新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

私は誕生日というかお誕生会が嫌いだ。裕福な子の誕生会にマイケルやジェイソンを召喚したい

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ブレイディみかこ氏はどうも同い年らしいのだが、先方はいろいろと尖った人生を歩んでおられるので、僕のようにぼんやりと生きてきた人間とはてんでモノが違う。

僕は彼女と違い、この年になるまで、自分がどんな階層に生まれ、どういう風に育ってきたか、まるで意識していなかった。
いま冷静に考えると、僕が生まれ育った家は周囲と比べると貧しかった。それは、両親が山奥の小さな町から山陽地方工業都市へ出てきたという事情に由来する、と思い至った。

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両親は引越の際、人的物的資産をほとんど持たずに都市部に来た。古い家を買い取り、母屋や離れを順次建て替えていったのでその支払と子供たち(僕ら)の教育費を優先したため可処分所得はごく少なかった。若くてまだ経験もない夫婦には苛酷なことだったろうと思う。

うちの周囲は新開地ではなく古くからの農家や自営が多い地区で、地区の行事も多かったが、うちの両親は電話局員と郵便局員つまり下級公務員、地区の行事参加もなかなかできず、周囲から浮いてたようだ。
公務員は若いうちは非常に薄給で、反対に農家や自営は日銭なので可処分所得は多いのである。同年代の子どもたちの親は、うちの家と違って裕福そうだった。

その代わり長期にわたる厚生資金だと、自営は手薄で、年々給与が上がる公務員・会社員(電話局は後に民営化された)は子供たちが手を離れた頃かなり厚い所得を得る。つまり、ある時点で月給取りと自営の所得や余裕は逆転する。いま両親は手厚い年金を受けて悠悠暮らしているが、周囲の家は没落したり余所へ行ってしまったところも多い。

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僕の小学生時代は、無理して習い事や塾にも行かせて貰ったが、その他は赤貧洗うが如しだった。だから僕は、小僧ずし以外のお寿司は就職するまで食べたことがなかったし、焼き肉も大学に入って先輩に連れて行かれたのが初めてだったからモツばかり食べ、上カルビを食べたのは就職してからだ。その他の文化資産についての怨みは書ききれない。

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小さい頃、近所の裕福な家の子が誕生会を開くときも、店で誕生祝いの贈り物を買って持っていくことができなかった。他の子たちは数百円から千円ほどの玩具や文具を買って持ち寄っていたが、僕は鉛筆とフェルトペンで雑誌に載っていたパズルのような絵を模写し、方眼紙を組み立てて作った箱に入れて持っていった。受け取った彼は何もコメントしなかった。が、その後のお茶会で「なんでお前はここにいるの?」という雰囲気を感じたのは気のせいではないと思う。

お誕生会に招かれないのはとても淋しいが、招かれても同じように淋しい思いをする、という、どっちに転んでも淋しいのが“貧乏”なのだ。

正直、子供のお誕生会に他の子が贈り物を持ち寄る、なんて、なんと愚劣な習慣だろうと思う。それだからか、僕は今でも誕生日が嫌いだ。毎日毎日執拗に誰かの誕生日を報せてくるFacebookは氏ねと思う。