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新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その26 俳優の仕事、映写技師の仕事

 うう、今夜はビールを飲み過ぎたので頭ががんがんする。まだ寝てないのに二日酔いだよ。田舎の友達が訪ねてきてくれたのでつい飲み過ぎてしまった。でも寝る前に書きたいことがある。
 今日はとても楽しい日だった。忙しかったけど。


■地味な仕事、だけど奥深い仕事
 午前中、書籍担当としての最後の配本作業をやった。今月の新刊に対して書店からの初回希望数をチェックし、取次(販売会社)別に搬入部数を按分する仕事。これは出庫担当というある意味販売の花形的なポジションの中心業務だ。まず初版部数はもはや厳として動かせない数字だ。これに対して大きな書店やその書籍の銘柄に強い書店などから初回希望数を募る。これも動かしがたい数字。そして新刊時に保持する在庫を確保する。これも大事だ。あまり在庫しすぎると全部出せないなんてことになるし、在庫が少なすぎると追加注文に応えられない。この案配が難しい(だから醍醐味があって楽しい)。
 初版部数から特指定店の希望数と在庫分を引くと、ランク配本で市中に回す分はわずかしか残らない。配本に使うシステムでは、銘柄別にセッティングした配本パターンに従って自動で配本数がはじき出される。ここに取次の裁量で使ってもらうための取次フリー分もつけて、各取次への初回搬入数を決めてゆく。
 特指定店からもらった希望数は、お店の担当者さんが自店の規模・客層・傾向、銘柄の性質・商品力などを考え抜いてつけてきた数字だ。安易に変えては申し訳ないし、満数送り込むのが当たり前だと思う。だが初版部数という絶対に動かせない制約がある。また、パターン配本で送り込む分も侮れない。特指定店はないけれど販売力の強いチェーンなんてのもけっこうあるから、ここが薄いと思わぬチャンスロスになる。
 そんなわけで様々な要素のせめぎ合いを脳内で葛藤させつつ、微妙な目分量で配本数を案配する。これは職人的なスキルが要求される仕事で、僕なんかまだ半年しか担当やってないからはっきり言って素人だ。こういうときはノウハウと哲学を持った先輩に指導してもらう。すると、それまで僕がうじうじ葛藤していた問題を決然とした判断力で見る見る解決してくれるのだ。特指定店が考え抜いてつけてきた希望数を、店ごとの特性や長年の経験でチェックしてびしびしっと減らし、その分で超品薄になってた取次フリー分を捻出したり、在庫を積みましたりしてくれる。いやお店の担当者には本当に申し訳ないけど、とくに顔見知りの担当者がつけてきた数字を減らすのは本当に心が痛いけど、そうしないと全体が破綻するので泣く泣くやってるんです。ご理解ください。
 そうやって頭が煮えるくらい考え抜いて配本しても、発売初日からびたとも動かない銘柄もある。翌週には返本が倉庫に戻ってきて、良品在庫より返本未整理が多くなってしまい、しかも新たな注文はない、なんて三拍子揃った悲惨な情況が現出したりもする。恐ろしいことだけどダイナミックで面白い。逆に大きな店でも小さな店でも予想を上回る消化率をたたき出してしまい、注文は殺到し在庫が溶けて消え、会議を待たずに重版の稟議書を回す、なんてこともある。ま、僕は直接担当者として経験する機会がなかったが。


■地味な仕事、だけどある意味派手な仕事
 午後は拡材を作った。いわゆるPOPというやつですね。今日はTwitterの書店員秘密結社のみなさんが仕掛けてくれた『○○○○』のためのPOPだ。拡材というのはあれですかね、拡販材料の略なんでしょうか? よく知らずに言葉使ってる。
 僕はPOPを作るときは超保守的なものしか作らない。インスピレーションほとばしるコピーを才気走った手書き文字で飾るなんてことはできないから。でも宣伝の部署にいたときプロのデザイナと仕事して、彼らの仕事を間近で見て「これでいいんだ」という自分なりの結論に至ったのでそれに従って粛々とやる。
