新々リストラなう日記 たぬきち最後の日々

初めてお読みの方は、<a href="http://tanu-ki.hatenablog.com/entry/20100329/1269871659">リストラなう・その1</a>からご覧になるとよいかも。

リストラなう!その23 師匠との邂逅

 今夜も絶賛ブログ炎上中(計画炎上じゃーないですよ!)、だけど年相応に日々鈍感力に磨きがかかるたぬきちです。そんなたぬきが14歳の中学生に戻ったかのようにwktkした日の日記です。


■剣豪登場
 春らしい日和だが日が沈むと風は冷たい。会社を定時に出て電車を乗り継ぎ、都内某所の居酒屋に向かった。
 今日は特別な、スペシャルな夜なんだった。
 居酒屋の個室で同行の人たちとしばし待つ。何度かスイングドアが開いた後、お目当ての人が現れた。
 佐々木俊尚さん、四十八歳(推定)。ITジャーナリスト。プロフィールはもうみなさんご存じと思う。僕がリストラに応じて会社を辞める決心をした直接の動機は佐々木さんの著書『仕事するのにオフィスはいらない』を読んだことだった。今夜は一読者の僕が、その佐々木さんと会える日なのだった。もちろん、佐々木さんが僕に直接声を掛けてくれたんじゃない。間を取り持ってくれた人がいるわけでその人にも感謝しまくりなんだが、僕はもうスーパースターの楽屋にこっそり入れてもらったグルーピーのように見苦しいほどワクテカして周囲の何も目に入らなかった。実は店への道順も覚えてないよ。
 大学在学中にロッククライミングに熱中したと聞いてて「もしかしてムキムキマッチョ?」とか勝手に思ってたのだけど、佐々木さんは中肉中背、どちらかと言うとスリムで静かな物腰の方だった。だがスーツの下に贅肉はみじんもない、年齢よりもずっと柔らかで太い筋繊維が隠されているのを感じる。
 実は僕はNHKの討論も、MXテレビ「博士の異常な鼎談」も見てないのだ。唯一動く佐々木さんを見たのは「マル激トーク・オンデマンド」の「消えゆくマスメディアとその後にくるもの」の回のみ。そんなんでファンを名乗るなよ。
「佐々木です」
 へへーっ。『ウェインズ・ワールド』だと僕はここで「I'm not worthy!」と平伏すべきとこなんだが、それはさすがにみんなに迷惑だからやめといた。
 前に佐々木さんのトークライブを実況したTwitterを読んだとき、質疑応答の時間を「並み居る浪士が斬りかかるのを剣豪が次々と一刀両断していく」と描写された方がいた。あるいは「切込隊長BLOG」での「怒りゲージを溜めて」「デビルマン化」という描写。きっとバーサク状態になるとそーなんだろーなー、と強い意志を思わせる引き締まった口元と鋭い眼光。だけど今夜は仕事の後で適度にお疲れのようす、まずはなごやかにビールで乾杯したのだった。


フリーランサーとして生きるということ
 僕は佐々木さんが著書で記してこられた「フリーランサー」「ノマド」という考え方に感銘を受けて(かぶれて)ほとんど衝動的に会社を辞めるという選択をしてしまった。だからご当人に会ったらまず訊いてみたいことがあった。
「あの…毎日新聞を辞められてアスキーに移られましたよね? その間どれくらいの時間を置かれたんですか?」
 我ながらめちゃくちゃミクロな質問だと思う。
「辞めた翌日から働き始めましたよ」
 あらら、逡巡とか充電とかはなさらなかったのね……そうか段取りされてたんですね。いや僕は自分の行き先がまだわからないのでちょっと充電しようかななんて考えてたんですが……甘かったかな?
「でもアスキーを辞めてフリーになるときは収入の算段とかめちゃくちゃ考えましたよ。いつも『この仕事でいくら、あれでいくら、合計月収いくら』って口に出して計算してました」
 ああ良かった。いや、この剣豪にしてもやっぱり完全フリーになるって決めたときは心が揺れたんだな、と。安心しました。
 佐々木さんは毎日新聞に十三年、岐阜支局のサツ回りから始めて社会部で記者をされた。その後半で脳腫瘍という大病を経験されたと著書にある。僕は佐々木さんの仕事にももちろん興味はあるが、今一番気になるのは、フリーランサーとして生きるときこういう健康面やメンタル面での不安要素とどう付き合っているのか、ということだった。自分自身、大病とはいえないがうつ病で死ぬ思い(主観的には)をしたりしたので、健康面を含む自己管理の秘訣を知りたかった。
「早起き、ですね」
 ああ、やっぱりそうか。そう、これに尽きるんだよな。
 もちろん佐々木さんはそれ以外にも運動を欠かさないし、食べ物は普段はベジタリアン(和食)で肉類はたまの外食でしか口にされないという。だけどこれらすべての基本にあるのは“早起き”、このシンプルさなのだ。そういえば軍学者兵頭二十八さんも「メンタルな問題には早起きが効きますよ」と言ってたな。やはり基本なんだ。
 佐々木さんが毎日新聞で働き始めたのは一九八八年、僕が就職する前年だ。そして僕も就職してから足かけ十三年編集部にいた。キャリアに占めるそれは時間軸的にも量的にも大して変わらないじゃん、と不遜にも思ってた。だけど目の前の佐々木さんと自分とを心の中で並べてみると、当たり前だが、違うことだらけだ。その差は何なのか。
 それはたぶん、働いてきた、過ごしてきた時間の濃密さの違いなんだと思う。社会部記者としてはたぶん佐々木さんも優秀な兵士の一人にすぎなかった(失礼を承知であえてこういう言い方をさせてもらいます!)んじゃないかと。でも、その間の体験の濃さの違い、そしてそれからの人生を自分で選択してきたことの積み重ね、言い訳の効かないフリーランサーという生き方を自己責任で引き受けてきた、その違いが、僕という凡人と剣豪との違いにまでなったんだな、と。
 けど佐々木さんは「大変ですよ」とも「苦労しました」とも言わない。それよりも「なってみると意外と楽」「なんとかなるもんですよ」と繰り返しおっしゃる。
 そうなのだ。努力は当たり前なのだ。苦闘だって当たり前だろう。そんなこと口に出さずとも、静かで優しい、かつ力強いたたずまいが雄弁に物語っている。これまで得られなかった濃密な体験、燃焼感を得られる生き方。その入り口が「フリーランス」にあると。


