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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その28 下々から見た“大殿様”とその時代 後編

 今日は嬉しいことが二つもあった!
 一つは、高橋源一郎さんからTwitterでmentionいただいたこと。直接言葉をかけてもらってやっと気づいた。これだよ、これが欲しかったんだ。「『群像』に書いたから読んでね」と言われたかったんだよ、と気づいたんだ。
 引用ルールについては僕も知ってる。頭では理解していた。でも何か言ってみたくなったのは、何らかのコミュニケーションが欲しかったんだ。だから、僕は高橋さんからの一言で救われた気持ちになった。ありがとございます、高橋源一郎さん。
 せっかくだから「日本文学盛衰史」への感想も述べさせていただきます。「現代詩」の場は失われてしまったかもしれないけど、いまの若者は詩を詠み、詩を楽しみ、その場を共有することに熱狂してると思いますよ? 僕はTBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」のファンですが、宇多丸さんのような日本語ラッパーは全員が現代の詩人だし、彼らのファンが我も我もとラップを始めている様はシーンというかコンテクストが生まれて育っているんじゃないかと。「現代詩」に熱狂した時代の若者も、日本語ラップに夢中な今日の若者も、表現衝動を爆発させコミュニケーションに陶酔しているのは同じじゃないかと。「現代詩」はいまレッドデータな文物になったかもしれないが、その魂までは死んでないと思いますよ。
 Twitterでは新たな俳句のムーブメントが起きてるらしいし(#haiku タグで世界中が一句詠んでるみたい)、コミュニケーションが「場」を創りコンテクストを生み出すのは不変。「文学」だってリストラして生き残っていくと思いますよ。
 最後に「日本文学盛衰史 戦後文学篇(9)」から引用させてください。

 なにより、「読む」とは(「書く」とは)、「繋がる」ために、試みられるもののはずなのである。

 もう一つ嬉しかったのは、「リストラなう!その26」で書いた、僕が学生時代にバイトしていたライブハウスのママからコメントをもらったことだ。十数年ぶりに電話で話したよ。素敵だった。ライブハウスのマスター(映写技師だった人)もお元気とのこと。素敵だ。
 このライブハウスは「ペパーランド」という。日本でももっとも古くから活動し続けていると言っていいホットなライブハウスだ。今もなお様々なコンテクストが交錯する「場」としてあり続けているはずだ。退職したら訪ねたいな…。(ペパーランド.net


