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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

土屋アンナ舞台中止騒動…の一件について、個人的まとめ

 数日前から話題で、僕のようにテレビを見ない者にもSNSなどで聞こえてきたので、興味を持っていた。何しろ、ちょっと知ってる人物の名前が挙がったりしてるからナ。


◆主要Actのまとめ
 僕が最初に読んだのはコレ、著者(舞台では原案者?と呼ぶのか)のブログ

日本一ヘタな歌手☆濱田朝美ブログ☆ 重大なお話!

 どうも、最初は土屋アンナがドタキャンしたのが悪い、という調子で一方的に叩かれていたらしい。へー。
 次に読んだのはNAVERまとめ。主要登場人物が整理されてて読みやすい。著者のブログが出てから風向きは完全に変わったようだ。

炎上商法?濱田朝美「日本一ヘタな歌手」が土屋アンナで舞台化!

 ※超簡単なまとめもあったので転載する。

ここまでの超簡単なおまとめ
1、原作者「脚本が気に食わない」
2、製作側「脚本は変えない。文句あるなら他探す。」
3、原作者「ところでそもそも舞台許可してないよ?」
4、製作側「は?」当然放置。舞台続行。
5、原作者「土屋さん私舞台許可してないの。辛いの。」
6、土屋側「そういう事なら舞台降板するは。」
7、製作側「損害賠償請求する」 ←いまココ

 J-CASTニュースでも繰り返しネタになっているが、この記事は興味深かった。
土屋アンナの公演中止騒動、どっちが正しい? 「稽古に来ない」vs「原作者の許可取ってない」
 伊藤芳朗弁護士って懐かしいな。オウム事件で毎日テレビ出てた人だな。その彼のコメントが、けっこう気になるじゃないか。

 ここまで、おおむね製作者と出版社(元担当)が、ネット市民のみなさんからボコられてる印象。
 そしたら、舞台の製作者が原作者(原案者?)に反論。
製作者のFacebook投稿

[マイナビニュース]土屋アンナ舞台騒動、製作側代表が反論「代理人の承認は濱田朝美の承認」


 両者の言い分が出揃い、ボールがどっちにあるのかわからなくなって膠着状態になったかな?という昨日あたり、読んでていちばんしっくりきたのはこのニュースだった。

爆笑問題、土屋アンナ“舞台中止騒動”について語る……「演劇界はトラブル多い」

 付かず離れず、当たらず触らずの爆笑問題のスタンスは絶妙、と思った。メディアの乗りこなし方を心得ていらっしゃる。

 僕も最初は「土屋アンナ、偉いじゃん」と思っていたのだが、しばらくして思い直した。物事は、綺麗じゃない、論理的じゃない。誰が潔白で彼が悪者、とはっきり割り切れるなんてことはない。この件、迂闊にどっちかに加担すると、恥を掻くんじゃないかな、と。


◆個人的感想のまとめ
 多くの人は、障碍を持った著者が一所懸命綴ったであろうブログの文章に心を動かされた。弱い側に立ち、力を持つ側(製作者)に立ち向かった土屋アンナに拍手を送った。
 けど、事実はそんな風にわかりやすく美しくはなかったようだ。
 著者はブログエントリに書かなかったことがたくさんあるようだ。なかでも、弁護士立ち合いで舞台化の打合せをしていたことが欠落しているのは、大きい。この1行の有無でブログの効果が随分違うことを、書いた側も認識していたのではないか。

 ちょっと冷めた目で改めてネットを見まわすと、盛り上がった人たちの熱い発言が目に付く。あんまり盛り上がると足を掬われるよ、と思う。

ここは出版不況のあおりを受け、経営再建が進められている出版社でもある。真相は依然「藪の中」とはいえ、今回の騒動には昨今の出版事情が見え隠れしているような気がします。

と書いたのは「アゴラ」の「今日のリンク 出版不況も見え隠れする土屋アンナ舞台中止騒動」。この書き手はけっこう好きだが、ちょっと異論がある。

朝から知的財産ないし契約法のお勉強素材が話題になっている。

と書くのはBLOGOSに寄稿している大学教授(「土屋アンナ舞台事件」)。
 お勉強するにはあまりにもソースが足りないのではないかと思うが。

 同じBLOGOSには「「あんたの小説をドラマ化してやることになったから」という傲慢」というエントリもあった。
 言葉にしにくい感情の流れをうまく文章化していて上手いと思う。が、それがこの件の事実と関係あるかというとそれは多分に「??」なので、冷静に読んだほうがいい。

