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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

近況…地震とか、仕事とか、Twitterとか

 ご無沙汰していました。地震の前からほとんどブログ更新しなくなっていたのですが、いつかまとめてやらなきゃと思いつつそんなことできるわけなくて、そして地震の日が来てすっかりうろたえてしまい何もできなくて、とうとう今日になってしまいました。
 外は四月の柔らかい春の日差し、公園や遊歩道には桜が満開です。遠くの空の下では原子炉が燻り続けてて、地面は思い出したようにゆらゆら揺れます。晴れた空からは放射性降下物が降りてくるかもしれません。
 不思議な日常になってしまったものです。
 誰に読んでもらいたいわけじゃありませんが、自分のここ一カ月のことをメモしておきます。


■3月11日まで――再び働き始めた
 会社を辞めてからずっと雇用保険の失業給付をもらってぶらぶらしていたわけだけど、正直、肩身の狭さにうんざりしていた。誰に気兼ねしてるってわけじゃないけど、こういう状態だと酒飲んでも美味くないのだ。損な性分だ。
 縁があって「こういう仕事あるけど興味ある?」と言ってくださった方がいて、やってみようかな、と思い始めたのが1月下旬頃。2月に入って見習いとしてぽつぽつ仕事を受け始めた。
 空いた時間に自宅のPCでできる簡単なお仕事です。身分は業務委託みたいなもんで、いわゆる不安定労働。会社員時代のような手厚い手当はないし、報酬自体も高くはない。来年の今頃この仕事があるかわからないし、来月とか明日の仕事も保証されてるわけじゃない。仕事自体も、エディタに向かってひたすらタグを打つといった、「ドカタ」と揶揄される「ITゼネコンの最末端」みたいな作業だ。
 でも僕はこの仕事が気に入っている。働いた分だけしか報酬にならないけど、前に会社にいた時のように何だかわからないけど残業したフリをしてても高額な時間外手当がもらえる、といった不健全さとは無縁だから(今は会社も残業したフリなんかできなくなったと思いますが)。働くのが気持ちいい。
 2月といえば確定申告だ。申告受付の直前に、ちょっと気が早いかなと思ったけど個人事業主の届けを出すことにした。実は自営の届けを出すことはハローワーク的には就職したのと同じなので、失業給付の支給日数が規定以上残っていれば再就職手当がもらえるのだ。もちろん失業給付はこれで終わりになるけど、支給114日を残していた僕はちょっとした額の就業促進手当をもらった。仕事で使うPCとソフトが賄えた。
 新しい仕事は突発的な発注もあり、晩飯食った後にいそいそとPC開いて仕事することも多いけど、電車に乗って会社に出向く必要がないとか、今まで通り夕方は家事に充てられるとか、ありがたいことが多い。何より、会社に雇われていないという状態が心地いい。もちろん業務委託してくれる会社さんがあっての仕事なので、誰にも頭を下げないとかいうわけじゃないけど、この開放感は何なんだ?(受託先会社が気持ちのいい人たちばかりだってことも重要かも)
 そんなわけで、趣味の旅行をして帰ってきたら急ぎ仕事が入ってて慌てたりとかってけっこう楽しく忙しく2月は過ぎたのだった。


