いて来い、とマットは強圧的に言う。戦力にならないのになぜ自分たちが帯同しなければならないのか、ケイトたちは不審だ。マットはあけすけに言う。「CIAは単独での国内活動を禁じられているから、君らFBIとの共同作戦ということにすれば合法になるのだ」つまり、名目上のパートナーとして、役に立たなくてもいいからついてこい、と言っている。これほど屈辱的なことはないだろう。

 レジーは激怒する。「俺たちは利用されてた。同行する必要はない。むしろ作戦をしくじらせてやれ」
 しかしケイトはそれに同意できない。「見届ける。知りたいのよ」
 二人のコミットの深さには差がある。レジーはあくまでFBIからの出向で、FBI的価値観を棄てるつもりはないし、FBIがコケにされたならメンツを取り戻すために相手(CIA)をハメることも厭わない。非常に狭量だと思うが、通常の組織間の付き合いではこれが普通だ。組織・党派の価値観を蔑ろにすることは許さない。
 だがケイトは、FBIの価値観を棄てるつもりもないが、この作戦を邪魔するのもためらわれる。この作戦はアレハンドロが立案・主導している。アレハンドロにはテッドから救ってくれた借りもあるし、その後「君は私の大切な人に似てる」と慰めの言葉をかけられている。いや、そうしたエモーショナルな部分よりも、ケイトは純粋にアレハンドロの実力に興味を持ち始めている。ディアスと、その先の大ボスを「ついに始末できる」とは、具体的にどうするのか。国境の向こう側の人間を「始末する」とは、米国法では違法に決まっている。その尻尾を捉まえて、コケにされた借りを返すか。それともアレハンドロの正体を知り、彼を理解したいのか(ここはわれわれ観客と同じなのだ)。

 作戦が始まる。武装したデルタを満載したシボレーのSUVが、フェニックスから国境のノガレス方面へとひた走る。サバーバンかタホかわからないが最大サイズのSUVだ。全車黒なので車列は異様に見える。フアレスでの移送作戦といい、この映画を象徴するものだ。

 国境の向こう側が少し描写される。これまで息子や妻とのふれ合いのみが描写されていたメキシコ人警官は、実はコカイン倉庫から安全に商品を運ぶ副業をやっていた。国境のこちら側ではマットが「メキシコ警察も車で運ぶ。制服警官を見たら敵と思え」と言っていた通りだ。この映画は説明が自然で丁寧だ。

 国境を越えたディアスを無人機が常時監視している。トンネル入口近くで全員シボレーを降りると、無造作に装備を付けて作戦が始まる。
 みそっかすのFBIはデルタのリーダーから「安全装置オン、銃身は下に向けろ。後ろにいろ。俺の仲間を撃つな」と素人相手のような注意を受ける。屈辱がいや増す。
 ヘルメットには光増幅型の暗視装置と熱感知型サーマルビジュアルセンサーが付いている。トンネル内は完全に光がない場所も多いので、光増幅型ノクトビジョンだけではダメなのだ。

 坑内に突入する。敵地だ。暗視装置でこちらからは敵が見えるが敵はこちらが見えない。サーマルセンサーには足跡まで映る。ナイフで音を立てずに見張りを倒す。
 鉱山のトンネルではなく、国境をパスする通路に過ぎないのでトンネルの構造は一本道のはずだ。少し分岐があるようだが、基本的には一本道をデルタが火力で押し、カルテル側を排除してゆく。
 トンネルのメキシコ側入口にも銃声が聞こえてくる。パトカーからの荷下ろしがまだ済んでいないが、カルテルの人間はヤバいことに気付いている。警官が律儀にすべての荷を降ろそうとするのを、「逃げよう。キーを寄越せ」と銃を突き付ける。
 そこに黒ずくめのアレハンドロが登場し、銃を持つ方を射殺する。すぐ撃てる銃を手にした者は問答無用に制圧(殺す)する、厳しすぎる作戦だ。
 生かしておいた警官をアレハンドロは拘束する。だが逮捕ではない。
 そこにトンネルからケイトが現れ、両者に「動くな」と通告、武装解除と逮捕を目論む。メキシコ側での殺人を目撃したから、ケイトにとってはアレハンドロを逮捕拘束する大義名分は十分なのだ。

