首相答弁の「でんでん」を笑ってはいけない
総理大臣が国会の答弁で、原稿を読んでて、「云々」のところで「でんでん」と読んでしまったそうだ。
僕は又聞きというかネットで読んだだけなので詳しい事情は知らない。
推測するに、「云々」ににんべんを付けて「伝々」と同じだろ、と読んだのであろう、と。
「雨かんむり」を付ければ正解だったのにね。「雲々」で「うんうん」…「うんぬん」は音便というかリエゾンというか音韻変化しているだけだから「うんうん」でもまったく間違いではないはずだ。
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にんべんを付けたのが惜しかった。「云」は、女へん、木へん、りっしんべんがついても「うん」と読む。
ではなぜ「伝」は「うん」ではなく「でん」なのか。「伝」は正しくは「傳」で、「云」とはもともと関係がないからだ。
これは、漢字を簡略化した時のひどいインチキだ。
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ひどいインチキ例が「芸」だ。これはもともと「うん」と読む。用例は、「芸草(うんそう)」という臭い草の名前くらいしか僕は知らない。
それを「藝」の簡略化として採用した。
「温」の簡略化として「汨」を採用するような暴挙だ。全然違う字なのだ。
だからなのか、「文藝春秋」は頑固に意固地に「藝」の字を使い続けている。「東京藝大」もそうか。「文芸春秋」「東京芸大」と書いたら「ぶんぬんしゅんじゅう」「とうきょううんだい」だもんな。そりゃ、違うわ。
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もし首相答弁が「くさかんむり」を付けて読んでいたら「ゲイゲイ」で、何か吐き戻しているようで気持ち悪い……というのは置いといて。
「芸」を「藝」の意味で使わせ、読ませているという、なんだかとてもインチキくさい国語行政で育ってきたんだから、「云々」の読みくらいで鬼の首取ったように騒ぐのも変だよ。と思うのだ。
日本語は千々に乱れて変化しているので、もうすぐ辞書に「以外と少ない」「貞女の鏡」「冷蔵庫に牛乳があたかも知れない」などが載るはずだ。そのときは「でんでん」も勿論載る。
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で、「でんでん」の出処だが、僕は「伝々」説は取らない。
麻雀の時、「リーチ・一発・ドラ一、でんでん」などと数える、あの場の二翻の「でんでん」が由来なのではないかと勝手に推測している。
一般的には「ばんばん」と言われるが、「でんでん」と指を折る習慣の人・地方があるのだ。もしかすると成蹊周辺はそうだったのではないか。
なんてね。「ばんばん」とか指折ってる人に限って点数計算の仕組み解ってなかったりするのがおかしいですね。
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尤も、この件のキモは、当意即妙?に野党をおちょくったかに見える答弁が実は代筆の賜だった、とバレたことなのかしら。
ようわからん。あ、ここは藝州のイントネーションで読んでつかあさい。
この映画の主演が、いま話題の〝でんでん〟。ジャケの人ではありませんが。