 またBLOGOSなのだが、「TPPに参加すれば土屋アンナ舞台中止騒動なんてあり得ない」はなんなんだ? ご自分の田圃に水を持っていくのに一所懸命で、事件そのものにはあまり興味をお持ちでないようだ。

 BLOGOSには、わりとニュートラルにまとめたものもあった(「日本一ヘタな歌手」舞台中止騒動について)。これは読者をミスリードしようとしていない、良いエントリだったと思う。

 ネットは広いから、もっといろんなことが言われてるだろうが、僕的に憶えてるのはこのくらい。

 この件、人としての心――正義の実現を欲する心、義侠心、強者に加担するより弱者の側に立ちたいという心――があれば、誰だって土屋・著者側に立ちたいと思うはずだ。僕も、最初に聞いたときはそう思った。
 だけど、いま明らかになっているだけでも、登場人物たちの行動は奇々怪々で、割り切れない。そもそも、主演女優と著者が完全に志を同じうしているかというと、それも疑問だ。

 なんとなく思うのだが、この件は、「著者の側に立って男気を見せた主演女優の勇み足」という風に収束するんじゃないかと思う。いかにも煮え切らない、パッとしない予想だが、物事は傍から見て楽しい方向にまとまることは少ない。正義が勝って悪が懲らされることはないのだ。そもそも誰に正義があるか不明瞭なのだから。


◆個人的な記憶のまとめ
 僕はこの件については内部情報など知らない。だが、主要登場人物の一人である「出版社の元担当」と思しき人物のことは憶えているので、そのことを思い出して書いておきたい。異能の編集者A氏の思い出、である。
(※ネット上には「元担当」の氏名を出している描き込みも多いが、僕は仮名で書く。まあ僕は実名が好きでないからだが、もう一つ、著者が言う「元担当」=僕の知っている彼、という確証がないからだ。ネット情報であれこれ言う人は、ここ確認が取れているのか不思議だ)

 A氏は、身長173cmの僕から見ると雲衝くような巨体だ。実際は身長にして10cmも違わないだろうが、体重は50kgくらい違っただろうな。それくらい体格差があると、印象としてはオトナと子ども、くらいになる。
 余談だが、十数年前にオタキング岡田斗司夫氏と会ったときも「ずいぶん大きな人だな」と思った。だが、その後ダイエットした彼の身長体重は、なんと僕とほとんど同じだった。なんだそりゃ!? デブデブ詐欺か?と思ったものだ。
 体重の大きな人には威圧感がある。A氏は僕より何歳も若かったが、態度は堂々たるものだった。色白で三白眼、喋る声はひっそり気味で、外見とのギャップが面白かった。ちょっと早口で聞き取りにくい時は、こっちが耳を傾ける。するとなんだか、結果的に彼に説得されてしまうことがあった。不思議なものである。
 この調子でモデルを口説いたり、企画を通したりしているんだろうか、と思った。

 僕が知った当時の彼は、写真週刊誌の増刊号編集部専任の編集者だった。増刊号は、本誌が合併休みの週に、年間5冊から6冊くらいのペースで刊行される。とくに年末・GW・お盆などの大型連休は書き入れ時だ。そして、彼が在籍していた写真週刊誌増刊号は、毎号毎号完売に近い、驚くべき売れ行きを見せていた。
 彼はグラビアも記事も両方作っていたが、読者アンケートでは彼の企画がいつも1位だったらしい。グラビアで憶えてるのは、「エロテロリスト」としてインリンを街頭や地下鉄構内に連れ出して撮影したもの。記事では、「あいのり」の人気メンバーのその後を「全部サラす!」とやったものなど。どっちも業界では先駆けだったんじゃないかな。
 彼の企画は、テレビ番組の後をしつこく追うもの、テレビに映らなかったものを暴露するものが多かった。彼は僕に、「テレビ番組表のないテレビ雑誌を作りたいんですよ」と言っていた。彼はテレビのことを本当によく知っていたが、なかでも、何が面白くて世間の人たちはこの番組を見ているのか、を適確に捉える力と、一回ひねって提案できる力量があった。