 だがアレハンドロは予想外の行動に出る。ためらいなくケイトを撃ったのだ。ボディアーマー(出撃前に金属の防弾板も入れていた)を着ているので死にはしないが、相当痛いはずだ。しかも二発。古い型の防弾着だと、一発目で気密が破れると二発目は弾を通してしまう。二連発は必殺の撃ち方だ。アレハンドロが本気であることがわかる。本気の峰打ち?というと変だが、実はとても危険な男である。

 ケイトを撃ったアレハンドロの「二度と俺に銃を向けるな」も、最後まで見ると一種の伏線であることがわかる。

 アレハンドロはメキシコ警官のパトカーをハイジャックし、警官に銃を突き付けて走り去る。ケイトは言われたとおり米国側の出口に戻る。
 ここからの展開が少しご都合主義で奇妙だ。アレハンドロがメキシコ側に出た時、たまたま警官がパトカーで来てたからよかったが、車両が何もなければどうするつもりだったのだろう。
 また、無人機オペレータからの指示も奇妙だ。「標的は東北方向」というが、ノガレスの国境線は正確に東西一直線なので、東北方向は米国領で、アレハンドロより後ろになる。
「標的が17号線を行くなら56号線から回り込める。2号線から56号線を東へ」も変だ。17号線はノガレスの東の町アグアプリエタから南下する道路だ。しかしノガレスとアグアプリエタは直線距離で130キロもある。ノガレス近郊のトンネルから出たアレハンドロが追いつける距離ではない。そもそもノガレスから2号線に出るまでも40キロ以上あるのだ。1時間はかかるだろう。
 ちょっとここの位置関係は無茶苦茶で、せっかく良い映画なのに瑕疵だと思う。

 米国側。「20分後、標的に接近」とオペレータから報告が上がる。これはもちろんアレハンドロがディアスを捕捉することで、こう考えると全然ノガレスではない。むしろトンネルはアグアプリエタ近郊にあると考えた方が楽だ。

 デルタやマットは作戦が成功裏に終わりそうなので軽口を叩く。「あの二人はまったく手が掛かる」等。そこへケイトが遅れて現れる。いきなりマットを殴りつけ、返り討ちに遭って組み伏せられる。レジーも拘束される。
 マットはケイトを離れた場処に連れてゆき、落ち着け、と言う。マットは、ケイトに釘を刺さねばならない。
「君は違う通路に入り、見るべきでないものを見た」アレハンドロの単独作戦は目撃されてはならないものだったのだ。
メデジンとは?」とケイトは問う。警官シルビオがアレハンドロを見て叫んだ「メデジン」を覚えていたのだ。それに対してマットは驚くべきことを言う。
メデジンはかつて、すべてのドラッグを支配していた。我々(CIAなど米政府機関)に把握できる量が流通していた。やがて他の連中が“こっちの粉にしろ”と国民の20%を奪うまでは、理想的な秩序だった」
 コロンビアのメデジンカルテルが麻薬を入れていた頃は、米国政府機関は事実上のお目こぼしをしていた、ということだろう。流通量を把握していたら、それを国内の誰が扱い、どこへ卸しているか、誰が使っているかまである程度わかる。リスクを管理できていた、ということだろう。
 それがメキシコのカルテルが参入して流通量が爆発的に殖えると、管理不能な量になり、麻薬の使用者も国民の2割に及び、米国内の犯罪も殖えすぎてしまった。「その秩序を、アレハンドロが取り戻そうとしている」メキシコカルテルを潰して、コロンビアのカルテルに主導権を渡す、という手打ちが、米国内の高レベルで判断され、その作戦をCIAのマットが行い、アレハンドロを雇ってやらせているのだ。

 ここからのマットの言葉はアレハンドロ本人の重要なプロファイルになる。
「彼は誰の仕事でもする。人生を破壊した者を倒すためなら。我々でも、奴らでも。復讐を果たすために、彼は追いつめる。妻の首を切断し、娘を酸に投げ込んだ男を。敵はそういう奴らだ」

