新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

なぜ、インターFM「レディオ・ディスコ」はホットなのか?

 ご無沙汰しています。
 愛聴しているインターFM(東京76.1MHz)、春の番組改編から2週が過ぎ、かなり落ちついてきました。
 期待通りの新番組、どうも期待にそってくれない番組、いろいろですが、自分内大ヒット番組があったので、メモしておきます。
 それは、午後1時半から始まる、「レディオ・ディスコ」です!
 DJは先月まで「グローバル・サテライト」の片割れだった亀井佐代子さんと、DJ OSSHY(音楽プロデューサーの押阪雅彦氏)。オッシーが選んでリアルタイムに繋ぐ曲、リスナのメールとのキャッチボールはサヨコさん、番組ページのプレイリストを見てもらえればわかるけど、ジェイムズ・ブラウン、アーハ、スティービー・ワンダー…と非常に懐かしい曲が目白押し。
 ひと目見ると「古っ」と呆れてしまいそうな番組だけど、いざ聴いてみると、これが意外にも、意外にも、気持ち良い。
 なんか、見事にハメられた感じがしてくやしいくらい、気持ち良い。
 なんでか〜〜!

 実は僕は、ディスコミュージックは嫌いだった。80年代に思春期でしたけど、全然聴きませんでした。忌み嫌ってたので。
 前にも書いたけど、僕は理屈から入るタイプだったので、感覚に訴える音楽との接点が薄かった。
 音楽を「理屈から入る」とはつまり、「見栄で音楽を選んでいた」ということなんですよね。他人からの見た目を気にしていたというか。自分がかっこいいと思った音楽を聴いてたわけで、気持ち良い音楽を聴いてたわけじゃなくて。
 たとえばレゲエを聴いてたのも、気持ち良いからじゃなくて、ボブ・マーレーの思想とか、死んで伝説になったこととかがカッコよくて、そのカッコ良さにあやかりたくて、聴いてた。馬鹿な聴き方をしてたと思います。
 パンクやニューウェーブに惹かれてたのも、パンクの思想性に憧れてたからだ。スプリングスティーンやレナード・コーエンも、なんかインテリ臭かったから聴いてた、というのが正直なところ。見栄っぱりでした。
 でもまあ、良い音楽たちでしたので、聴くと気持ちは良いんですよね。それなりに良い体験はさせてもらいました。

 でも、理屈で音楽を選んでると、ものすごくメジャー、庶民に大人気、ってだけで選択肢からこぼれちゃうことがあるんですよね。メジャーな音楽聴いてても見栄は張れませんから。同級生が聴かないようなアーティストを選んで聴くようになる(友だちができないわけだよ)。
 だから、ディスコブームのときも、みんなが聴いてるからってだけで、ディスコ音楽は全然聴きませんでした。
 同じく、テクノのときも聴かなかったし(その頃はプログレを聴いてた)、メタルからビジュアル系に到る日本のアーティストたちも全然知りません。バイトしてたライブハウスにはけっこう来てたのに、全然耳を傾けなかった。
 馬鹿だったよなー、と思う。

 そういう、ディスコ音楽にまったく造詣がない僕が聴いても、「レディオ・ディスコ」は楽しい。シンプルではっきりした、ズンドコズンドコのビートが、聴いてると否応なく気持ちを盛り上げてくれる。
 なぜか? なぜ私はディスコ音楽を聴くと、こうもHOTに感じてしまうのか?

 どうもこれは僕だけの傾向じゃないらしく、インターFMのwebを見ると、「レディオ・ディスコ」は番組webのビュー第1位だし、2ちゃんねるインターFMスレでも大人気だ。
 関係者が、「これは、ウケる」とどんだけ確信してたかわからないけど、自分的にはもう大ヒットっすよ、大ヒット。
 平日月〜木は13:30〜15:00の90分だけど、金曜は時間拡大で13:00〜15:00の120分だそうです。もう明日が楽しみで…。

 この番組がなぜこれほど突出して良い印象なのか、これはちょっと考えたいテーマだ。
 一つには、新番組に期待ほどじゃなかったものがあったので、それとの対比で印象が良い、ということもあろう。朝の「バラカン・モーニング」に替わった「キャッチアップ」は正直、つまらない。パーソナリティの方が頑張ってるのはわかるんだけど、印象は良い人なんだけど、どうも僕的にはダメだ。前番組と比べると、リードしてくれるものがない。比べちゃいかんのだろうけど、ラジオってのはどうしても時間帯における聴取習慣で聴くものだから、「先月までの朝が恋しいよ〜」などと空しいことを思ってしまうのは仕方がない。
 そもそも「キャッチアップ」って「追従する」「遅れを取り戻す」ってことだよね!? 全然良い言葉じゃない。リスナーに向かって、お前らついてきなさい、導いてあげますよ、と言ってるようで不愉快だ。この番組タイトルをなんとかしなきゃ、つまらないのは直らないと思います。
 平日21時からだった「BAM!」の面々が18時に引っ越して「6時のヤツラ!」になったのは、まあ良い。この時間は台所で食事の仕度しているから、前半は楽しく聴ける。でも後半は、食事タイムになるのでラジオ切らされてしまいます。残念です。「BAM!」は夜に仕事するときの楽しみだったので、聴けなくなってとても残念。21時からの新番組はJ-POP主力の若年層向けになってしまったので、もうご縁がありません。
 だから、自分の世代的にも、生活習慣的にも、「レディオ・ディスコ」がジャストフィットした、ということなのか。

