新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その38 再びみたび、心折れる日々

 あと一週間で失業するたぬきちです。会社に行くのもあと五営業日、そのうち一日休むので正確にはあと四日間。引き継ぎマニュアルを作り、書店さんからの注文電話に「いただいた電話ですみません、実は今月末で退職します」とお詫びしたり、新刊の拡材を作って(最後のご奉公だな)と感傷に浸ったり……と充実していますよ? 充実してるけど……


■再考・会社から「棄てられる」のか
 前回のエントリについたコメント(disco2000さん)が喉に刺さった小骨のように疼いている。「なんか主旨が変わってきてないですか?……いつの間に『会社に捨(棄)てられた』という物語になっていたんですかね???」。
 そう、僕は当初、頑固に「リストラされるんじゃない、自分で希望退職に応募したんだ」と繰り返していた。それに対して「いや、それが『リストラされる』ってことなんだよ」と大勢から指摘され、だんだんと反論するのが面倒になり、「もう『リストラされた』ってことでいいです」とこっそり宣言した。こんなの別に屈服したわけじゃない、世間がうるさく言うから合わせてやってるだけさ、と思っていたが、いつの間にか自分の中で「リストラされる→棄てられる」ってことじゃん、そう書いたっていいだろ、という風になってしまっていた。
 映画の主人公にかこつけて「会社から棄てられる人」などと書いたが、そう書いた瞬間、これまで僕が突っ張ってきた細い心張り棒がぺきっと折れていたのかもしれない。このまま世間の言うままに流されていくと、いつか「リストラされた中年が冷酷非情な会社を告発するブログ!」なんて煽り文句になっちゃうかもしれない。それは本意と違う。僕は野良犬になるつもりで負け犬になっていたのか? しかも自分から。
 いや、負けるのなんか怖くないぞ。いままでだって負け続けてきたんだし、その度に這い上がったじゃないか。「欧米の貴族はなぜ賭博をするのか? それは“勝ち”ではなく“負け”を学ぶためだ(要約)」と昨日のTBS「文化系トークラジオLife」でも言ってたじゃないか……(誰の発言だったっけ?)。負けるのは、悪いことじゃない。
 けど、“負け”と“負け犬”は違うよな。負け犬は、やっぱダメかも。
 俺ってば、いつ負け犬根性になっちゃったんだろ。
 ここはやっぱり初心に返って、「リストラされるんじゃない、自分で決めて退職に応じたんだ」と言わなきゃいかんのかな。どんなにいろいろ言われても、この言葉は大事にしたほうがいいんとちゃうか。などと思うのだった。
 実際、辞める同僚の噂をいろいろ聞いても本意でなく辞めさせられるって人はいないようだし、残りたいと言った人はみな辞めずに残っている。世間で言う肩たたきもなかったし、そもそも半端ない額の割増退職金を提示されている(まだもらってないが)。じっくり考えると、「棄てられる」なんて言うのは大きな間違いですわな。
 そういうわけで僕は「棄てられるわけじゃないみたいですよ?」と改めて思い直すことにした。するとちょっと元気が出た…と書きたいところだが、どうもそうならない。リアルに辞める日が近づいてくると、これまで直視しなくても済んでた不安が鎌首をもたげてくるのだ。