 まず書影を用意し、銘柄の周辺情報からコピーを探す。書影とタイトルがきちんと読めればPOPとしての機能は半分がた果たせる、と思ってるから、この点さえ押さえとけばそう変なものにはならない、と確信してる。今回は書影がきれいなのと書影の中にタイトルがしっかり読めるのでコピーに使える面積も大きい。そして秘密結社構成員たちが豊かな周辺情報を提供してくれたのでコピー探しも楽しかった。某お店の担当者さんがごく初期の段階で作ったらしい手書きポスターからボディコピーを借り、キャッチコピーも借りてアレンジし、Twitter発の作戦なんだということをアピールする文言をちょっと入れ……するともうほとんど完成だ。しかも今回は秘密結社の絵師が素晴らしいシンボルマーク(というかマスコット)まで用意してくださったので、変にデザインする必要がない。
 色遣いは僕の場合超ワンパターンで、どっかに金赤(Y100+M100)を使って人目を惹くようにして、あとはバッティングしない色をちょこっと置いていく。もともと色音痴なので冒険はしない。色遣いがワンパターンでもいいんだ、POPが名作である必要はない、商品そのものを訴求するのがPOPの役目なんだ、と繰り返し念じながら作る。
 以前の部署でアドビ・イラストレータの使い方を覚えることができたのは幸いだった。このアプリケーションはマイクロソフト・エクセルと並んで人類が発明した偉大な道具だと思う。使ってて楽しいし。今の部署ではエクセルを習ったけど、vlookupとピボットテーブルまでしか至らず、マクロには到達できなかった。残念。やっぱり僕はイラレが好き。そのくせフォトショップをほとんど使えないのは我ながら笑止だ。
 POPが形になったらとりあえずTwitPicにアップロードしてTwitterで秘密結社のみなさんにチェックてもらう。その間、次はオビに取りかかる。
 オビはPOPより苦手だ。タイトルも書影も使えない(当たり前だ)から。だからここは秘密結社の方がすでに作っていたオビから素材をちゃっかり借用する。アップロードされたオビ画像からメインの手書き文字を抜き出しライブトレースでアウトライン化する(OL化すれば字間を調節したりできる)。これを表1側の中央に配置すれば主コピーが決まるので、残りの空間を周辺情報で埋めてゆく。秘密結社のマークがたいへん素晴らしいアクセントになる。各社の文庫にはいろんなマスコットが存在してて、なかにはよくわからないのもいるが、なんでマスコットが必要かというと、オビにこういうのがいると不思議とホッと落ち着くのだ。その点、秘密結社のシンボルはたいへん素晴らしい。結社の来歴、キャラの出自とその必然性が、全部同時に一つのイメージから伝わってくる。
 表4側が真っ白なのもつまらないので、秘密結社の面々がつぶやいた感想をちりばめる。こういうのを一度やってみたかったので、ノリノリでデザインする。実在するどなたかの言葉を使うには、ホントは許諾をいただいて確認していただいてお礼をして、といった手続きが必要だ。でも今回はスピードが命。そして秘密結社の面々とはもう共謀関係にあるんだ、という勝手な理屈で全部無許可で進める。独断専行。超楽しー。
 オビの画像をtweetしたら、一時間かそこらで早くもカバーに巻いた写真をUPしてくださった方がいた。もう最高に嬉しかった。涙が出たよ。やって良かったー!と心底思った瞬間だった。


■僕は映写技師になりたかった
 二十数年前、田舎で学校に行ってた頃バイトしていた喫茶店は夜ライブハウスもやっていた。田舎にしてはセンスのある店で、スターリンラフィン・ノーズも来たし、僕のアイドルだったリップクリーム(当時人気のスラッシュメタルバンド)も来た。リップの連中はツアーの日程が空いたので数日僕の下宿に泊まっていった。
 ライブハウスを経営していたのは博覧強記のおじさんだったが、本業は町の中心部にある劇場に勤める映写技師だった。いや彼にしてみればライブハウスが本業だったんだろうが、映写技師の仕事で店を支えていたというのが正解だろう。
「劇場においでよ。受付で僕を呼んでくれればタダで入れてあげるよ」と言われ、お言葉に甘えてよく映画も見せてもらった。数多くのゾンビ映画や「王立宇宙軍」もそうやって見た。
 始まる時間ちょうどに行くのはつまらないので、一時間ばかり先に行って、映写室に入れてもらった。今の映写室がどんなだかは知らないが(デジタル上映になっちゃってるのかな?)、当時は映画の真ん中あたりで二台の映写機を切り替え、巨大なフィルムのリールをよっこらせと掛け替えて、終わったやつを巻き戻すという重労働があった。
