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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

河本準一一件を指弾できるのは誰か?

 人間、お金のこととなると理性の箍(たが)が吹っ飛ぶようだ。


 在宅仕事を請けている会社へ打合せに行ったときのこと。僕以外にもフリーの仲間がおり、かなり仲が良いのだが、その席で彼がこう言った。
「彼はお金持ちだからいーんですよ、仕事はぜひ僕のほうにください」
 もちろんジョークなのだろうが、僕はまったく笑えなかった。
 この仕事の報酬は決して高くない。また、量も潤沢とは言えない。これから増える見込みだが、どれくらいになるか、生活設計をするのはかなり難しい。
 彼には妻子がある。僕には扶養者はいない。貯金は、彼もそこそこあるらしい。だが住宅ローンがあるという。そういうことを愚痴り合うくらい親しい仲ではある。
 だが、第三者がいる前でそんな風に言われるのは不快だった。というか、僕の心証はどうでもいい、仕事相手の人たちの心証が悪いではないか。誰も面白くないジョークじゃないか。
 彼は、もともと気遣いも細やかで、優しく、オトナな人間だ。だからこそ、あの笑えないジョークには、何か、箍が外れたものを感じた。
 後で僕は彼に「ああいうことは不愉快なので言わないでくれ」と言った。彼は頷いて、わかってくれた。


 阪神大震災の時だから古い話である。僕は当時編集部で働いており、在阪サッカーチームの元監督の個人事務所を訪れていた。元監督は先シーズン末に電撃解任されたばかりで、地元には彼を惜しむ声が多かった。元々日本サッカー隆盛の立役者でもあり、世界的な名選手でもあったので人気者なのだ。その彼に、プロサッカーリーグやプロチームの内情を暴露する本を書いてもらおうという企画だった。
 その日は1月17日の震災からそんなに経っていなかったが、吹田市にある事務所は被害がないようだった。だが近隣のコンビニやスーパーには、神戸から大勢の被災者がスクーターで買い出しに来ており、街は騒然としていた。
 元監督は僕とのミーティングの前に、地元支持者だか誰かと打合せをしていたようだ。そのとき、客が「いま市役所(?)へ行くと、誰でも見舞金がもらえますよ。しかも無審査で。“棚が落ちた”とか言うだけでいいんです」と言った。市役所、だったか他の機関だったかは忘れたが、その地域では公共機関から住民へ臨時の見舞金が出ていたのだ。
 元監督は言った。
「そうか、そりゃええ。くれる言うもんはもろときゃええわ。みんな行け行け」
 僕は耳を疑った。つい先ほど、事務所は被害がなくて良かった、という挨拶を交わしたばかりだったのに。元監督の言葉は、お金をもらえるなら少々の嘘はかまわない、と聞こえた。
 後に元監督は与党から比例代表参議院選に出る、と言ってきた。僕はあの日吹田市の事務所で聞いた言葉がずっと頭から離れず、割り切れないものを感じた。本の企画は面白くならず、迷走していた。
 やがて社内の企画会議で、社長が「こういう企画はどうかね」と難色を示し、企画は流れることになった。僕は少しホッとした。元監督側には「選挙に当たっての売名になるといけないのでペンディングにさせてください」と曖昧な言い方で断りを入れた。普段は、こうした打ち切りを通告するのはイヤだし、どうせ言うならもっとはっきりとした物言いをしたいのだが、今回は別だった。どんな言い方でもいい、いや無言ででもいい、早く縁を切ってしまいたかった。
 痛恨だったのは、この企画のために原稿をリライトし奔走してくれたサッカー専門ライターの方への報酬だった。仕上げてくれた原稿の分量だけ原稿料をお支払いした。労力の割に些少にしかならず、本当に申し訳なかった。


 もう一つ印象に残っているのは、これまた古い話だが、会社を辞める時にブログが本になり、ネットの一部で話題になったとき、映画批評家町山智浩(公人なので敬称は略します)からこうツイートされたことだ。昔のエントリにも書いたけど。

「リストラなう」の著者は■■社の経営改善のためにリストラされたが退職金が5200万円だった。また彼は病気により、ほとんど生産高がなかったが年収は 1300万円以上だった。大手出版社や放送局の現場はフリーに依存しているが不況下では最初にそこから切る。派遣切りと同じ問題がそこにある (10月27日1:40AM @TomoMachi)