 後にこの増刊号編集部は解体され、バカ売れしていた増刊号も休刊した。彼は、二、三人しかいない編集部に異動し、細々と単行本を作るようになった。
 最初は、ちょっと変わった、メインストリームではない芸能人の本を出していた。伝説的なバンドのボーカリストの激白本とか。A氏は本の作り方も上手かったが、プロモーションも上手かった。マメなのである。必ず銀座の有名な書店でイベントを開き、記者会見をやって翌日のスポーツ紙に載るようにしていた。
 そのうちに出たのが『筆談ホステス』だった。これも銀座でイベントをやったが、著者が働いていたクラブのママさんや同僚たちが大勢応援に来てくれた、華やかなサイン会握手会だった。また、障碍を持った人が「仲間のひとり」として応援に駆けつけた、という風情のお客さんも多かった。ここまで来るのも大変だったろう、という人もいて、感動的だった。
筆談ホステス』は大ヒットし、続編や派生商品がいくつも生まれ、美人女優主演でドラマ化された。
 書籍の商品寿命というのは難しい。3万部売れればかなりのヒットなのだが、それを大ヒットにするのは大変だ。発売当初は売れても、しばらくすると話題にされなくなり、新聞や雑誌が書評を載せても時すでに遅し、店頭では新鮮味がなくなって返本……となってしまう。続編の刊行やドラマ化は、商品を延命させる特効薬なのだ。なかでも「ドラマ化!」は効く。テレビ屋さんが作った新しいビジュアルイメージが使えるので、一度古臭くなった本が、華々しく化粧直しできるのだ。ドラマ化!のポスターは書店さんも喜んで掲出してくれるし、POPも作りやすいし。
 ヒットしている本だからといって、テレビ屋さんが「ドラマ化させてください」と声を掛けてくるわけじゃない。このドラマ化はA氏の働きによるものと信じている。細かい事情は知らないが、彼以外の誰にこんなお膳立てができるか? できはすまい。

 全盲の夫婦のエピソード『愛はみえる』も同時期だった。これもテレビ化されたらしい。らしい、というのは僕はテレビを見ないので知らないのだ。ドラマだったのか、もともと取材していたテレビ局がいて、ドキュメンタリーだったのかも知らない。そして『筆談ホステス』とは違ってこの本の場合はドラマ化で本が売れたという記憶がない。

 同じ年の秋に出たのが、今回舞台化云々の『日本一ヘタな歌手』だった。
 当時僕は京王線沿線担当の販売営業だったのだが、この著者が多摩センターの駅前で路上ライブをやっているのを知らなかった。迂闊なことに、部数比例で配本してしまったので、多摩センターの書店さんから「うちの近所でライブやってるのに、配本こんだけ?」と言われてしまい、慌てて電車で本を持っていっただか急送したよーな記憶がある。
 迂闊な話だが、一冊一冊の本の内容を発売前に熟知することなんて無理だから仕方がない。Aさんよ、一言教えてちょうだいよ、と思ったものだ。A氏のプロモーションはマス媒体専門なのだった。

 それにしても、よく立て続けに“障碍者モノ”を出せるなァ、と感心した。僕もいっとき編集をしていたが、著者と付き合うというのは体力を使う仕事なのだ。まァ仕事って何だって疲れるものだが、一番疲れるのは人間関係だよね。
 A氏の本作りの特徴は、「本を書くプロ」には頼まない、ということだった。
 本を書いたことのない人、普通なら書かない人、の本を作る。それがA氏の企画の共通点だ。これは凄いことだ。
 今でこそ、誰もがSNSやらブログで自分の書いたものをバンバン世に出しているが、見ず知らずのお客様にお買い上げ頂くレベルのものは一朝一夕にはできない。そもそも、いい体験をしているからといっていい文章が書けるなんてことはない。
 A氏は、読まれるべき体験をしているけれどそれを人に伝える術のない人たち、を世に出す、異能の編集者だったのである。
 もちろん、編集のA氏が一対一で著者と向き合って本を作ったわけではないだろう。そうだったら画に描いたような美談になるかもしれないけど、現実はそうじゃない。大勢で、一つのエピソードを、一篇の“売れる”原稿=ちゃんとした商品にまで仕上げていったのかもしれない。


◆騒動はどう展開するのか?
 A氏は、おそらく、どの著者とも、二次使用も含めた包括的な出版契約書を交わしているだろう。A氏の企画はテレビ化・映像化が大前提のものばかりだ。舞台化だけ漏れてました、なんてソツがあるわけ、なかろう。
 いずれ、契約書云々の話題は見向きされなくなると思う。あんまりキャッチーな話じゃないし、たぶん、法的な手続論で押すと、著者や主演女優側にはメリットがない。むしろ出版に関する契約の詳細を公にすると、著者にデメリットがあるんじゃなかろうか。