「実はもうこんな仕事はいらないんだ。映画一本の上映なんてほんとは全部自動でできる。でも僕がここにいるのはなぜだと思う?」と彼は言った。
「映写技師はね、何か不測の事態が起きたとき対処するために必要なんだよ。たとえばフィルムは切れる。燃える。音が出なくなる。そういうときのために僕はずーっと座って待ってるのさ」
 フィルムが燃えるのを見た人はいるだろうか? 僕は九〇年頃のテアトル池袋で「じゃりんこチエ」が燃えるのを見た。オールナイトのシネマラソン、一風変わったアニメばかり上映していたテアトル池袋だ。押井守か何かが終わって観客の気が抜けたとき、加熱した映写機が止まって、ずっとランプに照らされていたコマがシュールな痕を残しながらめらめらと溶けて炎が上がった。オリバー・ストーンナチュラル・ボーン・キラーズ」の実験ぽい画面のようだった(時期的に違うかもしれませんが)。「ニューシネマ・パラダイス」でも燃えるシーンがあったっけね。
 何かがトラブるのをじっと待ち、淡々とそれをフィクスする男。かっこいい。ていうか、世界のトップスターたちが銀幕で活躍できるのは、こういうプロたちが世界中の映写室に控えているからだ、ということに僕はしびれた。
 以来、僕はそういう仕事をやりたかった。
 僕の仕事歴に派手な成果はまったくない。編集にいたときに残した最良の成績は「十年で十万部」というそれはそれは地味な書目だった。営業に来ても大きな商談をまとめたことなんて一回もない。派手な仕掛けに火をつけたこととか、ミリオンセラーの担当になったこともない。至って平凡、才能のない勤め人人生だった(それで才能ある編集者とかと同じ高給取ってたんだから問題ではある)。
 で僕は、映写技師のように、何か困った案件が業務を妨げるのをフィクスするのが好きだった。端末とサーバがうまくつながらなくなる事故を直したり(実はすごく簡単なんだが)、クレームに対応したり、突発的な出来事が致命的なことにならないよう食い止めるのが好きだった。あと、書店さんからのイレギュラーな頼まれもの(それこそ拡材とか)を処理するのが好きだった。定型業務をこなすのも嫌いじゃなかったけど、不定型な業務は最高に好きだった。だから今回のTwitter仕掛けのサポートなんて大好物だ。誰かに取られなくてよかった、って。
 だけどこういう仕事も、もう終わりだ。会社を辞めるからじゃない。たぶん、リストラが進む会社ではこういう仕事に割ける人員がいなくなる、という意味だ。もっと根幹の業務、カネになる仕事、ラインを維持するのに絶対必要な業務などに注力し、余剰人員を作らないようにしなければ、生き残っていけなくなるのではないか。
 残念なことだ。不定型な仕事というのはけっこう創造性を刺激するというか、表現衝動を満たすものが多かった。拡材作りなんてその典型で。前にも書いたけど、表現衝動がなくて出版社で働こうなんて人間はたぶん一人もいない。
 でも、みんなが敏腕編集者になれるわけじゃないし、花形営業マンになれるわけでもない。天才編集者や辣腕営業マンが腕をふるうかげには、必ず彼彼女をサポートする存在がいるはずだ。僕はそっち側にあこがれていた。そう言う割に実は跳ね上がり志向だったのはこのブログをお読みの方にはもうバレバレかもしれないが。
 でも、俳優だけでは映画は撮れないし、監督と脚本だけでも良い作品は生まれない。名画の後ろには、美味しい弁当を毎日入れたケータリングサービスや、そのまた映画を劇場でかけてた映写技師、さらに適度に塩のきいたポップコーンを気持ちよく観客にサーブする売り子さんなど、様々な人がいるわけだ。
 僕はなかでも映写技師に憧れていた。それが間違ってこんな業界に来てしまったが。でもそれなりに楽しい二十年だった。
 これからも会社が、表現衝動、面白いものに携わりたいという欲求に忠実な職場であれば良いなと思う。ていうか、これまでも、もっと原初的な衝動や欲求を大切にする会社だったら良かったんだろうなと思う。もっともっと読者、書店員、スタッフとコミュニケートすれば良かったと後悔している。これからこういう牧歌的な仕事はできなくなるのかも、と思いつつ。もちろんそれは会社の外に出る僕の身にふりかかることでもあるのだろう。僕はとりあえず、表現衝動は一番大事にしていこうと思っている。今日の仕事で、それがどんだけ大切かよくわかったから。(つづく)