 ■■は僕の恣意で伏せ字にした。
 このツイートの後段は、町山が昔から一貫して言っている主張であり、僕にも異論はない。しかも、フリーになり、自由自在に切られる立場になった僕は今、言ってみれば町山と同じ側に立っている。だが、彼にはそうは見えなかったのだろう。それは全然かまわない。
 だが前段には、間違った情報、虚偽の情報が混じっている。どこで聞いてきたのか知らないが、嘘を交えた情報を町山に流していた人がいたのだろう。
 僕が悲しく思ったのは、「彼は病気により、ほとんど生産高がなかったが」のくだりだ。僕が病気で会社を休んだのは2001年のことだ。そんな昔のことを言いつのる人がいて、それを劣化コピーして吹聴する人がいる。これじゃあ、いま病気になった人がいても怖くてカミングアウトできないじゃないか。病気になったのは、本人のせいか? 本人の生活習慣によるところもあろうが、それを追及して自己責任化すべきことなのか?
 国籍や肌の色で人を分け隔てしてはいけない、とは町山が一貫して言っていることだ。その主張からあまりに離れたトーンの言葉に、僕は目を疑った。
 もともと町山智浩の作った本、書いた本・記事、ブログもポッドキャストも大好きだった。情熱的で、かつ冷徹で、厳しく、温かい映画批評が大好きだった。だからこそ、この一件は僕を狼狽させた。あんなに聡明な彼も、こんな妄語を吐いてしまうことがあるんだ……と。
 いま改めて思う。町山のツイートは、一番の力点は「出版社の構造」にあったにもかかわらず、傍証として出した「退職金5200万円」「年収1300万円」という数字があまりにも重く、本来の主張がその重力に引きずられてしまったんじゃないか。と。
 彼が出版社を辞めたときはそんな退職金はなかったろうし、給料だってそれほど多くはなかったろう。そして、仕事は僕がいた出版社の誰よりも懸命にしてただろうし、何より段違いに面白い仕事をしていた。僕は彼の仕事の大ファンだったし。その矜持が、そのルサンチマンが、彼にこういう言葉を吐かせたのではないだろうか、と思う。だが、不用意な言葉を挟んだために妄語になってしまった、と残念に思うのだ。

 ちなみに、2012年現在の僕は、「派遣切り」を指弾する気はまったくない。どんどん切るべきなのだ。そうしないと、次の産業が勃興するチャンスが得られない、次の仕事口が生まれない。僕が働く順番が回ってこないから。切らなきゃやっていけないのに無理して切らない、というのは美談でもなんでもない。共倒れを選ぶという愚行だ。
 僕が働いていた■■社は、社外スタッフや著者・ライターさんへの待遇が、篤い。業界的にはかなりの高水準で篤い。少なくとも僕がいた2010年まではそうだった。週刊誌には、その週まったく原稿を書かなくても、拘束料とか専属料みたいな形式でギャラが支払われる外部ライターがいた。何十年も働いている古株の記者たちがいた。
 それは、外部スタッフもファミリーのように遇するという、創業時からの遺風だった。だが、そのせいでライターの世代交代が進まず、魅力を失ってしまった媒体が多々あった。
 決して高額ではないかもしれないが、かといって低くもない報酬がフィクストでずっと支払われる職場である。そこからフリーの人間が、「やっぱよそに行ってみよう」と足を踏み出せるか。出来はしない。その結果、老齢ライターの溜まり場のようになってしまった。
 いま僕は会社を離れたので週刊誌の現場がどうなっているか知らない。だが、きっと、改革をしたに違いないと思う。働いてない人にもギャラを支払うようなことは止めたはずだ。そんな“美風”を続ける体力はもうないし、共倒れへの途、百害あって一利なしとわかっただろうから。
 だが、ギャラを受け取っていた側は、「これも派遣切りと同じだ」と思うのだろう。


 そして、この度の「次長課長河本準一の母親が生活保護を受けていた件」である。
 これ、僕は河本準一(公人なので敬称略す)本人にはまったく興味がないし、ああ岡山か、ほぼ同郷だな、と思うくらいで思い入れもない。だが、ネットでこの件を巡って書く人たちには興味がある。とくに、河本けしからん!、と自信をもって書く人たちに。
 いったいどんな人が、この件を「けしからん!」と指弾しているのだろうか。

 推測するに、月給取りで、それまで失職や失業状態を経験したことのない人、あるいは酷税の標的にされる経営者、従業員の社会保障を負担させられる理不尽に憤っている経営者、といった人たちが、ブログ論壇で気炎を吐いているように見える。
 今日ただいま生活保護を受給していて、「河本母は稼ぐ息子がいるのに受給していたとは、許せない!」と言ってるような人は、僕は寡聞にして知らない。誰か、そういう発言を見た人、ぜひ教えて下さい。生活保護の当事者たちが、この河本準一一件をどう思っているか、僕はすごく知りたい。

 誤解を恐れず言ってしまおう。河本一件で怪気炎を上げている人たちは、生活保護なんかとは無縁の、お気楽でおめでたい人たちではないか? ただ単に、「自分は額に汗して働いてこれだけしかお金をもらえないのに、働かずに金をもらうなんて、許せない!」と思い込んでるだけではないか?
 生活保護など、“働かずに役所から金を恵んでもらう”状態がどんなものか、知らない人が、乏しい想像力で言っているのじゃないか?