地震! 東京逃亡
 3月11日は受託先会社の小さなオフィスで研修だった。午後、長くて大きな揺れが来た。たしか先週研修に来たときもここで地震に遭ったな、またか。と思っていたら、先週よりずいぶん長い。揺れが続く中、オフィスの防火扉を開けに行き、PCを抱えて机の下に潜った。いつ終わるの?と恐慌を来し始めた頃、揺れは収まった。
 外に出てみると国道は普通に流れている。車道左端のバスレーンをパトカーがサイレン鳴らして駆け抜けていくのだけが異様だが、営業車と配送トラックの多い普通の平日の国道の佇まいだ。そのままオフィスに戻って研修と実習を続け、夕方になった。
 さて帰ろうか、と荷物をまとめると「電車が全部止まっている」という情報が。家まで10キロくらいと近かったので、歩いて帰ることにした。仕事仲間と一緒に雑談しながら歩いたのだけど、段々と地震の尋常ない有様が見えてきた。
 硝子屋さんの作業場では大きな板ガラスが砕け散っていた。私鉄は改札を封鎖しただけでなく、踏切の遮断機も下ろしっぱなしで、線路に人が入らないようにしていた。自動車が踏みきりで立ち往生していたが、あれはどうなんだ?と思っていたら、狭い道から幹線道路の出口へは長い長い渋滞が起きていた。
 幹線道路はもう長いこと1ミリも動いてないようだった。このままアイドリングしているとガス欠になる車もいるだろう。スマートフォンで交通情報を見ると都内の幹線道路は全部真っ赤だ。パニック的な渋滞だ。
 仕事仲間は歩きながらラジオを聴き、Twitterを読んでいる。「福島の原発で冷却装置が動いてないってよ」。僕はその意味がよくわからなかった。「非常用のバックアップシステムとかあるんじゃないの」「それがダメらしいんだ」……。
原発震災、ってのがあるんだよね」。彼は言葉少なに語った。そうか。でも今は何より家に帰らなきゃ。
 住宅街の裏道を行き、やっと家の近くの幹線道路にまで来た。路地を出て横断歩道はどっちかなと見ると、もの凄い数の人、人、人。この時の歩道はコンサート直後の日本武道館の出口より混んでいた。さっき聞いた“原発震災”という言葉が頭をよぎる。もし東京から歩いて脱出しなきゃいけない、なんてことになったら、こんな人混みが延々と箱根を越えて続くのか? それは怖い!と反射的に思った。
 地震の日の夜から次の土曜、そして日曜と、津波の被害や原子力発電所の大事故の様子が全貌を現し始めた。とくに福島第一原子力発電所の1号炉が空焚き状態、という報道から爆発(水素爆発)したという報道に変わったのにはショックを受けた。炉心溶融とは違うから…と自分に言い聞かせたが、知識が乏しく体系だって考えられないので不安はいや増す。
 実はこの週、前々から予約していた航空券で旅行に出かけることが決まっていた。行き先は西なので震災とは無縁だ。不都合はないはず……と思ったが、こんな時期に遊びで外出するのか、という根拠のない不安が頭をもたげる。遊びに行ってる間に原子力発電所が最悪の事故を起こしたらどうするのか。
 今考えると僕は常軌を逸していたのだろう、家中の容器という容器に水を溜め、アルミサッシの桟など住居の開口部を粘着テープで目張りしたのだ。これ言うの恥ずかしいけど、ちょっぴり買い溜めもした。砂糖を2袋買ったのだ。経口補水塩、という記事を読んだので。
 そして、帰りの飛行機が飛ばなかったり、羽田に降りられなかったりしたら西日本にある実家に逃げよう、とスーツケースの底に生命保険証書とクレジットカード全部を詰めた。
 旅行に出かける朝、荷物を出すと玄関ドアをテープで目張りした。帰ってきてこれを剥がすのはいつになるのか? 予定通り数日後だったらいいけど、何カ月も何年も後だったりしたらどうするよ。非常持ち出しを使うこともなく。せっかく引っ越してきた街なのに、もうお別れになるかもしれないのか。震災で一瞬のうちに家を失った人たちに比べたらこんなの甘っちょろい感傷にしか過ぎないかもしれないけど、家を失うかもしれないという不安、恐怖の一端を僕はこの時かなりリアルに感じた。 There's no place like home.


