新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

いま原発国民投票があったら、自信もって「廃止」に一票入れられるだろうか?

 三月も下旬だというのに朝は寒い。去年の今頃ってこんなに寒かったろうか?
 あんまり書きたい話題じゃないけど、自分の中でむくむくと大きくなっていることなので、吐き出すつもりで書きます。

 去年といえば地震に続く原発事故。事故直後、僕は旅行に出かけて旅先でテレビを見、ツイッターを読んで震えていた。そして、漠然とこう思っていた。
原子力発電はやはり危険だ」「原子力発電には怪しいところ、不可解なところがたくさんある」「原子力発電は決定的に国土を汚してしまった」――。
 不安感に押し潰され、未来を信じる気持ちを失い、ついには、世界が自分もろとも滅びてしまうがいい、とカタストロフを待ち望むような心理状態になってしまった。
 その過程でこんなエントリを書いて心の平衡を求めようとあがいたりした。
 当時書いたものを今読むと、果たして事実に即していたのか、どのくらい妥当なのか、自分でもよくわからない。
 そして一年経った。この一年で原子力発電について、いろんな議論が行われた。

 あの事故はなぜ起きたのか。不慮の天災だったのか人災だったのか。
 事故の全容は解明されたのか。メルトダウンした原子炉は今どうなっているのか。冷温停止は事実なのか。
 原子炉から外へ出た放射性物質はどうか。どこなら住めてどこなら住めないのか。除染は有効なのか。がれきやゴミの処理は。
 健康被害は。子どもの健康被害、成人の健康被害はあるのかないのか。あるとしたら時間スパンはどのくらいか。
 チェルノブイリ事故と比べるとどうなのか。そもそもチェルノブイリではどんなことが起こったのか。
 定期検査で止まった原子力発電所を再稼働させるべきか。原発は即時停止・廃炉にすべきかこれからも開発を続けるべきか。
 浜岡のようにとくに立地が危険な発電所をどうするか。もんじゅのように再稼働も廃炉もままならないものをどうするか。
 電力会社の人たち・保安院や安全院の人たちは、その責を全うしてきたのか。それまで、またあれ以降、嘘をついたりしたことはないのか。
 僻地(地方)に汚い原子力発電を押しつけ、大都市がクリーンな電力を消費する構造はどうするか。
 原子力発電に携わる人びとの労働・雇用環境はどうか。原子力発電という産業構造に依存する人たちはどうか。
 原子力発電に代わるエネルギーは実用出来るか。風力・水力・太陽光・地熱は。
 原子力発電の不在を補う火力発電はどうか。プラントは間に合うか。コストは。去年は燃料費が膨大にかかったというが。
 急速に転換しつつある日本の産業構造・人口や社会構造を、支えていけるエネルギー政策はあるのか。

 ……などなど。これらのうち、決着のついた議論はあるのだろうか。ブログメディアのアゴラでは、池田信夫・藤沢数希といった人たちが、“原発を過度に危険視するな”という論を展開している。ツイッターでは、有名無名問わず大勢の諸賢が現地へ赴いたり身の周りを計測したりweb言論を検証したりしている。
 僕の中で、この一年で一番大きかった衝撃は、世田谷区弦巻の民家から放射性物質が発見されたことだ。この民家、僕の住まいからは遠いけど、知らない場所じゃないのだ。馬事公苑に散歩に行くとき、通る道だった。
 webには世田谷区弦巻ラジウム騒動まとめ、などのしっかりしたまとめ記事がある。
 また、騒動のごく初期をトゥギャった記事は、いろんな推測が入り交じっていて非常に興味深い。陰謀論の萌芽みたいなものも見られたりして。
 じっさい、このニュースに最初に接したとき、僕は激しく動揺した。道路にまで漏れ出す高い放射線をすぐそばで浴びながら三十年暮らしたおばあちゃんがいて、相変わらず健康って……どういうこと? 放射線っていったい!?と。
 このニュースをきっかけに、僕の中で、この度の原発事故と被害を見る目がちょっと変わった。

 せんだって見た動画で、「再生可能エネルギーは、残念だけど原子力発電の代替にはならない」と断言していたものがあった。

 萱野稔人×柴山桂太 文明の限界?新しい経済社会とは?@ジュンク堂書店(長い動画です。おしまいのちょっと前、質疑応答のあたりでこの話題が出ていました)

 僕はこの萱野稔人さんという哲学者が好きだ。なんとなく手に取った著書はこれ。
暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術)
暴力はいけないことだと誰もがいうけれど (14歳の世渡り術)
 同書に、とても印象的な部分があったので引用しておきたい。

「国家をなくすべきだ」という考えのまずいところは、理論的にできもしないことを道徳的な「べき論」で押し通そうとする点です。不可能なことを「べき論」で押し通そうとすると、どうしても無理が生じてしまい、最後はその「べき論」に従わない人を攻撃せずにはいられなくなるでしょう。