 ケイトは「私は都合のいいように黙りはしない。暴露してやる。何もかもすべて喋る」と言う。怒りに駆られている。だがそれは、FBIの流儀を無視された怒り、自分が依って立つ正義・公正さを踏みにじられた怒り、自分がコケにされた怒りにすぎない。
 マットは静かに「もっと気を楽に。やめておけ。それは大きな過ちだ」とだけ言う。ケイトたちが銀行に入ろうとしたとき消極的に制止した、それと同じような態度だ。言ってもどうせ聞かないだろう。だが“I told you”とはっきり言っておかねばならない。

 マットが口にしたアレハンドロの過去。それはすさまじいものだ。メキシコで人望のある腕利き検事だったのが、カルテルに手を出したため、妻子を殺されたのだ。妻の首を切り、というのはカルテルの常套手段なので詳しいシチュエーションはわからない。だが、娘を酸に投げ込んだ、というのはおそろしい。アレハンドロは娘が溶けていくのを見ているに違いないからだ。
 酸に入れた死体は溶ける。溶けてなくなる。濁った酸の液は、誰かの死体が溶けていることくらいはわかるが、DNA鑑定で個人が特定できるかどうか。それを“娘を酸に投げ入れ”と断言しているということは、溶けてなくなる直前の娘の姿を、娘が溶けていく過程を見せられた、という意味に間違いないのだ。しかも、それはたぶん生きたまま、だ。娘の死体を酸に投げ入れ、ではない。アレハンドロに最大限の恐怖を与えるには、死体では意味がない。おそらく妻も、生きたまま首を切られたに違いない。
 おそらくアレハンドロ本人も苛酷な拷問を受けている。彼がギレルモやテッドに対して容赦ない拷問をできるのは、すべて自分がされたと同じことをしているのではないか。ギレルモにぎゅうぎゅう下半身を押しつけて威圧したのも、水責めも、テッドの顔を捻り、耳に指を突っ込んだのも、すべて彼自身が経験したことではないのか。

 ここから先は逐語的に作品を追わない。クライマックスについて書くのは無粋だし。ただここでアレハンドロはかなりの掟破りをする、とだけ書いておきたい。それもこれも、彼の背負った修羅の大きさによるのだ、とマットの説明を聞いていれば納得できる。
 アレハンドロがメキシコの元同僚から「幽霊」と呼ばれた理由もわかるだろう。彼は一度ならず死んだのだ。抜け殻が歩いているのだ。


大テーマ◎正義とは、単に汚れてないことか?

 世間では蛇足だと思われている、最後のケイトとアレハンドロの対峙。僕はここが真のクライマックスだと感じて震えた。
 作戦が終わり、休日、ぼうっとベランダで喫煙するケイト。ストレスのあまり禁煙をやぶり、不安は去らないので煙草を常用するようになった。
 屋内に人の気配がする。「しばらくはバルコニーに立たないほうがいい。OK?」
 アレハンドロが室内に侵入している。暗い部屋にケイトを坐らせ、「怯えると少女のようだな。殺された娘を思い出す」と語り掛ける。アレハンドロに感じていた、ケイトを何か特別視している感触が、ここで説明される。前にも一度、「大切な人に似ている」とぼんやり伝えていたことだ。
 だがここで重要なのは「俺の大切な人は殺された」ということだ。

 アレハンドロは書類とボールペンを投げ渡す。「“作戦はすべて法規に準じたものだ”という書類にサインしてくれ」宣誓供述書のような意味の書類なのだろう。
「サインできない」とケイトは泣きながら拒否する。「大丈夫だ」とアレハンドロ。
 ここ、多くの人が読み違えているのだが、アレハンドロは自分の保身のためにケイトにサインをさせようとしたのか? 僕は違うと思う。
 アレハンドロという人物をよく思い出してほしい。彼は保身を欲するような人物か。
 米国に居られなくなったらコロンビアでもどこでも行ってしまえばいいのだから、彼に保身は不要だ。
 では誰のためか。マットなどCIAほかの政府機関をスキャンダルから守ろうとしたのか。それはあり得る。だが主筋ではない。