Twitter、キュレーション、デマ
 旅行は楽しかったが、普段と違ってやはり地に足が付いていなかったのか、ポカが多かった。あり得ない重要書類を落としたり、何度もチェックしたのにホテルに忘れ物したり。こんなことなら旅行なんて出るんじゃなかった、と思った(落とし物はすぐに戻ってきたけど)。
 旅行中、とりわけ僕の心をざわつかせたのはテレビに映る震災の様子(とくに原子炉)と、Twitterだった。
 Twitterでは僕は二百人ほどしかフォローしていないのでタイムラインはけっこう偏っている。それと僕はTwitterに少々飽きて去年の秋くらいからほとんど見なくなっていた。で地震直後から久しぶりに見てみたのだが……なるほど、「炎上しないメディア」と言われるだけあって、みなさん割りに冷静にこの地震・原子炉事故についてツイートしてらっしゃる。さすがだ。誰も弱音を吐いてない。
 僕はそんなに心が強くないし、弱音を吐くのを隠さないたちだ。だからタイムラインから浮くだろなぁと思いながら、「原発事故の推移が怖い」「いま動いてる原発は直ちに停めたほうがいいのではないか」とツイートした。そしたら「不安を煽るな」「代替案なしで原発停めろというのは誰でもできます」「うちの会社では代替案なしの提案は認められない」「電気なしで生活できますか」「電気も原発もないところへ引っ越してください」「原発で必死で対応してる人たちは命がけです」といったリプライが返ってきた。
 そうか、みんな凄いな。怖い、という自然な感情の発露はいけないことだったのか。などといろいろ思った。
 僕の感情とは関係なくタイムラインは進んでいく。Twitterの有名人である佐々木俊尚さんは震災直後から錯綜する震災情報をキュレートするとして精力的にツイートしていた。また「落ち着いて普段通りに暮らすことが大切」「被災地産品の消費も支援になる」とも。まさしく落ち着いていた。
 宮台真司さんと東浩紀さんはちょっと違ってて、宮台さんは気をつけろ、大規模な避難も考えろ、と緊迫したツイートが多かった。東さんは「東京はまず安全だと思います…僕は脱出しました」とツイートした。脱出といってもたった数日伊豆に行く程度だ。そこへ三島沼津あたりを震源とする地震が起きたので2ちゃんねるやタイムラインは「東浩紀の避難先を地震が襲う」との揶揄で盛り上がった。
 Twitterはどんなに一所懸命読んでも、まったく安心できなかった。みんなが冷静を装っていたように見える。佐々木俊尚さんは落ち着いてキュレートしていたかもしれないが紹介される記事を読んでもちっとも安心できない。むしろ「落ち着け」と諭されるたびにイライラが募った。
 原子炉が1機だけでなく4機、危機的な状況で、おそらく炉心溶融したものもある、と濃厚になった頃、タイムラインも荒れ始めた。不安をツイートする人が増え、ギスギスしてきたのだ。
 驚いたことに、タイムラインが荒れてきたのを見て僕は自分がホッとしているのに気づいた。ああ良かった、オレが臆病なのは異常じゃなかったのね、というか。初めて不安を共有してもらえたというか。
 今考えると、地震直後の驚くほど冷静なタイムラインは、やはり異常だったのだ。みんなが不安を抱えていたはずなのに、その不安を押し殺して冷静でクレバーな自分を演じていたんじゃないか。僕はその不自然さにイライラし、不安を口にした。厳しいリプライをくれた人たちは、懸命に冷静でいようとしているのに無思慮に不安を口にする隣人がいる、そこに苛立ったんじゃないか。僕がそっちの立場だったら苛つくのは確実だしな。
 原子炉の事故からも1カ月経ち、その間には冷却水喪失の危機があったり、放水で冷却に成功する劇的な展開があったり、炉心の放射性物質が外部に漏れたりといった重大な“事象”も続いた。関東の水道水からも放射性物質が検出された。これらに対する不安を口にすることはもうタブーでもなんでもなくなった。「安全デマ」という新語も生まれた。
 僕は結局、自分のタイムライン上で共感できた有名人は宮台、東、竹熊健太郎さん、そして津田大介さんあたりだった。津田さんはわりと行動はマッチョだが、無理はしないのと柔軟な物腰がツイートから感じられるので好きなのだ。宮台・東・竹熊の各氏は不安を感じていることを隠さない姿勢が好きだった。狼狽しないのは立派なことだが、本心を隠して平静を装ったり、本心と違う発言で他人を導こうとするなんてのは立派なことじゃない。それはウソと紙一重だ。ウソがいかに罪が重いか、それは今回の東京電力の大事故でみんなよくわかったと思うが。ウソをつくくらいなら、自分は狼狽してますよ、と醜態を晒すほうが良い。良いというかベクトル的に正反対だ。比べものにならない。


■揺れる日常への帰還
 結局、飛行機は普通に羽田目指して飛んだので東京に帰ってきた。数日間の逃亡は楽しくもあったけど心細く、避難ということがいかに大変かちょっと理解できたのだった。だから僕は東京から避難する人を笑わない。避難を余儀なくされている被災地の人たちを思うと心がきりきり痛む。 There's no place like home.
 旅行中、どんなにテレビを見たりTwitterを読んだりしても落ち着くことのなかった僕の心だが、心の底からホッとしたのは、「副島隆彦の学問道場」の「強運により、原発事故の凶悪事(強度の放射能汚染)から日本国民全体が、逃れることができました。 2011.3.20」を読んだときだった。思想・言論界の狂犬、副島隆彦が事故った原子力発電所を望む場所まで近づいて、「もう、核分裂の進行も、メルトダウン炉心溶融)の進行も、再臨界(さいりんかい)も、水蒸気爆発も起きないでしょう」と断言していた。
 副島さんは、汚い言葉になってしまって申し訳ないのだが、やっぱり狂犬だと思う。いや犬よりもっと大きく強いものに喩えたいのだが思いつかない。すみません。
 冷静に、クレバーに、東京でPCに向かって議論している人たちと違って、狂犬はガイガー計数管一個を手にして現場に突入した。そして現場の状況を自分の目で見て伝えて、自分の責任で「もう危機は去ったと思っていい」と言ってくれた。これがどれだけ大きな行為だったことか。大きな心での行いだったことか。千とか万の有用情報をツイートされるより、僕はこの一つの言葉でないと救われなかった。
 同じ文中には、