 これは、この本の主題である暴力というものを考えていくと、最終的に暴力を束ねているのは国家じゃないか、という流れでの話だ。「国家は悪であり、解体しなくてはならない」と考える人びとが存在している、そのことを受けて言っている。だから「国家」は「暴力」や「権力」という言葉と置き換えても成立する。
 僕は、ここを反射的に「原子力発電」と空目してしまった。
 僕は、反原発の立場の人たちの言説を読んで、「原発をなくすべきだ」と思ったことがあった。だが、それはかなり難しい、ということが一年の間に徐々にわかってきてしまった。とくに、次世代エネルギーのアテがない現在、性急に原子力発電を全廃すると、相当ヤバいだろう。電力会社は火力発電の燃料費に疲弊し、原子力発電から脱する研究コストすら支えきれなくなるかもしれない。電力料金もどんだけ上がるか(僕らが生きていくための必要経費、実質的には税金と変わんないですよね)。

原子力発電を止めるべき」という言説には、経済学・社会学統計学・工学・理学などと関係ない、別種の価値意識が混じっているように僕には思える。先の本の言葉を借りると、「道徳的な『べき論』」になっているのではないか、ということだ。

 原子力発電は、それ自体は技術の一つであり、社会資本の一つであり、不偏不党無味無臭のはずだ。だが、実施主体や実用化への経緯でさまざまな色がついてしまっている。広島長崎の原爆被害による核アレルギー、大正力讀賣グループによるキャンペーン、米国との被支配構造、様々な利権、僻地での立地や非正規労働者という差別的・格差利用的環境、電力会社のマスコミ買収などなど……。これらに対して、「不正義だ。正しくない。許せない」と思うのは自然だ。僕もそう思う。
 だが、その感情には、技術や資本を評するときには不要な、道徳的なものが混じってしまっている。冷静に、冷徹に議論ができていないような気がする。

 僕の祖父は広島で被曝し、被爆者手帳を交付されないまま、被曝から四半世紀経って癌で死んだ。僕はそのときやっと学齢の幼児だったが、生前の祖父が原爆症(と思しき症状)に悩まされていたことを聞き、また学校で受けた平和教育学級文庫の『はだしのゲン』『黒い雨』『夏の花』などなどのおかげで、自分でも知らぬ間に「核はいけないもの」という意識とともに育ってしまった。当時の言説には、明らかに“核は道徳的に許されないもの”という刷り込みがあった。

 この「核はいけないもの」「原発は止めるべき」という「べき論」は、今日僕らがポスト原子力発電を考えるとき、明らかに邪魔になっていると思う。バランスの取れた判断、僕たちの未来を幸せにする判断ができなくなるのだ。
 少し前に知り合いから「原発の国民投票を実施する、署名をたのむよ」と言われ、署名した。この運動自体には、原発推進とも反原発とも色はついていない。
 僕は思う。もし明日、この国民投票が実際に行われたとしたら、僕は「存続」「廃止」どっちに一票を投ずるだろうか、と。
 ――これ以上国土を汚染し、子供たちの未来を損なう危険がないよう、廃止させるべきだ。
 ――経済をこれ以上沈滞させず、すみやかな復興を助けるためにも、存続させるべきだ。
 ――築40年未満の原子炉は再稼働させつつ、段階的な脱原発を模索すべきだ。
 ――即時停止して喫緊の課題として次世代エネルギーを開発するしかない。

 いろんな意見があるだろう。いま僕には「廃止」と書いて投票する勇気がない。事故の前、原発を止めたら日本経済は崩壊、東京は大停電で、物盗りや暴動が跋扈する、と言われたが、実際はそんなことまったくなかった。だが膨らむ燃料費がいつか電力料金に転嫁され、日本経済を傷つけ、子供たちの未来を大きく損なう可能性があるのではないか。どっちを選んでも困ったことになるのでは……。

 葛藤に襲われ、僕がこんなふうに立ち往生してしまうのは、やはりまだ意識のどこかに「道徳的なもの」を引きずっているからだ。「人一人の命は地球より重い」といった非合理的な思考。これは、「少しでも危険な可能性があったら廃止すべきだ」という言説に似ている。あるいは「あの事故で死んだ人は一人もいない。だから安全だ」という考えにも。どっちも合理的な考えじゃない、魔術的な思考ではないか。
 また、道徳的な話題は、踏み絵のように、聞く者に二者択一の関係を迫る。話に逃げ場がなくて窮屈だ。意見が合えば同志に、合わなければ不倶戴天の仇敵になるような、そんな極端なことでいいのだろうか。
 信念に殉ずるのではなく、狡く抜かりなく幸せを追い求めてはいけないのか。僕たち、いやもっと若い世代たちが幸せになるための選択はできないか。中道はないのだろうか。

 これ以上書いてもしょーもないので止めるけど、とりあえず、事故から二年目の春が来た。昨日、多摩川には桜が咲いていた。