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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

市川寛氏を見た!――公開シンポジウム「検察、世論、冤罪」

 昨日、駿河台の明治大学で「検察、世論、冤罪」と題されたシンポジウムがありました。主催は明治大学大学院情報コミュニケーション研究科2011年度研究科フォーラム、だそうです。
 大変興味深いシンポジウムでした。参観してきましたので、自分のメモを残しておきます。現場でiPhoneに記入してたメモなので雑で申し訳ないところですが。
 なお、当日の模様はニコニコ動画Ustreamで中継され、現在は録画を視聴できます。

総合司会: 江下雅之(明治大学情報コミュニケーション学部教授)
司会:   岩上安身(フリージャーナリスト)
パネリスト:郷原信郎名城大学教授・弁護士・「検察の在り方検討会議」委員)
      山下幸夫(弁護士・元最高検察庁アドバイザー)
      山口一臣週刊朝日前編集長)
      八木啓代(「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」代表)
サプライズ:市川 寛(弁護士・元検事)

※以下は僕のメモです。文責はあくまでも僕にあります。------------------


■各パネリストによる10分ほどのスピーチ


八木啓代日本とメキシコに生活基盤があり、ラテン歌手としてメキシコのレコード会社と契約している。メキシコと日本の二重生活で気づいたこと。2005年メキシコでそっくりなことが起きた。メキシコ前市長アンドレス=マヌエル=ロペス=オブラドール(アムロ)が大統領選に出た際の事件。選挙戦は圧倒的優勢で政権交代寸前だったが、アムロ候補の金銭授受疑惑ビデオが流される。「政治とカネ」バッシングが始まる。あやふやな証言。検察の暴走、些細な土地取引疑惑で逮捕。被選挙権剥奪寸前。新聞はアムロ擁護の論陣を張り、100万人デモ。政府は訴追断念。
 メキシコの検事総長は大統領が任命する、そのため構図がわかりやすい。検察の独立を求める世論。しかし何からも完全に独立した検察は果てしなく暴走する可能性もある(与党の政治家も逮捕する)。
 村木さん事件。前田検事個人の暴走なのか? 特別公務員職権濫用罪がふさわしいが最高検は起訴しない。
 中南米の音楽家は政治参加するのが当たり前。「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」を募って告発、受理されるも東京第一検察審査会から「不起訴相当」の議決。


郷原信郎「検察の在り方検討会議」のメンバーとして特捜検察の問題を指摘してきた。大阪地検事件はそれが的中したもの。だが大震災が検察問題の変革可能性を洗い流してしまった不幸。検察問題への関心が薄れると「検察は正義」の空気が蘇ってしまう。
 検察の世界と大相撲の世界はよく似ている。閉鎖的、世界が狭い、仕事の中身も狭い。伝統的な犯罪、その中で事実認定できればよい。組織の中で完結。その結果、社会との間に不適合が生ずる。大相撲の賭博・八百長発覚と、検察の不祥事は酷似。
 また原発事故との共通点。「絶対安全」神話、神話の維持に心砕く。新たな安全性の追求は過去の事績の否定になるのでできない。「検察の正義」も神話化していたので、組織の自己浄化ができない。不利な証拠は出さない、から証拠の捏造へ。神話が冤罪という災いを招いた。「検事は悪いことをしない」という神話。
 検討会議は郷原江川紹子の反対に関わらずスケジュールに従って3月末に結論を出されてしまった。震災後、福島に拘束中の被疑者が一斉に釈放された。これは検察・裁判所に期待される行動とは正反対だ。


山下幸夫:(裁判所の在り方への疑念)検察審査会の法改正、強制起訴に関わる弁護士の審査補助員マニュアル作成に携わる。
 小沢強制起訴はまったく想定外。検事は「どうせ不起訴でもいずれ審査会が起訴する」と嘯く。検察審査会ブラックボックス。審査補助員がリードすれば審査会は左右される。また審査会では検察官の話を聞かねばならない。一見民主的だが…。審査補助員(弁護士)の選ばれ方も不透明。
 審査会による前田元検事への「不起訴相当」も、あまりにも検察の意向に沿ったもの。検察審査会は検察を縛るものではなく、検察を補完するものになっている。検察の在り方検討会議も、終盤一気に官僚主導・問題先送りの提言書に堕してしまった。取り調べの可視化も先送り(民主党の変節?)。