 こっから先は、感情的な行き違いをどう償うか、の話になるだろう。そうした場合、主演女優が、弱い著者の側に立って見せた侠気は、ドライな契約社会では「はいはい、わかったから、手を下ろして」といなされてオシマイ、になる種類の行動かもしれない。
 また、あんまり考えたくないが、著者のブログエントリが「事実と異なっている」とされた場合、どう転ぶか。あまり楽しい話じゃないので考えたくないナ。

 僕は思うのだが、この一件は、いわゆる“出版不況”のせいで起きたことじゃない。むしろ“好景気”だから起きた事件だ。
 出版不況とは、どんなに本を出しても誰からも見向きもされず、誰からも読まれず本が消えていく、という事態だ。本書は、こんなに大勢の人から注目され、いろんな人がこの件について言及している。いろんな人がビジネスにしようと群がっている。こんなに景気の良いことはない。
 この景気に火を点けたのは、ひとえに元担当のA氏だ。
 正直、僕が営業マンだったとき、この本が売れたという記憶はない。刊行翌月には大方、取次に返本されたんじゃなかろうか。
 それを、何年も何年も執念深く諦めず、ついに有名女優をキャスティングした舞台化にまで話を繋ぎ、本を蘇らせたA氏は凄い。そこを忘れて話をしては何にもならない。

テルマエ・ロマエ』の作者が映画化でも僅かしか報酬がなかった、なんてキャッチーな話と比べるのもいーだろう。面白いからね。でも、そういうスポットライトの当たる話ばかりしたがるのは素人だ。出版にちょっと詳しい人だったら、「4年前に出た本の舞台化」というレアさに気づいてもらいたいものだ。それだけで、いろんなことが解るはずだよ。

 また、「TPPで契約社会になったらこんなトラブルはなくなる」という見方、ほんとは正反対だとわかりますね。契約社会になったら逆に、契約書に書かれたことに納得できないという感情的なトラブルが増える。泣き寝入りも増えるはずだ。
 いや、それはトラブルが可視化されなくなる、というだけかもしれない。今回のように、原著者が自らブログで意見を述べ、紛争の相手を攻撃できるのは、契約がテキトーだからだ。ガチガチに契約していたら、こういう行為だって契約違反になり、ペナルティが発生するんじゃ?

 そもそも、多くのクリエイターは細々した契約だの決まりだのをハンドリングするのが苦手だ。だからクリエイターになったのであって、契約や経理が得意だったら法律家やビジネスマンになっている。
 出版業界というかドメスティックなエンタメ産業に国際標準の契約慣行を導入しようとすると、まず、事前に契約するというハードルが高すぎてダメだろう。原稿を渡す際に契約する、となると、「内容の質もわからない原稿を受け取るために、出版を確約する契約が必要なのか??」となろう。
 アメリカの出版業界ではシノプシスやサマリーが頻繁にやり取りされているが、梗概が面白くても本編がつまらないなんてことは普通にある。みんな常に相手の裏を掻こうとしている。
 そんなビジネス慣行よりも、契約は後回しで、とりあえず意気投合したから本を一緒に作ろう、一緒に価値を創造していこう、まずは一杯やろう、という、ある意味牧歌的でゆるい取り組みが許される日本の商慣行も、案外捨てたもんじゃないと思うのだ。

 まあ商慣習は時代と共に変わっていくだろうから、この先は出版契約も事前になるかもしれんけど。ただ、そうなると出版点数は激減するね。あるいは、契約を結ばないグレーな出版物が横行するだろう。誰に文責があるかわからない本とか。尤も、これは今でもあるか。
 ともかく、商慣習を変えたらトラブルが減る、という見方は甘いと思う。トラブルは形が変わったり見えなくなったりするだけで、減りはしないだろう。そして、何も面白いものを創造しない弁護士が、儲けを分捕っていくようになる。

 この一件、あとどのくらい耳目を集めるかな?
 ネットの中だと「人の噂も7・5日」くらいのスピードに感じる。来週にはみんな忘れてそうな。

 僕がちょっと心配、というか残念に思っているのは、こんなに話題になっているのに、本そのものが売れている、という噂は聞こえないことだ。物理的に在庫がないのかもしれないし、今から刷るのはリスクが多すぎるし。
 そして、この一件に口を挟む人でこの本を読んだ人、読みたい人がどのくらい居るのか、僕にはよくわからない。芝居の宣伝WEBサイトには「あのベストセラーの」と書いてあったが、けっしてベストセラーじゃない。読む人を選ぶ、届く人には届くだろうけどアンテナのない人には雑音でしかない、そういうクセのある本の存在しにくい世の中になったことよの、と思うのだ。