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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

世代間格差――若者と年寄りのどっちが不幸か?

 古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』感想の続きです。
 若者論を語る人びとは、その実、年寄り論を語らずにすませてきた、ネグってきたのだった。
 若者論を語るのは往々にして、元・若者、今は若くない人である(僕も含む)。若くない人たちが「俺たちの若い頃は…」と高いところから若者を叱りつけるのが、多くの若者論だ。さらに、それらが往々にして間違っている、過去を粉飾しており事実と認識とが乖離していることも多い。
 昔は不良青年で暴力やレイプを礼賛していた人が、今の若者には公共性がないとか、人格が陶冶されていないとか言う。ふざけろ、である。あるいは若者がたまたまおとなしくしていると「覇気がない」「生命力がない」などとけなす。挙げ句の果てに、自分は兵隊なんぞ行ったこともないのに「若者は徴兵されたほうがいい」なんて言う。いい気なものである。

 では試みに、ちょっと年寄り論をぶってみようか、と思うと、これが……思いも掛けず悲惨な現実に直面したのだった。
 たとえば本書『絶望の国の幸福な…』は若者論の本だが、こんな文章が出て来る。

実は「高齢者」が大変?
「世代間格差」問題では「敵」と名指される高齢者たちも、みんながお金を持っているわけではない。よく知られているように、高齢世代ほど世代内格差は大きい。また貧困世帯数も、生活保護受給者数も、自殺者数も、割合としては高齢者のほうが多い。
 日本で生活保護を受ける世帯は一四〇万を超えたが、そのうち高齢者世帯は約四割である。また二〇一〇年の自殺者数は三万一三九〇人だったが、一番多いのは五〇代で全体の一八・八%を占め、次に多いのが六〇代の一八・六%だった。六〇代以上の自殺は三七・八%にも達する一方、二〇代以下の自殺は全体の一一・九%だった。(同書p239-240)

 ここで古市くんは“なんだか若者論なんかじゃなくて高齢者論をやったほうがいいんじゃないかって気もしてくる”などと、優しいことを言ってくれる。某都知事のような傲岸かつ無知蒙昧な態度とは雲泥の差だ。
 この国は、年齢が下にいくほど優秀なのかもしれない…。
勝海舟が米国から帰ってきて「かの国は上にいくほど優秀です」と上役に報告したのを真似てみました)

 そう、日本の高齢者はもしかするとすごく不幸なのかもしれない。
 日本には世界屈指、年間三万人の自殺者がいるけど、その過半数が五〇代以上だとなると、世界でも屈指の不幸さかげんではないか。ちなみに自殺者の三分の二は男性である。日本の高齢男子(僕もその一人だ)の不幸さよ。
 ちなみに中国には年間二十五万人とか二十九万人の自殺者(数なら世界最多だよね)がいるけど、過半数が女性なのだという。これは他の国には見られない珍しいことだ。世界一般では、自殺するのは男子で、わりと若い人です。米国なんかティーンが半数だそうな。これはこれで可哀相だ。

「自殺せずに生きてる高齢者は、年金もたっぷりもらえて幸福だろう」と思いますか。どうでしょうか。これから消費税が増税され、相対的に年金が減り、社会保障の一体改革とやらで絶対的な額も減らされるかもしれない。長生きすればするほど貧乏になっていく未来が待っているとしたら、それは仕合わせだろうか。長生きはリスク、か。

 長生きは間違いなくリスクだ。健康面で言うと。長生きすると酷使された体が不調になり、故障する確率が格段に増える。僕も三十代の頃無茶な山歩きをしたせいで膝が悪いのだが、年取ると誰でもどっか故障箇所が出て来る。若い人と比べると、故障箇所数・回復速度など絶対に不利だ。
 公園をジョギングする高齢者たちや、マラソンに出る高齢者たち、四国八十八箇所を巡礼する高齢者たち……大丈夫か。巡礼って、大昔は野垂れ死ぬためにやってたっていうが(そういえばうちの父もお遍路リピーターだった。やべ…)。

