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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

野村芳太郎・橋本忍「砂の器」再見

今見ると、野村芳太郎の映画ではなく橋本忍色が強烈。クレジットされているが山田洋次はたぶん全体の縮め方とかしんどい裏方をやったのではないか。とにかく本作は橋本忍作品。

<あの頃映画> 砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

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実は本作はトラベルミステリーなのだった。本庁の丹波哲郎は「土産を持って帰れずに悪いなあ」を連呼しながら出張を繰り返す。秋田・島根・伊勢・大阪。座っていく夜行列車の旅は辛そうだ。

原作は一度しか読んでないのですっかり忘れていたが、超音波殺人とかトンデモない挿話がある。そしてミュージック・コンクレートなどで時代の寵児となっている芸術家集団への嫌悪。連載は1960だから戦後20年を経ずして文化爛熟してたんだなあと感慨。

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戦災孤児に音楽の天稟があって、という設定だが、さすがにピアニストは無理があろう。その点、現代音楽はサンプリングだから無理がない。また原作者は、現代音楽のつまらなさ、虚仮威しを暗に批判しているように思える。音楽家と言っても虚名の音楽家なのだ。だから映画版のピアニスト兼作曲家とはニュアンスが異なる。

で、映画版は交響曲じゃなくてピアノ協奏曲だったんですね。すっかり忘れてました。

それにしても大仰で単調な曲で、劇伴としてはよい、とくにあの巡礼シーンの背景音楽にはぴったりだが、これ単体で聴いたら絶対寝ると思う。佐分利信(許婚者の父親・大物代議士役)が寝ずにちゃんと聴いてたのがすごい。

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映画は加藤嘉緒形拳が登場する後半回想シーンに信じがたいレベルにまで達する。原作を突き抜ける、ブレークオンスルー、トゥジアザーサイドである。
よくよく見ると全体にヘンだし辻褄の合わない映画なのだが、このパートの緊張は、劇伴のうねりも加わって、すべてをチャラにして宇宙の高みにまですっ飛んでいく力強さに充ちている。
Amazonのレビューもみなここを褒めており、「日本の風景の原像」みたいな褒め言葉も多い。だが、それって障碍者を忌避していじめぬいたことも含めての原風景なのだということを忘れるなよ。人間の記憶や思考は都合が良いものである。

加藤嘉は本当に熱演である。眼福、映画を観る歓びとはこのことだ。
丹波の刑事が訪ねていくのはどうも岡山県の長島の療養所ということらしい。

僕は大学のとき、橋が架かったばかりという長島を友達と訪ねたが、当然ながら橋を渡ることはできても療養所には入れなかった。失礼しました。
映画はその前に岡山でリバイバルで見たはずなのだが、ここが舞台とは忘れていた。原作で言及されたのは熊本の療養所だったような気がする。

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あの美しい回想シーン、実は昭和四十年代後半(撮影は1973)なので、戦中はあり得なかった田舎の電柱とか小川のコンクリート護岸とかが映り込んでいる。美しい合掌造りの村落が電線だらけなのが興を削ぐが、加藤嘉と子役の熱演がすべてをオッケーにしてくれる。彼等に若々しい緒形拳が対峙してドラマを作ってくのだから、もう最強である。このパートを創造した橋本忍の勝利だなあと。

松本清張中国山地の奥地の出だという。公式には福岡出身となってるみたいだが、エッセイで島根と広島の県境あたりに係累がいて、みたいなことを書いていた(作品名失念)。島根県が遠い舞台になっているのはその関係だろう。
僕の生まれも広島県の奥(彼と違って東部だけど)で、映画に登場するシーンには母方の実家そっくりの風景もある。軽自動車一台通るのががやっとの曲がりくねった砂利道、目の下の小さな田圃、畦道に咲く花とか。のどかに見えるが苛酷な山村だった。あの巡礼シーンは、とても凄惨なものなのだ。