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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

音楽は産業なんかじゃない!人生そのものだ!と言いたげなピーター・バラカンの「ラジオに魔法を取り戻す」運動を支持する

 音楽業界が苦しんでいる。音楽のパッケージソフトが売れないのだ。「“音楽”自体がもうオワコン」(たとえばアゴラ)という話まである。音楽を「産業」、聴衆を「市場」としか見ていないと、こういう議論も成立してしまう。大間違いだと思うが。

 音楽業界は1960年代からこっち、大金を稼げる産業だった。なぜビッグマネーを稼げたかというと、いくらでも複製できるパッケージソフトがばんばん売れたからだ。それまでの音楽家は、実演でしか金を稼げなかったので大金とは無縁だった。
 しかしレコード技術と流通システムの確立により、野心的な音楽家はときに大金を稼ぐ機会に恵まれるようになった。ビニール盤、CDと、音楽産業の隆盛はおよそ半世紀続いた。

 でも五十年経ってついに、音楽市場から顧客が退場し始めた。長らく「若い人たちが音楽を聴かなくなった」「携帯電話にお小遣いを奪われた」「ダウンロードに顧客を奪われた」と言われて来たがホントなのだろうか。ダウンロードなんて日本じゃ無視できるほどの市場しかなかろう。

 最近読んだ未来予測の本に、「ほとんどの予測は人口動態の研究にすぎない」という文言があった。ああなるほど、と思った。たとえば音楽に関しても、携帯電話とかダウンロードとか、あるいは音楽の質の変容、ジャンルの変容など様々な要素があるが、それらを無視しても音楽産業の栄枯盛衰は語れてしまうのではないか、と思ったのだ。
 もしかすると、現下の音楽不況は、団塊世代が音楽市場から退場した、というたった一言で説明できるのかもしれない。

 団塊世代は(に限らないが、聴衆は)だんだん年を取っていく。いつまでも若向けの音楽ではなかろう、ということか。団塊の好きな洋楽はとくにこの二十年不振を極めた。洋楽はチャートに入らないし、大箱で来日コンサートをできるのは60年代70年代のバンドばかりで、最新のイキの良いバンドは来日しても渋谷あたりの狭いライブハウスだ。若いバンドは団塊のお客さんを持っていないからだ。(音楽を楽しむ環境としては東京ドームや武道館、国際フォーラムなんかよりライブハウスの方が絶対良い、とは思うけど)

 先の10月は、ビートルズのシングル「ラブ・ミー・ドゥ」が出て五十年だったという。ビートルズ本人たちは戦中世代だが、彼らを支えた若いファンは日本の団塊とほぼ等しい戦後ベビーブーマーだった。今ロックを聴くのは中年、ということになってるが、ロックが現役だった頃の主な聴衆は十代の男女だったのだ。楠みちはるも新連載「エイト」の中で「レッドツェッペリンのファンの8割(?)は18歳以下だった」とかデータ出してたな。そうなのだ、団塊以前のオトナはロックを聴かなかったのだ(稀に演る側にいたけど)。
 ビートルズ以後のロックの発展や数々の伝説バンドも、すべてバンドを支える巨大なファンたちがいてこそ、だった。今と違って人口は増加基調だったし、何より、団塊ベビーブーマーという巨大な人口のカタマリが右往左往するたびに、ヒット作やビジネスチャンスが生まれたのだ。

 この二十年の国産ポップの隆盛も人口動態で語ってしまえるかもな。「団塊ジュニアが洋楽ではなく国産ポップに走った」から、とか。そして団塊ジュニアが音楽から距離を置き始めると、洋楽邦楽問わず音楽産業の凋落が顕在化するのだ。


 そんな今、首都圏ローカルFM曲の「インターFM」(76.1MHz、横浜76.5MHz)がキャンペーンを始めた。というか今月アタマに始めたみたいだからもう3週間も経ってるのだが。
 9月に「ピーター・バラカンが(株)インターウェーブの執行役員になった」というニュースを聞いたが、その彼自身がアイコンとなって、「ラジオに魔法をかけた100曲」「インターFMはラジオに魔法を取り戻す」というキャンペーンをやっている。
※画像は特設webページから転載。

 このキャンペーンが始まってから、インターFMで流れる音楽が変わってきた。まず、DJたちはなるべく細切れでない、アーティストの作品感が伝わるように継続的に、あるいはカタマリで曲をかけるようになった。
 朝の「キャッチアップ」では柳井麻希さんが「九時のキンクス」と題して一日一曲キンクスをかけている(これけっこう癖になって、09時ちょうどは外にいてもがんばってインターを聴こうとしてしまう)。午後の「THE DAVE FROMM SHOW」でもリスナーがリクエストした名盤を月曜から金曜まで時間を掛けて流している。先週はピンク・フロイド「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」だったが、一日二曲とか三曲流れる、順番が違うだけでも新鮮だった。今週はフォリナー。もちろんバラカン本人もやってて、秋の改編で日曜夜2時間から日曜午後3時間に拡充された「バラカン・ビート」では毎週「名盤片面」というコーナーを設けている。若い人は知らないかもしれないが、昔のレコード盤にはA面B面というのがありましてな、それを片っぽ全部流すという企画。
 こうしてカタマリで聴くと、断片化されたヒット曲ではなく、アーティストの意図や時代の雰囲気が伝わってくるのだ。言ってみれば、音楽が息を吹き返すのだ。