 幸福を増やすのはなかなか難しいが、不幸になるのはちょっとしたことでOKだ。たとえば、老眼で新聞が読みにくくなっただけで気持はぐっと落ち込む。僕も老眼が始まってて大変だ。あんまり進行が早いので「これは緑内障とか他の病気ではないか」と疑って眼科に行った。「普通の老眼ですよ。眼鏡も合ってますね」と言われて安心したのだが、普通の老眼でこれほど不自由かつ落ち込むのなら、異常な老眼や他の病気はもっと大変なことだろう。
 お年寄りを近くで見ると、服に食べこぼしがついていたり、鼻毛が伸びていたり、埃っぽかったりと、ちょっと身汚いことがある。それは老眼のせいなのだ。汚れているのが自分には見えないから、きれいにできないのである。僕は最近身を以て気づいた。胸元の汚れとか、老眼だと見えないのである。

 汚れは、ただ拭ってきれいにすれば解決する。だが「汚れた姿をさらしていた」ことで、自尊心が大きく傷つく。
 自尊心、これが保たれていると幸福なはずだが、年を取ると自尊心をキープするのも難しいのだ。何しろ、鏡を覗けば、毎日少しずつだが確実に老いさらばえていく自分の姿が見られるのだ。若い人が鏡を覗くと、成熟し、昨日よりは少しずつ立派になっていく自分の姿を発見するだろう。

 いや、そんなのは一般論だ。この国の年寄りにはこの国だけの特殊事情があるだろう、と言われるか。
 たしかにこの国の高齢者は他の世代より比較的裕福なのかもしれない。
 僕は車が好きなのでスポーツカーが走っていると必ずチラ見してしまうが、運転してるのはたいがい高齢の男性だ。とくに日産フェアレディZ、GT−Rは年寄りが多い。GT−Rを僕より若い人が運転してるのを見たのは、二度しかない。
 東京都内の一部での定点観測にすぎないからこれを以て「若者のスポーツカー離れ」「高齢者のスポーツカー好き」などと軽々に言えないけれど、もしかすると「もはやスポーツカーは若い人が乗り回す車ではなくなった」のかもしれない。トヨタ86/スバルBRZが若い人にも買える価格で出るっていうけど、これもたぶん飛びつく絶対数は高齢者のほうが多くなるだろう。車は売れるだろうけど、86が売れたから若者の車離れが止まる、ということはないだろう(そもそも車離れは起きていない説もあるわけだし)。

 若者の海外旅行離れ、という話がある。古市くんの本では、「留学生数は減っているが、若者人口の減少を考えあわせれば……割合はバブル期の二倍以上」とのこと。なんだ、嘘じゃん。僕が学校に行ってた頃と違ってワーキングホリデーとかあるし、HISとか手軽に海外に行く手段は充実してる。就職すると長い休みが取れないから、と大学のとき海外に行くと公言する学生がいる。僕が大学の時は、青春18切符紀伊半島を一周したのがせいぜいだったナ。
 たしかに海外旅行の現場に行けば、年寄り層の姿が目立つ。手段が充実してるのに若者が旅行に行かないよ、と言えるのか。
 どうだろう。難しいところだ。
 実は、日本の年寄りは昔から旅行が好きだった、という説がある。
 さいきん江戸時代のことを書いた本を読んでいるのだけど、江戸後期には伊勢詣りほかの旅行が盛んになってて、大勢の旅人が旅日記を残している。まるでブログのようだ。旅行をしてブログを書くのは、日本の伝統なのだった。
 江戸の旅行ブロガーには、案外女性が多いのである。農家や商家の四、五十代の姑さんたちが、下男にエスコートされ、友だちの奥様と一緒に伊勢・金比羅・京大坂へ遊びに行く。(金森敦子『関所抜け江戸の女たちの冒険』晶文社など)
 男性は伊勢講などで町内の人びとの代参として豪華旅行に行くのが盛んだった。阪急交通社みたいなことを昔からやっていたのである。ところがパッケージツアーは男性限定だったので、女性は自分の旅を個人手配でアレンジした。
「入り鉄砲に出女」というとおり、幕府の交通規制政策は厳しかった。武家の女が箱根や碓井の関所を通るには、老中が認証した証文と数万円分(一分とか三分とか)の賄を要した。ところが、庶民の女は、関所の近所の宿屋にアレンジしてもらって早朝に関所の柵をくぐるとかしてたらしい。
 んー、江戸の昔のことを考えていると気持がなごむなァ。
 まあ、昔も今も、遊ぶには経済力の裏付けが必要だった、てことは変わらない。そして相対的には若い人は経済力が弱い。体力だけでは消費活動はできないから、若者の消費力が低いのは当たり前なのだ。

