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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その34 野良犬の先輩

 ブログを書き続けて、何か忘れてるんじゃないか?とずーっと気にかかることがあった。書きたい、僕的には書かなきゃいけないことだけど忘れてる。それが何か思い出せない…。
 今日ある人とダベってて思い出した。そうだ、Aさんのこと書かなきゃ! Aさん、元気かな…。


■才人、異能の人
 Aさんと仕事したのは僕が宣伝セクションにいたときのことだ。それまで書籍畑の人しか知らなかった僕は、雑誌の人たちの仕事ぶりを初めて見て驚き、さらにAさんという人を知って驚いた。
 Aさんは長身痩躯、髪は長めでいつも頸部を覆うくらいあった。入社した頃見たときはふつうに黒い毛だったと思うが、その時の彼は茶髪になっていた。ちなみに「茶髪」という言葉をメディアで初めて使ったのはAさんだ、という説を聞いたことがある。そうなのか?
 タバコは吸うが酒は飲まない。余談だがこの会社の月刊誌編集部トップにはちょくちょく「全然飲まない人」がいる。アルコールから自由なのは素敵なことだと思う。僕は今飲むようになったけど、ビールを飲むとうまくブログを書けなくて困るよ。
 長身にふらーりと革ジャンなど羽織って打合せの席に現れるAさん。もうちょっと髪が長ければ後ろ姿はみうらじゅんそっくりだ(事実、同世代)。Aさんがディランやレノンを好きかどうかは聞きそびれたが、彼も魂のどっかにつねにロックを持っている人だった。
 僕が宣伝担当だったのは、Aさんが編集長になったばかりの既婚女性向けファッション誌だった。彼は同誌立ち上げのときから立て続けにヒット企画を飛ばし、「公園デビュー」などの新語を大流行させた。Aさんが作った流行語は十指に余るがここでは書かない。媒体が特定されるからね。でもみんな知ってると思うよ。
 Aさんはカリスマ・モデルやスタイリスト、デザイナーたちとも強い信頼関係を築いていたし、何より同誌をジャンルのトップ誌にしたのはAさんの縦横無尽な企画力にあった、らしい。らしいというのはその頃僕は書籍にいて知らなかったり、うつ病で当時の記憶をほぼなくしていたりしたからだ。だからここからは僕が知ってるAさんの姿と、他の人の証言を併せて書きたい。
 Aさんが激するところを僕は見たことがない。宣伝担当は「編集部ではお客様」だったせいもあるかしらないが、柔和な人だ。宣伝担当はときに無理無体なことを言わねばならない。都合が変わってここをこうしなきゃいけないんですけど。これはやっぱり無理なんで。まだ決まってなくても校了しなきゃ間に合わないです。そんなときAさんは「ん」とうなずくと、さらさらと赤字を入れたりしてその場で即決してくれた(まあ、これは僕が接したファッション誌編集長のほとんどがそうだった。大殿様の薫陶なのかもしれない)。
 酒を飲まないAさんが、いそいそと早めに会社を出て行くときがあった。お急ぎですか?と訊くと、
「うん、今夜は待ち合わせがあってね。僕が行かないとみんなに迷惑がかかるんだ」
 と、足取りも軽く地下鉄の駅に向かうのだ。編集部の人に訊くと、
「ああ、あれだろ。ゲームだろ」
 ? 僕にはなんだかわからなかった。ゲームなら好きな時間にできるはずだろ。
 次に会ったとき本人に訊いた。
ファイナルファンタジーのオンラインだよ」
 どっひぇー。Aさんはいい年してネットゲームにハマっていたのだ。
「僕は治療系の呪文を唱えられるんだけど、こういう職業はなかなかレベルアップしないんだ。だからいつも人材不足。僕がいないとパーティの他のメンバーが困るんだよね」
 どうもAさんは複数のパーティに参加していて、夜な夜な老若男女の仲間たちとネット上で待ち合わせをし、一晩中冒険を繰り広げているらしい。社内の証言者の話。
「Aさんは筋金入りのゲーマーだからね。『バイオハザード コード:ベロニカ』をナイフ一本でクリアしたって伝説の持ち主だから」
 うーん、すげえ。僕もプレイステーション初代の頃はけっこうハマッたしアーリーアダプタだったと思うけど、PS2になると「鉄拳」と「VF」しかついていけなかったからな。「バイオ」は初代ですでに挫折済みだし。
 Aさんはゲームにただハマッてるだけじゃなくて、オンラインゲームを通じて時代の風を敏感に捉えていた。たとえば、後にFMラジオのCMの収録からの帰途、タクシーの中で訊いた話。
「いまネットには中国韓国のパーティが大挙して押し寄せてきてる。彼らと今夜もバトるんだ。中韓のパーティはすごいよ。パワーある」