 僕には生活保護の経験はないが、失業給付を受給した経験がある。一カ月約20万円、会社都合退職だから即時支給、勤続20年以上だから330日有資格、だった。働かずに220万円を受け取れる、という制度である。
 これが、本当に苦痛だった。僕はこの、毎月ハローワークと転職相談所に通うだけでお金がもらえる、働いたら資格を失う、という宙ぶらりんの状態に耐えられなかった。
 結局、僕は200日弱を受給したところで先述の在宅仕事をやることにして「仕事があったので失業手当は要りません」と申告した。ハローワークは「じゃあ、残った有資格分のうち、ン割を就職が決まった一時手当として支給します」と、最後にもうひと月分くらいを振り込んでくれた。僕はその金でPCを買い、仕事用に使っている。
 始めた仕事はほんとうに金にならず、月々数万円の報酬という時期が続いた。今はだいぶ回復したが、それにしたって月間収入は最低賃金レベル、失業給付の足元にも及ばない。貯金を切り崩して使っているから生活は普通レベルだけど、キャッシュフローでは間違いなくワーキングプアである。
 だが僕は後悔はしていない。黙っていればあと数十万円ももらえるのに、途中でそれを投げ出す、という決断もけっこうなストレスだったが、その前に、何もせずに金を恵んでもらうストレスにやられて、ダメになるところだったから。あの状況から抜け出せただけでも御の字である。
 将来のことは不安だ。貯金は有限だし、また病気だってするかもしれない。一時は、就職してまた月給取りになったほうがいいかも、と思っていたが、今は考えを変えた。しばらくこうしてみる、と思っている。何より、誰にも気兼ねせずに生きられるのは、楽しい。自分で決めたことだから。

 ひるがえって、“金を恵んでもらう”ことのストレスを克服し、そこに胡座をかくことができるようになった人たちの人生はどうなのか。僕は知りたい。だが、僕の乏しい想像力では、彼らの生活が楽しいようにはとても思えないのだ。パチンコしたり酒やタバコでストレスを紛らわさなくては生きていけないくらい、辛い暮らしなのではないか。――働かないことは、それ自体がストレスだと、彼らは身に沁みて知っているはずだ。
 ネットには、生活保護のことを「ナマポ」と呼び、「ナマポ受給者はパチンコ・酒・タバコを禁止にしろ。家も出させて、収容所に入れろ」などと主張する人がいる。僕は、「ナマポ」と言う人のことを信用しないし、軽蔑する。ぬるま湯のような自分の暮らしに飽き飽きし、かと言って何処かに足を踏み出すこともできず、ネットで安全なところから石を投げているだけの、愚かな人たちだ。くだらないことだ。
 みんな、お金のこととなると、理性を失っているのだ。

 そして、河本準一一件の一番のキモは、河本準一の最近の年収が5000万円だかなんだか非常に多額だった、なのに、という点じゃないか。河本母の生活保護受給、ではなく。「年収5000万円」という、不確かな、眩しい数字に、みんな目が眩んで、妄語を吐いているのではないか。
 人間は、お金のこととなると、理性が激しく揺らぐものだ。

 一番心配なのは、この一件で、不正受給・不適格受給は減らさねばならない、という国民的合意が形成されそうなことだ。もしそうなると、生活保護を職掌する役所の人たちが、恣意的に厳しいハンドリングを始めるかもしれない。不正受給・不適格受給を放置すると、支給主体までが叩かれる。そう思いこみ、少しでも規定に外れる申請は却下却下するような、厳しい運用をしたら、どうなるか。
 生活保護が必要な人たちの実態のうち、規定にぴったり当てはまるものがどれだけあるか。DV夫からやっと逃げのびた主婦が生活保護を申請したら、「家に帰って旦那さんに扶養してもらってください」と言われた、という話を読んだことはありませんか? 不正と不適格、適格の境界は見えにくい。窓口の御役人は、いつも厳しく微妙な判断を迫られている。
 僕は、不正受給なんて減らそうとしなくていいと思っている。不正受給なんて、プログラムにおけるバグ、書籍雑誌の誤植みたいなもんで、なくそうたってなくなりゃしない。むしろ、不正を根絶しようとして適格な人・援助の必要な人を追い返す危険のほうがよっぽど大きい。
 むかし僕はサッカー元監督の言辞に激しい嫌悪をおぼえたが、制度的にはあれでいいのだ。少々のグレーゾーンは見過ごすつもりでないと、本当に必要な人のところに届かないからだ。倫理と制度は別のものなのだ。
 不正受給の追及は、公共の福祉に資するところが(さほど)大きくない。人間の幸せを増大させない。せいぜいが、自分を愚かだとまだ気づいていないネット論者の鬱憤を晴らすだけで、世界を良い方向へ前進させるものではない。
 人間は、お金のこととなると理性を見失う。
 正しいと思い込んだことが、往々にして誤っていることがある。
 お金の魔力にやられて、正しいと思い込んで主張していることが、いつの間にか歪んでしまっている。

 もし問題を立てるなら、お金を恵んでもらう、という状況を、本人たちが進んで跳ね返すことができるインセンティブを設計し、制度化することだ。
 あなたは、自分が生活保護なり失業給付なりを受けるようになったとき、進んでそれを返上することができますか? 制度的には支給OKと言われ、受け取る受け取らないはあなたの決断一つに委ねられたとき、どんな決断ができますか?
 人間は、お金という魔物の前には、ずいぶんと無力な存在だ、と知る人が、増えてほしいと思う。
 河本準一一件に、ドヤ顔で怪気炎を上げることの愚かさを、知ってほしいと思う。