 さて、前置きが長くなった。昨日の続き、僕らが武市半平太のように忠義を尽くした(?)大殿様の物語、後編だ。
 


■大殿様の大盤振る舞い
 大殿様に、あるいは会社の最上層部に戦略眼がなかったのでは、というのは、この間の業績と給与・賞与の推移を思い出したからだ。後知恵ですけどね。
 会社は二〇〇〇年代の後半からずーっと赤字を計上していた。だが決算では「営業外収支を合わせるとかろうじて黒字」と発表して、ベースアップこそやめたが、定期昇給をし賞与を出し続けた。営業外収支とは会社が持ってる不動産からの利益などを言うらしい。だがメインの事業が赤字で、思い切った対策をせず、また人件費が増え続けて経営を圧迫していることにも対処しなかったのは、いかにも不首尾だと思う。後知恵ですいませんが。肝心の物事が起きている時、当事者にはそれが何を意味するかよくわからないものですね。
 とりあえず目先の給与と賞与が安定していることで「会社はきっと大丈夫だ」と僕らは思った。普通そう思うよね? あんまりにも目が曇ってますか?
 思うに、大殿様は出費を絞るということが大嫌いだったようだ。むしろパーッと使うことで景気を呼び込もうとするタイプ。『ローマ人の物語』を通読したら、きっと似たようなローマ皇帝が一人か二人はいるだろな。僕は「ハンニバル戦記」しか読んでないけど。
 たとえば、大殿様の任期中に行われていた、取引先を招いての冬の大ゴルフコンペ。ゴルフ場に着いたビジターたちは車を降りるなりニューボールを渡されたという。
 また、それまで座敷で行われていた大手取次(販売会社)を招いての新年会。都心のホテルのバンケットで、着席してコースをサーブするパーティに変えられたという。僕も一回だけ出たことがある。最大手の取次はご存じの通り二つあるので、ゲストを替えて二晩にわたって催された。僕たち社員も、なんだか居心地が悪い接待だなあと思いながら二晩続けてコースを食べた。いちおう二晩は違う料理になってましたよ。たぶんホストの大殿様が「同じ料理を二晩続けてなんてイヤ」とかおっしゃったんだろう。僕たちはそれにお相伴にあずかったわけで、武市半平太がお菓子もらったのよりかなんぼかイイ思いをしてますね。
 たとえば、会社創立ン十周年の記念大パーティ。帝国ホテルのおっきなバンケットルームを借り切って挙行され、豪華絢爛たるページェントが繰り広げられた。代表的な書店のトップを招いての表彰式ではクリスタルなトロフィーが手渡され、有名俳優をナレーションに起用したプロモビデオが流され、みんな度肝を抜かれた(このキャスティングは担当者の創意工夫で意外にリーズナブルだったんじゃないかと思うが)。
 ともかく意表をつくように立派なことが好きな人だった。彼の号令で行われたイベントはどれも派手で立派だった。それは実際、会社の美名を高めたと僕らは思っていた。そのかげで費やされた莫大な経費のことには、うすうす感づきながらも、誰も疑問を差し挟まなかった。異議を唱える向きもなかった。
 また大殿様の任期中に、書籍の大ベストセラーが出た。一つは刊行されて一年のうちに百五十万を刷り、もう一つはミリオンにやや足りなかったがそれでも大部数を印刷した。ミリオンセラーになった方は「あなたが気づかない経済の仕組み、教えます」といった趣の易しい本。次にヒットした方は、「新しい社会階層が台頭してきている」と訴える、社会学っぽい本だった。
 大殿様は後者をいたく気に入って、積極的に刷れ、積極的に宣伝しろと現場に号令した。知性・教養が好きだった大殿様は、この本がまとった知的な雰囲気を気に入ったのかもしれない、と思う。僕らはご機嫌にイケイケで働いた。だがこの本は残念ながらある時売上がぱたりと止まり、かなりの数が返ってきてしまったと聞く。売りたい本が売れるとは限らない。その年の流行語にさえなった本でさえ、刷ったものが全部売れるというわけではない。そして、どんなにたくさん売れても、ある程度返本されてしまうと、それまでの儲けが吹っ飛んでしまう、という恐ろしい話はすでに何度かしたと思う。著者への印税は刷った分だけ払うけど、出版社は利益がありませんでした、というのはけっこう多いのである(だから注文があるからといってホイホイ出せないんですよ。複雑で苦しい台所事情をわかってくださいね?)。
 ところが、定期昇給があり、賞与が例年並みに出ていると、会社が抱える問題を社員はなかなか認識できなかったのである。ベストセラーが実は利益を出してないかもしれない、という恐ろしい事実も、高給のせいで可視化されなかった。と言うとあまりにも無責任か。カネもらっといて文句言うな、というヤジが聞こえてきそうだ。だが見えなくなるのである。成功は恐ろしい。成功している間はイノベーションできないのだ。


