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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

映画「リスボンに誘われて」と原作『リスボンへの夜行列車』

2012の映画「リスボンに誘われて」原作、やっと読了。
映画との相違点がものすごくある。そして、総じてそれは映画の方が納得できる出来。

《ネタバレにつき注意》
話の発端、主人公ライムント・グレゴリウスはベルンの橋から飛び降りようとする女性を止める。
映画ではこの女性の残したコートに「例の本」が入っている。
原作ではこの女性を探しに街をさまよった際、偶然入った古書店で「例の本」を見付ける(ので謎の女と本はまったく関係ない!)。
映画ではこの女性は終盤再登場し、正体を明かす。小説では二度と現れない。絶好の伏線なのだが小説の作者はすっかり放り出している。そもそも伏線などに興味がなかったのか。

70年代のポルトガル抵抗運動の人びとが描かれるが、映画では30前の血気盛んな若者たち、原作では50すぎの分別ある大人たちになっている。
だから30年後(原作が書かれたのは2004)に主人公が探し当てる当時の人びとは、みな80代になっている。
映画は40年後(2014日本公開)だが、かつての抵抗運動の面々は70前くらい。
これ、ずいぶんだと思った。

とくに「例の本」の著者アマデウ・デ・プラドは、映画だと夭折した若い医師であるが、原作だと52歳で抵抗運動に身を投じ、自分の半分くらいの年の女に入れ揚げて親友と決裂する。分別なさ過ぎである。
話の終わり。映画では、主人公はベルンに戻る列車に乗らず、リスボンで生きることを選ぶ。原作では、主人公はベルンに戻って精密検査を受ける(重い病の気配)。

「往って還ってくる物語」と「往ったきりの物語」ではまったく違うのだが、なぜか読後感は映画を見終わったときの感じとそう違わない。
それはたぶん、主人公は旅を終えてベルンに戻ったが、以前の主人公とは違う人間になって戻ったからだろう。
映画は70年代抵抗運動の筋にかなりの分量を割いていたが、原作はひたすら主人公グレゴリウスのマルチリンガル特有の悩み、前妻との確執、弱視の恐怖など自身の内面に執着する。
映画ではリスボンの風景があまり印象に残らなかったが、原作はリスボンの街の魅力がたっぷり描写されている。山の手バイロ・アルト、旧市街バイジャやアルファマ、郊外のベレンなど、その地区地区と住んでいる人たちの特色が登場人物にうまく使い分けられている。
映画化作品の原作を読むと、どちらかの印象が損なわれて残念な思いをすることが多いが、これは不思議とどちらも許せる、満足できるものだった。ただし原作の「例の本」引用部分はくだくだしい(ので読み飛ばした)。
早川の翻訳は、ずっと品切れで、何年もなんだか篦棒な値段がついている。

原作を忠実に映像化すると、「初老の男が死にかけの老人たちを訪ね歩く話」になってしまう。これではあんまり。なので「老人たち」を少し若くして、さらに70年代回想シーンを多用したのは正解だと思う。
ただし、原作の陰鬱な感じ、迫り来る死を感じさせる老いの描写、威厳・尊厳・狂気に近い思索といった要素は素晴らしい。日本の小説では最近あまり見掛けない。
「例の本」の引用部分は読むのが面倒だが、途中から著者アマデウに感情移入できるので面白くなる。韜晦したところもあるけどなかなか魅力的。本書が欧州では400万人もの人に読まれた、それもかなり熱狂的に読まれた所以がなんとなくわかる。

 
でも正直、ポルトガルならリスボンより圧倒的にポルトの方が楽しい。小さくて、古くて、小粋で。