 サインを拒否するケイトの顎に彼は銃口を突き付け、「君は自殺することになる、ケイト」と宣告する。それほどまでに彼がケイトのサインを必要としたのは。
 もう結論は一つしかない。「ケイトを殺させないように、ケイトの偽証供述書が必要」なのだ。

 ケイトの主義では、公正さ・正義が非常に重要になる。そのために勇気があり、個人の強さがある、という思想だ。このままほっとけば、ケイトは必ず内部告発をし、作戦の全容を、米政府が違法な作戦を認可していたことを世間に暴露する。
 各方面が打撃を受けるだろう。ケイトを出向させたFBIの上司から、CIA、陸軍、警察、DEA、その上の政府機関だから司法省や国防総省、大統領府まで。大スキャンダルになる。
 ケイトは命を狙われる。それでなくともすでにソノラカルテルからは仇と目されている。メデジンカルテルにしてみれば内部告発者=裏切り者だからやはり消すべき存在となる。米国の利害関係者も彼女を消したがるかもしれない。
 それをさせないために、信念を曲げろ、命を守れ、偽証をしろ、とアレハンドロは迫っているのである。俺の娘のようにしたくない。酸で溶かされるくらいなら俺が射殺して自殺に見せかけたほうがまだましだ、というアレハンドロの確信。
 暴力で信念を曲げさせられるのはケイトにとっては初めての体験だ。レイプに匹敵する。

 銃を突き付けられたままサインしたケイトに、「小さな町へ行け。法秩序が今も残る場所へ。君にここは無理だ」とアレハンドロは諭す。ここは具体的にはフェニックスのケイトの部屋だが、広義にはフアレスやノガレスなどメキシコのカルテルと接する場所すべてを指す。「君は狼ではない。ここは狼の地だから」とはそういうことだ。

 アレハンドロはケイトのグロックを分解して捨て置いてくる。ケイトはそれを素早く組み立て、ベランダからアレハンドロの背中に狙いを付ける。気配を感じて振り向くアレハンドロ。
 しかし、ケイトは自分が狼ではないことに改めて気付き、絶望して銃口を下げる。ケイトは完全にアレハンドロを理解した。そして、自分はそうはなれないこと、彼との断絶の深さを改めて知ったのだ。その絶望だ。

 ケイトという個人が屁垂れなのではない。彼女はよくやった。彼女が負けたのではなく、彼女が信じた正義、公正、フェミニズム的自由と解放の思想、相互に信頼し合う思想が、アレハンドロの背負った修羅に負けたのだ。

 アレハンドロは、進んで悪を引き受けた男だ。それも大きな悪だ。これほど大きな悪でなければ、対抗できない悪、邪悪さが満ちているのが“狼の地”なのだった。
 アレハンドロにはそれまで口にしていた、「大ボスを始末することはワクチンの発明に匹敵する、大勢の命を救える」という大目的があり、それは終始変わらない。ただ、その目的を、キレイキレイな手段でのみ実現しようとする気はない。障害を何もかもなぎはらって一直線に目標に向かう。アレハンドロにとって法は些細な障害にすぎない。自分にはもう守るべきものは何もないからだ。この身も命も惜しくない。

 おそらく彼が最大に惜しむのは、自分が「カルテルを挙げる」と決意したために流された妻や娘の血が無駄になることだろう。すべては自分の選択のせいだったのだ。警官シルビオのように組織に内通すれば、今でも妻と娘は無事で、自分も豊富な資金を得て政治家への転身だって可能だったはずだ。
 だが、正義を選んだためにアレハンドロは何もかも失って、幽霊となった。
 彼がケイトに発したのは「俺のようになる覚悟はあるのか」という問いだと思う。その覚悟があるなら、俺に銃を向けて撃つがいい、と。

 この修羅の深さが「ボーダーライン」を見る者を圧倒するのだ。
 この作品のレビューに「善悪では割り切れない」「悪に対しては一定の悪も必要」といった言葉が使われているのを目にする。だけど、そういう小さな話か? と僕は思う。
 考え得るかぎり大きな悪を引き受ける、と覚悟した者を、誰が裁けるのか。