 それだけじゃない、DJたちに気合いが入ってきた。バラカンはもともと人望がある。「6時のヤツラ」のジョージ・ウィリアムスとか、バラカンを慕ってるのがよくわかる。ヤツラはうるさいパンクの曲に合わせてDJたちが歌ったりするバカな番組だが、「ピーター・バラカンは歌わないよね!」なんてジョージは挑発するが、こうした発言は多分にバラカンへのシンパシィがあるからではないかと思う。
 DJたちは、バラカンの言葉に刺激を受けたのだろう、自分が魔法の杖をふるってるんだということを自覚して、リスナーを魔法にかけられる音楽を選び、最高のタイミングでかけようと努力するようになってきた、と思う。実際、いい曲が増えた。ちゃらちゃらしたヒット曲、今売れてる曲、オトナの事情で頼まれた曲とかではなく、DJ自身が好きな曲、自信もって薦める曲、リスナーを励ますためのとっておきの曲、を流す局面が増えた、ような気がするのだ。

 夕方の名物番組「THE DAVE FROMM SHOW」のホスト、デイヴ・フロムは曲者で、バラカンとも反りが合いそうにないのだが、それでも彼は彼なりに、バラカンから投げかけられた問いに答えようとしているようだ。俺は俺なりに音楽を大事にしてきた、それを見せてやる、とでも言いたげなデイヴの選曲、曲の掛け方、リクエストのかわし方(好みじゃない曲もかけるけど、勝手にフェイドアウトさせる。それも彼の芸)。

 アメリカ国籍のデイヴはこの夏、在留ビザの更新をミスって2カ月間番組に穴を開けた。平日夕方3時間という穴は大きく、インターFMのいろんなタレントたちが入れ替わり立ち替わり、デイヴの不在を埋めた。それだけじゃない、春からテレビ東京に替わって筆頭株主になった木下工務店の“スポンサーごり押し”と思しき枠が乱立し、この夏のインターはひどい有様だった。

 そんな中でひとり気を吐いていたのが、4月からの昼番組「レディオ・ディスコ」だ。DJオッシー(押坂雅彦)とインターの顔の一人・亀井佐代子が80年代テイストだけで贈る90分(いっとき60分に短縮されていたが復活)。この番組のことは前にも書いたけど、ろくでもない後ろ向き懐古趣味、と思われたのが、音楽それ自体の魅力によって見事に人気番組になった。80年代音楽を盛り立てるサヨコのトークも良いし、何よりDJオッシーが素晴らしい。彼は、DJだけが使える魔法をたっぷり我々に聴かせてくれる。ただ曲を選び、かわるがわる掛ける、というだけの行為に、これほどの魔力が宿るのが「DJ」なのである。それを再認識させてくれた番組だと思う。

 この度ピーター・バラカンが「ラジオに魔法を取り戻す」と宣言した背景には、「レディオ・ディスコ」の成功がいくばくかあったんじゃないかと思う。
(ついでに言うと、デイヴがしょっちゅう「レディオ・ディスコ」をdisるのも“羨ましい”の裏返しじゃないかと思う)

 ラジオ番組にゲストが登場する。たいてい新曲を出したアーティスト、イベントが近い歌手が、告知のためにラジオに出るのだ。彼らの曲がかかる。さらにお金を払ってCM枠で曲が流れることも多い。
 DJは「マルマルさんがスタジオに遊びに来てくれました!」と言うが、遊びじゃなくて、仕事であるのは一目瞭然だ。歌手が番組に出る、曲が流れる、それらのウラにいちいちオトナの事情が隠れていることが、もう誰の目にも明らかになってしまった。そんな時代だ。

 新しい曲があると、「この一曲で何枚のCDが売れ、いくらのお金になるか」という計算が見えるようになった。なんだかシラケる話だ。音楽家が曲を作ったときは熱狂や興奮があったはずなのに、いろんなフィルターで漉されてしまい、僕らの手に届くときはもう“商品”“製品”になってしまっている。市場には“作品”はない。

 音楽ってそういうもんじゃねーだろ! レコード会社とか放送局のもんじゃなくて、俺たちのもんだろ!

「(音楽の)魔法を信じるかい?」というのは、つまるところ、こういうことじゃないかと思う。
 ラジオが魔力を失ったのは、“作品”が“商品”になり、“聴き手”が“消費者”になったのと同時だったんじゃないか。たしかにお金は大事だけれど、お金のためだけに生きる人生は淋しすぎる。とくに、音楽なんて大事なものをお金に換えてしまったら、ラジオはただの喧しいカタログ箱にすぎなくなり、僕らの魂には大きな穴が空いてしまうだろう。

 バラカンの「ラジオに魔法を取り戻す」宣言は、ラジオ黄金時代を取り戻すとかの傲慢な考えではない、むしろ謙虚なものだし、また懐古的で後ろ向きなものでもない。パッと見、「こんなのジジィ向けの懐古趣味でしかない、俺等の時代の音楽はない」と反発する若い人もいるだろう。だがそうじゃない。これまで演り手からも聴き手からも奪われていた“音楽そのものの魅力”を見つけ出し、届けよう、ということなんだ。それができるのはラジオの送り手である自分たちだ、というささやかな矜持と、辛い時代だけどがんばってみようよ、という連帯の訴えなんだと思う。ものすごく現代的な宣言だと思うよ。


 もう一つ、注目したいのが、楠みちはるが10月から始めた新連載「エイト」だ。これ、地方の高校を舞台にした音楽マンガなんだよね。自動車のことを、地方のヤンキー、チューンドカー、メーカー論やメディア論、世界経済論にまで敷衍して語り切ってしまった『湾岸ミッドナイト』を完結させた次に描こうとしているのが、音楽、なのだ。初っ端からすごいとしか言いようのない台詞の応酬です。楽しみです。
湾岸ミッドナイト C1ランナー(12)<完> (ヤンマガKCスペシャル)※でも単行本はまだなので、ここは前作完結巻を。