新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

「成熟した大人の市場」の消滅──人生6掛け時代説、続き

昨日の、三浦展「人生6掛け時代説」の続きなんだが。

要するに、実年齢(肉体年齢)と自分の認識が乖離してしまって、みんなが若作りになってしまう社会のことだと思うんだが。もちろん僕も例外ではないので、偉そうなことは言えないのだが。
今年の邦画の興収第一位は「シン・ゴジラ」で決まりだろう、と夏の初めは思っていた。が、遅れて公開された「君の名は。」があっと言う間に「シン・ゴジラ」を抜き去り、今年の第一位どころか歴代第三位とか第二位とか、へたしたら第一位になっちゃうんじゃないかという勢い。
僕はまだ見てないんだけど、ちょっとキャラデザインが苦手なタイプだからなんだけど、見た人の感想で「いろんなものを継ぎ接ぎしてて、元ネタがわかるとちょっと白ける」みたいなことを聞いた。ああ、このネタ初めて接する人には面白いんだろうな、という、少し心理的に距離がある感想。(もっともこの人は2回目の鑑賞で「過去の名作ズへのリスペクトが感じられて、初見の時よりずっと良いと思った」と云っていた)
日本で一番見られた映画が怪獣映画、という時点で、昔の人ならオイオイと云う処だが、それがアニメに抜かれた、しかもそれが割とカマトトなアニメであった、という。昔の人なら「当今はなんでも餓鬼っぽいのが流行りなんだねぇ」と云われそう。
いや、アニメがいかん、くだらない、という訳ではない。アニメも素晴らしいよ。
だけどねえ、オジサンはキレイキレイなアニメよりも、勝新太郎のような泥臭い映画が好きなんですよ。個人的な好みを押しつけて悪いけど。

時代劇が作られなくなっている、んだよね。テレビの時代劇を毎週流してるのはNHKだけで、時代劇制作のノウハウがなくなりつつあるらしい。春日太一の一連の著作は、そういう状況のメモワールだよね…。
まあ米国だって西部劇の新作はほとんど作られないので、世界的にこういうコンテンツが流行らなくなっただけなのかもしれんが。オッサン好みの、安心して見られる、紋切り型コンテンツは、もう作られないんだ。

小説では、ラノベが市場を席巻してる。一方で黒川博行みたいなオッサン臭い作品もブイブイ云わせてて頼もしいのだが、やはりラノベの前には多勢に無勢。
時代小説なら大丈夫だろう、と思って手に取ったらこれもラノベだった。高橋由太だったのだ。おそるべきラノベ旋風。
しかし、知念実希人『幻影の手術室─天久鷹央の事件カルテ─」とか、太田紫織『オークブリッジ邸の笑わない貴婦人』とか見てみると、かなり本格の(すいません新本格とか本格とかのジャンル分けには疎いので、もっと素朴な意味で使っています)ミステリーを、ラノベの文脈で書いた、非常に癖ダマっぽい作品であることに気づく。
島田荘司御手洗潔の追憶』なんか、御大の伝統あるシリーズをラノベのパッケージに直したら売れちゃいました、みたいな感じすらする。
古野まほろ『新任巡査』は今野敏佐々木譲に劣らない重厚な警察小説に書くこともできたはずなのに、ラノベの様式で書かれている。ような気がする。本物のラノベあんまり知らないので失礼な物言いになってしまっているが、これらの作品は僕のラノベに対する偏見を粉砕してくれた。

だけど、これらのキラキラしたアニメ調パッケージが、苦手なんだよね…。
昭和末期のアニメは、「AKIRA」や「王立宇宙軍」とかが、《従来のアニメの文脈に搦め取られない新しい絵柄》を模索していた。新しい表現の模索というか。
今起きてる万物ラノベ化は、《既存のラノベの文脈に擬態することで、ラノベ的ではないものも売っていこう》ということかなあ、などと思う。
結句、作品は好みなのだが、パッケージがどうも苦手、という作品が増えていく。

もういい加減、五十のオッサンが、平積みになったラノベ表紙の本をチェックするのはしんどいのだ。本格警察小説なら、本格時代小説なら、それらしい顔で並んでてくれ!と思うのは僕だけですか?
こんなとこで若作りしないでくれよ、という愚痴です。すみません。