新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

映画「スケッチ・オブ・ミャーク」を宮古島で見た(その2)

宮古」「民謡」とタイトルに謳われたCDなら反射的に即ゲットしていた頃、「沖縄・宮古の神歌」(キングレコード)というCDを買った。歌い手は、高良マツ・長崎トヨ・村山キヨ。全員九十歳前後の、たぶん世界最高齢の女声トリオだ。タイトル通り、神に捧げる歌を三人がアカペラで歌い上げている。これは強烈に癖がある代物だった。
 以前から民族音楽・宗教音楽のCDを時々聴いていたので、ああこれもチャントの一種だな、と気軽に聴いてみたのだ。もう一撃でノックアウトされた。凄いCDだった……なにしろ、全編息継ぎもせずに老婆たちがロングトーンで唸っているのである。意味がわからない! 退屈すぎ! 気絶する! と思った。ブードゥーの詠唱とか長崎のオラショとか、チベットの声明、シベリアのシャーマンの唸り声とか、これまでも変わったものは聴いてきたけど、これは群を抜いている、と思った。

(※以下、映画本編に言及している部分には、ネタバレもあります。ミステリーや謎解きの映画ではありませんが、まっさらなままでご覧になりたい人はご注意を)

 映画「スケッチ・オブ・ミャーク」で労働歌が紹介されるシーンに、宮古島の古俗を写した写真、モノクロの動画がかぶさる。小さな馬(宮古島原産の宮古馬)の背に山盛りのサトウキビが高く高く積まれる。機械がまったくない頃だから、キビを積み上げるのも人力である。キビは堅い根を張り、強(こわ)い葉がからみついているのをマチェーテで一本一本払ってやっと集荷するのである。激しく厳しい労働だ。
 労働の厳しさを慰めるのが労働歌である。アメリカ南部で綿花栽培に従事した黒人奴隷たちの歌がブルースになった。宮古島のそれもブルースにほかならない。歌詞は、税を取り立てる役人の不人情、労働に追われ疲弊する自分たちの哀れを淡々と歌い上げたものだ。まさしくブルースだ。普遍的な、世界中にあまねく存在する真実を歌った歌だ。
 収穫が終わり、税を完納すると、島人たちは幾晩も踊り明かして喜んだという。それは自然と神への感謝と密接につながり、歌は労働歌から神事へと変わっていく。映画で「ミャークヅツ」として紹介されていた祭りが、人頭税皆済の祝い事だという。ワイシャツにネクタイ、背広ネクタイの男性が大勢踊っているシーンがあった。洋装で神事を踊る様子は異様なインパクトがある。
 そして女性たちの神事。画面は伊良部島・佐良浜漁港の近くにある大主神社を映す。ここの神事を司るために五十代の女性たちが選ばれる。小さな紙片に夫の名前を書き、丸めて紙礫にしたのを三宝のような器に入れて揺する。紙礫が飛び出す。それを開けて読む。これが繰り返され、紙に書かれた男性の妻である女性が神司に選出される。
 凄いのは、選ばれる女性は予め「自分が選ばれる」ことを幻視して知っていることである。ユング的な不可思議な存在が、日常生活にナチュラルに共存している。
 映画は宮古島、その北に橋で繋がった池間島、フェリーで行く隣の伊良部島、プロペラ機で行く遠くの多良間島などの島人たちを取り上げ、日々の暮らしと神歌との関わりを描写していく。例の九十すぎ(アラウンド・ナインティって何て略すべきか? アラナイ?)オバア三人組ももちろん出てくる。彼女らは宮古島北部・西原集落の人たちである。
 実は、池間島と西原、佐良浜の人たちは、共通の祖先を持つという。西原・佐良浜は池間の人たちが昔移り住んだのだと。そして池間の人たちは他の宮古島人からは“池間民族”と呼ばれ特別視されている。きっと個性が強いのだろう。各地の池間民族の間で古謡・神歌が歌い継がれているのは興味深い。

 映画の中で一際場内を沸かせたのは、小学生の歌い手・譜久島雄太君のシーンだった。雄太くんは撮影当時は小五か小四、小太りでよく日に焼けた、島でよく見る子供の一人だ。だが三線を持つと、比類ない安定した演奏と、幼い頃から鍛え上げた声で聴く者を魅了する。年齢とか関係ない、音楽家のパワーが伝わってくる。
 久保田Pと大西監督は、宮古の古謡の後継者が非常に少ない、神事も途絶えてしまった地域がいくつもあることに危機感をおぼえ、このプロジェクトをスタートさせたという。映画に登場する歌い手に高齢者が目立つのも、本来中心的な担い手となる壮年層が激減しているせいだ。だから雄太くんが登場すると我々観客はホッとするのだ。世界でもここにしかない貴重な歌を伝承してくれる若者が現れたようで、救世主を見るようで安心するのだ。
 雄太くんの雄姿は映画のハイライトの一つである。見ているだけで握り拳がギュッとなるライブシーンを、ぜひその目で見てほしい。

