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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

義挙なのか、愚挙なのか——例の海上保安官

 もう1週間も前のニュースに言及するのは気がひけるのですが…。例の巡視船vs中国漁船の動画をYouTubeに投稿した海上保安官について、感想を述べたくなって。遅まきながらひと言。


■あの男、なんだか他人に思えないw
 僕のような者から「あんた、他人に思えない」と言われると“彼”も迷惑かもしれませんが、「世間が知りたがったアレを漏らしちゃいました」という軽率な行為が、“たぬきち”と似てるなぁ、と思うのです。軽率です。彼も、僕も。
 ただ、もしも僕が彼の職位にあったとしたら、彼と同じようにはできなかったと思う。
 彼の場合、投稿に使ったアカウント名だけが彼をアイデンティファイするものであり、投稿した動画そのものには彼という個人の痕跡は何も残していなかった。個人の痕跡を消して動画をYouTubeにアップした……匿名を貫くあたり、なんだか2ちゃんねらっぽい行動形式ですかね。
 僕は自我を滅却できないので、彼のように無個性ではいられない。僕なら、同じ動画を投稿したとしても、犯行声明をつけたり、職場(海保)でこの動画がどのように受け止められているかをコメントでつけたり、視聴者の反応が知りたかったり(YouTubeじゃなくてニコ動に投稿したかもね)したと思う。
 僕よりちょっと若いらしい海上保安官の、たぶんそれは自制だったんだろうな。自分の痕跡を残さなかったのは。
 だから彼のやったことは言論活動じゃなくて職務規程違反として受け取られてしまった。そう思います。


■義挙と愚挙は違うモノなのか?
 政府が一般公開していない動画をYouTubeに投稿したことについて、僕はあまり世間の評判を知らないのだけど、一部には「国民の知る権利に応えた義挙だ」と評価する向きがあり、一方でオーソリティのあるメディアは「政府の情報管理をないがしろにした、文民統制を脅かすテロ行為、威信を失墜させた愚挙だ」とメタメタに言われているそうですね。僕は朝日新聞佐藤優さんのコメントを読んだだけですが、彼はいま在野の人なのに政府の代弁をしてるみたいに説教カマしてましたね。
 彼の行為は義挙と受け取っても愚挙と放り捨ててもどっちでもいい、僕はそう思います。
 もともと義挙と愚挙の間に確乎とした境界があるように、僕には思えない。
 どちらも「尋常な道を踏み外した行為」であることには変わりないから。それが義なのか愚なのかは見た者が判断すればいいことです。


狩撫麻礼が予言した未来がやってきた
 先日、祖母の仏壇…じゃなくて祭壇にお参りするために帰郷しました。そして実家の二階にある僕の昔の部屋で昔々の本を読んだりしてました。80年代のマンガっていいなあ、なんてね。
 狩撫麻礼かわぐちかいじの『ハード&ルーズ』という探偵マンガをご存じですか? 80年代的なバブル経済が立ち上がろうとする頃、どうしてもそれに乗りきれない団塊世代の私立探偵が主人公の連作マンガです。
 狩撫麻礼はボブ・マーレイから筆名を取った劇画原作者で、小池一夫門下らしいですね。小池先生も泣かせるト書きが特徴的でしたが、狩撫麻礼もカリブ節と呼ばれた痺れる台詞がいっぱいあります。ちょっと引用してみましょう。『ハード&ルーズ』前半期の挿話「バビロン・システム」より。


 先進国はもはや 人間生活に不要な物 サービスを売るしかない
 第三次産業的様相に 突入した


 イメージで欲望を煽り立て 売り 窮し さらに
 苦肉の商品を増殖し続ける…
 ボブ・マーレイは その無意味にして 必然的な悪循環を
 “バビロン・システム”と名付けた


 この時代を肯定する “明るい囚人”たち


 受験戦争の勝者は
 単なる“バビロン・システム”の
 看守にすぎない


 “バビロン・システム”の
 最大の敵は“感動”である


 感動してしまったら
 人は容易に道を踏み外す


 そして真の自由を 目指しかねないから!!

 二十数年ぶりにこれを読んだとき、僕は「義挙」も「愚挙」も大した違いはないのだと、それは何かがきっかけで道を踏み外したことでしかないのだと、なんだそーゆうことだったのかと、気づきました。
 海上保安官が真の自由を目指したのかどうかは彼個人がいまどう思ってるかも知る術がないのでわかりませんが、彼はやりたいことをやった、ということだけは言えましょう。(彼がどこかの国の意志で操られた工作員だった、という説も一部にあるようですがこの際それは無視)
 この時代、YouTubeニコニコ動画Ustreamもあり、ブログにTwitter2ちゃんねるも健在だし、道を踏み外した誰かが何かをしでかす環境は着々と整ってきました。すごいなと思います。いろんな秘密がダダ漏れしてゆき、世界から情報の高低差がなくなってフラットになったら一体どういうことになるのだろう?
 ネットは今のところシステムを加速させる道具にもなっているし、システムに風穴を開ける役目もしています。たとえば広告業界が持っていた魔法の力を、ネットは無惨に剥ぎ取ってしまいました。いまジャーナリズム業界が持っていた力がネットの潜在力に侵されている、と言ってよいのかな? そして出版資本主義の力も解体されるのかもしれません。


 現在本作は新刊では読めないようですね。
 ブログ題変更の元ネタはこれですw