■大殿様、最後の逆鱗
 そして二〇〇八年秋、リーマンブラザーズ破綻に始まる大不況が襲来する。世間は敏感に対不況へシフトしていったが、出版業界がそれに気づいたのはずいぶん経ってからだった。いや、口では「不況だ不況だ」言ってても、高給取りのマスコミはそんなこと実感なんてしてないんですよ。商売のための決まり文句で言ってるだけなんだから。
 一年も経つ頃、なんだか広告が入らないぞ、売上が伸びないぞ、いや元々売上は下がってるじゃないか、何が起きてるんだ、とマヌケな議論が業界各所から、はたまた会社の各所から聞こえてきた。世間は高級ブランドではなくファストファッションや安物志向に大きくシフトし、それが誌面にフィードバックされる頃にはすでにいくつもの超高級ブランドが日本から撤退を始めていた。
 大殿様は八年の治世を無事終えられ、次の殿様に禅譲がなされた。名実ともに“大殿様”となられ、会社の中層にある御殿の奥へと籠もられることになった。円満で平和的な政権委譲に見えた。
 だが、もしかすると下々からは見えない所で熾烈な権力闘争があったのかもしれない。というのも、大殿様の引退からしばらくして、大殿様時代になされた施策が次々と覆されていったのだ。
 まず、大殿様の肝いりで設けられた営業部の促進部隊が解散になった。僕もこの解散には当事者として立ち会い、戦後処理のように残された業務に携わった。促進部隊はイケイケの営業活動で書店店頭でのプレゼンスを大いに上げたが、どうもこれは利益に結びついていたかどうか不明だ。なにしろ、経費をかけて営業して注文とっても、それが全部売れるとは限らないからね。返ってくるとよけいに会社の首を絞めるわけで。
 僕がこの促進部隊に配属されてすぐのおり、久しぶりに大殿様の一喝を喰らったことがある。逆鱗に触れたのは「自社商品の棚の位置」についてだった。
 ある日、新橋の某書店を訪れた大殿様は、各社の文庫の棚を見て回ったら、会社の棚はちょうど柱の陰にあり、他社よりずっとみすぼらしく見えたのだという。
「うちの棚がなんでこんな柱の陰にあるんだ!」
 大殿様は担当奉行だかその下の偉い人だかを呼びつけて叱責し、泡食った偉い人が促進部隊のフロアに降りてきた。「あそこ、担当誰?」。それが僕だったわけで。
 大殿様のおわす御殿に連行され、御前にひれ伏す。さすがに大殿様なので吉田東洋みたく半平太を足蹴にするようなことはなかったが、まあえらい剣幕でした。すぐ某書店に連絡し、大殿様のお達しだということで書店の店長を拝み倒して棚の位置を目抜き通り側に移してもらうようお願いした。商品をそっくり、もちろん延べ勘で入れ替えさせてもらった。今ある在庫は返品になるので大金がかかるんだけどね。大殿様のお達しだから。
 後日、明るく華やかな目抜き通りに移った棚の前で、現場の担当者と立ち話した。
「どうもうちのコレ(親指立てるサイン)がわがまま申しまして、ほんとにすみません」
「いえいーんですよ。ただ、あの柱の陰って売れるんですよね」
 そういえば、この店での会社の文庫は棚位置が悪いように見えて、実は毎月の前年比は必ずクリアしていた。優秀な担当者がせっせとメンテする、良い店だったのだ。
 棚位置を変えても売上はさほど変わらなかった。一つ良かったのは、こうしたドタバタで迷惑をかけたけど担当者さんと親しくなれたし、店長ともいろいろ話ができるようになったことだ。
 だがこの店も今はもうない。促進部隊の解散からしばらくして、チェーンのリストラで閉店になったのだった。


■大殿様の落日
 次に、大殿様が最後に創刊した、象徴的な熟年男性ファッション誌が休刊した。前回述べたとおり大部数ではなかったが世間の注目度は高く、会社の隠れたシンボルのような存在でもあったため、その休刊は実売部数減以上の衝撃があった。
 どんな誌面刷新をしても効果がないことに会社は苛立っての決断だったのかもしれないが、また、大殿様譲りの贅沢な編集姿勢が到底採算取れないレベルにまで悪化してたともいうが、あっさりと休刊が実現してしまうことになにより僕らは驚いた。大殿様の威光は、もうないのかな?と。
 もう一つが広報誌の休刊だ。広報誌は頒布価格百円をうたう、実質無料の媒体だ。会社の書籍部門にコンテンツを供給する源として期待され、これも大殿様の肝いりで創刊された。投入した人員は決して多くはないが、いろんな部署から兼任で精鋭が参集し、様々にユニークな執筆陣に依頼していた。休刊後、連載は月刊小説誌に引き継がれた。完全に休刊するんじゃなくてwebで続ければいいじゃないか、という声はなかったようだ。あるいはあったのかもしれないし、僕もそう思っていたのだが、社内の意思決定レベルではそういうことは検討されなかったように見える。そもそも創刊したときですらwebでの展開は何も考えていなかったのだから、いかにアナクロな媒体だったかが知れよう。この「紙にこだわる」というのも大殿様たってのご希望だったらしい。そうか、それなら仕方ないな、デジタルでやっても意味はないだろう……って今なら誰もそんなこと考えないって! ほんの去年の話なんだけどね。地味でも良いコンテンツを育てるという目標があった媒体だけに、その完全死は本当に惜しまれた。
 大殿様はとことん見栄えとか外見にこだわる方だったのかも知れない。あの北欧の紙じゃなきゃダメ。グラビア印刷じゃなきゃダメ。紙は良いけどwebはダメ。
 その年、夏の賞与が例年の半分になった。かなりの異常事態のはずだが、社内の空気はそれほどでもなかった。「景気が回復すれば」。偉い人たちはそう言っていた。広告の第一線で闘う営業マンたちは、景気は回復なぞしないかも、と感じていたようだが、その感覚が全社で共有されることはなかった。
 冬の賞与はさらに減り、往時の四分の一くらいになった。同時に基本給を臨時に五%カットする非常措置が取られた。現場へは経費の削減が命じられ、取引業者へは再三値引きを迫り、飲食を伴う営業は禁じられた。
 年が明け、会社は、外部にコンサルティングを依頼したことを発表した。これは僕の周辺では少なからぬ波紋を呼んだ。内部の発案で建て直すことはもう無理なのだ。一般企業と同じロジックでの企業再生、それは従業員を減らして業容を見直し、価値のない部門を査定して切り捨てることを意味する。これまでもかなり業務は見直してきた。媒体もかなり減らしたし、これ以上減らすことは可能なのか。
 そして「リストラなう」の日を迎えたのだった。