 私が、時々、抱いて寝ているラジウム鉱石は、88マイクロシーベルト毎時(88μSv/h)も ある。 だから、2〜10マイクロ(μ)シーベルト毎時 ぐらいの放射能は、幼児や少女であっても、普通に背負って、健康に生きて行ける 数値なのだと、私たち、日本人は、今後は、居直って、生きて行く国民になるべきだ。

 そうしないと、日本国民全員が、今度の原発事故で、「日本人は、放射能汚染された国民だ、民族だ。日本は放射能で汚れた国だ」と世界から言われ続けることになる。私たち日本人は、強くならなければ生きて行けない。

今も大地震の余震が、全国各地で、続いている。震度3ぐらいは平気だ。 震度4でも5でも、6でも、家は壊れないと日本人は皆で、分かったののだから、もうそれを恐怖しないで、平然と生きて行ける民族、国民にならなければならない。

 とある。これは厳しい言葉だ。少々の放射線は恐れずに生きていけ、と。彼の言葉には「ただちに健康に影響はない」とか「放射性物質よりたばこのほうが危険」といったよく見かける言葉とは違う覚悟がある。深い諦念と、しぶとい執念がある。スマートでもクレバーでもないが、雄々しい力があると思う。僕はやっぱり副島隆彦が好きだ。


 東京に戻り、先月から始めた仕事を淡々と続ける毎日に戻った。玄関や窓を目張りしたテープを剥がすと粘着材が残ってしまい、それを溶かして除去するのが大変だった。風呂場に蓄えた水の周りのタイルは黴びた。掃除した。
 地震から2週間経つとテレビも緊急ニュースばかりじゃなくなってきた。「朝まで生テレビ」では勝間和代池田信夫原子力の平和利用を力説していて驚いた。
 勝間和代は「チェルノブイリは小児の甲状腺癌が増えたくらい」と言ったようだが、もの凄い考え方だなあと感心した。池田信夫Twitterでも「原発は自動車より遙かに安全」と書き続けている。池田信夫と関係の深い言論系ブログ「アゴラ」に寄稿した「金融日記」の人は、

それゆえに原発を止めて、核燃料廃棄物を適切に処理し、廃炉にすることは極めて難しく、その技術もまだ確立されているとはいえない。一番安価な方法は、原発に制御棒を入れ、核燃料の余熱を管理しながら稼動させ続けることだ。そんなリスクのある「発電しない原発」、つまり何の経済的な恩恵もない原発を抱え続けることに何か意味があるのだろうか? 地元住民にとってもそれは決していい選択肢とはいえない、と筆者は思う。

と書いていた(「原発を擁護する」)。停められないから動かす、動かすなら発電すべき、というのだ。これじゃ未来永劫停められないだろ。出口戦略とかって言葉が大好きな、賢そうな人たちが、こんな堂々巡りの破綻した論理で原発を擁護している。こんな人たちに擁護される原発が哀れだ。
 この人たちに共通しているのは、金融経済をベースにものを見ていることだろう。金融は乱暴な世界で、お金が殖えるんだったら戦争でも地震でも別に問題ない、という論理で動いている。金融の世界の善は「人々の幸福」にあるのじゃない。「富」にしかないのだ。だから「幸福のために原子力発電所を停めよう」といった発想はまったくできない。まったく不自由なことだ。自分の頭の良さに自縄自縛されるとは。


 震災から1カ月経って再び余震が頻繁に起きている。まだ日常へは戻れない。いや、“揺れる日常”に戻るしかないのかも。被災地の人たち、原子炉を冷やしている人たちにも日常が戻りますように。とりあえず個人的なメモ。