■外の世界、嵐は風速を増している
 僕は「三行半を叩きつけて決然と去る」わけでもない。もう何度も書いたけど、依然として職場や同僚への愛着はある。来週火曜以降もここで働いてるであろう同僚のことを少なからず羨ましく思う。未練たらたらだ。
 こないだまでは「お前らこれからも呑気に働けていいな」などと思っていた。ここに来て引き継ぎと業務の再構築が本格化してき、今までのようにのんびりとは働けないことが徐々にバレてきているわけだが、するといっそう羨ましくなってくるのだ。忙しい地獄のほうが、何もすることがない天国よりもよっぽどいいのでは?と。来月からの何もすることがない毎日、誰とも会話しない日々を想像すると、恐怖で押し潰されそうになる。
 会社を辞めて僕は何をするのか? じっと考えると不安が忍び寄ってくる。
 ハローワークは興味深い施設だった。職員の士気は高く見えるし、利用者が仕事と出会えるよう最大限の工夫がされていると思う。もっとも頻繁に通って使っているうちにアラが見えてくるかもしれないが、それでも言われるほどひどくはない。だけど、ここに通うと自然と「もう一度会社に勤める」ことが前提になってしまうんだよね。それが不安なんだ。
 なぜって、またどこかの会社に所属してフルタイムで働くと、また会社を辞めなくちゃならない時が来たら大変じゃん? 自分の全身をどっかの会社に預ける不安と、どこにも所属しないでいる不安。それが以前と違ってリアリティをもって迫ってくる。
 ブログを読んだ人から「書くのが好きそうだからライターとかになるの?」と言われることがある。そんな風に思われてたなんて幸せだ。編集部にいた頃、非常に優れたライターさんを何人も見てきた。魅力的な人が多かった。僕が彼らと仕事した九〇年代はまだ比較的幸せな時代だったと思う。その後の十年は編集を離れたけれど、書籍の市場環境が格段に厳しくなったのはよく知ってる。刊行点数が増えたが初版は減り、みなの登板機会は増えて仕事量も増したが売上は減り続けている。出版のフルタイマーとして働くのは会社の中にいてもそうだが、外だと格段に不安要素が多い。
 ここに来て、さらに気の滅入るニュースが聞こえてくる。新聞社、五大紙の一角が昨年、僕が働いてる会社よりもずっと早く、百名規模で希望退職者を募った。そして今度は業界トップの新聞社が数百名規模での希望退職を募り始めた、とも。出版では僕が所属する会社以外にも高給で有名だった準大手でリストラをやっている。いずれ三大大手と呼ばれる出版社でもリストラが始まるだろう。ものすごい数の「リストラなう」な人たちがメディア業界から溢れ出てくるわけだ。
 五百人、千人規模で会社組織から外へ出てくる人たちの中には、ものすごく有能な人がいっぱいいるはずだ。それこそたぬきち十匹分くらいの仕事を片手間にこなすような逸材が。そんな人材がフリー市場にいっぱい供給されると人材インフレが起きてしまう。僕なんかの居場所はないぞ。
 あれ? でもそんなに多くのメディア業界の人たちが辞めるのに(自分から辞めるんですよね、やっぱり)、「リストラなう」日記をやってるのはなぜ僕一人なんだろ? なぜだー?
 誰かー! いるなら返事をしてくださーい! 「リストラなーう!」って言ってー?
 僕はほんとにひとりぼっちなのかな? 「アイアムレジェンド」かよ。


■自分をポートフォリオにできるか
 投資の基礎として「資産を四分割して、国内・国外の債券、国内・国外の株式に投資する」という話がある。前にも書いたけど「卵を一つの籠に盛るな」というやつ。
 あれと同じで、僕はもう一度フルタイムの会社員になるのは不安だ。かと言って完全な一本独鈷でやっていくこともどうか。そもそもそんな実力はたぬきちにはない、という話もあるし、フリーになったとしてもこの業界で働くことを選べば会社員時代と同じ不安要因のなかで生きることになる。取引先を何社かに分散することができたとしても、だ。
 この業界は明らかにシュリンクを始めた。会社組織の間ではこれまでとは比べものにならない熾烈な生き残り競争が始まるだろうし、なかで働く個人の間でも競争は起きるだろう。みんなが仲良く高級酒を浴びるように飲む、なんて幸せな状況はもう来ない。そんな楽しみを得られるのは一握りだけだ。それもずっと勝ち続けられるわけじゃないし。
 僕はこの「表現衝動をマネタイズして生きる」という仕事が好きだけど、いっぽうで「従来の業界からできるだけ遠くに行かなきゃ」とも思う。切実に。だから年寄りの冷や水を承知でスクリプト言語を勉強しようなんて思ったりするわけで。SEになろうなんて端から思っちゃいないよ。
 退職がリアルに目前に迫ってきて、僕は、いろんな方角へ歩き出さなきゃ、と焦っている。
 そう、焦っているのだ。文字にしてみてよくわかった。
 僕が行きたい方角は百八十度反対だ。だから歩こうにも身体がすくんで歩き出せない。
 いつまでもこんなブログ書いてないで、一刻も早く動かなきゃ。ともかく歩き出せ。歩きながら考えるんだ。
 これまで有給休暇を取る気にならなかったのは、この不安と向き合う時間ができるのが嫌だったのかも知れない。だが否応なくその時は来る。考える前に、動き出さなきゃ。(つづく)


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