 映画後半の山場は、オバア三人組をはじめとする歌い手たちが飛行機に乗って、東京・赤坂の草月ホールで行われるライブに出演するところだ。二〇〇九年七月のことだ。
 なにしろ、オバアトリオはアラウンド・ナインティだから長距離移動のストレスだけでも心配だ。見ているこちらもヒヤヒヤする。場内は満員御礼、高いところから降ってくる照明が大ステージだということを体感させる。オバアたち、大丈夫か……歌ってて死んじゃうんじゃないか?なんて。
 しかし、三十年以上前に一所懸命積み重ねた稽古はオバアたちを裏切らなかった。その声は圧倒的な存在感と説得力で、大都会の聴衆をねじ伏せたのだった。そして不思議なことに、映画を見ている僕たちは、オバアたちが何を歌っているのか段々とわかってくるのである。いや字幕がついてても本当にわかったわけじゃないからそれは言い過ぎかもしれないが、オバアたちが大切にしてきたものが何か、わかるような気がしてくるのである。そうすると、ただの長い唸り声に聞こえていたものが、リズムでありメロディでありハーモニーであると感じられるようになってくるのだ。退屈でも意味不明でもない、生き生きとした歌に聞こえてくるのだ。オバアたちの歌を「心地よい」と感じている自分に気づいたとき、電撃に撃たれたような、自分の中の何かが変わったような感覚が身体を走り抜けた。

 中央公民館のパイプ椅子の観客席、僕の隣には知らないオバアが座っていた。スクリーンから歌が流れてくると、隣のオバアも頷いてリズムをとりながら小さな声で歌うのだ。観客席のあちこちからこうした歌声が聞こえてくる。あるいは「あの人はどこそこの誰さー、ン十ン歳だよねー、亭主は誰々でさー、今も元気さー」などと詳細な登場人物解説(?)が聞こえてくる。誰かが画面に出てくると、場内の一部が異様に盛り上がる。あっちの方が、今度はこっちの後ろが、と盛り上がりには地域差がある。それはつまり、登場人物の知り合いが集まって座っている場所の違いだ。
 騒がしい環境だ。だが、この映画を見るのに世界で一番適した環境じゃないかと思う。とくに歌のシーンでは場内あちこちから声が合わさり、勝手にサラウンドになるのだ。ドルビーサラウンドやDTSよりすごいぞ。
 この映画はドキュメンタリーだから、目に見える物語はない。だが、この映画が生まれた背景には何千何万もの島人たちの物語があったことが、何の知識もなく観ていただけの僕にも伝わってきた。
 オバアたちの顔には深い皺が刻まれている。長い人生の間に経験した苦しみや悩み、哀しみが皺を刻みつけたのだ。私の人生は苛烈なものだったよ、夫の愛人から庭の土を投げつけられて罵られたこともあった、と淡々と語るオバア。彼女たちが背負ったものが、彼女たちの歌と関係ないなんてことがあろうか。とても重厚なものが会場内に満ちていた。でもそれはとても温かかった。

 映画が終わって、スペシャルイベントとして出演者の何人かがステージで歌を披露してくれた。僕たちは伊良部島に戻る船の時間があるので譜久島雄太くんが歌っている途中で公民館を後にした。
 帰りの高速船はチャーターで、切符は不要だった。ちょっとびっくり。スマートで綺麗な高速船は満席で、映画帰りの人ばかり。中には出演者もいる。誰かがリクエストしたのか、即興でクイチャーを踊ったりして盛り上がる。船はアッと言うまに佐良浜に着く。出演者のハーニーズ佐良浜(大主神社の神司だった人たち)の一人が、みんなに「映画観てくれて、ありがとうございました!」と頭を下げた。いえ、それはこっちの台詞です。素晴らしいものを見せてくだすって、ありがとうございました。東京でやるときも必ず見ますよ。

映画「スケッチ・オブ・ミャーク」
製作・監督・撮影 大西功一
原案・監修・整音 久保田麻琴

出演
久保田麻琴
長崎トヨ
高良マツ
村山キヨ
盛島宏
友利サダ
本村キミ
ハーニーズ佐良浜
浜川春子
譜久島雄太
宮国ヒデ
狩俣ヒデ ほか

2011年/日本映画/ドキュメンタリー/104分/HD/16:9/カラー/ステレオ
二〇一二年から全国公開の予定だそうです。インディペンデントでしかも記録映画なのでなかなかメジャーにはならないかもですが、どうか気にしてみてください。

(※もうちょっと後があります。つづく)