■不肖の弟子への宿題
 この日佐々木さんが言ってたことを三つだけメモしておきたい。
 一つは「インターネットが正義を実現する」。
 これはこのブログの反響やコメント欄が毎日炎上(ってほどじゃないけど)してることに関して。もう前後の文脈いっさい抜きでこの言葉だけ紹介してしまうのだけど、誤解の入る余地がなく「インターネットが正義を実現する」のだ。荒々しい言論空間、様々なコメントには心折れる瞬間も絶えずある。だけど、それらすべてひっくるめたところに、これまで実現されなかった正義が可視化される可能性がある。既存メディアが何百年もかけて追い求めてきたものが立ち現れる瞬間をもしかして目撃できるかもよ?という期待。
 二つめ、「これは妄想の類ですが……ずっと遠くの未来、国民国家が終焉を迎え〈帝国〉が世界を覆うようになる。そのときは会社組織もその生命を終え大勢の〈フリーランサー〉が働いて世界を動かすようになる」。
 これはネグリとハートの〈帝国〉論を下敷きに佐々木さんの〈ノマド〉論を敷衍したもの、と僕は受け取った。ここには小は出版業界が直面する問題から、大はグローバリズム、世界大不況といった大きな問題までが含まれる。でもすべてのベースにあるのは〈個人〉の力の及ぶ範囲がかつてないほど拡大し、誰もが世界の運営に関与できる可能性を持つ未来への期待だ。この明るさ、力強さが佐々木さんの言論の魅力だと思う。(間違ってたらごめんなさい!でも間違ってない自信もあるよ)
 三つめ。「Podcastではなく自宅からのUstream中継を考えてるんです……溜まっていくものではなくライブで流れていくものを。Twitterとの連携もできるし」。
 これは佐々木ファンだけでなく、業界の心ある人々みなが注視する試みになるだろう。
「退職が完了したら、顔出しでトークセッションしませんか? 自宅においでください」。
 うっゎゐょー!!! いいんですかこんな俺で。
 …ていうかこれまでの人生でもっとも重い宿題かもしれん。町道場に通う洟垂れガキが剣豪に稽古をつけてもらう……より、落差がありますよ?


 というわけで前々から勝手に「師匠」と呼んでいた方との初の対面は楽しく幕を閉じたのだった。ここでついつい連想してしまうのはこないだの大河ドラマ坂本龍馬勝海舟と出会い弟子として認められたくだりだ。僕は自分を龍馬に喩えるほど厚顔無恥ではないが、佐々木さんを勝安房に喩えても誰も異を唱えないはずだ(個人的には官僚であった勝ではなくテクノロジーに通暁しておられるので佐久間象山?のようなイメージなんだが…いや縁起が悪いので失礼か)。せめて今夜だけは、大泉洋演じる近藤長次郎になった気分!くらいは言わせてください(この喩えも縁起が悪いナ…)。
 このブログは大勢の方から読まれるようになってたぬきちが舞い上がりっぱなしの恥ずかしい記録の様相を呈していますが、今夜のエントリはその中でも最大に舞い上がってると思います。どうかご寛恕のほどを。(つづく)



2ショット撮るの忘れた…


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