 もう会社で大殿様の姿を見かけることはない。いつの間にか、本当にいつだかわからないうちに姿を消していた。
 僕は彼のことを実はけっこう好きだった。宣伝で働いていたとき、重要な宣伝物に関しては大殿様を直接訪ね、ご意見をうかがうことがあった。山内容堂にお目通りする半平太のようにへいこらして。成果物をチェックする際の大殿様の視線は、いつでも厳しいものがあった。物を見る目は確かで、“クリエイティブ”と呼ばれるものに対しての彼の判断力はやはり抜きん出たものがあったと思う。空前絶後の剣客だった、と思う。
 だが大殿様は剣には秀でていても、山内容堂のような、冷徹に遠くを見通す人ではなかった。大殿様は政治よりも武芸が好きだったのだ。彼はどこだったかインタビューに答えて「今でも現場が好き」と公言していた。常在戦場というか、むしろ戦場だけが好きで一国一城の主となった戦国武将のような人だった。残念なことに、戦闘力は無類でも、統治はあまり好きではなかったのかもしれない。
 大殿様は織田信長じゃないけど人事が好きだった。大殿様の在世中、僕もそうだったけど、会社の多くの人が異動を経験した。人事異動は異常な頻度で行われ、各部署の叩き上げ・プロパーはもうほとんどいなくなった。また、各部署の長に人事権はなく、大殿様の鶴の一声で決まることが多かった、とも聞いた。人事の活性化といえば聞こえは良いが、人事にかかるコストを考えると明らかに無駄が多い。これは目立たないが会社の体力をかなり削いだと思う。
 そして何より、大殿様の間近に、彼を諫める家老や、面と向かって意見する奉行がいなかったのだろうか?という疑問がある。いや、大殿様にがみがみ怒鳴られるのがイヤだったのはわかるけど、まさか僕のような平社員と同じにひたすら平伏してたなんてことはないだろうね? 会社はホントを言えば幕末の大名家のような藩主独裁ではなく、合議制のはずだ。そこでなぜ「営業収支の慢性的悪化」「人件費の増大」「創刊・休刊・人事によるコスト増」などが討議されなかったのか。ちょっと不思議に思う。
 もしかして、お腹いっぱいの給料をもらっていたから、問題意識を持てなかったのだろうか?
 だとすると、平社員の僕たちと同じ病気にかかっていたんだなァ。目先の満足で目が見えなくなる病。
 伝説的な巨額の内部留保を持つ、と言われた会社は、いまどれだけそれを維持しているのか。僕らは去るわけだけど、会社はどうやって立ち直ってくれるのだろうか。奇跡的に急激な回復、というのは難しいと思う。苦しみながらでも地道で着実な回復をしていってほしいと思う。そのための捨て石になら喜んでなるよというのが去る側の気持ちの一端なんだから。(つづく)