「若者は車を買って、旅行に行くものだ」という思いこみのほうが、どうかしてる。
 むかし、まだ若者たちが車に夢中だった八〇、九〇年代。それでも新車を買う若者は少なかった。中古車を手に入れ、こつこつと毎月部品を換え、ドレスアップするのが若者の車の楽しみ方だった。ソアラやプレリュードに乗っていたのは間違いなく親がかりの人だったと思うよ。そして、普通の車好きの若者は、パーツ代で給料が消えてしまうので、服はださく、食べるものもみみっちかった。借金も多かった。
 若者の旅行といえば、バックパッカー。『深夜特急』『印度放浪』とか読んで、他の全てを犠牲にして海外へ行く、というスタイルが連想される。日本で必死にアルバイトして、切りつめて旅費を稼ぎ、海外でのんびりする。普通に働いて海外で骨休めする、というスタンスとは違う。社会復帰も難しく、きわめてハードルが高い。

 こんなふうに若者が何か突出したことをして目立つのは、若者の間なら人生の他のすべてを犠牲にすることができる、という点に尽きる。若者の最大の資産は「時間」でしかないのだ。「金」はないから。
 新車を買って海外旅行に行って流行の服を買いまくり、クリスマスやバレンタインをシティホテルですごす、なんて若者は想像上の代物、まー蹴った〜が考えた非実在若者像にすぎない。

 反対に、年寄りには「金」はあるが「時間」がない。リタイアしていれば「時間」はあると思われるかもしれないが、意外に時間は自由にならない。長時間何かするには「体力」も要るからね。南の島のリゾートで一カ月過ごす金と時間があっても、体力がそれを許さないのだ。

 日本の、とくに現在の年寄り世代は恵まれている、幸運である、と言い切ることが、僕にはできない。
 平日の昼間に図書館に行くと、大勢の人がいる。閲覧デスクには資格試験や大学の勉強に備えている若い人もいるが、ざっと見て半分は定年退職したようなお年寄りだ。大量に本を借りだしているのは、子育て中の若いお母さんが多い。新聞閲覧コーナーのソファは、もう男性高齢者に占拠されていて、僕が日経新聞朝日新聞を手に取ることは難しい。同様に雑誌コーナーで最新の週刊文春・新潮も手に取れない。
 僕も苛立つけど、他の男性高齢者のみなさんもだいたい苛立っているようだ。
 リタイアして悠々自適に暮らすのは、意外に辛いものなのだ。どこで聞いたのか忘れちゃったけど、日本の高齢者の多くが「自分の人生は報われなかった」と考えているという。
 若い人はこれを聞いてどう思いますか?

 古市くんも用いた内閣府の「国民生活に関する世論調査」、その平成二十三年度版では、現在の生活に対する満足度は、二〇代で七三%と全世代で最大で、三〇代は六九%、四〇代は五九%、五〇代は五八%と下がっていく。六〇代は六五%、七〇代以上で再び七〇%の大台に乗る。
 おおむね全世代の過半数が「満足している」「まあ満足している」と答えるこの国は、よい国かもしれない(Amazonのレビューではこの本に対して様々なツッコミがなされているけれど、いちばん突っ込むべきは内閣府のこの調査ではないかと僕は思う)。
 未来のことはわからないし、現在のこともよくわからない。

 というところで今日も晩ご飯の仕度をしなければ。今夜は大豆を煮てチリコンカンだ。圧力鍋を使えば二分で大豆が煮えるって、ほんとかな?