 いや、違うな。もっと根源的な、音楽の原理的な理由で、「レディオ・ディスコ」は聴く者を惹き付けるんだと思う。
 ディスコ音楽は、音楽的・音楽史的にはあまり語られずにきたと思う。むしろ産業ロックのように「消費される」音楽として生まれ、その使命を全うし、消えたといえよう。批評家から評価されるようなものじゃなかったし、。
 ピーター・バラカンさんはブルーズやR&Bなど黒っぽい音楽もよくかけていたけど、ディスコはほとんどかけなかった。彼もディスコは守備範囲外なのだと思う。まあ80年代、彼は坂本龍一矢野顕子をサポートしたり、MTV系を支えてたわけで、日本のディスコには通ってないだろうしね。
 ディスコ文化は、「レディオ・ディスコ」でも「80年代死語の世界」などとやや自嘲的に紹介されるけど、完全に大衆的なものだったと思う。先鋭的な批評家から無視されたのもむべなるかな。あんまりにもありふれたものは、そのときそのときでは批評の対象からはずされちゃうんだよね。そして、なくなってから初めてその価値を再評価されたりして。まさにいまがディスコの再評価時代だと思います。誰か、僕も納得できるように語ってくれないかなー。
 僕は、言ったように、ディスコ自体を体験したことがない。岡山にはディスコあったのかなー。東京出てきて行ったのはもうクラブだったしなー。ディスコブームってどこで起きてたの?という状態。田舎者です。
 しかし不思議なことがあって、たとえば「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)で一世を風靡したジョン・トラボルタ。彼はディスコが盛んだった80年代は「ステイン・アライブ」(1983)がコケて長らく不遇だったんだよね。ブームに火を点けた人だったのに、94年の「パルプ・フィクション」まで、彼は我々の視界に戻ってこなかった。きっとディスコで踊ってた人たちも、彼のことは忘れてたと思う。その間もビー・ジーズはヒットを出し続けてたと思うけどねー。なんでだろう。

退屈論 (河出文庫)退屈論(小谷野敦)
 唐突だけど、「なぜ私はディスコ音楽に惹かれるのか」「なぜディスコ音楽は批評的に語られずにきたのか」という疑問に、答えがありそうな気がしてる。それが、この本。小谷野敦の『退屈論』。
 小谷野敦は文芸評論家なのでディスコ音楽については1字も語っていないけど、この本では「退屈とは何か」「退屈はなぜ生じるか」「退屈を避けるためにヒトはどう振る舞ってきたか」などが、文学史・文明史的に語られています。なかでも出色なのが、「人生に意味はあるか」という議題。
 古来、いろんなヒトが、暇に飽かせて「そも、人生とはなんぞや」と思索してきたのだが、ここ21世紀になってほぼ答えは出ているようだ。
 いわく、「人生に特段の意味はない」と。
 これは「人生」を「音楽」に置き換えても成立する箴言ではなかろうか。
 自分のことを反省しながら言うのだけれど、音楽に何かの意味を求めて聴いてきた選んできた自分は、音楽に対して不純だった。
 申し訳ない。
 だもんで、僕は、何かの主張があるわけでもない、労働者たちが仕事の後に気張らしで遊びに行くディスコなんてとこで消費されてるだけの音楽に見向きもしなかったわけだ。何か意味がありそうな、革命を歌ったレゲエだとか、不満を歌ったパンクだとか、頽廃を歌ったグランジ、思想とのシンクロを見せたニューウェーブなどを見栄張って聴いてきたわけだ。基本的にこれらの音楽は今も僕は好きだ。
 しかし、ディスコ音楽のリズムに否応なく惹かれる自分がいる。この、薬物のような身体反応を誘う音楽って何なのか。
 それは、意味を放擲したところにある、即物的な、それこそ「ノレるかどうか」だけが問題の、下賤な音楽だった。それでいて高度に洗練され、大きな文化潮流を形成したものでもあった。
 人生に意味はない。音楽にも意味はない。しかし、律動はある。
 ということではないかと、思うわけです。

 今後も午後1時半からの「レディオ・ディスコ」は楽しみにしています。DJオッシーのMIX(と言っていいのかどうか)は大変素晴らしい。サヨコさんのトークも。80年代生まれの若い人たちが、どんだけ理解できるかどうかは知らないが、リズムはわかるんじゃないかなー。
 あと、今後も退屈については考えていきたいと思っています。