岩上安身:中継を見たTwitterの書き込み。「安全デマ(原発)、正義デマ(検察)、不偏不党デマ(記者クラブ)」と。


山口一臣(メディアはどのように検察に加担しているか)検察問題の大半はメディアの責任。ジャーナリズムの責任は権力の監視。が機能していない。
 ライブドア事件。検察家宅捜索が入った後、週刊朝日は「堕ちた虚業家」のワイド組む。その後軌道修正したが…。メディアの罪とは、検察が目標にした人物の虚像を作ること。ライブドアの事件捜査の問題点をラジオで喋ると、ラジオと週刊朝日に抗議殺到。「だってあいつ悪いだろ、タレントと付き合ってるだろ、そんなやつ庇うな」。
 ホリエモンの悪イメージはメディアが作った虚像虚構。「堕ちた虚業家」のイメージは売れる、それを検察も見逃さない。これを捕まえれば世論も溜飲を下げ、応援してくれる。
 本当に堀江は実刑相当の罪を犯したのか? 刑務所に送っていい、という世論を醸成したのはメディアの罪。
 だけど、こと検察報道についてはメディアは昔より良くなった。1993年のゼネコン汚職のとき、検察のストーリーは事実と違うのではないかと誌上で「暴走検察」をキャンペーン。当時検察批判は新聞社ではあり得ない、しかし駆け出しの記者ですら透明な目で見ればわかること。それが組織の中にい続ければわからなくなる。「なんでこんなことをわかってもらえないのだろう?」と呟きながら働いた。社会部の記者から無視され、編集部でも目立つこと日するなと冷や飯食った。
 三井環による裏金告発事件は、裏金は現場レベルではみんな知っていた。顔出し記事、新聞キャンペーン、THEスクープとの連携を取ったが、三井環逮捕からガラッと変わり、連携してた新聞社会部が三井環誹謗に走る。三井の個人的なマンション投資に対して「ローン一億円以上」のなど煽情報道。
 本来は権力をチェックするのがジャーナリズムの働き。だがメディアは「検察は正義である」神話を強く信じている。意図して検察に味方しているのではないが、捜査機関はメディアに取って情報の源泉。他紙に抜かれるプレッシャーの下で検察に寄り添い、検察のストーリーに乗った記事を書いてしまう。陸山会西松事件では「小沢は絶対やってるから軌道修正したほうがいい」とまで言われた。


市川寛:(昨日のTHEスクープで佐賀地検で次席検事から受けた強要と、容疑者に吐いた暴言のことを告白。検察の新人教育、取調べについて証言)平成13年、検事8年目に三席検事として主任検察官を務めた佐賀農協収賄事件。暴言で調書の任意性を毀損し敗訴。厳重注意で辞職。なぜ暴言を吐く検事が出来上がるのかを証言する。
 平成5年横浜地検に任官。先輩検事から「ヤクザと外国人に人権はない」と教わる。外国人は日本語が分からない、日本語であればどんな罵倒してもいい。千枚通しを外国人被疑者に突き付けて自白させる。被疑者を壁に向かって立たせ無視する。「“どうだ言う気になったか?"と言えば自白する」。
 特捜検事だった上司は、生意気な被疑者は机の下から蹴る、それが特捜部のやり方と。被疑者の取調べ方、被疑者は何も言わないのに検事が喋り、速記録に署名させる。「これはお前の調書じゃない、俺の調書だ!」と。若い検事より事務官の方が経験豊富。事務官の同意の下、上司に万策尽きたと電話したら「あ?知らん」と切られた。自白調書を取らないと家に帰れない、と追い詰められる。
(iPhone撮影なので見づらくてすまんです)
 検事は兵隊に喩えられる。私は初めて強要した自白を取ったとき兵隊になった。そして8年目、暴言で自白の任意性を失った。
 東京地検で教育を受ける新人検事に対して「バッジを外せ」と迫る教官。体育会系。それを肯定的に受け止める新人検事。お前の代わりはいくらでもいる、と決めつけるのが検察庁。最後の数年は上司に逆らう検事になれたが。
 検事には次の種類がいる。検事としての良心に従える検事。正反対に上司から言われたことはなんでも従うロボット検事。あるいは、逡巡しながら従う半端者検事。悩み苦しむ。人を殺した悪夢に苦しむ帰還兵と同じ。自分は半端者。だからこそ償いとして、検察の内側を晒したい。


■クロストークの一部を抜粋
岩上:郷原さんはどんな検事だったのか?
郷原:自分は半端者検事。市川さんの3倍検事をしてきたが。この世界にはついていけない、とずっと思ってきた。特捜でも「取調べで結果を出そう」とは思わぬようになった。自分なりに切り開いたのが地方での独自捜査。ある空気がある、そういう組織。
岩上:(市川さんへ)具体的に暴言とは?
市川:自分の名前で検索すれば出てくるが、「ふざけるなこの野郎ぶっ殺すぞ」。暴言吐いたことを法廷で証言した後テレビに突撃取材された。その後同僚から「運が悪かったですね、あんなこと誰でも言ってますよ」と言われた…。
山口:新聞社の内部は特捜ほどひどくはない。目先にとらわれて間違うことはあるけれど。
 なんでこういうことが世間に出なかったのか、それがメディアの問題。ゼネコン捜査の際、暴行検事の存在が露見したが、それを特別なケースとして報道したことが問題だった。ほんとは氷山の一角なのに。
 大鶴基成検事が検事志望者に向けて書いた「闇の不正と闘う」を読めば、検事という人たちがどういうメンタリティかわかる。この時代に郷原さんがいてよかった。最初に普通の会社に勤めて世間を知っているから。


※メモはここまで。------------------------
 元検事の市川さんの証言は、ほんとに衝撃的でした。これは「取り調べの可視化」が進まないわけだよ、と実感します。
 組織の中で生きるために自分を曲げなきゃイケナイ、というのは(検察の人たちほどじゃないけど)僕も会社員時代に幾度も経験しました。出版物は商品ですが、人々の目に晒し、図書館などに残っていく社会性のあるものです。それを作るに当たっては会社の利益も大切ですが、公共性も忘れてはならない。しかし公共性に背を向けた仕事をすることが多々ありました。思ってもいないことを本にする、ウソだとわかっていることも出版する、ということだってあり得ます。そうして市場に有象無象の商品を供給し続けた結果、出版市場はぱつんぱつんに膨らんで破裂寸前です…。
 上は政治から司法、行政。あるいは東京電力を筆頭にした経済。下は「エスキモーに冷蔵庫でも売ってこい」と言われる営業マン。内向きの論理、外に出したら恥ずかしい正義があちこちに目立つ、辛い世の中です。そんななか、自分のしたことに真摯に向き合い、それを言葉にして伝えていこうとする市川寛さんの姿は清冽でした。