新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

宮古島の伝説の屋台「サムライキッチン」の思い出

宮古島、ホテルアトールエメラルド向かいの駐車場の隅に、いまでもバラックが建っていると思う。

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いまGoogleストリートビューで見てみると「宮古そば」の看板が出ているが、もともとは「サムライキッチン」の跡地だ。

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サムキチこと店主のはたぼー(本名ハタノ君だそうだ)は、この駐車場の隅にライトバンを停めて屋台を始めた。駐車場の隅で赤提灯が風に揺れる屋台は妙に酒飲みの吞みたい心を刺激し、繁盛した。

やがてどこからか資材を調達し、仲間と力を合わせて恒久的なバラックを建てた。これが今も残るバラックだ。中はキッチンが大きめで、複数の料理人が働きやすくなっている。「サムライキッチン」の主力は韓国料理で、七輪の焼き肉と当時はあまり目にしなかったPETのマッコリが美味かった。

 

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はたぼーは、駐車場から下里通り(平良の目抜通りの一つ)に越して、今度は居酒屋「南国酒場フジヤマ」を始めた(写真はストリートビューで「この辺だったかな?」という曖昧な場所。下里通りです)。フジヤマは焼酎・日本酒主体の和風というかトラディショナル赤提灯居酒屋であった。彼の出身地・丹波の食材や酒が置いてあった。

 

hirokouji.ti-da.net

※上記のブログは、宮古島の飲食店を本音で紹介してる。こちらのブログ主さんとフジヤマのカウンターで出くわして、「ブログ楽しみにしてます」と云ったらほんとに奢ってくだすった。ごちそうさまでした、キョー兄ィ。

 

はたぼーは、一時はさらに中華?の店も経営し、移住ナイチャーの立志伝中の人wとも言われた。
僕はサムキチ時代によく飲みに行った。ふだん焼肉やマッコリはやらないのだが、なぜか宮古島でばかり焼いて飲んでいた。美味しいし、気のおけない、観光客にもジモティにも人気の良い店だった。

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はたぼーには持病があった。白血病とのこと。だが奇跡的な寛解をみせ、結婚して一児をもうけた。
彼がフジヤマその他を閉めたのはいつだったか、2年くらい前かな? 病気を治してる、と聞いていた。
今朝になって知ったのだが、この1月10日に亡くなられたとのことだった。

 

※下記のブログエントリのコメント欄にご友人が投稿されている。

ameblo.jp

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もう一度、彼の店で飲むのを楽しみにしてたのだが。

メメントモリ
死があるから生が輝くのだ。

はたぼーの店で過ごした時間は本当に楽しかった。ホテルセイルインから、暗い西里の坂道を海岸通りへ下っていくのはいつも楽しみだった。店の裏には大きなフクギの木があって、横の道には大きなフクギの実がぼとぼと落ちていた。ビーチサンダルでこれを踏むと僕は転んだ。

ここ数年は宮古島本島?に泊まることが少なくなり、伊良部島で吞んでいたので、フジヤマには二回ほどしか行ってない。惜しまれる。

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今日は東京では畏友ががんの手術を受ける。成功を祈っている。成功するに違いない。そしてまた会おう。
メメントモリ。それを忘れずに。