 当時は中国韓国を下に見て無闇に愛国心を煽る「SAPIO」誌的な言論がリアル世間を席巻していた。そうした言論の送り手がどれだけリアルに中韓の人々と接触していたか、僕は知らない。Aさんのはちょっと違ってて、オンラインゲームという限定された空間ながらリアルに彼らとバトった結果、中韓の人々への見方を構築していたと思う。
 ある時Aさんから内線がかかってきた。「デザイナーの○さんとこ行く?」「明日行きますよ」と言うと、「じゃあ僕の荷物もあるからついでに取ってきてくれない?」と頼まれた。○さんのオフィスに伺うと「待ってたよ。これ、Aさんの。目次だから入稿しといてって」。なんと、取ってくるだけじゃなくて入稿も任されていたのか。
 会社に戻るとAさんはもういなかった。今夜も冒険しに帰ったようだ。
 これって、今風に言うと立派なネトゲ廃人だよなー。
 僕は封筒の中の入稿物を開けて確認し、再び封をしてぽとんと印刷会社のラックに入れた。


■逆風
 Aさんはこんな風だから、紙の雑誌というものを外部から見る目を持っていた。すでに紙の媒体が置かれた逆境をいち早く感じ取っていたのかもしれない。同誌と衛星テレビを組み合わせたコラボを仕掛けたのもAさんだという。業界内ではけっこう早い試みだったと思う。
 宣伝も、従来の電車中吊り・駅貼りポスター・新聞広告だけじゃなくて、乏しい予算をやりくりして何か違う角度から読者に接触できないかと始終考えていた。僕ら宣伝担当は、いいとこアカウント・エグゼクティブの広告代理店にプランを出させるのが精一杯だったが、彼は自分から「こういう媒体はどう?」とプランを振ってくることが多かった。
 その中で実現したのが、FMラジオでのCMだった。J-WAVEで若い主婦層が多い時間帯にスポットを流すのだ。期のはじめに同誌の看板モデルだったMさんに頼んで二十弱のコピーをまとめ録りしてもらい、毎月Aさん自身がMCとなって同誌の特集を伝える。非常に短いものだったが、Mさんもノリノリで、さらに毎月青山のスタジオに通ってAさんとMC部分を録音するのは楽しかった。たとえ声だけでも、編集長みずからが出演するのは当時は珍しかった。別の媒体でAMラジオのCM録りも経験していたが、プロの声優たちの集中した演技は素晴らしいものがあったが、Aさんの自然体のMCも素敵だった。長身から発する低い声は、モデルのMさんの声と好対照をなした。
 宣伝予算というものはいくらあってもやりたいことなんて全部は実現できない。そんな中で従来の自社の宣伝にない新しい攻め口を探すべく、交通広告を大胆に縮減し、いろんなトライをした。地方紙であるK新聞への広告出稿(この会社のファッション誌はどれも関西、とくにK地方発のモードを大切にしていた。後に自分が営業で担当したのはうっすら縁を感じた)。これまでの新聞出稿ではカバーできない読者にアプローチしようとしたN新聞夕刊への出稿。いろいろ、ほんとにいろいろやってみた。
 だが、残念ながら同誌は徐々に部数を落としていった。
 ちょうど業界の引き潮に遭遇したのか。それともコンテンツが読者とシンクロしなくなったのか。広告出稿は相変わらず多いが、それに見合った部数が維持できなくなってきた。これには僕たちがやってきた挑戦的な宣伝が実を結ばなかったということもあるだろう。だが、落ちていく媒体を広告で支えるのはけっこう難しい。言い訳にしかならないが。
 ある日、大殿様がAさんを更迭しようとしている、という噂を聞いた。
 以来、Aさんが喫煙所やロビーの隅で誰かと真剣な面持ちで話し込んでいるのを見かけるようになった。社内のいろんな人に相談していたのだろうか? いや、違う。Aさんはその時はすでに決心していたんだと思う。
 風評ではAさん解任が決定的になったと伝えられたある日、僕とAさんは青山のスタジオで最後のCM録りに立ち会った。ラジオCMを始めてちょうど一年だった。ラジオCMの継続はない、ということは確定していた。
 僕は現場に入る前に紀ノ国屋に寄って、こっそりノンアルコールの飲み物を何本か買っておいた。
 いつものように音楽に乗りながら、MさんのナレーションとスイッチしてAさんがMCをかぶせる。この日も一発で録り終えたと思う。エンジニアがMacで調整してOKが出る。
 みんなで狭いロビーに出たとき、僕は隠し持った飲み物を取り出し、コップに注いで配った。
「お疲れさまでした!…」
 みんなわかっていた。Aさんがたぶんもうここには帰ってこないことを。
 その日、帰りの車中で何を話したか、僕は覚えていない。けど、紀ノ国屋のレシートはその日着ていたジャケットに長らく入っていた。今探したらジャケットが見当たらない。どっかに忘れちゃったのかな?
