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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

レオン・ラッセル、レナード・コーエンの後を追って(?)訃報

レオン・ラッセルも死んだそうな。11月13日(日)にナッシュビルで亡くなったと。享年74。若い!

彼については音楽・恋愛・バイク・クルマ小説家の山川健一が短編を書いていた。
(以下大意)レオンが身体の自由が利かなくなった頃に来日して、九段会館でひとりコンサートをやった。バックなしで、キーボードを叩いて一人で全部の音を出し一人で歌うライブ。小さなホールで(昔はすぐ近くの武道館でもやったのに)、客も少なく、一時間ほどで終了。「友だちがいなくなってしまったんだろうな」と思えるような寂しいコンサートだった。(『ふつつかな愛人達』1993所収「メロディとその他のもの」)
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レオン・ラッセルは70年の「ア・ソング・フォー・ユー」がとにかく有名だが、それって28歳ってことになる。
だけどそれはけっして幸福なことではなくて、山川健一も「一時は世界的なロック・スターになり、けれどその後落ぶれ、もう十年近く前からどこで何をやっているのかわからなくなってしまった」(前掲書)と書いていたように、光が眩しければ眩しいほど、影も深い、というか。
山川は、一人でピアノを叩いて歌うレオンについて、「友達が、いなくなっちゃったんだろうな」「喧嘩したりして友達がいなくなっちゃって、のこり少ない友達はもうジジイでツアーに出るなんてとても無理なんだろう。だからああやって一人で回ってんだよ」(前掲書)と皮肉っぽく言及する。この見解は短編小説の中で一瞬爽快に書き替えられるのだが、大筋はこの通り寂しいまま終わる。
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しかし考えてみれば、この小説じたいが23年前の刊行だ。その時点のレオンの年齢は、51歳!
今の僕と同じ年だ。
そのレオンに対して山川は「考えてみりゃ、あのジジイは大したジジイだよな」と云う。
山川自身が若かったというのもあるだろうが、51歳で杖を突かなければ歩けないレオンもちょっとどうかと思う。昔の人はだいたい健康に無頓着だし芸能人は不品行で乱行したのだろうけど。
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レナード・コーエンは享年82歳。コーエンは「ア・ソング・フォー・ユー」に匹敵するようなヒット曲はない。「スザンヌ」や「電線の鳥」「慈悲の姉妹」「立派な青い雨合羽」「チェルシーホテルNo2」など初期のヒット曲と言えるものもあるにはあるが、ラッセルには全然かなわない。ラッセルはスーパースター、コーエンは食い詰め寸前の詩人であった。
だがこの後、二人の運命はまったく逆転する。
80年代から90年代、「スーパースター」「ジス・マスカレード」など一世を風靡した曲が、すべてアウトオブデイトになって過去の人となっていったラッセル。反対に84年の「様々な位相」(「ハレルヤ」を含む)から段々と大衆に名を知られるようになり(それでもマイナーでしかないのだが、前よりはマシ)、若手の同業者からなぜか好かれたり、愛人を取っかえ引っかえしたり、マイナーながら幸せそうである。
90年代は「未来」というアルバム1枚を出しただけだが、これが実は微妙にヒット作で、映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」に使われたりして、コーエンの一番新しい古典、という評価になっていく。そして2001以降の15年間で5枚ものアルバムをリリースし、ワールドツアーを敢行するなど、驚くほど精力的な晩年を過ごした。
先だっての死も、最後のアルバム「もっと暗いのがいいんだろ」リリース直後で、ボブ・ディランノーベル文学賞受賞についても「エベレストのてっぺんにメダルを飾るようなものだな」と皮肉なコメントを出したり、元気いっぱいの中での突然の死だった。なんと幸せそうな死であったことか。
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コーエンは禅をやっていた。臨済禅らしい。ずっと前に来日した際には「日本の禅は死んでる」とか悪態をついたらしいが、それでもやめなかったようだ。
禅をやりながらも煩悩の火は滅することなく、伴奏女声ボーカルを次々替えて楽しんでおった。楽しんでいたのが聞き手にもわかるくらい、楽しそうだった。
こいつ煩悩まみれじゃん! と思って呆れていたのだが、どうもこれは正しい禅と煩悩のあり方なのではないか、と思うようになった。
たぶん禅をやっていなかったら、愛人と愛人がバッティングしたとかの時慌てたりしただろうし、ブレーキが利かなかったりアクセルが開かなかったりもしただろう。禅は煩悩を消すためにやるのではない、コントロールの精度を上げるために禅があるのだ。何より、そうした楽しい煩悩まみれの人生をコーエンは積極的に楽しんでいた。人生に振りまわされることがなかった。彼は人生の主導権を握って、楽しく歌いながら、楽しく働きながら、老いて死んでいった。
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レオン・ラッセルの晩年はどうだったのか、知らない。いくつもの表彰を受けたことは年譜に書いてあるが、どのようなコンサートをしたのかは山川健一くらいしか書き残していない。50代以降のことは皆目分からない。
山川が言うように「友だちが居なくなったから、一人で演奏しに来た」のだとしたら、それは哀しすぎる。
コーエンは艶福家でかつ若い音楽家にも愛され、ツアーは大団体だった。
ラッセルは紛れもないスーパースターなのに、ひとりの演奏旅行だったと。
それが楽しいもので、魂を燃焼させるにふさわしいものであれば、ひとりでもいい、かまわないだろう。そうだったに違いない、と思いたい。
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レナードLeonardもレオンLeonも、ライオン、獅子を語源とする名前である。
ライオンの雄は、雌が中心になって形成する群れ「プライド」に一頭だけ君臨するボス雄と、群れに入れず放浪するはぐれ雄とがいる。だがどちらもライオンである。