 Aさんは他部署への異動を告示される前に、会社を退職した。


■野良犬、すこぶる健康
 今日、某所でAさんをよく知る人とダベりながら、なぜAさんが解任されたのかに話が及んだ。
「それは…成績じゃないでしょ。売上落としただけで解任された人っている?」
「じゃあ何だったんですか、原因は」
「大殿様の意向なのは確かだね。Aさんは君も知っての通り、世間が騒ぎ出すずっと前から『雑誌はもうダメだ、これまでと違うものを提示しなきゃ』って言ってきた。電波と組んだのもそうだし、ネットにも明るかった。そういう提案を大殿様にずっとしていた。それがうるさかったんじゃない? 大殿様には」
「じゃあ、癇に障ったってだけ?」
「あと、Aさんはほんとにマルチな才能の人だったから。CDデビュー計画のこと知ってる?」
「聞いたことあります。歌手になろうと?」
「そう、音楽業界からの引きも強かったからね。そういうとこは大殿様には許せなかったんだろうね。とにかく外に向かおうとする人材は嫌う人だったから」
「Aさんとは連絡取ってます? 噂とか」
「賀状は交換してるけどなあ…最近はちょっとチェックしてなかったな」
 僕はドコモの携帯電話を取り出して電話帳を開いてみた。Aさんの名前と番号は電話帳の冒頭にある。
「Aさん、電話替えてないかな」
「大丈夫じゃない? 電話してみなよ」
 僕は残業(引き継ぎ中なのだ)の途中で部屋を抜け出し、こっそりAさんの番号をタップした。留守電だった。
「すみません突然。▽▽です。お久しぶりです、お元気でしょうか? 僕も会社辞めることにしました。またご連絡します」
 席に戻って仕事を続けてると、ドコモのガラケーが鳴った。Aさんだ!
「もしもし、Aさんですか! 電話ありがとうございます!」
「どうしたの、▽▽君も辞めるの? これからどうするの?」
「ええ、来月から野良犬です。会社がリストラやってるのご存じですか?」
「へえ、会社って今そんなに大変なの」どーやら全然知らないようだ。
「ええ。早期退職に応募しちゃったんです。アテは…全然ないですよw」
「そうかあ。僕も辞めたときアテなんかなかったからなァ。で、早期退職って」
「四月にリストラが始まって、五十人近く辞めるんです。Aさんがご存じの人だと、△△さんとかも」
「そうか。君は辞めてからやりたいことあるの? 君何歳になった?」
「四十五歳です。いやまったく五里霧中ですが…今ブログやってるんです、たぬきちって名で。これがやってて面白くて。他のことできないくらい。検索して読んでみてくれませんか」
「うんうん、読むよ。それにしても早いな、君が四十五か」
「ええ、Aさん辞められたときは四十七でしたよね」
「そうだね。まる五年経ったかな」
「それで、お願いがあるんです。Aさんのこと書きたいなって思って。書いていいですか?」
「うん、いいよ。悪口いっぱい書いてよ」
「あはは、ありがとうございます。書いちゃいますよ。それよりちゃんと食べてます? Aさん、ゲームばっかやって、仙人みたく欲望を感じさせなかったから、ひもじい思いしてるんじゃないかと」
「ははは、ちゃんと食べてるよ。そりゃ前みたいにってわけにはいかないけど。でもねえ、自由だよ。会社居たときはストレスで蕁麻疹に悩まされたりしたけど、今はほんとにいいよ」
「お仕事は?」
「うん、事務所があるからね」
「いつかお会いできませんか? 来月になると思うんですが」
「ああ、事務所においで。青山のホンダの裏あたりだよ。言ってくれたら日程開けるよ」
「ありがとうございます! ところでAさんのこの電話、iPhoneですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕もiPhoneからSMS打ちます。二台持ちなんです。これがあればいつでも繋がれますよね」
「うん、連絡してよ。待ってるから。元気でね」
「ええ、Aさんも」
 席に戻ってブラウザを立ち上げ、Aさんの名前でエゴサーチすると結果がいっぱい出てきた。Aさん、いっぱい働いてるんだな。声にも張りがあったし。そして会社が今どうなってるか何も知らなかったのがよかった。きっとAさんは今の仕事で忙しいんだ。
 Aさんが育てた雑誌は、その後の曲折を経て今は若くて意欲的な編集長が就任し、見事再興した。会社の屋台骨の一つになっている。誌面はずいぶん変わったが、Aさんが名付けたという誌名は今も変わらない。
 この日僕は、大好きだったAさんが元気だったのも、自分がAさんのように野良犬になるのも、嬉しくて仕方なかった。Aさんがしっかりやってるからって僕も同じようにできるとは限らない。それはわかっている。何もかもAさんに劣る僕だけど、Aさんと同じ荒野に踏み出せることが今は嬉しくて仕方なかった。(つづく)